24.三十六人の怒れる女たち
次の日、アタルは冥次郎が少し前に出勤(どこに?)するのを見たので、先に会社についているのかと思ったが、そうではなかった。
おそらく〈ひとつの車両に人間何人入るかな?〉ゲームから脱出できなかったのだろう。
満員電車での体のさばき方には様々な流派があり、そこからの脱出となると最低でも目録以上はないといけない奥が深い世界なのだ。忍者といえど、これを知らねば、銚子あたりまで連れていかれるハメになる。
まあ、いないならいないで今日も営業外回りに行くまでだ。
「はぁ~、今日はいなくて助かったッス」
そんなふうに腕をまわして、大してこってもいない肩をほぐそうとするイツカを見て、この子は冥次郎の本名を知っているのだろうかと疑問に思った。
いや、知っていたら、おそらくイツカはそれを戦略的に利用して、相手の精神崩壊を狙うに違いない。
サラリーマンたるもの、若いふたりのいちゃつきを邪魔する野暮はしないのだ。
今日の営業先はとある大企業のOLだった。
ただし、会社では会えないとのこと。
「どういうことっスかね?」
「まあ、就業時間中に業務と関係ない人とは会えないからね」
「でも、アタル先輩、どうみても――ああ、中学生ッスね。そりゃ、OLさんが中学生と会ったら、何か疑われるッス」
「失敬だね、きみは。僕はどっからどうみても企業戦士だよ」
「悲しきチャイルド・ソルジャーッス」
「昔、チャイルド・ソルジャーの元締めを狙撃したことがある」
「日本にそんなのいるッスか?」
「いないよ。海外出張」
「ほー」
「あれは心臓に悪いね。出張に行って、手持ちの円を現地のお金と両替したんだけど、そのお金の価値がどんどん下がっていくんだ。まあ、そういう政情不安定な国だから、僕らの需要があるわけだし、公費主張だから、全部経費になるはずだけど、最初は札束ひとつで一円と交換できたのが、トラックの荷台にいっぱい積んでも一円にならなかったあたりで、これ、まさか自費とかないよね、ってすごく心配になった」
「為替のことはチンプンカンプンッス」
さて、クライアントとの面会は大企業だらけの中心地から外れたカフェである。
メールでのやり取りしかしていなくて、顔は見ていない。
カフェに入れば分かると言ったが、そのカフェにはOLさんしかいなかった。
「イツカくん。なんか、忍者らしい心眼みたいなのでクライアントを見つけるってできる?」
「無理ッス。三十人以上いるんスよ?」
「OLさんはタダの日なのかな」
「あー、でも、やっぱ心眼でできるかもしれないッス。アタル先輩が誠意を見せてくれたら」
「ケーキ・バイキングをチラチラ見るのはやめなさい」
「心眼には糖分が必要なんス」
「上白糖流し込む?」
こうなってはしょうがない。
そこらへんにいるOLさんに片っ端から「もし。あなたは殺人を委託しましたか?」とたずねるしかない。
そうやってたずねるたびに名刺を渡していけば、次の仕事につながるかもしれないし、非番の警官にしょっ引かれるかもしれない。そうなったら、運がよければ逮捕されて告訴されるけど、運が悪いと、逮捕されずに政府がらみの暗殺を格安でさせられる。
それが、あまりにも単価がクソなので、どう動いても足が出る。
「えい、もう、いいや。南無三!」
「南無三って、アタル先輩、昭和生まれみたいッス」
小柄でハーフアップの、モンブランを食べている女性に「もし。あなたは殺人を委託しましたか?」とたずねると、他の女性たちが一度に立ち上がった。
オトリ捜査だ、クソ単価だ!と思ったが、そうではなかった。
「グッド・キラーズの鵜手羽さんですね」
モンブランの人が立ち上がった。
「お待ちしていました」
「メールをくださったのはあなたですか?」
あ、それ、わたしです、と後ろの窓際の席でフレッシュメロンタルトを食べていた眼鏡のOLさんが手を挙げた。
「えーと。ということは、もしかして――依頼人はあなたたち全員ですか?」
モンブランの人がうなずいた。
㈱グッド・キラーズは社名の通り、安心確実な暗殺を販売している。
ところが、大企業には○○商事とか○○物産とか、パッと見て、何をしてお金を稼いでいるのか分からない社名がある。
これは簡単に言うと、物を買って、売って、お金を稼いでいた。
ただし、最小購入単位がコンテナ一個。
彼らは電話一本で貨物船をエジプトの綿やイタリアのオレンジでいっぱいにし、コンテナ一個分買うだけの資金がない工場や卸売りに販売するのだ。
さて、これで全てが明確になったかと思うだろうが、どうしても分からない会社もある。
それが㈱キャピオンである。
何をしているのかよく分からないが、非常に儲かっているらしく、ビルは五十階建て。
新卒はグループ全体で数百人の超大企業だが、いったい何をしてお金を儲けているのか、社員たちも分かっていない。役員も分かっていない。ひょっとすると、CEOも分かっていないかもしれない。
ただ、そこに会社があって、お金が湧いてくるのなら、あんまり深追いしないことだ。
鶴の恩返しみたいなことになったら面白くない。
「狙撃してほしいのは弊社第十一営業部の部長、沢谷です」
「第十一営業部?」
「ほえー、やっぱ大企業は違うッスね。うちはシャチョーとブチョーとアタル先輩たちだけッスから」
「承知いたしました。いくつかのプランをご説明したいのですが――」
モンブランの人が首をふった。
「お願いしたいのはただひとつ、弊社のコンプライアンス会議で沢谷を殺してください」
「――もし、よろしければ、理由をきいてもよろしいですか?」
二か月前、㈱キャピオンの新卒社員で第十一営業部に配属された時任アスカが自殺した。
原因は沢谷部長のセクハラである。
訴えると言っても、
「新卒の小娘と部長のわたし、どちらの言うことが信じられると思う?」
と、ニチャニチャした笑顔で言ったそうだ。
もちろん、㈱キャピオンにはセクハラ相談などを取り扱うコンプライアンス委員会がある。
そこに訴えた。だが――、
「誘うようなことを言ったんじゃないの?」
「ちょっと神経質すぎるんじゃないかな?」
「きみにも悪いところがあったんだと思うよ」
新卒の時任さんが自宅近所の公園で首を吊ったのはそれから三日後のことだった。
自殺するまでの三日間もセクハラは止まなかったし、レイプ未遂もあった。
遺書でセクハラのことと会社が対応してくれなかったことを書いたが、マスコミ各社は忖度して、これが報道されることはなかった。
何と言っても、㈱キャピオンはスポンサーの最大手だ。
「時任さんが沢谷からセクハラ被害を受けていたのは事実です。それは会社も知っています。だって――わたしたち全員が沢谷からセクハラを受けたんですから」
「ざっと見たところ、三十六人、いらっしゃるようですが……」
モンブランの人はうなずいた。
「それは――」
と、その先を言わなかった。
ひどい、という感想もあるが、それ以上に大きいのは第十一営業部の規模だ。三十六人。十一まで分けた営業部門に三十六人もいるなんて、驚きだ。
が、これを言ったら、大変大変まずいことになるのは分かっていたので、口をつぐんだ。
「だから、コンプライアンス委員会での会議でターゲットを狙撃してほしいと?」
「はい。わたしたち全員の意志です」
「弊社には複数人狙撃のトリガーハッピープランもございます。今なら無料でそちらのプランに変更もできますが」
アタルも同情したのだ。単価を下げるほど。
自分で格安プランを薦めておいて、冷や冷やしだしたアタルだが、モンブランの人は首を横にふった。
「それ以外の人たちにはわたしたちで対処します。ただ、それを行うには、まず、あなたの狙撃が必要です。沢谷が死ねば、それで役員たちはぐらつきます。自分たちも狙撃されるんじゃないかって。心当たりはあるわけですから。マスコミも警察OBの役員も、あなたの一発は防げない。それだけ不安に駆られれば、後はもうこちらで引き受けます。わたしたちは狙撃はできません。でも、三十六人の怒れる女がいれば、狙撃以外の何でもできます。女をなめるとどうなるか、早晩、彼らは思い知ることでしょう」
細かいプランは詰めた。
コンプライアンス委員会は五日後、三十七階の会議室で行われる。
そんな高所を狙撃できる場所はひとつしかない。
キャピオン㈱だ。
㈱キャピオンではない。キャピオン㈱である。
キャピオン㈱は㈱キャピオンと道一本を隔てた位置に立つ大企業で、㈱キャピオンと同様、何をしているのかよく分からない会社である。
ただ、㈱キャピオンとキャピオン㈱のあいだにはなんら取引も資本提携も技術提携もなく、魚屋と八百屋が別ものであるのと同じくらい、全く別の会社だった。
このキャピオン㈱から㈱キャピオンを狙撃する。
なんだか言葉がぐるぐるする話だが、他に適した場所がない。
ビル風にびくともしない強装薬弾を使うので、顔が完全に消滅するというと、モンブランの人は言った。
「股間を吹っ飛ばしてください」
「それだと即死の可能性がぐんと低くなりますが」
「せいぜい苦しめばいいんです」
「分かりました。では、鋼被膜ホローポイント弾などどうでしょう? こちらは窓を貫通するときは弾頭にかぶせた鋼鉄が作用し、人体に命中するときは柔らかいホローポイント弾に変化します。鋼鉄は窓を貫通したときに剥がれるわけです。こちらの弾頭でしたら、股間の銃傷は非常に複雑かつ広範囲のものになりますから、救急医療は間に合いません」
「では、それでお願いします」
会社に案件を持ち帰り、用意する銃のことで申請を出している横で、イツカは珍しく怒っていた。
「女の敵っス!」
「そうだね」
「アタル先輩じゃないッスけど、労基もびっくりのサービス残業手裏剣をお見舞いしたいッス!」
「いいぞ、イツカくん。そこまで言えれば、きみも立派なサラリーマン・くノ一だ」
同僚の殻林が帰ってきて、ホワイトボードから強請屋の名前を消した。
その上にはアタルが持ってきた契約――沢谷幹人の名前がある。
「これ、㈱キャピオンか?」
「はい。殻林さん受けたことあるんですか?」
「いや、知り合いのフリーランスが関わったらしいが、この会社、警備員がいない」
「あれだけの大企業なのに?」
「そのかわりにちょっとした私的な軍隊がいる。いわゆる傭兵だ。そのフリーランスはコロンビアの準軍事組織と仕事をしたことがあるんだが、そいつらよりもひどいって話だ」
「あー。それ、社内の人は知ってるんですか?」
「知らないんじゃないか? まさか、自分の会社にサブマシンガンのラックがあるだなんて、普通は想像しない」
「……三十六人の怒れる女たち」
「ん? 何の話だ?」
「いえ。何でもありません」
「そうか。じゃ、先に上がるわ」
「お疲れさまでした」
うーん、とアタルは腕を組む。
「彼女たち、このこと知ってるのかなあ。ターゲットを狙撃した後のことは自分たちでカタをつけるって言ってたけど」
「チッチッチ。アタル先輩は甘いッス。女の怒りはちょっとやそっとのことじゃくじけないッス」
「でも、九ミリ・パラベラム弾は跳ね返せないよ」
もし、コンプライアンス委員会の人間も殺すのなら、ボルトアクションではなく、セミオートのM14を使うほうが良さそうだ。
「あっ」
と、イツカは言うなリ、風を巻いて、数枚の木の葉を残して、消えてしまった。
間一髪で冥次郎がやってきた。
やはり都心で降りられず、銚子まで行っていたらしい。
「ふっ。ここにいたか、鵜手羽アタル」
「あー、……えーと、何かご用かな?」
「知れたこと。我と貴様、影はひとつに伸びるのみ。ふたつの影が伸びるにはこの世界は狭すぎる。決着をつけようぞ、鵜手羽アタル!」
「待った、待った! ここで刃傷沙汰起こしたら、追い出されちゃうよ。その、もうちょっと平和的な対決とかないですかね? オイチョカブとか」
「ふざけるな。優れた忍らしく、己が術をぶつけるがいい。もっとも我にはどのような術も通じはしない。貴様が我が覇道の前に立ったこと、気の毒に思わぬでもない。せめて、楽に死なせてやる」
「だから、僕は忍者じゃなくて、サラリーマン・スナイパーだし、イツカくんの恋人じゃないんだよ」
「この運命の白き秘術に記された名は何だ?」
「運命の、え? あー、ホワイトボードね」
「沢谷幹人。これが貴様の任務か?」
「そうだけど」
「こやつの命は五日後までか。よかろう。鵜手羽アタル。この勝負に乗ってやろう」
「勝負?」
「暗殺だ。このものを屠ったものがイツカをものにできる」
「えー、それは非常に困るよ。こっちはクライアントに鋼鉄被膜ホローポイント弾で片づけるって約束したんだから!」
「さらばだ。鵜手羽アタル。せいぜい首を洗って待っているがよい」
「あ、煙幕はやめ――」
ボワン、と濃密な白煙。
「ゲホゲホッ! だから、火災報知器が! 管理会社に怒られる!」
そろそろとイツカがソフィアのライディングビューローの陰からあらわれる。
「冥次郎は行ったッスね?」
「ごらんのとおり、大量の白煙を残して。彼、きみみたいに葉っぱをちょろっとやって姿を消せないの?」
「それより対決ッス。アタル先輩、今日の仕事で対決するッスか?」
「冗談じゃないよ。ターゲットに銃弾じゃなくて、手裏剣が刺さってたら、こっちの信用問題にかかわる」
「じゃあ、アタル先輩は狙撃を成功させて、冥次郎を打ち負かすしかないってことッスね!」
「きみ、自分の利益が確保されたときの顔、一度鏡で見たほうがいいよ」
「この美貌で多くの男たちがわたしにメロメロになってきたッス」
「いや、悪代官みたいな顔だったよ」
女の子に悪代官みたいとは感心しないね!と、声がして、ずっと外を向いていた社長の椅子がぐるりとまわった。
「社長、ずっとそこにいたんですか?」
「朝からいたよ」
「え? 朝から? まさか、寝てたんじゃないでしょうね?」
「そ、そんなわけないじゃないか! それより、アタルっち、以前、レイジッちのシフトのことで――」
「レイジくんが声優業に百パーセント出せるんですか!?」
「わ。びっくりした。いや、それが確定したわけじゃないけど、面白いものがあってね。ほら、入ってきて!」
やってきたのはアタルと同じくらいの背丈のロボットだった。足の代わりに全方位円形移動装置が組み込まれていて、お掃除ロボットとファミレスの料理運びロボットを合わせたもののように見えた。
「なんですか、これ? うちによくこんなものを買う余裕がありましたね」
「いや、ほら、ペイルライダーの研究部門でリモート狙撃ロボットをつくったんだけど、使えるかどうかお試しで使ってもらいたいって話があってね。それで持ち帰ったんだけど、レイジッちがこれで出先から狙撃すれば、声優の仕事に行く移動時間が夢のように短縮できるでしょ? これが実用できるかどうか、今度の仕事で使ってみたらどうかなって思ってさ」
「おおっ、社長、さすがです!」
「うんうん。もっと褒めて。僕は褒められて伸びるタイプだから」




