サレ公爵夫人編-3
ついに夫の新作「愛人探偵」の発売日になった。今回は書店で大々的なキャンペーンもあり、今日はサイン会も開催される予定だ。
この数日は嫌な予感も感じつつも、フローラは平安だった。夫は公爵家に帰り、仕事に熱中。もう「愛人探偵」の二作目を作成中で、プロットやキャラ設定を練っているらしい。当然、浮気をやっている様子もなく、本当に平安だったのだが。
「奥さん、何で私たちが会場設営なんてしないといけないんですかね?」
「仕方ないわよ、フィリス。サイン会なんて晴れの舞台なんですから」
フローラとフィリスは二人、書店のイベントスペースに椅子を並べていた。今日はサイン会と共に夫の作品秘話を語るトークイベントもあり、その会場設営を任されていた。
王都の書店は広く、こんなイベントスペースもニ階に持っていた。普段もサイン会、トークショー、写真やイラストの展示会なども行っている。
今の女王は文化や芸術を愛するゆえ、都には書店だけでなく、図書館、劇場、美術館などもあった。こんな文化的な書店は田舎には無いらしく、フィリスは興奮気味だったが、こうして雑用をさせられるとなると、文句を言い始めていた。
夫やネイトから今日のサイン会をサポートするよう言われていた。もっと事務的なものだと思ったら、まさかの会場設営の手伝い。二人の人遣いの荒さもイライラとはするが、仕方ない。フローラはフィリスを連れて渋々会場設営をこなしていた。
公爵夫人であるフローラだったが、会場設営も苦ではない。ブラック公爵家として使用人が来なかったので、毎日家で仕事をしていた賜物か。フィリスと協力してあっという間に会場は出来上がった。あとは客が来るのを待つだけ。
会場設営が終わると、フィリスと共に控室へ。夫と編集者のネイトしかいなかったが、夫は鏡に向かって髪型を整えていた。
「ああ、俺ってなんて美男子なんだろう」
「先生は、イケメンです!」
そんな夫にネイトが側で褒めまくっていた。ネイトによると、夫は緊張の末、逃げ出そうとしていたらしく、こうして褒めちぎっているのだとか。
「アホらしい。あなた、それは単なるナルシストじゃなくて?」
フローラは小心の夫に本当のことを言ってしまった。フォリスははっきりと言うフローラに大笑い。ネイトはオロオロ。夫は鏡に齧り付き、自己暗示をかけるように「俺は美男子」と呟いていた。
「でも、奥さん。今回の新作は売れてもらわないと困りますから。プロモーション経費もかけてますからね!」
オロオロしているネイトだったが、釘を刺してくる事は忘れない。
「ちなみに売れなかったら、どうするんですか?」
フィリスは無邪気に質問していた。
「うん、先生には再び恋愛小説家に戻ってもらうしかないね」
「そんな」
ネイトの声はフィリスよりも無邪気だったので、フローラは絶句してしまう。
「あなた、恋愛小説家に戻ってら、どうするの?」
「また、浮気すっかな」
悪びれずに呟く夫に、フローラの顔が鬼と化す。
「ええ、だったらまた先生に愛人を紹介しますよ!」
「ちょっと、ネイト。これは妻の前で言う事かしら?」
フローラはネイトに近寄り、鬼の形相で圧をかけたが、本人はヘラヘラ笑っているだけだった。
「余計な事しないでくれません? っていうか、あんたが浮気の元凶だったのねー?」
ネイトはフローラの圧に負け、リスのようにプルプル震えていた。フローラは女にしては背が高く、今日はヒールつきの靴、背筋もピンと張り、それだけも怖い。
「おお、怖い。さすが鬼嫁だな」
「何か言いました?」
「まあまあ、奥さん、ネイトさん。もうすぐ開演の時間ですよ!」
フィリスが壁時計を指差すと、ちょうど午前十一時の五分前だ。十一時から夫はトークインべトとサイン会が始まる予定だった。
「う、もうこんな時間か」
夫は鏡を見るのを辞め、すくっと立ち上がった。
「うん。もう行くぞ!」
そして胸を叩き、会場に向かうネイトも後を追い、最終確認しに向かった。
控室に残されたフローラとフィリス。夫とネイトがいなくなっただけで、だいぶ静か。
「奥さん、どうします? トークショー見ます?」
「見てもしょうがないわよ。台本は事前に私もチェックしていたし、ファンと交流する所を見てもね」
実は夫には熱狂的なファンも少なからずいた。中には本気で恋愛感情も抱き、フローラに敵対心を持つものもいる。
夫は外見だけはいい。美しい金髪に青空のような目。背も高く、体格だって素晴らしい。ファンからはある種、アイドル的な人気もあった。
さすがに夫はファンに手は出さないが、ファンが多くいる会場に居ても仕方ない。フローラは、一階に降り、本でも見ることに決めた。
「フィリスはどうする?」
「私はトークイベント見て、サイン会出ますから!」
「えー、サインなんていつで貰えるでしょ。それにあんなゲス不倫している男にサイン貰ってどうするのよ。あの男は猜疑心が強くて、マムの事件の時は毒味しろって暴れた事もあったじゃない」
「まあまあ、奥さん。作品と作家の人格は別物ですよ」
「そうかしら」
「『愛人探偵』見本誌読みましたけど、マムの事件と奥さんをモデルにしているとは思えないぐらいホラーで手に汗握るミステリーでした」
「現実の事件はゆるいって事? まあ、ライト風よね」
「ふふふ、そうかもしれません!」
フィリスはクスクス笑いながら会場の方へ行ってしまった。拍手や歓声も響く。今の所は夫もファンに受け入れられているようだ。
「そう、作家と作品は別物よね。『愛人探偵』だって売れるわよ、きっと」
鬼の形相だったフローラも笑顔を取り戻していた。




