極悪成金お嬢さま編-1
案の定、夫の新作「愛人探偵」は貴族界隈で物議を醸し出しているらしい。貴族達からの手紙には、ある事ない事も書かれていたが、共通しているのはどれも「愛人探偵」の内容に批判的だった。
公爵が書く内容ではないとか、主役の女性が下品過ぎるとか。遠回しにフローラ達への批判だが、ため息しか出ない。
あの朝食を食べた後、送られてきた手紙を読んでいた。書斎に一人籠り、全てチェックしていたが、気持ちの良いものはない。中にはエロ男爵として有名な男から夫を讃える手紙もあり、全部破りたくなってしまった。
それでも一通だけフローラを心配する手紙があった。親戚のクララからのものだった。クララは伯爵夫人でありながら、舞台女優をやっていた女で、今は劇場を作り活躍しているそうだ。もう五十歳ぐらいだが、精力的に女優の仕事もしているそう。なぜか舞台に出る事や友達同士で会う事も勧められていたが、フローラを気遣っている事がわかる。
フローラはクララにだけは急いで返事を書き、フィリスに郵便局へ持って行かせた。
それが終わると、庭でハーブの世話をしていたら、またネイトがやてきた。ろくでも無い知らせを持って来たのだろう。追い出したかったが、夫に用事があるというので、渋々部屋まで案内した。あの蒸しケーキと紅茶も持って行った。
夫はなぜかネイトにだけは素直で、引きこもりのままでも普通に扉を開けていた。解せない。
思わずフローラの眉間に深い皺が生まれたが、夫はこの場所に居て欲しいとう。これも意味が分からないが、同席する事にした。
テーブルに上は香り高い紅茶、それに食べやすく切り分けた蒸しケーキ。
夫は全く手をつけていない。一方、ネイトはムシャムシャと食べていた。しっとりと柔らかな蒸しケーキは、あっという間にネイトの腹に収まった模様。
「何しに来たの、ネイト。お菓子を食べに来たの?」
お腹いっぱいになり満足そうなネイトを見ていると、いい気分はしない。フローラは奥歯を噛みながら、わざとらしい笑顔を作っていた。フローラと付き合いが長い夫はぷるっと震えている。おそらく妻の機嫌は全く良くない事を察知したのだろう。
「ええ、実はこれ。先生の『愛人探偵』の売り上げ等の報告です」
ネイトはカバンから一枚に紙を見せた。手紙の便箋よりは少し大きなサイズだったが、ここには本の売り上げの数字が並ぶ。初版の一割ほどしか売れてなく、宣伝経費を含めると完全に赤字だった。
夫のいつもに作品はこんな赤字は無かったはず。明らかに爆死だ。売り上げ的に完敗だ。
「あああ、どうしよ!」
夫は絶叫し、ネイトの持って来た紙を見つめていた。
「あなた、こんな売り上げに負けちゃダメよ。シリーズ二作目を描いたら、もっと受け入れてくれる読者もいるわ」
「奥さん、お花畑はお辞めなさい」
珍しくネイトははっきりと言葉にしていた。
「『愛人探偵』は打ち切りです。編集部で決まりました。こんな爆死ではどうしようもない。さ、先生、次の企画書を作りましょう」
「そ、そんな……」
夫はフローラよりも動揺し、涙目になっていた。そういえば夫の本はデビュー作からよく売れていた。初めての爆死だ。もしかしたら挫折自体も初めてか。夫が公爵家で甘やかされて育った事は、アンジェラからよく聞かされていた。
「ええ、先生は恋愛小説家に戻ってくださいよ」
ネイトのその言葉に今度はフローラが動揺する番だった。これはつまり、夫の不貞が再開するフラグ?
「ネ、ネイト、何を言っているの?」
「我々も営利企業です。残念ながらお金が全てです」
ネイトは眉ひとつ動かさず、紹介する愛人リストを夫に見せていた。
「ネイト! 妻の前でやる事です? 私の立場はどう思っているの?」
腹が立ってきたが、フローラはあえて笑顔を見せた。嘘くさい笑顔だっが、ネイトには何も伝わっていないようだ。
「不貞を勧める編集って何? ちょっとあなたも辞めてくださいよ」
「お、この成金のお嬢さま、可愛い名前だな。パティだって」
「は?」
一方夫は愛人リストを見ながら、鼻の下を伸ばしていた。引きこもり中はゾンビみたいになっていたのに。ネイトから本の爆死を知らされ動揺していた時は、死にそうな目をしていたのに、一体全体どういう事?
「決めた! 俺はやっぱり恋愛小説家になるぞー!」
夫は高らかに宣言すると、カバンを持って外へ出て行ってしまった。
「ちょ、あなた。どういう事!」
フローラは必死に止めたが、夫は全く聞く耳を持たなかった。
「あんたのせいよ!」
フローラはブチギレた。思わずネイトにメンヘラしそうになったが、彼は案外冷静だった。
「奥さん、諦めましょう。浮気は男の本能みたいなもんです。治りそうもないです」
「な、なんて事……!」
「そんなミステリー作家になったぐらいで本性なんて治りませんよ」
「うっ……」
悔しいが、ネイトの言う通りだった。その後、夫は全く帰って来なくなった。愛人の元にいる事は、明白だった。




