殺人事件編-1
モラーナの来襲後、入れ替わりのように夫が帰ってきた。今日は合コンもなくなり、暇なのだと悪びれずに言う始末。
気づけば夕方。フィリス達メイドはキッチンで夕食の準備に追われ、フローラ達も食堂へ向かう。
「なんか、飽きるんだよな」
ハーブ水で手を洗い、さっそく食事も始まったが、夫は微妙な顔つきだった。
かつてのように「毒見しろ!」などと吠えない。その代わり、パンをちぎりながらダラダラと文句を言い始めた。
「飽きる?」
「このパンもさ、アンジェラが焼いたものを二十年以上食べてるわけ。飽きてきたなぁ」
夫はそう言うと、ふわぁと欠伸をしていた。薔薇公爵と言われるほどの美男子だ。金色の髪の毛はハチミツによう。目の色も青空のように美しいものだが、今の夫は退屈そうだった。瞼も重そうで、どうも頬にも張りがない。魂が三分の一ぐらいどこかへ吸い取られているような。
「まあ、坊ちゃん! せっかく私が焼いたパンにケチつけるなんて!」
これを聞いたメイド頭のアンジェラは目を釣り上げていた。元々体格も良く、ふくよかなアンジェラが怒ると食堂の空気はかなり悪くなってきた。
「そうですよ、公爵さま。わがまますぎません?」
フィリスにも怒られ、夫は臍を曲げた。まるで子供だ。不貞腐れて無言でパンを齧っていた。
夫の左手の薬指には指輪があった。今までの傾向から不貞はしていないだろう。不貞をしている時は確実に指輪を外す。
それに安心していいのかは不明。フローラも無言で食事をすすめたが、先程のモラーナの事を思うと、全く喜べない。今日はロースビーフや旬の芋のスープだったが、あまり美味しく感じない。
「ああ、やっぱり飽きたわ〜」
悔しいが、夫の言う事も一理ある。結婚十年目にし、最近は比較的穏やかな日常だったが、確かに何かが物足らない。
フローラは空気の悪い食事の後、自室に戻ると、レシピブックを開いた。レシピブックは現在菓子屋を経営するシスター・マリーが作ったもので、味は確実に美味しい。
「ええと、まだ作っていないレシピは? あった、栗のペーストを使ったマフィンね。確かこれだった家の材料で出来るはず……」
もしかしたら新しいレシピの菓子でも作れば夫の退屈な気持ちも晴れるかもしれない。
翌朝、フローラは朝早く起き、栗のマフィンを焼いた。見た目は普通のマフィンだが、生地は栗のペーストも入っているので、焼きたての匂いは天国のように素晴らしい。味見もしてみたが、これだったら夫も喜ぶかもしれない。
「よし、できたわ。これを朝食のデザートとして出しましょう」
フローラは満足していたが、夫の反応は微妙だった。
「ふーん、栗のマフィンか。見た目は地味だな。まあ、確かに香りは秋っぽくていいけどさ」
朝食の最後、栗のマフィンを出したが、夫は一口齧ると、食べるのを辞めていた。
「不味くはないけど、普通っていうか。マンネリよな」
「そう」
フローラは夫の反応には驚かず、黙々と栗のマフィンを食べ続けていた。こんな事だろうと思った。フローラが夫の為に何かすると、裏目にでる事が多い。七年前、結婚記念日に豪華なネクタイピンをプレゼントしたが、目の前でゴミ箱に捨てられた事も思い出す。
こうして朝の食堂の空気も最悪だった。夫は夜遅くまで原稿を書いていたようで、余計に機嫌が悪い。
「ちょっと、坊ちゃん。奥さんがわざわざ手作りしたものですよ」
「そうですよ、公爵さま。子供みたいにわがまま言ってないで、食べてくださいよ。奥さん、新しいレシピを使ったらしいですよ。健気じゃないですか。公爵さまに喜んで欲しかったんですよ」
メイドのアンジェラとフィリスに怒られた夫。さすがに居心地が悪くなってきたようで、咳払いしていた。また栗のマフィンを齧っていた。
「ま、まあ。うまいよ」
「そう」
今の夫に褒められても全く嬉しくはないが、フローラは一つカマをかける事にした。
「ところでモラーナとの仲はどう? 素敵なお友達ができたたって聞いたわ」
フローラは実に後者夫人らしい上品な笑顔を作った。一方夫は咳き込んでいた。フィリスが持ってきた水を慌てて飲むぐらい。
「いや、モラーナは単なる同業者だよ。確かに一緒に合コンしたら面白いヤツだけども」
「そう?」
「いやだって、モラーナってちょっとお花畑っていうか、何か奇妙っていうか変な女だし」
夫は落ち着きを取り戻していた。フローラのカンでは、モラーナの事は気に入ってなさそうだが。
「でも同業者でしょう。創作談義とか、気が合う事も多いはずよ」
「うーん、なんかモラーナは知識も薄くてさ。逆にマリオンやダリアが教養があって面白い。特にダリアは物知りだねぇ」
フローラの中でアラームが鳴っていた。モラーナはともかく、他の合コン相手は満更でもなさそう。嫌な予感もしてきた。長年、夫の不貞に苦しめられていたフローラの勘はよく当たる。
「まあ、ごちそうさま! これから原稿書くぞ!」
夫はわざとらしく笑い、書斎の方へ行ってしまった。栗のマフィンは食べかけだった。最後まで食べたくなかったらしい。
「奥さん、どうします?」
「そうですよ、奥さん。あの坊ちゃんを放置しておいていいんですか?」
フィリスとアンジェラはすぐに詰めてきた。
「良いわけないわ。そうね、モラーナの事はともかく、マリオンやダリアについても調べましょう」
「そうこなくっちゃ、奥さん! 公爵さまをギャフンと言わせますよ!」
「今時ギャフンなんて言う人はいないわよ」
フローラとフィリスの応酬にアンジェラは腹を抱えて笑っていた。つられてフローラ達も笑ってしまう。
今はまだ退屈な日常。それでも笑っていると、だんだん楽しくなってきた。




