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20.福利厚生の一環

 人殺し業界では、マッド・マーダーズのトップ・スナイパーがグッド・キラーズのご奉仕価格で雇えるという噂で持ち切りになり、これまでギリギリで殺人を思いとどまっていた殺人教唆犯予備軍が、一様に堪忍袋の緒を切らして、殺しを依頼するようになった。


 もちろん全員がソフィアを雇えるほどの幸運に恵まれるわけではない。

 だが、一度切れた堪忍袋の緒を縫い合わせることはできない。殺人教唆犯予備軍はバラすと決断したのだ。憎いアンチクショウをぶち殺した後のスバラシイ世界に嗅げるくらいまで近づいたわけなので、それをまた夢に戻すことはできない。


 そんなわけでトリクル・ダウン作用があって、ソフィアのキャパを零れ落ちた依頼が他のスナイパーや暗殺者のものとなり、業界は好景気に沸いた。


 さて、グッド・キラーズでは『笹貫レイジのスナイパーとしての運用を開始しろ』というアタル無言のサラリーマン圧力に負けた社長の計らいで、アタルとレイジとイツカはスナイパーとしての営業にまわることになった。


「どうして、きみまでついてくるのかな?」

「そりゃ、レイジっちがお酢と白だしを間違えただけでアタル先輩が泡を噴いて倒れるからッス」

「失敬な。そりゃ確かにいろいろ泡を噴いたよ? けど、もう慣れたよ。サラリーマン・スナイパーの適応能力を見くびっちゃいけない」


 と、言っているアタルの脚は生まれたての子馬みたいにガクガクである。


 今日のレイジのホワイトボードには『15:00 現場へ直行』と書いてある。


 つまり、会社に出社せずに現場へ直行、――声優としての仕事の現場からサラリーマン・スナイパーとしての仕事の現場へと直行するという意味だ。


 ここ最近のトリクル・ダウンな勤務超過による激務でアタルは目の下に排他的経済水域と同じくらいの大きさのクマをつくっている。そこでアタルの不満の矛先を反ら――福利厚生の一環でレイジの声優としての仕事現場で合流するということになった。


 そんなわけで、アニメの聖地、秋葉原。

 聖地だけあって、ふわついたメイド姿の女性神官たちが国内外からやってきた巡礼者たちをアニメショップやメイド喫茶、十八禁のエッチなゲーム店へと誘導している。


 グッズ、ブルーレイ、フィギュアといった聖遺物の購買施設では将棋倒し一歩手前の混雑であり、シャツの裾をジーンズに突っ込む百戦錬磨の巡礼者ですら、この人込みに吸収されてしまうのだ。


 秋葉原は環状道路がいくつもあって、ドローンを飛ばして空から見れば、道路が二重丸どころか七重丸になっているのが見える。アニメキャラを描いた痛い車以外通行禁止になっていて、中心部に近い道路ほど人間がぎっしり詰まっている。

 毎日、通勤電車で『車両ひとつに何人入るかなゲーム』の参加者となっているアタルですら、命の危険を感じるレベルの混み様である。


 その秋葉原の中心部にはアニメ制作カルテルがある。


「どうぞ。お通りください」


 ゲートの警備員から臨時入館用IDカードを返してもらい、アタルとイツカは聖地のなかの聖地、ジャパニメーションの九割がここで声を吹き込まれるカルテルの総本山、『アタマポンポン・スタジオ』があるのだ。


 そのエントランス・ホールでは鳥獣戯画のカエルたちウサギたちの巨大壁画があるのだが、これを美少女に擬人化するかどうかでカルテルの内部抗争があった。メキシコの麻薬カルテルなら一ダースがとこの生首がクレーンキャッチャーの景品にされているところだが、ここ秋葉原ではカードバトルか格闘ゲームで決着がつけられる。


 その結果、伝統派が勝った。


 ただ、伝統派と擬人化派の対立の陰では世界最古のエロ漫画と呼ばれる『小柴垣草子こしばがきぞうし』をそのまま無修正で載せてやろうというカンチョー派もいた。ちなみに派閥名の由来は小柴垣草子の別名が灌頂巻かんちょうまきとも呼ばれるからだが、これは別に小学生が大好きなカンチョーとは関係がなく、菩薩が仏になるとき、他の仏が頭に水をかけるというありがたい意味からきている。

 ただ、小柴垣草子の内容が内容だけに世人はこれを小学生レベルで考えるだろうし、またカンチョーという言葉は巻という言葉と妙に親和性がある。


「たぶん、小学生が知ったら、体育マットでぐるぐる巻きにして身動きが取れなくなったやつにカンチョーするッス」

「こんなとき、女の子なんだから恥じらいなさいって言ったら、これ、男女差別になる?」

「うちのコンプライアンス委員会は何て言ってるんッスか?」

「コンプライアンス違反を見つけたら申請書を提出するように言ってる。被害者は匿名でコンプラ違反を告発できる」

「その申請書はどこにあるッスか?」

「部長の部屋。熊谷部長のギロチンチョップを行きと帰りで潜り抜けられたら、きみも匿名でコンプラ違反を告発できる」

「行きはよいよい、帰りは怖い、怖いながらも」

「通りゃんせ」

「知ってるッスか、アタル先輩。ヒグマのチョップは牛の首も刎ね飛ばすッス。誰か取りに行った猛者はいるッスか?」

「社長」

「社長が社長にコンプラ違反を告発するッスか?」

「変な話だよね」

「で、成功したんスか?」

「いや、直前で怖気づいてやめた。けど、ほら、社長の髪って無駄に金色で無駄に長くて無駄にすごい量でしょ。だから、体は直前で止まったんだけど、髪だけぶわっと前に流れて、それが部長のギロチンチョップに絡まって、それはもうすごい悲鳴が上がって――」


 受付嬢がふたり。


「すいません。グッド・キラーズの営業・狙撃担当の鵜手羽と申します。弊社の笹貫がお世話になっております」

「鵜手羽さまですね? 笹貫さんから伺っています。こちらへどうぞ」

「ぷぷーっ、アタル先輩、かしこまってるッス。笹貫って呼び捨てッス」

「サラリーマンの基本」

「本人の前じゃ絶対にできないッス。それより、ふたりは双子ッスか?」


 受付嬢ふたりはお互いの顔を見て、


「いえ」

「違いますが」

「でも、そっくりッス。髪の色と髪型が違うだけで」

「それだと、お客さまもご一緒のようですが」

「へ? わたしとアタル先輩がッスか?」


 おそらくこの手の質問をするものがこれまでに五万三千二十六人いたのだろう。髪型交換シミュレーターというアプリでアタルとイツカの髪型と髪の色を交換してみると、


「げげっ! わたしがアタル先輩でアタル先輩がわたしっス!」

「僕にも、げげっ!っていう権利はあるよね?」

「言ったら、パワハラで訴えるッス」

「用紙は部長室。あのときの社長の悲鳴、再現してきかせてあげようか? あががぎええひいいああああイタイイタイイタイィィィ!」




「痛っ! いたいっ! 痛いッス!」

「イツカくん。スタジオでは静かに」

「さっきからアタル先輩がローキックしてくるッス!」

「そんなわけ――あ、ほんとだ。嬉しくて何かを攻撃せずにいられなくて、思わず」

「アタル先輩、やっぱり危険人物ッス!」


 ガラスをはめた水槽みたいな録音ブースでは台本を片手に笹貫レイジがスナドリの主人公ディミトリの声と魂を吹き込んでいる。


 ――ミシェル。なぜだ……なぜおれたちを裏切った!


「えーっ! ミシェル裏切るの!? てっきり、フランチェスコが裏切者だったと思ってたのに!」

「痛っ! いたいっ! 痛いッス!」

「イツカくん。スタジオでは静かに」

「さっきからアタル先輩がジャンピング・リバース・ネックブリーカーしてくるッス!」

「そんなわけ――あ、ほんとだ。嬉しくて何かを攻撃せずにいられなくて、思わず」

「アタル先輩、ボール・バーチルッス!」


 このブースは株主見学会用だった。

 コントロールルームに見学者が入るのは音響スタッフの怒りを買ってしまうが、アタマポンポン・スタジオも株式会社である以上、株主にこびないといけない。


 そこで考案されたのが、この水族館みたいなガラス張りブースだ。


「でも、こんなふうにジロジロ見られたら、レイジっちたちの気が散るッス」

「ちっちっち。分かってないね、イツカくん――なんで、いま、きみ、バク転三回もしたの?」

「間合いを外すためッス」

「まあ、いいや。それよりも、いいかい、イツカくん。レイジくんたちはプロだから、もうお芝居のなかに入ってるの。いまのきみのバク転だって全然、気づいてないの。いまのレイジくんはレイジくんじゃなくて、ディミトリなの。はい、ここで問題。ディミトリのフルネームは?」

「ディミトリ・ヴァシーリエヴィチ・プラトーノフッス」

「おや。よくこたえられたね」

「再教育はいやっス。それにわたし、ピカソ検定二級、持ってるッス」

「ああ、そういえば、履歴書にそんなこと書いてあったね。なんで、取ったの? その資格?」

「九字みたいにピカソの名前で印を切れば忍術に使えるかもしれないと思って取ったッス」

「思ったよりまともな理由だった……」

「先輩、わたしのこと、パーだと思ってるッス」

「まあ、そうだよね。で、ピカソ検定二級はピカソのフルネーム暗記してるんだよね? いま、暗唱できる?」

「本名と洗礼名、どっちッスか?」

「え? ふたつあるの?」

「あるッス。パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソが本名で、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソが洗礼名ッス」

「すごいね。ところで、イツカくん。ピカソの代表作と言えば?」

「ルドルフとイッパイアッテナッス」

「ピカソさんの名前、いっぱいあるもんね」


 吹き込みが終わると、アタルはレイジの控室へと入ったが、その姿は職場の先輩というよりは優待を受けて見学にやってきたミーハー株主だった。


「アタル先輩! 来てくれていたんですか?」

「うん、直接現場だからね」

「アタル先輩、華麗に先輩風を吹かせているところ悪いっスけど、膝ががくがくしてるッス――(ビシッ!とデコピン)――あだっ!」

「イツカ先輩がいたのには気づいていたんですが――」

「おおー、わたしの三回連続バク転の妙技は演技に没入したレイジっちを引きつけずにはいられないみたいッス――アタル先輩、嫉妬丸出しの目でこっちを見ながらデコピンに憎しみをチャージするのは勘弁してほしいッス」

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