サレ公爵夫人編-4
フローラはドレスの裾をつまみながら階段を降り、一階の書店へ向かっていた。
夫のいる会場の方へからは歓声や拍手がぴたりち止まっていた。盛り上がっていたのは、最初の方だけなのか。
首を傾げつつ、書店につくと、多くの客で賑わっているようだった。客層は女性が多く、貴族界隈でも知った顔がある。平日の昼間の書店に行けるのは、庶民や貧困層は少ないだろう。天井にあるライトや飾ってある絵画も高級品で、確かここも女王の親類が経営している書店だった。
この書店の顧客は、恋愛小説や冒険小説が好みなのだろう。店頭にはそんなジャンルの本が山積みで目の前で売れていく。最近は女流作家も多く世に出てきているようで、少しは男尊女卑も緩和されているのだろうか。
冒険小説の作者は全員男。そのあたりはきっちりと性差で分けているらしい。
レジの側にはゴシップ本や雑誌も多く鎮座している。今もマムの事件を取り上げている雑誌もあり、ホットな話題だろう。それでも今は全体的に平和なようで、伯爵令嬢の婚約者の話題や未亡人がボランティアをしたというホッコリ系の話題も半分以上占めているようだ。
思わずゴシップ記事を手に取り、マムの事件の詳細を読む。偶然にも、あの事件で世話になった記者・トマスがライターだった。
マムのこれまでのいじめや犯罪も暴かれていたが、王宮魔術師達もあの一件でクビになった者が多いという。
マムの事件で魔術師エルの事を思い出す。あの魔術師は散々事件を撹乱し、犯人の脅しまでしていた。結局白警団に捕まったが、風評被害を受け、他の王宮魔術師達の評判もガタ落ち。国王も王宮魔術師達を疑いの目で見るようになり、お金の流れや仕事ぶりも洗い出し、どんどん首にしているという。元々国の儀式執行で雇われていた王宮魔術師だったが、必要な人材だけ残し、ほとんどはクビにしてしまったとか。
王宮魔術師達から批判の声も上がっているが仕方ない。この国は国王の声が絶対だ。
また人気王宮魔術師だったルーナという女もクビにされた事が書かれていた。ルーナは女優の専属魔術師となり、国王を呪っているという噂も書かれ、フローラの眉間に皺がよる。
マムの件で呪いや魔術にはウンザリしていた。特にエルの悪どさには、思い返すだけで気分が悪い。
「それでも何かの役に立つかもしれないし、ゴシップ記事は買っておきましょう」
フローラはマムの事件の詳細が書かれたゴシック誌を手に取り、レジに向かった。
外見は上品そうに見える公爵夫人はゴシップ誌を買い込んでいるのを見て、レジの店員は呆れ顔だった。
「ところで夫の『愛人探偵』って売れてる?」
気になった事も聞いてみたが、店員の目は泳いでいた。
「実はあまり予約が入ってなくて」
「えー、そうなの?」
「いつもの先生の本だったら、倍以上は予約が入るんですけど」
フローラは信じられず、レジが終わると、夫の本が売られている店頭へ向かった。
ここは出版社が営業をかけてくれているお陰か、夫の作品は店長の目立つ所にあった。当然、新作の「愛人探偵」も目立つ所にあったが、どうも売れ行きが悪い。客が買っていくのは、既刊の恋愛小説ばかり。
それにホラー風の表紙デザインの「愛人探偵」は浮いていた。
「あの本、怖くない?」
「サレ妻? 一体誰が買うのよ」
そんな噂声まで耳に入り、珍しくフローラの表情は弱ってきた。
「そ、そんな」
もしこれが売れなかったら、夫はミステリ作家を辞め、また恋愛小説家? 同時にそれはまた不倫地獄になる事を示していた。
「あら、サレ妻のフローラじゃなくて?」
弱っているフローラの耳に、甲高い声が響いた。
振り替えると、ドロテーアが立っているではないか。
ドロテーアは夫の元愛人の一人だった。庶民の女で職業は教師。年齢も三十歳の行き遅れだが、不動産投資で儲けていて、地方に別荘も持っていた。よく夫とは別荘に行き、観光がてら不倫旅行に耽っていた事も思い出す。
性格も極悪。フローラにも偶然を装って出会し、マウントを取る事も多かった。
「実は不動産投資が儲かって儲かって、困っちゃうわー」
ドロテーアは顎をつんと上げ、フローラにマウントを取り始めた。
「やっぱり今の時代は貴族の公爵夫人なんてオワコン。私みたいに投資で大金を稼げる女が素晴らしいのよ?」
ふんっと鼻の穴を膨らませていた。鼻だけでなく、えらがはったカニのようなドロテーアの顔を睨みつける。腸が煮え繰り返るが、ここは書店だ。どうにか奥歯を噛み締め、今はメンヘラしないように我慢。
「あら、ドロテーア。そんな素晴らしい女がマムに負け、夫と別れた理由は何かしら? 本当に素晴らしい女なら、夫は捨て無いでしょう?」
フローラは腹に力を込め、背の低いドロテーアは見下してやった。
チンケな女だ。フローラが見下すと、リスのように震え始めた。
「やだ、奥さんこわーい。彼も言ってたけど、つまらない奥さんね」
だからといってドロテーアも負けてはいない。言い返してきた。
「彼はよく言ってたわ。奥さんがつまんねーって。ベッドの中で、ね?」
含みのあるドロテーアの目に、フローラはさらに睨みつけた。
「こんなサレ妻のホラー小説ミステリなんて売れないから。私をモデルにした恋愛小説の方がいいんだからね」
最後にドロテーアは爆弾を落として去っていった。
この言葉は一番聞きたくなかった。実際、「愛人探偵」はさほど売れていない。夫の既刊の方が売れている。
ネイトからは発売後すぐに重版がかからないと打ち切りと言われていた。特に今回は大々的なプロモーションでお金もかかっているので、打ち切りラインも高く設定されていた。
「ドローテーアなんてどうでもいいわ。とにかく『愛人探偵』が売れないと……」
呟くフローラの声は震えていた。
この後、フローラのメンタルは悪化したまま、夫もいるイベント会場に向かったが、水を打ったようにシンと静か。ここが図書館だと勘違いしそう。
「奥さん、大変ですよ!」
フィリスが会場から出てきて、フローラのドレスの袖を掴んだ。
「え? 何?」
「公爵様、台本にない事ペラペラ話したんです! 長年不倫していた事や奥さんがメンヘラ地雷女だとか、本作のモデルだとか、マムの件も詳細に語り……」
「えー?」
フィリスはさらに力強くフローラの袖を掴んだ。
「それで公爵さまのファンは総スカンです。みんな怒って帰っていきましたよ」
「えー?」
同時に会場から夫とネイトも出てきた。ネイトは顔が真っ青だった。何が起きているか、フローラはすぐに悟った。
「緊張して余計な事を話しちゃったわ」
夫はむしろ笑顔。全く悪びれていなかった。
「ごめんね、フローラ。いや、サレ公爵夫人?」
その夫の声は無邪気そのもの。
「ごめんじゃないでしょ!」
フローラの怒号が響いていた。




