所詮は口先だけの愛ですから
「…………貴方を、愛する事はありません」
「はい、存じております」
それが、シンシア・ヒュートレットがアルバート・ブルグダリアとの政略結婚の末迎えた初夜で交わした言葉であった。
「――おはようシンシア、今日の朝食は君の好きな物を用意させてもらったよ。楽しみにしていてくれ」
「まぁ、本当に!? それはとても楽しみです!」
いや温度差。
そう、この場に昨夜、部屋の外で控えていた使用人がいたなら間違いなく突っ込んでいただろうくらいに、昨晩と今朝の二人の様子は異なりすぎていた。
世継ぎは必要なので子を作るのは言うまでもない事ではあるが、何せ昨晩お前を愛することはない(要約)と宣言した挙句、女の方もわかってらぁ(要約)と返していたわけなので、当然その後行われる行為も愛など存在しないものだ。
とはいえ、使用人を同じ部屋に入れて確かに行為はしましたよ、とか流石に二人からしてもちょっと遠慮したい。ちょっとというか断固拒否したい。
だが、見張りがいないとこの手の政略結婚、行為をしないで白い結婚からの離縁がかなりの数増えた事もあったという過去があった事で、この国では初夜に関しては部屋の中で使用人が見届ける事ができなくとも部屋の外で確かにそういう行為が行われていた、というのが証明できるようにしないといけなかった。法律って大体クソ。この国の有力貴族であってもそれから逃れる事はできなかった。むしろ有力貴族だからこそ、という話でもあるのだが。
こんなクソな国でやってられるか俺は他の国に行くぞ! と気軽にできればいいが、困ったことにブルグダリア家はこの国の中でもかなりの歴史のある貴族。歴史ありすぎて根をどっしり張った大樹のような存在感。そんなのが突発的に国を出て他の国で暮らすなんて事になれば、この国もしかして先が無い……!? と他の貴族たちもこぞって国を脱出しかねない。
流石にそこまではブルグダリア家も望んでいないので、アルバートはしぶしぶ亡命を諦めたという経緯がある。流石に何もかも全てを投げうって逃げてやる、と思えるまで追い詰められてはいなかったし、彼がそうする事で発生する被害に関してもわからないわけではなかったので。
なのでまぁ、とても業腹ではあったが部屋の外に控えている使用人に聞こえるようなギリギリの音を出して初夜を迎えたわけだ。まぁその前に茶番を挟んだりもしたけれど。
シンシアとアルバートは確かに政略結婚ではあるが、お互いに相思相愛である。
だがしかし、大っぴらに二人愛を口にできない事情があった。
本来ならばお互い愛し合っているので、さぞお熱い夜になった事だろうけれど、それを知られるわけにはいかない。
まぁ、言い方はアレだが初夜は大層盛り上がった。
主に部屋の外にいる者に声をあまり聞かせないように、という方向性で。
シンシアは外に声が漏れ聞こえないように必死に押し殺し、アルバートもまたうっかり愛を囁かないように頑張って堪えた。
その結果、部屋の外に漏れ聞こえたのは多分押し殺したような声とか呻き声みたいなのとかで、さぞお互い嫌々行為をしたんだろうな、という音である。
実際はこれはこれで……みたいな盛り上がり方をお互いに内心で思っていたわけだが。初っ端から特殊すぎんか? などと突っ込んではいけない。
ちなみにその使用人というのは両家のどちらの人間でもない。
そういうのを確認する事専門の家があるのだ。それだけ聞くととても下世話。
とはいえその家も別にそういうの好きでやってるとかではないので、仕事とはいえ大変だな……という気持ちにしかならない。だがそれはそれで声を目一杯聞かせるつもりはなかった。
流石に初夜の様子が他の場所で流出する事はないが、けれどもそれを知ってる人間がいるというのは正直ちょっと……という気持ちにはなるので。
これというのも過去に政略結婚しておきながら家のための繁栄などをすっぽかして白い結婚からの愛人囲い込みからの本妻冷遇だとかのあれこれをやらかした過去の貴族共のせいである。愛人の方が本妻よりも愛しているにしても、順序を守れ。そう言いたい。手順が異なった結果でいくつかの家は没落したり他の家と争ってシャレにならない被害が出たりしたのだ。
というか政略結婚というのはお互いわかった上でやってるのだから、わざわざ初夜に他に愛する人がいるからお前を愛することはないとか宣言する意味ある? という話でもある。
これが下手にお互い相思相愛ですみたいな雰囲気出しておきながらいざ結婚してみたら……というのであればまだしも。
まぁ、ともあれ監視人でもある人物は昨夜のうちに事が成されたと判断し、朝には既に屋敷を出ていっている。なので二人は既に周囲を気にするでもなくお互いがお互い好き好きオーラなんぞを出しながら、ウッキウキで朝食を食べ、執務に励み休憩するべく二人でイチャイチャし、また仕事をして食事をして、と一日のほぼ大半をイチャイチャしながら過ごした。
新婚だからそりゃこれくらいイチャついててもおかしくはないな、くらいの勢いでイチャついていたが、仕事もきちんとしていたので特に誰からも苦言は呈されていない。当然である。
そしてそれらの光景を見ていた使用人たちは特に何を言うでもないし、そんな二人の様子を外に漏らす事もない。何故って彼らは弁えているので。
ロクな躾もされていない出自の使用人だとかであれば、もしかしたら休日に酒場なんぞでお酒飲んでご機嫌な気分になって、ここだけの話だけどさ……なんて感じで周囲に言いふらした可能性はある。だがしかし、ブルグダリア家の使用人にそのような躾のなっていない人間などいなかった。
むしろ下手に外に吹聴するような事をすれば自分の命がないと彼らは理解している。
さて、そんな人目につかない家の中では思う存分イチャイチャしすぎてそろそろイチャイチャという単語が使用人たちの脳内でもゲシュタルト崩壊起こしそうなくらい二人のラブラブっぷりは留まるところを知らなかったわけではあるが、いざ社交界へ参加するとなった時は、二人はそんな素振りを一切見せなかった。
「え? 政略結婚ですものそこに愛があるわけないじゃないですか」
とかシンシアはいつ言い出してもおかしくないくらい冷めきった表情であったし、
「家のためにした事で、それ以上でも以下でもない」
とか言い出しそうなくらいアルバートの方も表情というものが存在していなかった。
傍から見れば誰が見ても不仲。
お互いにパートナーとして参加している社交界だとはいえ、二人はギリギリパートナーであるとわかる程度の距離ではあるが、何かあれば一瞬でお互いがお互いに他人の振りができるように離れる事ができそうな距離を保っていた。かろうじて腕を触れ合える程度には近しいが、しかし何かあればすぐさま突き飛ばして他人の振りとかしそうな距離感。
お互いがお互いに向ける視線も家の中にいる時とは違って熱など一切含まれておらず、二人が政略結婚だと知らない者がいたなら間違いなく倦怠期だと思った事だろう。離縁秒読み五秒前。
だがしかし、二人にとってこれは単なるビジネス不仲である。
実際はとてもラブラブ。むしろ離縁なんて言い出すはずもないくらいには、二人はお互いに恋もしていたし愛してもいた。ただそれを決して口に出さないだけで。
挨拶などを済ませ、そうして軽やかな曲に合わせてダンスを踊るも、洗練された踊りである事は確かだが仕方ないから一曲だけ踊って後はさっさと別行動しよう、とかどちらが言い出してもおかしくないくらいにすんっとした表情で二人は踊っていた。
その動きだけはとても美しく思わず目を惹くものであったが、だがしかし両者の表情はどこまでも無である。むしろお互いに虎視眈々と相手の足を踏む機会を狙っているのではないか……? と思われてそうなくらいの空気感すら漂っていた。
お互いに内心で、
「やっぱりアルバート様と踊るのは楽しいわ!」
だとか、
「なんて可憐なのだろうかシンシアは……このままずっと踊り続けていたい……!」
なんて思っているとはこれっぽっちも周囲に悟らせる事はなかったのである。
むしろ二人の内心を正確に読み当てる者がいたならば、間違いなく心を読むことができる特殊能力持ちだろう。たとえシンシアやアルバートの親だとか乳母だとか、果ては幼い頃から面倒を見てきた使用人だとかが見たとしてもそんな内心であると言う事など悟らせないくらいに二人の表情筋は仕事をしていた。いや、この場合仕事をしていなかった、が正しいのだろうか……?
ちなみに両者ともにもっとずっと踊っていたいと思っていたが、名残惜しさなんて微塵も感じさせないまま一曲踊るとそれぞれがそれぞれの友人の元へ移動し、そちらで会話に花を咲かす。
どこからどう見ても義務は果たしたから後はもう別行動ね、と言わんばかりの態度であった。
なので、この二人が政略結婚で更にはそこに愛などないものである、と思う者がほとんどであった。そこには勿論シンシアやアルバートの友人たちも含まれている。
周囲の他人は勿論友人たちすら二人は欺いていたのである。
別に愉快犯というわけではない。これには一応理由がある。
アルバートの先祖はかつて、魔女に呪われた。
何がどうなって魔女に呪われる事になったか、という根本的な部分はわからない。アルバートの家にひっそり保管され続けていた古文書に記されていた内容にはそこまで詳細が記されていなかったので。
ただ、ブルグダリア家の人間――それも跡継ぎであり、次なる当主となる事が確定している者に関しては間違いなく愛する者と結ばれる事がない、とは記されていた。
実際に何代か前の先祖は政略ではない婚約を結び、そしてそのお相手の令嬢を心から愛していたらしいのだがしかしその令嬢は結婚する前に儚くなってしまったらしい。それ以外にも同じような感じで婚約したものの結婚する前に相手が亡くなっている、という事が他にもいくつかあった。
それが魔女の呪いである、というのは理解するしかなかった。
具体的にどういうものなのか、呪われた者たちにそれがわかるはずもない。
ただ、愛する者と結ばれる事がないというのは確かなようで、だからこそブルグダリア家はいつしか望まぬ相手を迎え入れ、そうして世継ぎを残してきた。
魔女が、ブルグダリア家のたった一人に呪いをかけていたならば、その相手が事故なり病気なり寿命なりで死んでしまった後はもうそこで終了です、というものであったなら。子孫であるアルバートは愛するシンシアに素直に愛を伝えていただろう。
だがしかし、それをしてはいけない。
呪いは今も続いているのだから。
大抵こういった呪いは、真実の愛で破れたりするものだが悲しいかなそれはお話の中だけであった。
先祖の手記などがいくつか残されていたからこそアルバートもそれを知っている。
一生に一度、これ以上好きになれる相手などいないのではないか――そんな相手と婚約し、しかし結婚前にその相手が死んでしまった者たちの悲しみ、慟哭。その後、仕方なく他の相手と結婚し、ただ生きているだけの抜け殻のような状態であった先祖の手記。
はたまた、最初は特になんとも思っていなかった政略結婚の相手だったが、長く共にいるうちに心の中に一つの感情が芽生え、つい、といった感じで伝えた愛。結果、その相手に死なれてしまった先祖の手記。
いつかこの呪いを打ち破るため、先祖は実に様々な手記を残していた。
呪いの根源たる魔女を倒せば或いは呪いは解けるのかもしれない。だがしかし、ブルグダリア家の人間の前に魔女は姿を見せなかった。
唯一見せたのはただ一度。呪いをかけた時である。
だからこそ、魔女を直接見た事があるのは一番最初に呪われたブルグダリア家の人間だ。
それ以降の者たちは魔女を見た事などなかった。
魔女。人の枠組みから外れてしまった、人の理とは異なる常識で生きる者。
人間には到底使えないような不可思議な力を扱う、まさしく化け物のような存在。
伝承に出てくる魔女の言い伝えはそんなものだ。
人と似たような姿形をしているくせに、しかし中身は別の生き物。
魔女と呼ばず化け物と言う者も多い。
何せ魔女は人よりも随分と長く生きる。
人とそう変わらぬ寿命の魔女もいるらしいが、そんなものは極一部。
ブルグダリア家に呪いをかけた魔女、その話はもう随分と昔の話だが、しかしその魔女が生きている可能性は未だにあった。勿論、寿命で死んでいる可能性もあるけれど、魔女が死んだことで呪いが解けると仮定するなら今もまだアルバートは呪われているので魔女は生きている――そう、考えておくべきだろう。
死んで、呪いの効力が徐々に薄れていっている、という可能性に縋りたくもあるが、しかしアルバートの身に根付いている呪いが薄くなっているという実感はない。
時間経過で呪いが解けるなんていうのは希望的観測で、最悪魔女はとっくに死んでいても呪いは解けない可能性の方が余程高い。既にそうなっているかもしれない。けれど確かめる方法はどこにもなかった。
だが、アルバートは呪われているからとて、最愛のシンシアと結ばれぬ人生を歩むのは嫌だった。我儘と言うなかれ。魔女の思惑通りに愛する者と過ごす事ができない、なんて事は無いと証明したかった。
先祖の残されていた手記を片っ端から読み漁り、そうして一つの希望が現れたのは、婚約を結んだ直後である。
どうにも愛を伝えた時点で最愛の者が死んでいるらしい、という部分に気付いたアルバートは決して彼女に愛を伝えないと固く誓った。
直接愛の言葉を伝えた時点で、相手は死ぬ。
アルバートはそれを既に理解していた。既に犠牲は出てしまっていた。
アルバートの犠牲となったのは、幼い頃より自分の面倒を見てくれたさながら姉のような使用人であった。とはいえ、恋愛感情を持っていたわけではない。ただ、いつもよく働いてくれるから。だから感謝を伝えるくらいの気持ちだったのだ。
愛している、なんて言ってはいない。その言葉が向けられるべきはたった一人のものなのだから。
ただ、好ましい、という意味で伝えただけだ。
しかし呪いは発動した。
使用人には申し訳ない事をしたが、そこでアルバートは気付いたのだ。
有能な相手に対して、好意的であるという態度を示していた時はなんともなかった。だがしかし、それを直接口に出して好意を伝えた途端呪いは発動した。
例えば手紙などで、今後もより良き関係を続けていきたい、といった風な文面を記して送った家の相手には特に何も起きなかった。
呪いはあくまでも呪われた者の言葉と音声で発動するらしかった。
ちなみにその対象は人間以外にも及んだ。
幼い頃より共に育っていた犬がもうじき寿命で弱っていたから、今までの感謝を伝えるつもりで発した言葉。それもまた容赦なく呪いとして発動したのだ。
けれどもそれで判明した。
愛の言葉を口に出さなければ、何も問題ない事を。
だからこそアルバートはとても回りくどい方法でシンシアに愛を伝え、事情を説明し、それらを全て理解した上でシンシアもまたアルバートと結ばれる事を選んだのである。
周囲に人の目がある時に徹底して不仲を演じているのは、もし、まだ魔女が生きていた可能性を考えての事だ。
もしかしたら無駄な事なのかもしれない。けれども、呪いがアルバートの言葉から発動するにしても、周囲で二人は相思相愛で、なんて知られた場合、そういった話題を振られないとも限らない。その時に下手に愛を伝えるような事になっては望まぬ形で愛する者を殺すかもしれないのだ。
それに、周囲がアルバートはシンシアを愛していると周知した時点で別の形で呪いが発動する可能性も捨てきれなかった。
呪いが発動するカギはわかったとはいえ、呪いについて何もかもが判明したわけではない。
だからこそ、不確定な要素は増やしたくなかった。
未だ生きているのかどうかもわからない姿も知らない魔女に踊らされている自覚はあった。
故に、二人は外にいる時は徹底的に不仲であるというスタンスを貫いたのである。
さて、そうなると当然周囲は二人が不仲であるという認識になる。
シンシアの場合は友人たちの茶会などに誘われた時に、愛のない結婚というのもあって少々同情的な部分もあったが、別に問題はなかった。
だが、それ以外の――家の関係で招待された茶会などで、時々やけにつっかかってくる女性が現れた。
政略結婚で愛がないのは別にシンシアだけではないのだが、やけにシンシアだけを目の敵にする相手。
クローディア・アルマリュー。
目の敵、という表現は少し違うかもしれないが、ともあれシンシアに頻繁に絡むようになった存在であるのは間違いじゃない。
クローディアは、少々有名な人物であった。
元は身分の低い男爵家の生まれであったが、その後政略結婚により辺境伯の元へ。愛のない結婚になるかと思いきや、相手による溺愛。愛される事なく冷遇されて生涯を終えるかもしれないなどと囁かれていた時期もあったようだが、そんな周囲の噂を蹴散らす程に彼女の愛されっぷりは社交界での噂になるまでに至った。
だがしかしその後、国境での小競り合いにより伴侶であった辺境伯が死亡。戦争に至るまでにはならなかったが、犠牲としては中々に大きいものであった。
辺境伯が死に、代わりに国境付近の守りを任された人物は辺境伯の親戚筋の男であった。
とはいえ、こちらは既に結婚している。だからこそ、クローディアは屋敷に残る事もできなかった。
辺境伯を支えていた身でもあったので、追い出されるという事は無かったがまだ跡継ぎもいない状態だったので彼女は別の貴族の後妻として迎え入れられる事となる。どういう経緯でそうなったのかまではあまり周囲に知られていないため、社交界で一時期下世話な噂が流れたりもしたが、後妻として入った家の貴族からも周囲から見て熱烈に愛されている事がハッキリしていたので、気付けばその噂は完全に下火になっていた。
だが、その貴族の男も去年病で亡くなっている。
ただ、財産の一部はクローディアにと手続きされていたこともあって、特に生活に困る事もなく、また貴族としての身分を維持し続けていた。
浮いた話が出る程ではないが、一歩間違えれば愛のない結婚生活を送っていたであろう女。
だがしかしそんな展開にはならず、逆に誰からも羨まれそうな愛されている人生を送る女。
シンシアに絡むのは、彼女が自分と似た境遇だとでも思ったからだろうか。
愛されないシンシアを哀れんだのか、はたまたただ優越感に浸りたいだけかはわからなかった。表向き、クローディアの態度はそう棘があるものではない。
とはいえ、本心を隠して接するのは貴族としてはよくある事だ。むしろ思っている事がすぐさま伝わるような感情駄々漏れであれば、貴族としてやっていくのは難しいだろう。
クローディアはよくシンシアに愛されない事に不満はないのか、というような事を問うてきた。
それに対してシンシアは不満は無いと答えた。何故って愛されているのだから。それに不満など抱くはずもない。けれどもその事実を詳しく話す必要もないからこそ、端的に返答した。ただそれだけだ。
クローディアの質問はシンシアからすればあまりにも見当違いなもの。どこかシンシアを心配している風を装っているクローディアと、しかしそれらをのらりくらりと躱すシンシア、という図は度々茶会で見受けられるようになった。
最初のうちはクローディアがシンシアを気遣っているようにも見えていたその光景だが、しかし何度も同じような事が繰り返されれば、最初の頃はクローディアに対して好意的に見ていた者たちの視線も徐々に冷めたものへと変化し今ではすっかりシンシア寄りになり、今ではシンシアも大変ね……なんて言われるようにまでなってしまった。
ここでクローディアが引けば、ちょっとすぎたお節介だったのね、で済んだのだろう。
けれどもクローディアのシンシアへの執着っぷりは度が過ぎていた。
茶会を開く時にもクローディアは事前にシンシアは来るのか、と主催者に問い合わせるようになり、この頃には既にクローディアのシンシアへの異様とも思える関わりっぷりは知られていたので主催者も頭を悩ませるようになりつつあった。
クローディア本人はそこまで権力を持っているか、となるとそこまでではない。ただ本人の今までの経歴だとか、親しくしている相手だとかを鑑みると雑な扱いはできない存在であるのは確かだ。
かといってクローディアばかりを優先するような扱いにするのも問題があった。
シンシアはいくら政略結婚で愛がないとはいえブルグダリア家へ嫁いだ身。シンシアを蔑ろにするとなればブルグダリア家も遠回しにそういった扱いをしていると受け取られてもおかしくはないし、もしそう思われてブルグダリア家が敵に回るような事になれば。
決していい話にならないのは明らかである。
アルバートの優秀さは社交界では最早常識でありわざわざ語る程のものですらないのだ。
だからこそ、友人同士での気安い茶会などではない、腹の探り合いを兼ねた情報収集の場としての茶会を開く場合、どちらかを呼ぶ、もしくはどちらも呼ばないというのはそう何度も使える手段ではなかった。
どちらかに用事があって今回は参加を見合わせる、という事がないわけではないが意図的にどちらかだけを呼ばないなんて事が下手に本人に知られれば間違いなく茶会の主催者にとってはよろしくない展開となる。
元々腹の探り合いなんて当たり前だと思っている貴族令嬢やご婦人であっても、流石にこの展開には胃を痛めるようになりつつあった。どちらかが過激な思想の持ち主で、ついていけないわ、みたいな事でもあればこちらの派閥につきます、とかできたのだがクローディアもシンシアもそうではなかったのだ。
クローディア本人は周囲の人脈が捨てがたく、彼女を切り捨てればクローディアと懇意にしている者たちも最悪敵に回しかねない。そうなるとこの国で貴族として生きていくには中々に厳しいのだ。
シンシアは言うまでもない。ブルグダリア家に嫁いでいなければ、ここまで彼女の扱いに悩まれたりもしなかっただろう。
どちらの扱いも蔑ろにはできないからこそ、他の家の者たちも困り果てるようになっていた。
とはいえ、それでもまだクローディア寄りの人間が多かったのはシンシアとアルバートが政略結婚で、二人の間には愛がないと思われているからだ。二人が相思相愛であると知られたならば、天秤はきっとシンシアに傾いた。だがしかし事の発端はシンシアがアルバートに愛されていない事に関して、というクローディアの過ぎたお節介とも言えるべき事柄なので、もしそうであったならこんな風にはなっていなかっただろう。
さて、そんな中、茶会ではなく夜会にシンシアは参加する事となった。勿論伴侶であるアルバートも参加である。王家主催の大規模な夜会。国の大半の貴族は極力参加するようなもの。当主が無理なら跡継ぎが、それも無理であるなら長男か長姉が、それも無理ならその下の――といったようにどの家からも最低一人は参加するようなもの。
王家主催のものであるが故に、ここで起きる事の情報は重要なものが多く、後から遅れて知った、なんて事になると色々と不利になる家の者も現れる始末。それ故普段はエスコートしてくれる相手がいないので……なんて言ってパーティーに不参加決め込むような家の貴族もこの時ばかりは参加するのである。
滅多に会う事がない家の者との接触を図るチャンスと捉える者もいて、普通に楽しんで参加する家もあるが裏では様々な思惑が絡む催しでもあった。
思惑が絡むが故に物々しさも勿論普段以上に存在してしまうので、警備も厳重なのは言うまでもない。
警備をするべき兵も、給仕を行う者も、音楽を奏でる者も、さながら戦場へ赴く者のような心持ちで臨むのである。一見すればただの華やかな催しであっても、そこでやらかす者がいないとは限らないので。
とはいえ、王家からすればむしろそういった者のあぶり出しも兼ねているのではないか? と勘繰るような言動もしているから、滅多な事で中止にしようとはならない。
シンシアもアルバートも内心でウキウキしながら夜会に参加した。
お互いその表情には一切の感情が乗っておらず真顔無表情といったものであったが、申し訳程度に添えられたであろう手にしか見えないそれはお互いそれはもう熱を持っていた。
二人の内心を読み取れる者がいたならいっそそれを表情に出せ! と叫んだかもしれない。瞳はどこまでも冷めきっているけれど、しかし人目のない――己が屋敷の中では常時瞳を潤ませ互いを見つめているなどと、誰が気付くだろう。
雰囲気からしてお互い一緒にいるのもイヤで同じ空間で空気吸うのもイヤですけど? みたいな空気を醸し出してるくせに、この二人内心ではこの夜会に浮かれてウキウキである。
だがしかしその内心に気付く者は誰もいない。むしろうわあの二人ものすごくギスギスしてるぅ……という目でしか見れない。政略結婚にしたってあそこまで冷え切ってるとか……うわぁ、うわぁ……! とでも言いそうな顔をしないようにしてても、どうしたって視界に入るとそんな顔になりそうになるのを堪えている貴族は結構な数存在していた。
なおシンシアもアルバートもそんな周囲の貴族の内心など知ったこっちゃないのである。心の中を見る事ができる人がこの場に誰か一人でもいたら、この浮かれポンチどもがよぉ! と叫んでいたかもしれない。
そうして二人にとってはとても楽しいダンスタイムが終わり――といっても一曲しか踊っていない――それぞれがすっと離れてお互いの友人の所へ行こうとしたところで、
「まぁ、シンシアさん」
クローディアがやって来たのである。
クローディアに関してはシンシアの口からアルバートにも伝えられている。
あの人無駄に絡んできて鬱陶しいのよね、という要約すればまぁそういう事を言われていたため、アルバートの中では最愛の妻にウザ絡みする要注意人物として認識している。
人を愛する事の素晴らしさ、また愛される事への喜び、そんなものを説いてくるのは勝手だが押し付けはよろしくない。
そもそもシンシアとアルバートは表に出してこそいないが相思相愛、愛し愛されを現在進行形でいっている仲である。アルバートの一族にかけられてしまった呪いのせいで表に出す事ができないとはいえ、お互いがお互いを愛しているのだ。たとえ周囲から見てそう思われずとも。
そのまま友人たちのところへ移動しようとしていたアルバートであったが、最愛の妻が大して仲のよろしくない相手に絡まれたとなっては話は別だ。
表面上は穏やかかつにこやかに、しかし内面ではバリバリに警戒しながらクローディアの動向を窺う。
こんな場所であっても、というかこんな場所であるからこそ、クローディアはいつものようにシンシアに愛を説いた。折角今日はパートナーがいるのだから、とさももっともらしい事を言って。クローディアから少し離れたところに、彼女のパートナーとして参加しただろう貴族の男がいたが、彼はクローディアのその行動を咎めるでもなく、むしろうんうんと頷いている。
確かに言っている事は間違ってはいないのだろう。
たとえ政略結婚であっても歩み寄れば愛が芽生える。
まぁ、そうかもしれない。
愛のない人生は心が寂れていく一方で、いずれは自身も朽ちていく。
まぁ、そうかもしれない。
人というのは一人で生きていくのは少々難しい生き物だ。誰とも関わりたくない、なんて言ったところでたった一人で身の回りの事を何もかもやって暮らしていくとなると途端に難しくなるし、そうなるとやはり最低限他者との関わりはどうしたって存在する。
しかも今回はシンシアの夫であるアルバートもこの場にいるのだ。
アルバートが他に好いた女がいる、という噂でもあるのであれば、こんな場所でわざわざそんな風に言わなかったかもしれない。他に女がいるならこっちもやる事やった後で愛人の一人や二人囲ってしまえ! と発破をかけたかもしれない。まぁ、夫を前にそんな発破をかける奴は流石にいないと思うが。
けれどもアルバートには浮いた話なんて一つもなく、だからこそ二人の仲が進展する可能性はあるとクローディアは思ったのかもしれない。それに、これだけ周囲に人がいるなかでアルバートだって流石に妻となったシンシアを君を愛することはないだとか、他に好きな女がいるだとか、堂々と宣言する事はないだろうとも思ったのだろう。仮にいたとして、言うべき場所、タイミングというものは確かに存在する。
ここでそんな宣言をすればアルバートの評判は間違いなく地の底に落ちるだろう。別に愛人の一人や二人いたところで貴族としての地位やら何やらが落ちる事は普段はまずなくとも。
「――お話はわかりました。えぇ、素晴らしい考えだと思いますよ」
恐らくは話に一区切りついただろう、と思ったあたりでアルバートは完璧なまでのアルカイックスマイルを浮かべてのたまった。内心で、押し付けさえしなければな、と毒づきながら。
「まぁ、やはり、わかっていただけたのね」
己が言葉の理解者が本来声をかけたシンシアではなくその夫であった事は、クローディアにとっては些末な事だったらしい。感極まったような声で笑みを浮かべる。
その姿は確かに美しく、正しく彼女は周囲から愛されるべき存在として在ったのだろうな、と思えるものであった。実際彼女の演説のようなその言葉にまるで熱に浮かされたように聞き入っている者は他にもいた。
一連の出来事を見守っていた周囲の貴族たちである。
自分の好きな人と結ばれる、それは確かに素敵な事だろう。
けれども貴族としての立場や役目を考えると好きだとかどうだとか考える間もなく結婚する場合だってあるのだ。だが、それでも。
その相手をこれから好きになる事ができれば。
それは確かに素敵な事なのだろう。
家のためと言いいがみ合いながら共に暮らすよりは、やはりお互いに好意を持って過ごした方が精神的に満ち足りるのは確かだろうし。
中には夢物語だな……というように冷めた表情を浮かべていた者もいたが、しかし面と向かって反論するような者はいなかった。
そもそも、愛される事もなく生涯を終える可能性のあった女の、体験談を含めた持論だ。
夢物語のようなそれを、彼女は実際に経験している。
恋に恋する乙女に向けて現実を見ろ、と言うのは簡単だが、既にそのような人生を歩んできた女に現実を見ろ、と言ったところで言った側が失笑される。例えば、貴女のような人生を送れる人ばかりではないのですよ、と言うくらいは可能だろう。けれどもそれに対して、まずは努力してみては? なんて言われてしまえば不毛な言い合いの始まりである。
クローディアは己の言い分を認めるようにしているアルバートを驚くほど綺麗な笑みで見つめた。
周囲も、ふ、とその視線をアルバートへ、そしてシンシアへと向ける。
政略結婚で、愛のない夫婦。
先程まで能面のように表情を一切変えず踊っていた二人。
けれどもクローディアの言葉に賛同するかのような態度の夫。
これは、もしかして……?
ここで、もしかしたら、今までの態度を改めてみようか、なんていう展開になってしまうのではないかしら……?
周囲にいたシンシアの友人たちはドキドキしながらその光景を見守っていた。
シンシアやアルバートと特にそこまで親しいわけではないがたまたま近くにいた貴族たちもだ。
クローディアは自分の言葉を肯定された事で、満足そうですらある。
にこやかな笑みを浮かべるアルバートは、だからこそ言葉を紡いだ。
「えぇ、実に素晴らしい考えです。アナタのような方は、実に好ましい」
「えっ……」
突如、クローディアが胸を押さえて蹲るようにして倒れた。
倒れる直前のクローディアの表情を見る事ができた者は極一部だろう。何故ってこれからアルバートとシンシアが二人、歩み寄ろうという流れになるだろうと思ってそちらに多くの視線が向けられていた。
だからこそ、二人の仲を取り持つような事をしたクローディアに向けられる視線はほとんどなかったと言ってもいい。倒れる直前のクローディアの表情を見る事ができたのは、今しがた好意的であると伝えたアルバートと、そしてシンシアだけだった。
倒れて、藻掻き苦しむ……という事はなかった。
しかし周囲で見ていた者たちからすれば、突然クローディアが倒れたのだ。
きゃあ、と悲鳴がそこかしこで起きる。
「クッ、クローディア!?」
パートナーとして参加していた貴族の男が狼狽え裏返った声を上げる。彼もまた何が起きたかなんて理解すらしていないのだろう。
クローディアはすぐさま医者に診てもらう事ができた。今回のパーティーが王家主催で開催場所が城であった事から、王家お抱えの優秀な医者にすぐさま診てもらう事ができたのだ。
だがしかし、この時点で既にクローディアは事切れていた。
毒を盛られたというわけでもなく、密かに刺客に襲われ刺されただとかの傷を負ったわけでもない。
パートナーとして来ていた貴族に聞けば、クローディアは特に持病なども持ち合わせていなかったと言う。
事故でも殺人でもなく、また病気でもない。
突然の死に、パーティーは一部で騒ぎになりはしたもののそれはあくまで極一部での騒ぎであったので、パーティー自体は最後まで行われた。
目撃した者たちの中には気分が優れないからと早々に帰った者もいたが、大規模な催しでは途中で帰る者も珍しくない。
アルバートもまた、目の前で起きた出来事に妻を連れて早々に屋敷へと戻っていったが、それが咎められるような事はなかったのである。
「――アルバート、貴方……どうして」
「そうだね、答え合わせをしようか」
戻ってくるなりシンシアは困惑したように夫を見た。馬車の中でも話す時間はあったけれど、しかしそれはしなかった。外に漏れ聞こえるなんて事はなくとも、何が起きるかわからないからだ。
確実に安全である、という確証があるまでシンシアはただひたすら貝のように口を閉ざしていた。
屋敷に戻ってきて、ここなら誰に聞かれる事もない、と判断したからこそシンシアは問いかけたのだ。
何故、クローディアに好ましく思う、というような事を告げたのかと。
かつて、使用人に対して向けた言葉。結果として呪いのせいでその使用人は死に至った。
だからこそアルバートは発言には猶更慎重になっていたのに。
確かにシンシアからすれば、クローディアは鬱陶しい女であった。
アルバートは呪いのせいで愛を伝える事ができないだけで、それでもシンシアの事は愛している。言葉にしなければ問題はない。けれども、クローディアの言う愛はやたらと言葉にこだわっていた。それもあってシンシアはクローディアを鬱陶しいと思うようになっていったのだが……
たった一度会っただけで、アルバートがクローディアを呪いの力で死に至らしめよう、なんて思う程、失礼な発言をしたとはシンシアには思えなかったのだ。鬱陶しいなと思ったとしても、極力関わりを減らすように動くだろう、シンシアとしてはそう思っていた。
「答え、合わせ……?」
「彼女が死ぬ間際の表情を、シンシア、君も見たね?」
「え? えぇ……」
「おかしいと思わなかったかな」
言われて思い出す。
アルバートが好ましいというような言葉を向けた時、どうして自分に!? とでも言いそうな、驚愕に満ちた表情をクローディアはしていた。直後に倒れたので、その顔を見た者はほとんどいないだろう。仮に見ていたとして、突然身体が不調を訴えて、そうして倒れたのだと思うだろうか。
シンシアは勿論そうではないとわかっている。あれは、アルバートの一族にかけられた呪いが発動してしまったからこそだ。
「あら……?」
そう考えると、少しおかしいな? と思えてしまった。
あの時点で、アルバートはクローディアの言い分に賛同していた。そんな相手から、好意的な言葉をかけられる。普通に考えればその時点でクローディアが浮かべるべき表情は己の言い分を認めてもらった事への……それこそ、アルバートがその言葉をかける直前まで浮かべていたような表情ではないだろうか。
呪いが発動して身体に異変が訪れたとしても、ほんのちょっとくらいは満足そうな顔をしたままであってもおかしくないはずだった。けれどもアルバートの言葉の直後には、クローディアは思いもよらない事を言われた、というような顔をしていたのだ。呪いの発動があまりにも早かった、とは少しばかり考えにくい。
「気付いたかな。実のところ、ご先祖が残した手記にはいくつかの暗号が仕込まれていた」
「暗号」
突然のそれに、シンシアはどういった反応をすればいいのかわからずポカンとした表情を浮かべてしまった。
「実は魔女は、何度か先祖の前に現れていたらしい」
「えっ」
「だがその姿は毎回異なっていたようで、外見だけで魔女を探すというのは困難だった。だが奴が現れるのはある法則があった」
「法則……じゃあ、それをやれば魔女がやってくる、って事?」
「そう。ご先祖様は代々呪いのせいで愛する者と結ばれる事はできず、仕方なしに愛のない政略結婚をする事になっていた。けれども中には途中から、その相手を愛する者たちもいた」
それについてはシンシアも記憶にある。アルバートが一族の呪いについて話してくれた時に確かそんな事を言っていた。最初は愛なんてなかったけれど、しかし途中から愛が芽生えそれを伝えた結果愛する者が死に絶望した。こんな事になるなら愛さなければ……まぁ、その後悔の気持ちはシンシアにもわかる。
「どうやら魔女は、本来我が一族が愛を向ける相手に対するその愛情を何らかの力に変換し、自らが愛されるように仕向けていた節があった。だが、愛する者がいなければ魔女のその力は尽きる。
だからこそ、一切愛さないだろうという相手の前に現れ、そうして愛のすばらしさを説き、政略だろうと妻となった相手に歩み寄るように仕向けていた」
「……それは、なんというか、とても……回りくどいですわね……?」
魔女だし魔法が使えるなら、いっそ魔法で魅了とかすればよいのではないだろうか。
それとも、魔女であってもそういった力は使えなかったのだろうか。
実際どうだったかはわからない。
けれどもわかる事は――
「それでは、クローディアが魔女、だった、と……?」
シンシアに近づいてしつこいくらい執拗に愛の素晴らしさを説こうとしていたクローディア。
あまりのしつこさに周囲も異様だと思い始めていたが、それでも彼女はやめようとはしなかった。
真相はわからない、が、アルバートの先祖の手記から読み取った情報から、ブルグダリア家の当主が本来向けるべき相手に囁く愛を何らかの手法で変換させ、自らが愛されるための力に変えていたとして。
であれば、クローディアにはその力がそろそろ枯渇しかけていたのではないか。
だからこそ、執拗にシンシアに愛を説き、どうにかしてシンシアがアルバートの愛を乞うように仕向けようとしたのではないか。
アルバートに他の想い人がいたならその目論見は無駄に終わるが、しかしそういった相手はいなかった。そしてアルバートの人柄は誠実であると知られていた。であれば、そのように歩み寄ろうとしている妻をバッサリ切り捨てるような真似はしないと魔女も判断したのだろう。いずれは絆される事を狙っていたに違いない。
魔女の誤算は、絆される以前からとっくに二人が相思相愛であった事だろうか。
「シンシア、きみに愛の言葉を囁く事は今後もないけれど」
「そうね、魔女が死んだとして、本当に呪いが解けたかはわからないものね。適当な動物で試すわけにもいきませんし……」
呪いが解けていればいいが、もしクローディアが実は魔女ではなかった場合。使い魔だとかであればまだしも、本当にただのお節介な女である可能性もある。クローディア本人の口から自分が魔女だと聞いていればまだしも、これらはあくまでも推測に過ぎない。
けれどアルバートはクローディアが魔女である、と思っている。しかしそれでも、シンシアに対して愛しているという言葉を告げる事はできそうになかった。
魔女が死んでも呪いが残っている可能性はある。
「それに、もし、魔女が死んだことで呪いの方向性が少し変わって、愛する者以外に適当に言った愛の言葉は問題なくとも本当に愛する者に伝えた場合は発動する、何てことになっていたら」
「君を失うのだけは耐えられない」
「えぇ、構いませんよ。アルバート様が私に愛を告げる事など生涯なくとも」
「それはそれで悲しいな」
「でも、態度でずっと示してくださっていたでしょう?」
それにね、とシンシアは名案だとばかりに笑う。
「アルバート様が愛を伝える事ができなくても、私から伝える事はできますから」
私が言葉で伝える分、そちらは態度で示して下さいね? なんて言えば。
アルバートは頷く以外の選択肢など存在しなかったのである。
別タイトル
これから先も愛してるって言わない夫と愛してるって伝える妻。
クローディアが魔女かどうかは二人からすると判別のしようがないし、かといって適当に誰かで試すわけにもいかないのでこの先もアルバートは愛の言葉を口にする事はありません。
が、屋敷の外以外でも態度には徐々に出していくので冷めきった夫婦である、という周囲の認識は徐々にお互い歩み寄ろうとしている、といったものに変化していきます。
そのきっかけがクローディアのあの言葉であった、というのは勿論、けれども言葉に出すのは直後にクローディアがあんなことになったので……とアルバートは言葉を濁します。
周囲もある程度その一件を知っているので、妻に愛の言葉を伝えてやれと無理強いはできません。
けれども二人はそれなりに周囲から見ても幸せそうな雰囲気になってきてるので、わざわざ言葉にこだわる必要もないだろう、というのが周囲の見解。
夫は愛の言葉を言わないけれど、妻であるシンシアは時折幸せそうに言葉で伝える事もあるので、二人の愛の形はこれが正解なんだな、と思うようになっていきます。