21.車に罪はない
さて、次の現場で、レイジをスナイパーデビューさせようと思っていたところで、アタルのガラケーがぶるぶる震えた。
「はい、鵜手羽です――あ、部長、お疲れ様です――はい、はい――え? キャンセルですか? テッパンだと思っていましたが、いったいどうして?――まさか、そんなことが?――ええ、はい。はい――それでは仕方ないですね――はい、残念ですが――」
ガラケーをベルトの専用ホルダーにしまい、あからさまに落胆した様子のアタルはレイジの狙撃案件がキャンセルになったことを伝えた。
「今日は行けると思ったのに」
「アタル先輩、ドンマイッス」
「あの、先輩。実は先輩にお会いしたいと言っている方がいるんです」
「会いたい? ぼくに?」
「はい。アタル先輩のお時間が許してくれるならなんですけど」
「ちょうど、この後の仕事がキャンセルになったから、大丈夫だよ。それにしても、ほんと、まさか、きのこ・たけのこ戦争が講和終結するなんて。そんなの誰にも思いつかないよ」
世界が平和に向かって偉大な一歩を踏み出しているとき、アタルたちを待っていたのは音響監督だった。多目的室という会議にもオフィスにも使える、ちょうどいい広さの部屋で音響監督が腕をのらのら動かしながら、スマートホンの相手にねっとり文句を言っていた。
「環境省はヘナチンぞろいですねえ。足を挟むための部品がギザギザではなくなったら、トラじゃありませんよ。あれはトラを捕まえるって意味じゃなくて、トラの歯みたいにギザギザした鋼鉄で足を挟めるっていうのが売りなんですがね。規制委員会のクズどもには任せていられません。そのうち、あいつら、スポンジでトラばさみをつくれって言ってきますよ。そんなもの使うくらいなら、入れ歯抜いたおばあちゃんの口で噛むほうがマシですよ、チクショーですねえ。だいたい彼らは分かっていないのです。スポンジでつくったトラばさみで、どうやってプロデューサーの脚を食いちぎ――あ、もう、いいです。これについてはまた後で話しましょう。来客なんです」
サラリーマン・スナイパーはいろいろな人に会う。
その大半が殺人を依頼する人間だ。
だから、分かるのだが、環境省を呪いながら、トラばさみの規制について、丁寧な口調で忌憚なく意見を述べる人間は間違いなく潜在顧客だ。
実際、音響監督はアタルを見ると、
「やあ、あなたが鵜手羽アタルさんですね! 笹貫くんからきいてますよ! 人間のクズを手当たり次第にぶち殺してるそうですね!」
と、先ほどまでの不機嫌が嘘のように消し飛んだ。
そして、サラリーマン界隈では〈アメリカン・スタイル〉と呼ばれる、名刺の交換を最後にまわして、まずは握手する手法で挨拶をしてくる。
アメリカン・スタイルだろうが、ベルギーワッフル・スタイルだろうが、お客の流儀に合わせるのがサラリーマン・スナイパーというものだが、しかし、人間のクズを手当たり次第にぶち殺すとは、はて、どういうことなのか? と、レイジのほうを見ると、
「い、いえ! ぶち殺すだなんて。おれは、ただ、とても、――とても尊敬するスナイパーだって……」
アタルとしては〈尊敬するスナイパー〉という言葉にもうちょっと酔いしれたかったが、音響監督の思うところは違うらしい。
彼はこう、のたもうた。
「誰かに尊敬されるにはたくさんクズをぶち殺さないといけないってことでしょう? 鵜手羽さん、そうですよね? ね?」
「は、はあ。そう、なのかな、イツカくん?」
「え? わたしにケツ持ってくるッスか? まー、そうなんじゃないッスか? もちろん、一番尊敬されるのは健気でかわいい後輩に鵺切影近をプレゼントすることッス」
「困難な状況下に、私欲を追求するその姿勢は営業に必要なガッツとして認めるけど、ぼくの生涯年収に匹敵するおねだりが通ると本気で思っているなら、きみも生粋のサイコパスだよ」
音響監督はアルコールと合法ドラッグのコンビネーションみたいなテンションで話をつづけた。
「これは作画監督も関わってくることなんですが、今日、この後、速攻で仕事を頼めませんか?」
「いま、すぐですか? 申し訳ありません。少し予定をずらせるか確認いたします」
と、仕事はキャンセルになっているのに、わざと117番にかけて、あれこれ交渉するふりをした。
こうすると、仕事の単価が上がることがあるし、そうはならなかったとしても、フレキシブルに狙撃をしてくれるという印象を与え、次の仕事につながりやすい。
もちろん、アタルは嘘をつくわけだ。だが、かまわない。サラリーマン・スナイパーはまず自分に嘘をつく――わたしが働いているのはブラック企業ではありません、わたしが働いているのはブラック企業ではありません、わたしが働いているのはブラック企業ではありません……
「実はやってもらいたい相手はプロデューサーなんですよ」
「え? スナドリのプロデューサーをですか?」
「殺すわけじゃありません。なるほど彼は人間のクズです。すり潰して袋詰めにしてメルカリで二束三文で売り飛ばしたくなるようなクズです。ですが、あんなクズでもいないと番組制作に支障が出ます。だから、命は助けてあげましょう。が、その保有車両はこれに含みません。詳しい話は屋上で」
アタマポンポン・スタジオの屋上には小さな稲荷神社があり、ちょっと神域で発砲をするので、呪わないでくださいといつもこのために携帯している油揚げをお供えする。
「本物のスナイパーは、油揚げをお供えするんですか? 勉強になります」
ずっと前から待っていたらしい作画監督がいた。身長が百九十センチ超えでかなり高いのに、顔と体がほっそりしていて、普通サイズの人間を上下に伸ばしたような印象がある。
「おや、もう来ていたんですね?」
「待ち遠しくてな」
「あれは?」
「手に入った」
本来なら作成した契約書を法務部にまわすなどの処理が必要だが、狙撃というのは今逃したら次はないという仕事なので、アタルのごとき平社員にもそれなりの権限が与えられている。
じゃあ、その権限を使って有休が取れるかと言えば、有休申請書は部長の部屋にあり、ギロチンチョップをかわさなければいけない。
「鵜手羽さん。さっきも言った通り、プロデューサーは殺しませんが、彼のランボルギーニは蜂の巣にしてもらいたいのです。彼の目の前で」
「では、複数弾発射のコースになりますね。そうですと」と、アタルはアタッシュケースからパンフレットを取り出す。「こちらのトリガー・ハッピー・プランなどどうでしょう? いくら発射しても定額です。どこの組からも身元が保証されていない中国人と波止場で覚醒剤取引をする自由業の方々に大人気の援護射撃プランですが、これを車両破壊に応用できます」
作画監督が口を挟む。「やつの手を吹っ飛ばすのはなしなのか?」
音響監督。「なしです」
「別にあいつが画を書くわけじゃないだろうが。あいつが人件費をケチったせいで腱鞘炎に追い込まれたアニメーターが何人いると思ってる」
「あんな小心者、小指の先が欠けただけで心臓麻痺を起こしてしまいます。そのとき、きみがあいつにマウス・トゥ・マウスで人工呼吸するっていうなら、別に構いませんよ」
「ああ、ちくしょう。面白くねえなあ」
「こう考えてみてください。彼の手がなくなったら、シコれなくなるだけです。ですが、ランボルギーニをオシャカにしたら、飲食店従業員とのアフターに乗っていく車が軽トラックになります。どっちがあいつにとって死ぬほどつらいか分かりますよね?」
「なるほど。確かにそうだな。おれはときどき思うんだよ。なんでお前はヤクザの拷問係じゃなくて、音響監督なんてやってるんだって」
「アニメ制作に関われば分かるでしょう? いくら好きなことでも仕事にしたら、うんざりするものです。一番好きなものは趣味にとどめておくべきですよ」
「おれもアニメと絵を描くことが好きだったんだ。あのクソ野郎に会うまではな」
作画監督が用意していたものというのは、ライフルだった。
「セミオートだが、いいか?」
「はい。もちろんです」
セミ・オートマティックの狙撃銃というので、M14あたりが用意されていると思っていたアタルだったが、実際に目にしたのはヘッケラー&コッホのPSG1だった。
「おおー」
「どうしたんスか?」
「お高い銃だよ、これ」
「どのくらい高いッスか?」
「僕の年収より高い。でも、残業手当や休日手当も計算に入れれば、僅差で勝てる。それでこの銃を買ったら、僕は一年間ごはんを食べられないし、住む場所もないし、スーツをクリーニングに出せないし、所得税と住民税が払えないで税務署にいびられる。ほんとにこれ、使っていいんですか?」
「はい。次のシーズンでディミトリが使うので、その作画の参考にしたいんです」
「そそそそそ、それはおそれ多いことで」ハンカチで額をふきつつ、「――分かりました。僕の持てる技全てと、このPSG1でランボルギーニを蜂の巣にします」
「よろしくお願いいたします」
PSG1を使うのは初めてだが、なるほど年収と同等のことはあって、肩と頬にぴたりと馴染む。
ただ、最近はM14も頑張っている。
アメリカの海兵隊が狙撃用に採用して以来、様々なバリエーションが出ているし、もともと大量生産されているライフルなので、お値段もご奉仕価格。
ただ、この狙撃はスナドリの作画監督が見ている。
見た目のかっこよさはPSG1のほうが上だし、これをディミトリが使うのだと思うと、気合が入る。
普通なら伏せ撃ちの体勢だが、ディミトリにはぜひ立ったままで撃ってもらいたい。
それにいま、スコープの十字線にとらえた麗しの黄色いランボルギーニはそこまで遠いわけでもない。立ったままでイケる。
最初の一発百僧供養。
お次の一発千僧供養。
最後の一発万僧供養で稲荷のキツネがコンと鳴く。
弾倉ふたつ分叩き込むと、ランボルギーニはオーナーの前でスクラップになった。
恐らく、アタルがサラリーマン・スナイパーになってから最高額のターゲットだ。
いやいや人の命のほうが高いだろうと言うかもしれないが、アタルのサラリーを考えると、人の命はそこまで高くない。
しかも、その命の値段をこのあいだ、社長がピザ屋の美人局にひっかかって十分の一に下げてしまった。
ただ、ソフィアのご奉仕価格のおかげで多少は人の命の値段は持ち直したが、それでも、そこまで高くない。
人の命がお金にかえられない、かけがえのないものであるという前提が正しいならば、サラリーマン・スナイパーはひとり残らず億万長者だ。
さて、スコープから目を離し、ちらりと見る。
イツカはスマホで手裏剣を色三つでそろえて消すゲームをしていたが、音響監督はパチパチ拍手、作画監督はスケッチブックに必要な素描をし、そして、レイジのアタルを見る目がキラキラしている。
そこでアタルはライフルをレイジのほうへ。
「やってみる?」
「いいんですか?」
うんうん。
レイジが立ち撃ちの姿勢でランボルギーニを狙う。
もう所作がきれい。目つきがきれい。役に入り込んでいるのがきれい。
まさにスナドリ展開であり、今ほど自分の端末がガラケーだったことを呪ったことはない。
「やったッス! もう少しでハイスコアッス! 日本でトップ3に――あーっ!」
仕事中にアプリで遊ぶ不届きものからスマホを奪い、日本トップ3のプレイをすっすと人差し指のふた撫でで片づけて、動画を保存する。
レイジの狙撃はぶれず、正確にエンブレムを撃ち抜いた。が――
「ちょっとスコープに顔を寄せ過ぎました」
反動でスコープがぶつかって、目の周りに丸いあざができていた。
「いやいやいや! その完璧と見せて、うっかりドジしちゃうとこを含めて、尊い! あ、イツカくん。スマホ、返すね。なんか、ゲームのほうは終わっちゃったみたいだけど、まあ、きみならできる。いつか、世界ナンバーワンになれるさ。大切なのはあきらめない心だ。あと、この動画は僕がガラケーを卒業してスマホに乗り換えるまで保管しておくように。消したら、スナドリ再教育だから」
 




