7.スナドリは鳥ではありません
日曜日。
それはサラリーマンにとって神聖な一日だ。
休日出勤に薙ぎ倒されることもあるが、そうならなかったら、アタルはその一日を有意義に使おうと強く決心していた。
録画したアニメを見て、寝て、チャーハンを食べに行き、アニメをおさらいして、ゲームして、ビール飲んで、風呂入って寝るのだ。
さて、最初はアニメだが、アタルが最近ハマっているアニメは『スナイパーズ・ドクトリン』。
「略してスナドリ!」
今日は朝からスナドリの世界にどっぷり浸かろうと気合を入れる。
アニメで描かれる数々のかっこいいスーパーな狙撃シーンに心ときめかせるのだ。
スナイパーのなかにはスナドリを『つくりもののスナイパー』『所詮本物ではない』と馬鹿にするものもいる。そういう言葉はもちろんスナドリ・ファンとして、アタルには面白くない。が、アンチにいきり立つ狂信的なファンみたいなことは言わない。
なぜなら、そんなこというスナイパーは連続三十日出勤で精神が崩壊し始めていることが多い。余裕がないのだ。それにはアタルも覚えがあるから同情する。
だが、リアル志向を採用して、月残業二百時間を超えたディミトリが目の下にしこたまクマをこさえて、〈組織〉を労基にチクるのを描いて面白いだろうか?
アニメでくらい夢見させろ。あるサラリーマン・スナイパーのいじらしい叫びである。
ちなみに『ディミトリ』というのはスナドリの主人公で、職業はもちろんスナイパー。サラリーマンではない。〈組織〉に所属するエリート・スナイパーである。
アタルの推しである。ちなみに男だ。
だから、イツカがアタルの部屋に押し入ったとき、最初に目に入ったのは部屋中に貼られたディミトリのポスターだった。
二千メートルの距離を対物ライフルで狙撃したディミトリ。
エカテリーナがスパイだと知ったときのディミトリ。
エカテリーナが二重スパイだと知ったときのディミトリ。
エカテリーナが五十七重スパイだと知り、どっちの陣営なのか悩みつつスコープに彼女をおさめたディミトリ。
そして、シャワーを浴びているディミトリ……。
「同じ男として見て、かっこいいと思ってるだけだよ……なんだい、そのジトっとした目は」
「千秋イツカはアタル先輩が、まあ、そうでも、別に気にしないッス」
「なんか含みがあるなあ。っていうか、どうしてきみ、僕の家にいるの?」
「アタル先輩、忘れたッスか? ゴディバ直営店のカフェを探す手伝いをしてくれる約束したッス」
「そんな約束した覚えがないんだけど」
「チッチッチ。アタル先輩。わたしがいなかったら、今ごろ、まだカナ横をうろついてるッス」
「それはそうだけど……分かった。ちょっと着替えるから外に出てて」
「御意ッス」
休日のお出かけにスーツを着てしまう哀しきサラリーマン・スナイパー。
これにはイツカも絶句。
「アタル先輩。私服はないッスか?」
「これ、私服だけど?」
「いや。これはスーツッス」
「私服だけど?」
「え、でも――」
「私服だけど?」
「あ、ハイ」
アタルくらいのサラリーマン・スナイパーともなると、私服の概念が飛ぶ。
しかし、私服についてはイツカだって芋ジャージにレギンスである。アタルのことは言えない。
ともあれ、世田谷への遠征である。
電車から窓の外を見ていると、電車が走ると興奮してぐるぐるまわるポメラニアンなんかが見える。
そういうものは朝のニュースでしか見られないと思っていたが、そこは世田谷。朝のニュースでしか見られないものが、そこいらじゅうに溢れている。
意味不明なラッキーアイテムを売る店。気象予報士ばかりが住むマンション。そして、レポーター。
レポーターはスタッフを引き連れて、電車のなかで目についた人間片っ端にツチノコがいると思うかをたずねていた。
「あ、サラリーマンさんがいますね。おはようございます!」
「おはようございます!」
「サラリーマンさんはツチノコがいると思いますか?」
「思いますよ!」
「えー、見たことあるんですか?」
「見たことあるも何も、僕がツチノコですよ!」
「は?」
「だから、ぼ・く・が、ツチノコなんですよ!」
「えーと」
「疑うんですか!? イツカくん、きみの目には僕はどう見えるね!」
「ツチノコッス」
「ね!?」
「えーと、じゃあ、その、ツチノコさん、お仕事頑張ってください!」
「頑張りますよ! ええ、そりゃあもう!」
遠ざかるレポーターを見ながら、ふたりは別につかなくてもどうってことのない嘘を貫き通して、虚無感を覚える。
「世田谷って虚しい町ッスね」
「見たまえ、イツカくん。でっかい煙突だねえ」
「サンタさんが労基に駆け込むレベルッス」
「お、労基という言葉が自然に出るようになったか。きみも立派なサラリーマン・くノ一になってきたね。労基。それは――それは何の意味があるんだろうね。まあ、ブラック経営者をビビらせるくらいのことはできるけど、じゃあ熊谷部長に勝てるかといわれたら、ちょっと……」
成城学園前駅のプラチナ製改札を通って出ると、サウロロニトイデスというよく分からない横文字ネームの三階建て吹き抜けアリのショッピングモールがふたりを出迎えた。さすが成城。ハーブを練り込んだアロマ、サウスカロライナ産の籐でつくった籠、東欧風のカートゥーン・キャラクターをテーマにしたおしゃれアイテムが売られている。
「スナドリ・グッズはないかな?」
「ゴディバー」
ただ、ニラは売っていないので、ニラ玉を作りなくなったら隣町まで行かないといけない。
「そもそも成城の人たちってニラ玉食べるんスか?」
「知らないよ。成城の人になったことないし、なる予定も絶望的だし」
「アタル先輩、テンションが低いッス。美少女くノ一と一緒に休日を過ごせるなんて、アタル先輩は幸せ者ッス」
「ホントは家でスナドリ見てたかった」
大きな十字路の中央に公園があり、そこから東西南北に高級住宅街が広がっている。
つまり、成城マダムたちの運転するベンツのステーションワゴンはここから四方へ発進し、全国に轟く成城の神話をつくっているのだ。
「お金持ちって何でみんなベンツなんスか?」
「そんなことはない。BMWやロールスロイス、センチュリー。いろいろある」
「アタル先輩、車、詳しいッスか?」
「仕事上、高級車には詳しくならないといけない」
「そういう車って防弾ガラスを使うッス」
「防弾ガラスをぶち抜く弾なんて闇コンビニでいくらでも買える。防弾ガラスはカーディーラーが販売単価を上げるためにこさえた無駄オプションだよ。忍者の学校じゃ防弾ガラス破壊に関する授業はなかったの?」
「あったッスよ」
そう言いながら、イツカはリュックサックをごそごそやって、苦無を取り出した。
「きみ、普段から手裏剣とか持ち歩いてるの?」
「もちッス。忍者はいつも忍者ッス」
「ふーん。僕は平日の午前九時から午後五時までしかスナイパーしないけど」
「本当は?」
「午前九時から午後五時だよ。熊谷部長がそう言う限り、午前五時から午前一時まで働いたとしても午前九時から午後五時だよ」
「あー……シャチョーは?」
「シャチョーは無力だよ。九時五時実現のため、他ならぬシャチョーが九時五時に帰って女の子とイチャイチャするために社員全員のバックアップを得て、熊谷部長に『九時五時を守れ運動』を開始したけど、部長がワイシャツ脱いでシコ踏み始めたら、萎えた。みんな命は惜しいからね」
「まるで熊谷部長が社長みたいッス」
「うちには複雑な稟議書のまわし方があるんだよ。で、話は戻るけど、常在戦場のくノ一くん」
「ウス」
「この苦無のさ、柄の代わりにくっついているの、ダイナマイト?」
「ダイナマイトッス」
「まあ、一応きくけど、どうやって防弾車を破壊するの?」
「簡単ッス。あそこに止まっている、あの車を標的とするッス」
「ふむふむ」
「そうしたら、マッチで導火線に火をつけて」
「ふむふむ」
「体を斜め四十五度で標的に臨んで、刃のほうを親指と人差し指でつまんで、中指を添えるようにしてくっつけて」
「ふむふむ」
「振りかぶって――投げる!」
苦無はドアと車体の隙間に見事刺さり、爆発した。真っ赤なフェラーリが一億五千万円のアロマテラピーとなり、ガソリンくさい富の香りをまき散らす。
さらに爆発の衝撃がまわりに停車してあったベンツのステーションワゴンのガラスを全て吹き飛ばし、それにおしゃれな店のおしゃれなショーウィンドウも吹き飛んだ。
イツカはずらかった。アタルもずらかった。
被害総額が百回生まれ変わって働き続けても払えないほどのものになることは分かっていた。こうなったら逃げの一手あるのみである。パトカーとすれ違い、すれ違い、すれ違い、いったい何台があの現場に急行しているのかと思うほどすれ違い、息が上がって、もう走れないとへばったら、そこはゴールだった。
「アタル先輩! あったッス! ゴディバのカフェ!」
次回更新は 2023/1/12 七時過ぎの予定です。