空から飴が降ってきた話
目にとめて下さりありがとうございます。
こちらは、拙作「空から猫が降ってきた話」(https://ncode.syosetu.com/n9146im/)のオムニバスです。
併せてお読みいただけると喜びます。
曇り空の下、田舎のバス停に立っていたら。
空から、飴が降ってきた。
隣で傘をさしていた小さな女の子が、一つ拾って、はいどうぞ、と私に差し出した。
最初は、女の子が飴を落としたんだと思った。
なぜなら、バス停には私とその子だけ。
目の前に広がるのは、なんとも長閑な田園風景。
飴が出現する要素があるとすれば、その女の子のポケットの中、くらいだったから。
けれど、違った。
その飴は、間違いなく空から降ってきたのだ。
だってほら、またバラバラと。
女の子の傘の上で、飴が、飛び跳ねる。
「食べないの?」
女の子が、傘の下から私を見上げる。
「あ、えっと、ありがとう。」
慌てて、彼女の手から飴を受け取った。
紫色の包み紙。けれど、中に入っていたのは、丸いグリーンの粒だった。
「あ。ブドウとマスカット、間違えてる。」
ごめんなさい、と女の子は呟いて、傘を持ったまま、頭を下げる。
その拍子に、傘に乗ったままの飴が滑り落ちて、アスファルトの上に散らばった。
「私、マスカットの雨も大好きだよ。」
「ほんと?それなら、良かった。」
女の子が微笑む。
また、バラバラと、飴が傘を叩く。
女の子を中心にして、飴の輪が、こんもり盛り上がっている。
この子が、傘を持ってて良かった。
飴が頭に当たったら、結構痛いだろうし。
私も、傘持ってくれば良かったな。
雨は降るかも、と思ったけど、まさか飴が降るなんて、夢にも思わなかった。
あれ。
そういえば、私の頭には、飴、降ってこない……。
「お姉さん。」
彼女の一声で、私の意識は現実に引き戻される。
「こっちのいちご味もあげる。でも、もしかしたらスイカ味かもしれない。こっちはレモン味だと思うけど、パイナップルだったらごめんね。それから、これは──」
色とりどりの包み紙の飴が、私の手のひらに、こんもりと山を作る。
「ありがとう。私、飴はどんな味でも好き。あなたは要らないの?」
「うん。これは、お姉さんのだから。」
「私の?」
「うん。元気出た?」
少女の大きな瞳が、鼈甲飴のように、煌めいた。
「お姉さん、空を睨んで、悲しそうな顔をしてた。
すごく泣きたいのに、泣けないって顔してた。
だからわたし、お姉さんの代わりに泣いてあげようと思ったんだけど、まだ上手じゃないから、飴、あげるね。」
はい、と、また一つ、ピンク色の包み紙が、積み上げられた。
「私、泣きそうな顔してた?」
「うん。」
「そっか……そうなんだ。」
手のひらに広がる、優しい重さ。
口の中で転がる飴は、じんわり甘い。
「私ね、お友だちに酷いことしちゃったの。別の人と仲良くなるために、その人のことを利用したの。すごく仲良しだって、あなたのことが好きだよ、って思わせておいて、でも本当は私、別の人が好きだったの。」
「……よく、分かんない。」
「そうだよね。ごめんね。
でも、友だちを傷つけてまで、近づきたいと思ったその好きな人は、私から逃げるように消えちゃった。それでも諦めきれなくて、こんなとこまで探しにきて、さ。
好きな人に、好きになってもらえないのって、すごく辛い。
でも、その気持ちに気づけたから、分かったの。
私は、私を好きになってくれた友だちに、こんなしんどい気持ちを押し付けて、ここまで逃げてきたんだな、って。
一体自分は何がしたかったんだ、って、ほんと情けなくて。
泣きたいけど、泣く資格なんてない。だって、友だちに酷いことしておいて、自分だけ泣くのは、ずるいでしょ?」
どうにか笑顔を貼り付けた私を、傘の下から見上げて。
女の子は、小さく首を傾げた。
「あのね、お姉さん。泣きたいときは、泣いていいんだって。
雨が降った後には、虹が出るでしょ?それと同じでね、たくさん泣いたあとは、にっこり笑えるようになるんだって。」
ぽつり、と。
飴とは違う小さな雫が、彼女の傘を叩く。
「私、泣いて、いいのかな。」
「うん、いいんだよ。」
ぽつり、ぽつりと、落ちた雫は、やがて、本降りの雨になった。
彼女が、うんと高く伸ばしてくれた、傘のなかで。
私は膝を屈め、雨に負けないくらいに、小さな子どものように、泣いた。
「お姉さん、見て。」
彼女が傘を閉じ、遠くの空を指差した。
割れた雲から光の差すそこには、鮮やかな虹がかかっている。
「きれい……」
「うん。お姉さんも、素敵になったよ。」
「そう、かな。」
泣き腫らした目は、きっと赤く腫れ上がっている。
なんなら鼻水だって、鼻先に垂れたままかもしれない。
そんな顔が、素敵なはずはないと思うけれど。
「ありがとう。」
感情を押し込めて空を睨んでいた、あの時の顔よりは、きっと、ずいぶんマシになっただろう。
「お姉さん、わたし、そろそろ帰るね。」
「帰るの?ここで、バスを待ってたんじゃ」
「だってわたしのお家、バスじゃ帰れないもん。」
女の子はそう言うと、晴れた空の下に、もう一度傘を広げた。
「お姉さんは、どうするの?」
「私は……まず、酷いことしちゃったお友だちに、謝りに行く。」
「仲直りできるといいね。」
「うん。それから、好きな人を追いかけて、魔界を探し続けるよ。」
「え?まか……?」
「でもその前に、──」
膝を屈めて、彼女の耳に囁く。
私の告白に、彼女は一言、
「わお。」
そう呟いた。
「飴、たくさんありがとうね。」
「いいの。ちゃんと、雨も降って良かった。」
そうして彼女は、駆け上がるように、虹のかかる空を、登って行く。
「じゃあ、またね。可愛いお兄さん。」
曇り空の下、田舎のバス停に立っていたら。
空から、飴が降ってきた。
嘘なんかじゃない、本当の話。
だから私は、今もこうして、彼女のくれた飴を、口の中で転がしている。
緑色の包み紙にくるまれた飴は、ブドウではなく、メロン味だった。