8.ガラスのカフェ(ただし防弾ではない)
アタルはこれまでのサラリーマン人生で定時帰りとかボーナス二倍とかキックバックとか、いろいろメルヘンなものを想像してきたが、ゴディバの直営カフェほどメルヘンなものはあっただろうか。
ガラスの門、ガラスの塔、ガラスの壁、ガラスのタペストリー、ガラスのエスプレッソマシン。
見つからないのは当然で遠くから見ても透明だから分からない。
ただ、入ってみて分かったのだが、床は普通の床である。おそらく下から女性のスカートのなかを覗くタワケ対策なのだろう。
ただ、ゴディバの元ネタが裸で馬に乗り街をまわった伯爵夫人なのだから、そこのメタファーとして建築家としては床もぜひガラスにしたかったのだろう。
ただ、こうして壁まで全てがガラスだと隠れるところがない。
監視社会のメタファーである可能性も出てきた。
「ああ、夢にまで見たゴディバのチョコレートパフェッス」
それはチョコレート・プリンの上にチョコレート・スポンジを乗せて、チョコレート・クリームをあいだに挟んで、またもやチョコレート・プリンをチョコチップ入り、そして、チョコレート・クリームをデコレーションして、そのてっぺんにミントの葉を一枚乗せたカロリー爆弾だった。
「忍者はダイエットとは無縁ッス」
「きみはあちこちチョロチョロ走り回ってるからね」
「誉めてもパフェはあげないッスよ」
「食べないよ。もうすぐ健康診断あるし」
アタルは二杯のエスプレッソ・ダブル、つまりブラックコーヒー四杯分の濃縮カフェインをキメた。
「アタル先輩、徹夜でもするんスか?」
「きみにスナドリの見どころを教えてあげようと思ってね。ちょっと覚醒した」
「ゲゲッ!」
それからアタルはイツカに対し『スナイパーズ・ドクトリン』のいいところを延々と語った。作画がいい、音楽がいい、脚本がいい。そして、深い。
アタルのディミトリ推しは彼を演じた声優、笹貫レイジにまで及んだ。
2.5次元と呼ばれるアニメを題材にしたミュージカルがあり、スナイパーズ・ドクトリンにも存在する。
もちろんアタルは見ているし、ブルーレイも観賞用、保管用、布教用を買っている。
ところで、普通、声優と舞台の演者は別だが、ディミトリだけは同じ、笹貫レイジなのだ。
アタル曰く、声よし、ルックスよし、演技よし、歌よし、アクションは特殊部隊並み、さらにこんなふうに横の髪を編んで垂らすのがかっこいいのはディミトリくらいであり、そして、スナドリ・ミュージカルを見に行ったとき、実際に笹貫レイジのリアル三つ編みを見たときは、12.7×99㎜弾を頭に食らっても悔いはないと思ったらしい。
ちなみに12.7×99㎜弾は人ではなく飛行機や装甲車を撃つために使う弾である。
「でも、アタル先輩。頭を吹き飛ばされたら、せっかくのミュージカルを見たことをきれいに忘れちゃうッス」
「甘いね、イツカくん。スナドリ・ミュージカルは記憶に刻むんじゃない。ハートに刻むんだ」
アタルはなぜか自信を人差し指の先に集めて、心臓のあるあたりをトントンと叩く。
「まあ、どの道、頭も心臓も撃たれたら生きてられないッス」
「そんなっ。まだ『スナドリ・ミュージカル・パート5 ~リー・ハーヴェイ・オズワルドの亡霊~』のブルーレイを三百二十一回しか見てないのに」
「それ、もう来世の分も見てるッス」
さて、サラリーマンの休日を破壊するシャチョーからの電話はいつだって突然やってくる。
というより、やってきていた。ポケットのなかでしつこくバイブしているのを無視し続けていたが、それも百回目となると、もう知らん顔もできない。
仕方ない、とかけなおすだけのことはしようとするが、
「アンテナ立たないんだけど」
「アタル先輩のスマホ、ポンコツッス」
「ガラケーなんだけど」
「あー」
アタルはさらにエスプレッソを二杯キメて、自分の全存在をかけて、休日出勤しないとはっきり言おうと思い、カフェの外に出て、アンテナが三本立つ場所を探して、ちょっと彷徨い、二本のアンテナで妥協して社長にかけた。
「アタルっち。おは」
「おはようございますって時刻でもないですよ、社長。それで、僕の休日を出勤で潰すくらいの仕事が入ったんですよね?」
「それなんだけど、アタルっち、イツカっちと一緒にゴディバ直営のカフェを探すって言ってたよね」
「はい。了承したつもりはないんですけど。でも、見つけましたよ」
「じゃあ、いますぐカフェから出たほうがいいよ。僕が使ってる情報屋が言うには――」
ダダダダダダ!
アタルくらいになると、銃声でどんな弾がどんな銃が発射されているか分かる。
七・六二ミリ口径。みんな大好きAK47。
「――カフェを狙って、テロリストたちがちょーっと面倒なことを起こすんだってさ」
次回更新は 2023/1/16 七時過ぎの予定です。