17.一番危ないやつ
平社員同士のネットワークがあり、コンクリートジャングルで目覚めたアタルは社長からすっごい美人が同業界実習出向みたいな感じで来るというメールを受け取っていた。
平社員のメール・ネットワークに社長はアクセスできる。
他の営業社員たちからも大量のメールが来ていて、もちろんイツカからも来ている。『美人……っス……美じン』とバイオハザードの日記みたいなメールが来ている。
笹貫レイジからは『スナドリに出てきそうな美人のスナイパーさんです』とメールが来ている。
笹貫レイジがそう言うのだから、その同業界出向なんたらでやってきた女性はスナドリ風美人スナイパーなのだろう。
どうもアタル以外の社員はみんな社長の夜明けメールに起こされて、美人を見るべく始発に乗ったらしい。
そんなわけでアタルもいつもより一時間はやく家を出発することにした。
大家さんに「おや。今日はおはやいですね」とたずねられたので、
「なんか、会社に物凄い美人がやってきたってメールが何十通も入ってきていて」
「それならいつもよりはやく出社しないといけませんね。ただ、その人をおかずにして自慰をするときは、以前、あの部屋でふたりが自慰のために死んでいることを思い出してくださいね。行くなら風俗です」
「は、はあ」
「忘れてはいけません。風俗ですよ。風俗」
都心への通勤電車は時間差出勤を嘲笑う。
一時間早い『車両ひとつに人間何人入るかなゲーム』で新記録を叩き出して、新宿駅を降り、出社すると、社員たちが電話しながら契約を取り仕事できる男アピールをしていた。
仕事のできる男はボディランゲージが大袈裟で、そのふりまわす腕にぶつからないよう、イツカとレイジが部屋の隅に退避していた。
「おはよう」
「おはようございますッス」
「おはようございます、アタル先輩」
「なんだかみんなあぶないクスリを打たれたみたいに元気だけど、噂の美人さんへのアピール?」
「そうッス。本当は117にかけてるだけッス」
「ノルマ達成のための水増しか。泣ける、泣けるよ、イツカくん」
「ほら、あそこ。アタル先輩の隣ッス」
「どれどれ――え、あの机、何?」
このあいだまでイツカの学習机が置かれていた場所、つまりアタルのデスクの隣にはライディングビューローと呼ばれる執務用のアンティーク・デスクが置いてあった。
手紙や書簡を分けて入れられる小口の棚やグリーンのシェードがかかったライト、取っ手の真鍮がキラキラした小さな引き出し、様々なスタンプを入れたベークライトの箱。さらにこのデスクは蓋があって、それを上げると鍵がかけられる。
「それでは、部長。失礼します(熊? 熊? あれ、熊?)」
熊谷部長の部屋から出てきた美人スナイパーは――、
「ああ、O型血液パックの方でしたか」
「あなたは、――鵜手羽アタル(っち!)」
「はい。人事交流の一環とききましたが、あなたがいらしたのですね」
「……ええ(こちとら、嫁入りの気持ちでやってきました)」
ソフィアは静かに名刺を渡す。
ディズニー風のポップなフォントにソフィア・橘・エヴルスカヤとある。
「かわいい名刺ですね」
「……(くぁわいい! かわいいっていま言った! やっぱりわたしとアタルさまは結ばれる運命なのだ!)」
と、行くわけはなく、実際に渡した名刺はシャープなデザインの、クールな女性スナイパーが使いそうなものだった。
「おお、名刺も、こう、外資って感じですね。よろしくお願いします。橘さん」
「ソフィアでいいわ(ソフィーちゃんがベスト。あ、でも、ソフィアっちにすれば、アタルさまとおそろい!)」
「何か分からないことがあったら、何でもきいてくださいね」
「わかった……(式の日取りは? どこでする? ギリシャのサントリーニ島がいいなあ)」
その後、誰がソフィアと外回りに行くかで営業部員たちが殺し合い一歩手前まで行った。プロの殺し屋たちの殺し合い一歩手前というのは袖のなかからナイフが滑り込み、九ミリ・オートマティックのスライドが引かれ、プラスチック爆弾のタイマーが押されかけることを言う。
「まあまあ、みんな。落ち着いてよ。ここは公平にくじを引こう。いいかな、ソフィアちゃん」
「……好きにすればいいわ(――アタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさまアタルさま――)」
くじにはアタルの名があった。
「……(ィイイイイイイイイヤッホオオオオオオオ! 神さま、愛してる! アタルさまの次に!)」
「では、今日は一日、よろしくお願いします。橘さん」
「よろしく(末永くよろしくお願い申し上げます!)」
アタルはソフィアと外回りに出かけたが、マッド・マーダーズのスナイパーが自分で営業しないことが本当だということをきいて、ひどく驚いた。マッドの名前は伊達ではないのだ。
「じゃあ、本当に営業だけをする人がいるってこと?」
「特別な通信チャンネルがあって、用があれば顧客たちからコンタクトを取ってくる(もちろん、わたしとコンタクトとってもいいのよ)」
「何もしないで依頼が入れ食い状態? はあ、羨ましいなあ」
最初の営業先はヤクザだった。
ただのヤクザではなく、広域指定暴力団の梶山会である。
東京の一等地に、領土、と言ってもいい広大な土地を持っていて、施工のあいだ、関わった大工三百人の年収をカチ上げた豪勢な屋敷を立てている。
ヤクザの屋敷となると、インターホン押して、いつもお世話になっております、グッド・キラーズの鵜手羽です、とはいかないもので、大きな鋲を打ったお寺みたいな門の前には若いヤクザがふたり、番をしている。その門が開くと、すぐ横には和風の拵えの詰め所があり、そこから屋敷内の警備室へと連絡が行く。
こうしてアタルとソフィアは母屋に向かうのだが、いくら歩いても母屋に近づけない。ちょっと横を向くと、見事な枝ぶりの松がその枝の影を水面に写している。その池だって、小さな湖みたいに大きい。
梶山会はテキヤ系暴力団だが、それでもこの家である。ベビーカステラとプリキュアのお面でこれだけの家が建てられるのなら、アタルは職業を間違えたことになる。
ただ、梶山会はさすがに覚醒剤は扱わないが、脱法ハーブは売っている。脱法ハーブが流行る前はトルエンを売っていた。
梶山会の屋敷は趣味がよかった。
あちこち営業しているからヤクザの家については一家言あるアタルだが、ここは虎模様のカーテンとか何の脈絡もなく飾られた象牙と言ったサバンナ思考が見られない。本当の大名屋敷みたいだ。
そして、出会うヤクザ全員がアタルを見かけると、
「ご苦労様です!」
と、声をかけてくる。
まるで出所した組長だ。
社員の挨拶に関する礼儀は広域指定暴力団の圧勝である。
それなりの大企業だと、やってくる人間全員を自分たちの下請けと見て、ちょっと考えられないレベルの無礼を働くものがいる。
しかも、そのたいていが新卒入社から三年経ったか怪しい若者である。
部長クラスがそういう態度をとるならわかるが(わかるが正しくはない。社員の質はそのまま会社の質に直結する)、新入のペーペーにふんと笑われる筋合いはない。
とはいえ、アタルは仕事をもらう側である。正しくないと思っても、それを飲み込み仕事を取ってくるのがサラリーマン・スナイパーなのだ。
ただ、別にアタルが心配することではないが、最近の労基は本物の抜き打ち検査をやる。
あんなふうに会社に来る人間全員を下請け扱いして、労基にそんな態度をしたら、どんなことになるのか。
それが想像できない人間もいる。そういう人はサラリーマンには向いていない。
ヤクザにしろ大企業にしろ、一介の営業マンが会長にいきなり会えるわけはない。
アタルを応対するのは副会長である。
梶山会は副会長が百人以上いて、その副会長のなかでも副会長渉外担当統括部長という副会長なのか部長なのかよく分からない人物がアタルのような外部の暗殺者との調整を行う。
「いつもお世話になっております。グッド・キラーズの鵜手羽です」
「ああ、よく来てくれたね。座ってくれ」
副会長渉外担当統括部長の安須はまだ三十代半ばで梶山会の百人以上いる副会長のなかでは一番若い。
ほっそりとして、物腰が柔らかで、まさにサラリーマンらしいのだが、服の趣味が完全にヤクザのそれである。紫のダブルのスーツ、ヒョウ柄のタートルネック、ローレックスの時計がキンキラキン。
経済ヤクザのインテリ畑かと思えるが、実際は梶山会のヒットマン部隊を率いていた。
そんな経験から外部交渉をまかされ、こうしてアタルは何か仕事はないかな?と寄ったわけだ。
「グッド・キラーズさんは拷問はしないんでしたっけ?」
「拷問は弊社では取り扱ってございません」
「そうですか。いえ、拷問を外注できないかとちょっと考えているところでして」
「といいますと?」
「半グレはヤクザなんて物の数じゃないと言うんだ。独自にベトナム人あたりとつるんでいろいろ悪さをする。拷問なら僕がやってもいいとは言ってるのですが、会長がなかなか首を縦に振らないんです。それに極道の拷問なんてバットで殴るか、ヤカンのお湯をかけるくらいしかないからね。だから、もっと創意工夫にあふれる拷問をしたい。でも、僕らでは想像力が足りない。そこでグッド・キラーズさんに外注できないかと」
顧客のなかではグッド・キラーズが拷問を取り扱うことに期待するものが多い。『くっ、殺せ:五日間セット』『アイスピック穴だらけパック』などの商品化が待たれているわけだが、アタルをはじめとするサラリーマン・スナイパーからすれば、とんでもない話である。拷問は重労働なのだ。アタル向けに血の出ない拷問として電気ショックがあるが、さっきも言ったように重労働。好きでなければできない仕事だ。
「そっちの若い女性は初めてだね。マッド・マーダーズのソフィアさん?」
「……(あー、知ってたのか。でも、仕事を知られた以上、わたしは組織に消されるって方向に話を持っていて、アタルさまが『そんなことさせない!』って熱く言ってくれて、アタルさまとふたり、自由を求めて、雪の北海道をふたりだけの逃避行。そのうち、寒くてお互いの肌で温めあって――うしし。いいぞ、いいぞ)
「現在、同業の人員交流で一時的に出向してきたんです」
「それはそれは。ということはスポッター無しのふたりでスコアを稼ぐわけか」
ポップコーンみたいに人の頭を弾けさせる数をスコアというあたり、やはりヤクザは危ない世界である。
スコアときいて、アタルに勝負を挑み、勝ったらソフィアがアタルを好きにしていい、負けたらアタルがソフィアを好きにしていい、と条件を組めば、ソフィアには負けなしの戦いである。
ただ、負けて、アタルに組み伏せられて、「くっ、殺せ」と言ってみたいと言ってみるあたり、やはりソフィアは危ない人である。
一方、アタルは次からはソフィアにはぜひ笹貫レイジとバディを組んでもらおう、そうなるよう必死こいて社長に頼もうと考えている。
レイジとソフィアならまさにスナドリであり、反発しあうふたりがミッションをこなすうちにお互いの感情を隠しきれなくて、結婚して、子どもが生まれて、レイジとソフィアならばきっと子どもには声優業と狙撃の帝王教育を授けるはずだから、アタルとしては優しい親戚のおじさんポジションで、レイジとソフィアの子どもを甘やかしてやろう、レイジくんと橘さんのあいだの子どもだからメチャクチャきれいかかっこいいだろうなあ、もうスナドリの世界に入ってしまったようなものだ、とやはり鵜手羽アタルは一番危ない人物である。
次回更新は 2023/3/5 七時過ぎの予定です。
 




