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俺が小学生のときにお父さんが死んだ後、お母さんは一人で俺と姉ちゃんを育ててくれた。
一緒に居る時間は短かったけど、お母さんは専門職で結婚前からずっと仕事は続けてたんだ。だから生活パターンは実はあんまり変わってないし、俺は少なくともお金で苦労した覚えは全然ない。
学校も、行きたいところどこでも行っていいって言われてたし、希望通りにさせてくれた。
お母さんは、さばさばって言うのかなぁ。えっと、よく聞く『さばさば系』じゃなくて、系のつかない奴ね。
超ドライで、子どもにもベタベタしない。
姉ちゃんはお母さん譲りで、凄く頭いい。顔も中身も、結構お母さんに似てると思う。
俺は頭は普通かな。顔とか性格はお父さんによく似てるって、お父さんの方のおじいちゃんやおばあちゃんに言われてたな。
そういや、お父さんが死んだあとは一回も会ってないけど。
俺が何しても、お母さんは基本スルー。まあ所謂『ヤンチャ』とかしたこともないしな。
小さい頃は、挨拶とかありがとうごめんなさいとか、そういうのはちゃんとしなさいって厳しかったけど、それは当たり前だし。
進路とかはホントに自由。全部自分で決めろって方針で、俺が「あの学校行く。こういう勉強したい」って言ったら「そう」って即オッケーなんだ。
俺は自分で言うのもなんだけど結構真面目だったから、信用してくれてんだなと思う。
姉ちゃんに対しても特にうるさくはないけど、俺よりはずっと細かかったな。
あ、でも『お姉ちゃんだから』とか『女の子だから』とかは一切なかった。お母さん、そういうの絶対言わないんだ。
進路も、俺のときとは違って姉ちゃんとはいろいろ話し合ってたみたいだった。別に姉ちゃんは自分で決めちゃダメなんじゃなくて、その希望のためにどうすれば一番いいか、みたいな?
姉ちゃんのほうが、俺よりよっぽど成績もいいししっかりしてるのに。
姉ちゃんとお母さんも、仲は良いんだろうけど正直俺にはよくわかんないんだ。同じ部屋に居てもほとんど喋んないで、別々のことしてる感じだし。
単に二人とも、べったり一緒に居て同じことしたがるタイプじゃないってことなんだろうな。
お母さんは、子どもに対しては基本放置っぽいんだけど、世話しないとかそういう意味じゃない。
当然だけどごはんもちゃんと作って食べさせてもらってたし、洗濯した綺麗な服着せてもらってた。家の中も、ピカピカとまではいかなくても片付いてたよ。
ただ、とにかく「好きにしなさい。自由に生きなさい」って感じだったんだ。
大学に受かった時、別に家からでも通えるんだけど大学の傍で一人暮らしすることになった。
俺は自宅通学のつもりでいたんだけど、お母さんが「大学の近くなら安い部屋もあるだろうし、通学に時間取られるよりその方がいいんじゃない?」って部屋借りてくれてさ。
姉ちゃんは俺より四歳年上で、家から大学に通ってた。俺の大学よりは近かったけど、家からの時間は三十分も変わんない。姉ちゃんが片道一時間強、俺が一時間半って感じ。俺の方が乗り換えが多いってのはあったけど。
もともとお母さんには、大学卒業して就職したら家は出ていくように言われてたからね。もう子どもの頃から。早く自立しなさい、ってことだよな。
姉ちゃんより優遇されてる、っていうのとは違うかもしんないけど。なんか気分良かったのは確か。俺が姉ちゃんに勝ってるとこなんて、他になかったから。
自分でもかなり恵まれてると思うけど、学費も部屋代も全額お母さんが出してくれた。
実際、大学入ったら奨学金借りて仕送りとバイトでキツキツって奴も、ちょっとびっくりするくらいに多かったしね。
小遣いはアルバイトでなんとかしろって約束だけど、そこまで甘えてないし文句なんかない。
大学生になってからは、授業とアルバイト、それにサークルや遊びに時間取られて、俺はなかなか実家に帰れなかった。
お母さんは、一回も「帰って来い」って言わなかったし。つーか、連絡自体ほとんどしてなかった。俺もだけど、お母さんからは電話もメッセージもホントに来なかったんだ。
自宅外の友達も最低年末年始だけは帰ってたけど、俺はずっとバイト入れて自分の部屋で過ごしてた。
さすがに年末年始は、主婦のパートさんは出るの嫌がるから。そりゃ家族と居たいよなぁ、特に子ども小さい人は。
普段試験の関係で都合付けてもらってるお返しと、何より特別手当が出るから、自分から手ぇ挙げて大晦日から三が日までずっと出ずっぱりだったんだよ。一年生のときも二年生も。
三年生の夏休み、ふいに予定変更で時間が空いて俺は家に帰ることにした。
言うまでもなく、それが入学以来初めての帰宅ってことはないよ。
それまでにも特に春や夏の休みにはぽつぽつ帰ってはいたけど、帰省って距離じゃないしせいぜい二泊してまた戻るってパターンだったんだ。
なんせ近いから「いつでも帰れる」と思うと、かえって「いつでもいいや」になっちゃうんだよな。
「ただいまぁ」
ドア開けて久し振りに家に入った俺の声に、姉ちゃんがリビングから顔出した。
もちろん前もって連絡はしてるよ。お母さんに。
「……巽」
姉ちゃんはなんていうか、いつも俺にはつっけんどんだ。小さい頃からあんまり合わなかった。
だからって、別に苛められたことなんかないよ。どっちかってーと相手にされてないくらい。
「お母さんは? 今日は休みって聞いたんだけど」
「買い物行ってる」
素っ気なく答えてさっさとリビングに戻ろうとした姉ちゃんは、癖で鞄を玄関先にポイっと置いた俺に顔を顰めた。
「ちょっと! なんでそこに置くの? リビングまで持って、……せめて端に寄せなさいよ」
「え? いーじゃん、別に」
俺だって玄関上がってすぐの、しかもド真ん中に鞄があるのが行儀いいとは思ってない。
だけど、自分の家でくらい構わなくない? うち、まず客も来ないんだし。
お母さんも別に何も言わなかったよ?
「あんた、お父さんにそっくりだね」
姉ちゃんの刺々しい言葉に、俺は急に思い出した。
お父さんも確かにそういういい加減なところがあって、よくお母さんに注意されてたなって。
「そんな子どもみたいなこと言われたくない!」
お父さんの逆ギレに、お母さんは「だったら最初から『子どもみたい』なことしなきゃいいでしょ」ってぴしゃって返してた。
……そういえば俺も、小さい頃はお母さんにいちいち怒られてたけど、そのたびにお父さんが「それくらい」って──。それでもお母さんはいろいろ言ってくれてたのに、お父さんが横から邪魔してたな。
だから俺も、「これくらい」別にいーじゃん、って考えてたんだ。たぶん、今も。
お父さんとお母さんはもう離婚する予定だった、らしい。結構長いこと話し合いしてたんだって。
ちなみに、お母さんは大人同士の話を子どもに愚痴ることなんかない。
その辺は全部お父さんに聞いた、ってか聞かされたんだ。
俺たちに味方になって欲しかったんじゃないのかな、無駄だったけど。お母さんはそういうのもイヤだったのかも。
……今更だけど、お父さんて自分の何が悪いかも全然わかってなかったんじゃねーの?