サレ公爵夫人編-5
夫の新作「愛人探偵」は爆死となった。発売すぐ重版どころではなく、各地の書店で返品が相次いでうるという。
偶然にもイケメンの恋愛小説家がデビューし、文壇でもこちらに話題を持って行かれてしまった。
「あなた、いつまでいじけているの! 部屋から出てきなさい」
ドンドンとドアの扉を叩いていたが、返事すらない。この事で夫はメンタルが悪化し、公爵家の自室に引きこもってしまった。
一応こうして毎朝ドアの前で説得を試みているが、まるで効果がない。一応フィリスやアンジェラが持ってきた食事は食べているようだが、暗い部屋で引きこもりいじけている。
「もう、全く。私の夫はどうして気が弱いのよ」
ぶつぶつ文句を言いながらも、フローラはキッチンへ行き、蒸しケーキを作る事にした。
蒸しケーキは簡単。生地を作って蒸し器で温めるだけ。クッキーよりも簡単かもしれないが、食感も柔らかく、こんな時にも食べやすいかもしれない。
口では文句を言っているフローラだったが、実はそうでもない。夫が引きこもりになったおかげで、愛人と会うチャンスすらない。このまま引きこもっていてもフローラからしたら何の問題もない。
問題があるとしたら、夫の仕事だ。これで夫がミステリーから恋愛小説家に戻ったとしたら?
また作品のネタに不倫をするかもしれない。何としてもそれは止めないと。
「奥さん、早いですね。もうキッチンへ?」
そこへメイド頭のアンジェラが起きてきた。もう六十過ぎのアンジェラだったが、体格も良く、メイド服姿はベテランの貫禄すらある。長年ここに勤め、フローラも信頼していた。
「ええ。夫の為に蒸しケーキ作ってたの。もうすぐ出来るはずよ」
「いい香りです。さ、私は朝食を作りましょうかね」
「ええ、お願い。というかフィリスはまだ? まさか寝坊?」
「その通りですよ」
「はあ、あのうっかりメイドは……」
フローラもアンジェラも頭を抱えてしまう。フィリスはメイドとしての仕事ぶりは中の下だった。最近言葉遣いはどうにかまともになってはきたが、まだまだ田舎くさは抜けない。皿やカップもよく割る上、寝坊も多い。注意しても本人はケロッと気にしていない。この問題はアンジェラと共に頭を悩ませていた。
かといってブラック公爵家と噂がある今は、新しい常勤メイドも雇いにくい。誰か躾の先生でもいれば良いのだが。
「奥さんは修道院にいたんでしょ。どなたか良い先生は知りません?」
「そうね」
フローラもアンジェラと共に朝食を作りながら呟く。フィリスが寝坊して来たので、結局フローラが仕事をしていた。
「確かにシスターの誰かだったら、協力してくれるかも」
「頼みますよ、奥さん」
そうこうしているうちにスープやパン、サラダなどの朝食も出来上がった。もちろん、蒸しパンも出来上がり、あとは並べるだけの段階になった時、ようやくフィリスが起きてきた。ドタドタと騒がしく足音もたて、さすがのアンジェラもキレていた。
「ちょ、フィリス。田舎者なのは良いところだけど、もう少し落ち着きなさい」
「アンジェラ、それどころじゃないですよ! この手紙見てください! すごい、いっぱい手紙が来てます!」
フィリスは腕に大量の手紙を抱えていた。
「見せて」
フローラはフィリスから手紙を取り上げ見てみると、全部貴族界隈の連中からだった。中には夫の姉や親類からもあり、それだけで頭が痛くなる。
「愛人探偵」のせいだろう。あの作品のせいで夫の不貞が公然のものとなり、貴族界隈でいつも以上にヒソヒソされているのが想像ついてしまった。
「奥さん、これはやばいんじゃないですか? こんなに手紙が来るなんて、何が起こってるんです?」
フィリスの心配している声に、アンジェラも黙りこくってしまった。
フローラは手紙を見下ろしながら、ため息しか出ない。
「そうね、これは大変な事が起きているかもしれない」
確かに夫は今は不貞はしていなかったが、新作も売れない。貴族の名誉もこれまで以上に悪化している事だろう。
心配事は山のようだ。
目の前には出来上がったばかりの朝食がある。とろわけ蒸しケーキは、ほかほかと良い香りをたてていた。つるりと丸いフォルムも可愛いが、今は全く笑えない。
「とにかく、この朝食は夫の元へ持っていきましょう」
今はとにかく目の前の事を一つ一つこなすしか無いようだ。




