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16.神さまは不公平だ

 クラブと呼ばれるのは二種類あり、ひとつはハコと呼ばれるヒップホップなクラブであり、もうひとつは狂ったように金持ちでミネラルウォーター一杯に十万円取られるクラブだ。

 後者のクラブに通えるのはごく限られた人間だ。高層ビルの百階で静かなジャズ・ピアノをききながら水に一杯十万円出す人間の宿命として、カップラーメンの値段が分からない。いくらかきくと、三千円と返ってくる。


 セールもないのにカップラーメンをふたつで九十八円で売っているスーパーを知っている鵜手羽アタルがこの水一杯十万円の世界に関わることなど絶対にない……とも言い切れない。

 ただ、彼らとはクライアントとスナイパーの関係になったことはない。ターゲットとスナイパーの関係になったことが二度あるだけだ。


 さて、水の値段で狂気の沙汰を競い合うのが、会員制クラブの性なのだが、そのクラブは一切の料金を取らなかった。

 東京の一等地のなかの一等地にあるフランス風庭園の中央にあるフランソワ一世様式のその屋敷は会員料も取らなかった。テーブルチャージもないし、善意の募金箱もない。

 いったいどうやって維持費を工面しているのか分からないが、とにかく全てが無料だった。


 ただ、会員制ではある。

 通常、この手のクラブはクラブ会員三名の推薦状と現金で五千万積んで入るものだが、このクラブは推薦状が三百枚、現金で十億用意しても、門前払いにする。

 本当に鋳鉄の門の前でお断りするから、庭園にすら入ることができない。


 会員になるには、このクラブから会員に選ばれたことを知らせる手紙が届くのを待つしかない。

 どのような要件がそろえば、手紙が来るのかは分からないが、その手紙は封筒に赤い蝋に無地の印が押されていて、フィレンツェの老舗香水店の特別調合の香水がほのかに香る。


 実はアタルのもとに、その手紙が届いたことがある。

 蝋で封じられた手紙はスナイパーズ・ドクトリンで見たことがあったが、ペーパーナイフなんて持っていなかった。アタルは、その蝋を爪でカリカリと剥がそうとして、爪と肉のあいだに柔らかい蝋が詰まるという気持ち悪いことになり、ぬるま湯に手を突っ込んで、蝋を溶かすハメになった。

 結局、端をハサミで切って、中身を取り出したが、最初の数文字に目を滑らせるなり、クシャクシャに丸めて、ノールック・バックハンドでゴミ箱に鮮やかに放り込んだ(絶え間ない訓練の成果である。同じことをスナイパーズ・ドクトリンのシーズン4のエピソード11でディミトリがやっていた)。


 おめでとうございます! あなたは厳選した抽選の結果選ばれました!


 そんなダイレクトメールをアタルは死ぬほど見てきた。人は経験に学び、素早い行動がとれる生き物なのだ。


 このクラブのある屋敷はあえて内装を未完成にしてあり、装丁してから三世紀以上経過しているモロッコ革の埃っぽいがする室内にはデザイナーの指図を待つ家具があちらこちらに白い布をかけたまま、放置されていた。

 灯はひとつかふたつ、点々と置かれた古ぼけたハリケーン・ランタンだけで、汚れた火屋越しに投げられた範囲しか物の輪郭が分からない。

 屋敷全体はほとんど真っ暗だった。


 クラブの持ち主の意図がどこにあるのか読めない暗闇の屋敷は真に偉大な人間は常識が吹っ飛んで変人の域へとダイヴすることを暗喩しているのかもしれない。

 

「それで、ジュリア。僕に用があるそうだけど」


 ランタンがひとつ、クロスをかけた丸テーブルの上に置かれていて、メカジキのソテーを静かに切っていたナイフが止まる。


「休戦協定はまだ有効かしら?」


 声の持ち主の顔は暗がりに隠れていた。


 社長は手をジャケットのポケットに突っ込んだまま、部屋の隅に寄せられた絵画の群れに目をやった。新しい木材の枠に立てかけてあり白いカバーをかけてあるので、どれがマネで、どれがゴーギャンか分からないが、この絵のなかにはラファエロが二枚あるので、MP5の弾倉一個分のパラベラム弾を浴びせれば、晴れて〈人類の敵〉として、インターポールの指名手配にかけられる。


「喧嘩するつもりはないよ。そっちは?」

「同じよ」

「昔みたいに野花の広がる土手に手をつないで寝っ転がるわけにはいかないけどね」


 女性は肩をすくめた。


「食事は?」

「ここに来る途中でブリト―を食べた。そして、精いっぱい、毎日を生きてる。僕のような中小企業経営者には厳しい世のなかさ」

「〈機関〉の申し出を蹴らなかったら、その人生も少し変わったものになるかもしれなかった」

「さほど違いはないよ。毎日、せっせと営業して次の仕事を受注するのと、国際的な暗殺シンジケートのCEOになって会社の時価総額の心配をするのと、何が違うのかな? 金額以外で?」


 ジュリア、と呼ばれた女性は暗闇のなかで首をふった。


「あなたのコードネームが〈隠者(ハーミット)〉だったのを今になって思い出したわ」

「俗世に生きることを捨てた覚えはないけど? この後、女の子と会うんだ。イチャイチャしながら女の子にちやほやしてもらうのが大好きなんだ。こんなこと言っても、気を悪くしないよね? 残念だけど、きみとイチャイチャして、ちやほやしてもらう気は起こらないんだけど、それは嫌ってる話じゃないんだよ? ただ、昔のいろいろがね。それに僕の後ろで気配殺している美人さんも。僕はおめでたい性格だけど、さすがに気配殺して、人の喉を切る専用のナイフを持ってる女の子にちやほやしてもらおうとは思っていないよ」

「ソフィア」


 ソフィアはナイフをしまって、ランタンの投げる光のなかに入ってきた。その顔が見えてくると、社長は――、


「前言撤回。ちやほやしてくれる?」

「死んで(お腹減ったなあ……)」


 小さく、ささやくようだがひんやりとした返答だった。


「『死んで』って言葉は『死ね』よりも効果が大きいね。傷ついちゃったよ」

「ソフィア。紹介するわ。こちらはグッド・キラーズの代表取締役社長さんよ」

「よろしくね。ソフィアちゃん」

「……(グッド・キラーズの社長? ってことは、この人に取り入って、思い通りに動かせれば、社長命令ってことで、アタルさまにあんなことしたり、こんなことしたり)」

「だんまりなんて悲しいなあ」

「あまり口数の多い子じゃないのよ」

「……(ふむ。乳ぐらい揉ませてやるか)」


 しばらくふたりの社長は昨今の暗殺傾向などを話しながら、昔の話を――というのも、ふたりとも暗殺者育成機関で道具扱いされた過去があったらしい――したりして、話が鵜手羽アタルのところへと行く。


 どのタイミングで社長に乳を揉ませるか考えていた、ソフィアの眉がぴくっと動いた。


「おお。アタルっちに興味があるの?」

「……少し(アタルっち!? いま、この人、アタルさまのこと、アタルっちって呼んだ!?)」

「うちの営業エースだよ」

「そう(ずるい! わたしもアタルっちって呼びたい!)」


 それで、とジュリア。


「ここからが今日の本題なんだけど――この子を業界交流ということで、あなたの会社にちょっとのあいだ、いさせてほしいの」

「……(え、そうなの? 初めてきいた)」

「もちろん、あなたがよくて、ソフィアもうんと言ってくれればの話だけど」


 社長はうんうんとうなずき、ちらりとソフィアを見る。


「僕はいいよ。ソフィアちゃんは?」

「社長のご命令であれば、わたしは……構いません(社長、一生ついていきます!)」

「じゃあ、決まりだ。こっちはいつからでもいいけど、ソフィアちゃん、準備期間とかいるよね? 一週間くらい?」

「明日から動けます(えへへー。アタルさまと同じ職場に~)」

次回更新は 2023/2/26 七時過ぎの予定です。

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