サレ公爵夫人編-1
公爵夫人フローラ・アガターの昼は優雅なものだった。
特に今日は広い庭のテラスにテーブルを出し、お茶やお菓子をゆっくりと楽しんでいる。初夏の心地よい風、美しい薔薇、澄んだ空もフローラを全力でもてなしていた。
「ふう、濃いめの紅茶は美味しいわ」
フローラは紅茶を啜ると、目尻を下げる。元々キツい見た目で、悪役女優顔だった。この容姿で勝手に「毒妻」と呼ばれた事もあったが、今はすっかりゆるい表情だ。
それもそのはず。
夫の愛人・マムが殺された事件に巻き込まれたが、無事に解決した。それにずっと不倫を繰り返していた夫も、この事件によりミステリー小説を書きたくなったようで、今は恋愛小説も書くのをやめていた。
夫は公爵でありながら人気恋愛小説家だった。自分で出版社も持っているが、そこで多くの作品を送り出し、世の女性読者をきゅんきゅんとさせていた。容姿もよく、通称・薔薇公爵なんて呼ばれていたが、極度の浮気性。女が大好き。それをネタに恋愛小説を書くのも大好きな男だった。
貴族社会では暗黙の秘密だ。保守的な貴族連中では、夫に対して悪く言う者もいたが、基本的に男性社会。男同士で庇われ、むしろ夫は英雄だ。
一方、こも国では妻が不倫すると、犯罪者となり数年牢屋の中に入る。全くの男尊女卑の不平等社会だった。
今は夫はミステリー小説を書くため、探偵の元に取材に向かってるいた。
公爵家に帰ってこない日々が続いているわけだが、その理由が仕事なら仕方ない。昔は女が理由で家に帰ってこなかったが、今はそうじゃない。フローラのメンタルも安定し、こうして昼間にお茶を楽しむぐらいの余裕も生まれていた。
「ああ、平和ね……」
小鳥の鳴き声を聞きながら、フローラの表情は限界までに緩んでいた。元々のキツい顔立ちはどこへやら。いつもはスッと伸びた背中も猫のように丸くなっていた。普段使いのドレスも地味で、黒髪もシンプルに一つにまとめただけだった。
「奥さん、紅茶持ってきましたよ!」
そこへメイドのフィリスがやってきた。新しく春に入ったメイドだが、意外な事に長く働いていた。
というのもフローラは夫の不倫でメンヘラになる事が多く、そのためにメイドも定着せず、ブラック公爵家という噂がたっていた。おかげで人員が定着しない悪循環に陥り、フローラも家事をしながら何とか公爵家を維持していた。
事件を解決した今はその状況は大差ないが、日雇いやスポットで入ってくれる使用人も見つかり、今は少し家の方も余裕がある。
「ありがとう、フィリス」
「しかし奥さん、顔が腑抜けてますよ? いいんですか?」
フィリスは使用人とは思えないほど、田舎臭い態度や言葉遣いだ。正直、フローラを舐めている部分もあるが、マムの事件では一緒に事件調査する事も多く、頼りになるメイドだ。
フィリスはまだ若い。フローラは二十七なので、七歳ほど差があるが、何となく今は対等な関係。そもそも上下関係を気にする貴族社会に疑問があったフローラは、フィリスの田舎娘らしらは嫌いではない。
「フィリス、今は暇? 暇だったら一緒にお茶でも飲みましょう」
「いいですけどー、本当今の奥さんは腑抜けていますねー」
フィリスは呆れながらも、テーブルに同席し、一緒にお茶を飲んだ。
温かく濃いめの紅茶。綺麗な焼き色がついたクッキーやマフィン。それに最近フローラがレシピを開発した蒸しケーキを食べながら、二人ともまったりとしていた。
まさに公爵夫人だけが楽しめる贅沢な時間だったが、ガサガサと芝生を踏みつける音が響いていた。下品な音にフローラは顔を顰めた時、庭に男がいるのに気づいた。
「奥さん!」
スーツ姿の男だ。勝手に公爵家の庭に入ってきても、フローラは驚かない。よくある事だ。
この男は夫の担当編集者のネイトだった。二十五歳で、フローラや夫と同年代の男だったが、髪はボサボサ。スーツも古めかしいもので、肘にはつぎ当ても。いかにも庶民の男だったが夫はネイトを信頼し、重用していた。
フローラは正直、ネイトが好きではない。この男は夫が不倫を作品のネタにしている事をよく知っている為、愛人の斡旋もしていたから。
いわばフローラの敵の一人。緩かったフローラの表情も頬が引きつっていた。食べていた蒸しケーキも急に苦い味になってきたのは、気のせいだろうか。
隣に座っているフィリスはネイトと初対面だ。二人は挨拶を交わし、和やかな雰囲気だったが、フローラはついついネイトを睨みつけてしまう。
「お、奥さん。そんな俺を睨まないでくださいよ」
「何しに来たのよ。せっかくお茶を楽しんでいるのに、あなたの出現で台無しだから」
「奥さん、酷くないですか? せっかく今日は良い感じのものを持って来たんですから」
ネイトはフローラに悪く言われても全く動じない。意外とメンタルが太い男だ。彼はスキャンダルが出た時も平然としていたものだった。
「良い感じのもの? 何?」
「わー、私も知りたいです。何ですか?」
フィリスが囃し立てると、ネイトは口元をニヤけさせていた。
「ええ、とっても良い感じものです!」
ネイトはさらにニヤニヤしていた。




