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5.恐怖の赤ちゃんプレイ芸人

「新宿駅の地下は何かの卒業試験か罰ゲームみたいッス」


 三重の片田舎で育った自然児イツカの意見だ。

 確かにあの地下街では今日も今日とて〈人間何人入るかなゲーム〉のスコアを更新した車両から吐き出されたサラリーマンたちが慣れた足取りで新宿地下迷宮の謎を明かしていく。

 右に曲がり、エスカレーターの左側に立ち、また右に曲がり、短くて広い階段を上って、左に曲がり、デパートの地下売り場を見下ろす廊下に出て、土地の名産品が並んだコーナーを通り過ぎて、またエスカレーター。こうしてやっと外に出る。


「正直、墓に埋められたゾンビのほうがもっと簡単に外に出られると思うッス」

「そんなことは――あるかもしれないけど慣れれば、どうってことない」

「東京の人ってなんであんなに速く歩くんスか?」

「速く歩いてるつもりはないけどなあ」

「織田信長が攻めてきたかと思ったッス。それはそうと、アタル先輩。今日はどこに行くッスか?」

「上野公園」


 JR上野駅のホームから見ると、上野公園は都会を谷のように断ち割っている。

 その斜面に博物館やシーズンオフの桜並木があり、谷底に不忍池と呼ばれる水がたまっていた。

 この水には結構な数のヘラブナが棲んでいて、あちこちに一枚二千円の遊漁券を買った釣り人たちが都会のど真ん中で一日を釣りで潰すという最高の贅沢を味わっている。

 実際、この太公望たちは何もせずとも莫大な金が懐に転がり込んでくるシステムのなかで暮らしていた。ときどき老人がひとり若い女と結婚したと言って、釣りに来ることがなくなり、そのうちエーゲ海で溺れ死に、莫大な財産がその女のものになるということが年に一回か二回あるが、それを除けば、まったく変化のない釣り三昧の日々だった。


 弁天堂のある島は松の生えた堤と繋がっている。

 そこを歩きながら、イツカは、


「アタル先輩。熊谷部長って何者ッスか?」


 と、たずねた。イツカは今朝初めて熊谷部長から挨拶された。そのときのイツカはポカンと口を開けていたので、アタルはそっと顎の下に手を添えて、口を閉じさせなければいけなかった。


「部長は部長だよ」


 トマトはトマトだよ、とこたえる調子でアタルは言った。


「いや、あれ、どう見たって熊ッスよ」

「そんなことないよ、人間だって。熊があんなふうにコンビニおにぎりの包装を剥がせたりしないでしょ?」

「あのおにぎり、鮭だったッス」

「別に僕だって鮭おにぎりは食べる」

「アタル先輩たち、なんかタチの悪い集団催眠にでもかかってるッスか?」

「あのね、イツカくん。サラリーマン人生においては、カラスは白にもなるんだ。もし、部長が白いカラスがいる、と言ったら、あ、あっちにも白いカラスが、と言えて、一人前のサラリーマンになれるんだ」

「わたしはくノ一ッス」

「違うな。きみは正確にはサラリーマン・くノ一なんだ。じゃあ、ちょっと実践してみよう。僕が上司の役をするからね。コホン。あ、あそこに白いカラスが!」

「アタル先輩。あれ、ケツァルコアトルッス」

「上野公園にアステカ文明の神さまがいるわけがないだろう?」

「アタル先輩、ここで、あ、あそこにもケツァルコアトルが、って言えて、一人前のサラリーマンッスよ。もう一回、チャンスを上げるッス」

「ありがとうございますっ」

「……あっ、あそこにケツァルコアトルがいるッス」

「あっ、あっちにもケツァルコアトルが!」

「よくできましたッス。これでアタル先輩も立派なサラリーマンッス」

「ありがとうございますっ……あれ?」


 青銅をかぶった弁天堂で賽銭を投げて、営業がうまくいきますようにと頼むと、早速アタルは営業攻勢をかけた。

 殺してやりたいけど、自分でやるのはちょっと。そんなとき、ご相談ください、あなたの仇討。グッド・キラーズは低価格で高品質な暗殺を提供しております、をやるのだが、経済的に恵まれていて、苦労知らずの太公望たちは誰かを殺したいほど恨んだりしたことがなかった。


 そこに誤算があり、今日一日はただ靴底をすり減らしただけで終わってしまった。


「ドンマイッス」

「サラリーマン・スナイパーの毎日はこんなもんさ。今日歩いた一万歩はきっと明日の契約に結びつく」


 谷底のこずんだ暗さに夕暮れ空。アタルとイツカは水辺まで行き、この幻想的な風景をもうちょっと楽しもうと思ったとき、トントンと肩を叩かれた。


 振り向くと丸顔の、テカテカした赤い頬の老人が水色のクーラーボックスを肩からかけて立っていた。


「きみたち、暗殺の請負をしているんだってな」


 サラリーマン・スナイパーは復活の速さも売りにしている。肯定の返事とほぼ同時にわたくしこういうものですと名刺を渡した。


「株式会社グッド・キラーズ、営業・狙撃担当。鵜手羽アタル、かあ。念のため免許証を見せてもらえるか? きみは未成年にしか見えないからな。それが確認できたら、そこでメシを食おう。知っている店がある」


 弁天堂の右から草深い道に入り、岸辺に沿って歩いていると、間もなく、茅葺きの川魚料理屋が見えてきた。蓮の葉の浮く池へ店の半分が迫り出していて、水から立ち上がった支柱が座敷を支えていた。

 経費では到底落せそうにない店に見えて不安になってきたが、老人は首をふり、


「安い店だ。それに自分の孫くらいの齢の若者に奢ってもらおうなんて思っていない。まあ、年寄りの戯言をきいてもらう代わりに僕が払うさ」

「ありがとうございます。えーと……」

「多賀清春」

「はい。多賀さま。奇遇ですね。去年、辞任した警視総監と同じ名前です」

「それが僕だよ」

「へ?」

「元警視総監」

「えーと、今日はエイプリルフールだと勘違いしてて、暗殺とか全部嘘です。ジョークです。だから、逮捕しないで――」

「元と言っただろ? 別に煮て食ってやろうと思ってるわけじゃない」


 薄暗い葦の岸辺に開いた廊下から奥に通されると、女将が見知った様子であらわれた。


「あら、ソーカンさん」

「今日はお客さんを連れてきた」

「ソーカンさんの釣り仲間?」

「そんなところさ」


 廊下が塞がってしまうほどの巨体の女将に案内された座敷は、池を一望でき、夕暮れの影が水面に映り込んでいた。


「大人の隠れ家って感じッス」

「こういうお店って、お通しだけで三千円とか――ひぇっ、ひゅっ、ひぇっ、ひゅっ」

「そう過呼吸にならなくてもいいだろう? ここは僕がもつって言ってるんだから」


 ナマズの吸い物が出てきたので、それをすすり、多賀は早速仕事の話をした。


「本当は食事中に仕事のことを話すなんて無粋なことはしたくないが、そっちのサラリーマンは仕事の話でもしないと落ち着かない様子だ」

「弊社の先輩がご迷惑おかけして申し訳ッス」

「申し訳ありません。それで、多賀さま。ご依頼の内容ですが」

「殺ってほしいのは女さ」

「女性ですか?」

「毒婦だ。もう、三人のじいさんが遺産目的で殺られている」

「お伺いいたします」

「知っての通り、ここには資産家のじいさんが集まっている。平和なもんさ。だが、あの女がきてから、もう三人があいつと結婚して、みんなエーゲ海の島で溺れ死にしている。これ以上、友達が海の藻屑にされる前にあいつを止めないといけない」

「えーと、営業の身でこんなこと言うのはなんですが、警察を頼ったほうがよくはないですか?」

「それは無理だな。僕は警察内部の椅子取りゲームに負けて、警視総監をやめさせられたんだ。だが、やめるとき、警視監を三人巻き添えにしてやった。そのうちひとりは拳銃自殺、ひとりは工事現場で誘導灯を振っているのを見た。最後のひとりは赤ちゃんプレイの映像が流出したことで吹っ切れたのだろう、元警視監の赤ちゃん芸人として生き恥をさらし――ごほん!――お茶の間を沸かせている」

「おじさん、〈バブバブどーん〉の知り合いだったッスか?」

「バブバブどーん?」

「アタル先輩、知らないッスか? いまのりにのっている芸人ッス。あれはサイコーに面白いッス! 特にあれが最高ッス。ばぶ、ばぶばぶばぶ、ばーぶばぶ」

「それって面白いの?」

「アタル先輩は見た目だけが若くて、中身はおじさんッスから」

「失敬な。まだ二十七歳だ」


 元警視総監はうんうんうなずいた。


「あの渾身の一芸を楽しんでもらえて、元副総監もきっと喜ぶだろう。だが、現在、警視庁を仕切っている人間にはあの芸風はまったく面白くないらしい。そんなわけで僕は今度の件では警察を頼れない。法でさばけないわけだから駆除業者に任せるしかない。これ以上釣り友だちを減らされては困る。僕は一代で成り上がったわけだから、そういう女に警戒できるが、他の連中はもう何代も前から大地主だったり、本当にお殿さまの子孫だったりする。金持ち過ぎて、警戒することを知らない。気づいたころには莫大な遺産を妻に譲るという書類に判を押して、来月にはサントリーニ島で溺れ死にだ」

「もう、誰かアタックされている人はいるんですか?」

「いるなんてもんじゃない。結婚が目前のやつがいる」

「それはそれは。でしたら、弊社としてはいろいろプランをご用意していますが」


 アタルはさっそくアタッシュケースを開いて、カタログを何枚か、机に並べ、電卓を叩く。


「こちらの一発入魂地獄行きコースはどうでしょう? スピーディな暗殺が特徴でして、いまでしたら、このくらいで」

「別に方法にはこだわらない。頭に一発、撃ち込んでくれればいい。ただ、やってもらうのはあの毒婦が最高に幸せでしてやったりとほくそ笑んでいる瞬間。その瞬間にズドン!とやってくれ」

「申し訳ございませんが、弊社は特別な理由がない限り、狙撃にはサイレンサーを使わせていただいております。銃声はちょっと大きめのくしゃみくらいの大きさですので、ズドン!はちょっと難しいかと」

「たとえの問題だ。音はこだわらない」

「あ、左様でございますか。大変助かります。それで、場所と時期は?」

「三日後のここ。この弁天堂でやってもらいたい。友人はこの弁天堂で神前結婚式をする。翌日にはエーゲ海だから、ここでやってもらわないと困る」

「分かりました。ご依頼承ります。ご請求書はどちらに送付すればよろしいでしょうか?」

次回更新は 2023/1/4 七時過ぎの予定です。

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