面白い女編-4
「だ、だからゴーストライターなんて知りませんって!」
目の前にいる男、ブルーノはカタカタと震えていた。ブルーノはモラーナの担当編集者だった。年齢は三十代前半ぐらいだが、天然パーマの癖の強い髪や細い目、もやしのような体型は見るからに頼りない。細い目にメガネも似合っていた。
あの後、フローラは夫と落ち合った。夫によると、ブルーノは全く事情を話さず、こうして夫婦二人で対面するから事にした。
出版社の応接室は広くはない。それに見目が良い公爵夫婦が揃うと圧もすごい。ブルーノはそんな公爵夫婦に弱っていたが、震えるだけで肝心な事は口を紡ぐ。
「そ、そんなモラーナ先生がゴーストライターをやっていたとか知りませんから!」
ブルーノはハンカチでおでこの汗をふく。今の季節は秋だ。決して暑くはないはずだが、こうして汗を流しているのは、やましい事があるからだろう。
「あなた、これはどうしましょうね?」
「困ったな。意外とこの男、頑固だ。っていうか、フローラ、そのマム風のメイク本当にやめてくれね?」
隣にいる夫は顔を顰め、咳払い。よっぽどこのマム風のメイクが嫌とみた。フローラはもうこのメイクは二度としないと決めていたが、今はブルーノの方が問題だ。
この手のタイプを叱りつけたり、脅したりするのは逆効果だろう。夫の愛人のようか極悪タイプは毅然として追い払う必要があるが、ブルーノの場合は睨みつけても意味がない。
フローラは軽く微笑み、バスケットの中から栗のマフィンをだし、ブルーノに与えた。無無乾燥だった応接室に甘い香りが広がる。
「どうぞ、召し上がって」
「おお、これは妻が焼いたマフィンだ。絶品だぞ」
フローラは隣にいる夫の調子の良さにイラっとし、口の中を噛みたくなったが、公爵夫人らしい嘘臭い笑顔を浮かべ、ブルーノの様子を見守った。
小さなリスのように震えていたブルーノだったが、栗のマフィンを恐る恐る齧っていた。
「お、これはうまいぞ!」
「良かったわ。全部食べて良いいからね」
フローラはバスケットの中にある栗のマフィンを全部与えた。不思議なものでブルーノの態度もすっかり軟化した。よっぽど栗のマフィンが気に入ったのか、ムシャムシャ咀嚼しながら口を滑らせていた。
「ええ、そうですよ。モラーナ先生はゴーストライター使ってますよ。だいたいあの先生、頭も悪くて教養も文才もない。俺とも会話していていても噛み合わないっていうか」
ブルーノはモラーナに不満があるらしく愚痴り始めた。
「印税はゴーストライターにほとんど行きますよ。モラーナ先生は名前と顔だけ。まあ、あの人は名誉欲だけは強いから良いんじゃね」
とんでもない事もさらっと口にする。夫は驚いてはいなかった。もしかしたら業界ではよくある事かもしれないが。どうやらモラーナは前の事件のパティと違い、金銭欲は無いらしいが、だからと言って良い人物のはずがない。
「 で、そのゴーストライターって誰なんだ。言えよ」
夫は偉そうな口調にしていた。全く板についていないが。
「ブルーノ、お前、作家界隈でも評判悪いぞ。売れてる作品の二番煎じ書けとかさ。文句言ってる作家も多いな。よし、公爵家の力を使ってお前もクビでもいいかい?」
全く威厳のない夫だが、笑顔で話す内容は怖い。ブルーノは顔を青くし、さらに震えていた。汗も流れ続けているようで、ハンカチでゴシゴシと額を拭いている。
「わ、わかりましたよ。ゴーストライターはダリアです。モラーナの古くからの友人です!」
フローラと夫は顔を見合わせる。証拠がなかった憶測だが、ようやく証拠が掴めた。ダリアは夫と話があった。あのフェスでもメモをとっていたらしい。モラーナが褒められると嫉妬していたとも聞いた。これも全てダリアがゴーストライターだった事を示していたのだろう。ヒパズルのピースがだんだんと集まってきていると実感した。
「という事で俺は全部吐きましたから! もう来ないでくださいよ!」
ブルーノは余った栗のマフィンを急いで食べ切ると応接室から出て行ってしまった。応接室のテーブルの上は、食い散らかした跡で汚れていたが、今はどうでもいい。
「つまりモラーナは友達全員を脅していたわけね。マリオンとも何らかのトラブルがあってもおかしくない。ダリアも何らかの理由で脅され、ゴーストライターやっていたのね」
「何らかの理由は?」
夫の疑問はもっともだ。
「たぶん、万引きね。おそらくあの女生徒のキャロルが知っているはずだけど」
証拠は無い。だんだんと犯人に近づいてきているようだが、最後のピースはダリアだろうか?
「よし、フローラ。キャロルを捕まえに行こうじゃないか」
「いいの? 一緒に来てくれる?」
「行くぜ! パティの事件の時に言っただろ。一人で出来ない事も二人だったら出来るかもしれないじゃんか」
フローラは夫人手を引かれて、キャロルを捕まえる為に出版社を後にしていた。
夫と手を繋ぐには何年ぶりだろう。もう夫への感情的な愛は尽きていたが、今は少し復活してきた。その証拠のようにフローラの胸は高鳴っている。
「よし、犯人を絶対見つけるぞー!」
そう言う夫は目が生き生きとしていた。まるで籠の中から飛び立った鳥のようだ。縛りの多い貴族が探偵の真似事をしているのは非常識。危険な事でもあるが、二人で手を繋いで走っていると、心は自由だった。もう二人とも籠の鳥では無いはずだ。




