番外編短編・改めて肉バル
肉バルの壁には夫が書いたサイン色紙が飾ってある。夫はここに行くたびにサイン色紙を書いているので、十数枚それがある。
「あなた、ドヤ顔してサイン色紙書くのやめません? 恥ずかしいわ」
フローラはため息をつく。
「いや、いいのさ。店長さんからも頼まれてるし」
「そ、そう……」
今日は夫婦で肉バルへ来ていた。フローラも女王の仕事がお休み。夫は昨日締め切りを倒した。という事で夫婦水入らずで肉バルに来て食事をしていたが、案の定、会話は盛り上がらない。
「でも、この焼肉は美味しいわね」
「だろう、頬が溶けそうではないか!」
もっとも肉は美味しく、その話題ばかりしていた。鉄板の音やガーリックソースの匂い、ほかの客や店長の声も響く、居るだけで元気になれそうな場所だった。
「あの、公爵夫人のフローラさんですか?」
そこへ一人の女性が話しかけてきた。四十歳ぐらいだろうが、服装は地味で明らかに庶民階級の女性だった。女性はこの近くの商業地区で文房具屋の店員をしているらしい。万引きに悩まされていたが、マリオンの事件の一件でそれも解決。
「フローラさん、ありがとうございます! これで万引きがなくなりました」
「いえ、頭を上げてちょうだい。私は夫の周りに彷徨く女が憎いから事件調査していただけよ」
フローラは慌ててしまうが、こうしてお礼を言われるのは嬉しく、笑顔になってしまう。
思えば籠の中のような公爵家にいても誰かにお礼を言われる事はなかった。逆にアンジェラの迷惑をかける事も多かった。それを思い出すと、こうしてお礼を言われるのは単純に嬉しい。
「だろう。うちの妻はすごいから」
なぜか夫も胸を張っているのは恥ずかしく、フローラの顔は真っ赤になってしまうが。
「まあ、事件解決した後に食べる肉は最高に美味しいな」
「ええ。今日はもっと食べましょう!」
相変わらず盛り上がりのかける二人だったが、笑顔で肉を食べていると、そこそこ楽しい。もしかしたら幸せとはこんなものなのかもしれない。
地味で大きくもないが、フローラはこの幸福を噛み締め、せっせと肉を焼く。




