15.暗殺繁忙期
ときどきインチキ新興宗教の教祖殺害が流行ることがある。
営業攻勢をせっせと仕掛けて、ひとつでも多くの契約を取りつけ、ひとりでも多くの教祖さまを彼らの教義の上での理想郷に吹っ飛ばすのだ。
依頼者はたいていインチキに騙された被害者で、たいていの契約は即時遂行を要求する。
教祖さまの命は八百屋のピーマンみたいに、売買契約がされたその場所でやり取りされるのだ。
そんなわけで、依頼者は教団本部のそばに立つ高層ビルにいて、同じ被害者から集めてきた現金即日決済。
なかなか厚い封筒を集めてまわる、気分は怪しげな運び屋である。
「それで、使用弾頭についてのご希望ですが」
「スペシャル・ローリング・プランでお願いします」
「はい。スペシャル・ローリング・プランですね」
冷たいコンクリートの上で伏せ撃ちの姿勢のまま、アタルは薬室にアルミニウム弾頭を入れて、ボルトで閉じた。貫通力はないが、弾頭が軽すぎるため、身体のなかに入ると、インディアンのトマホークみたいに縦にまわる。ホローポイントが脳みそを吹っ飛ばすとしたら、アルミ弾頭は脳みそを掻きまわすことになる。
マインドコントロールでさんざん他人の脳みそをかきまわした詐欺師にふさわしい最期ということで、このアルミ弾頭が非常に人気だ。
アタルとしても、この弾は脳みそが派手に飛び散らないからオススメである。
「いやあ! スッとしました! ざまあみろ! 地獄に落ちろ!」
「お喜びいただけて、弊社としても嬉しい限りです」
「じゃあ、これ代金。また頼みます」
客が作業用エレベーターの扉を閉じているのを見ながら、イツカは首をかしげる。
「また頼みますって、また騙されちゃうつもりッスかね?」
「たいていはビルを出るまでに別の宗教にハマってる。お客さまは神さまのしもべだよ」
今回、アタルが狙撃に使ったのはコンチータ・バナナ・カンパニーの日本支社ビルだった。ビル全体がバナナ色の着色ガラスでできていて、光化学スモッグの日にある程度の距離を取って眺めると、巨大な黄金のオベリスクに見える。
各フロアには最低ふたり、バナナの着ぐるみを着たものがいて、このバナナはひどく反った形に無理やり人間を押し込む腰に大変な負担をかける。社員はもちろん日雇い労働者ですら嫌がるので、着ぐるみの中身はもっぱら闇金業者から仕入れている。
一階エントランスホールはバナナ農園になっていて、本物のバナナの木が何十本と生えていた。チェ・ゲバラがゲリラ戦を仕掛けてきそうな青々としたジャングルで珍しい種類の猿や極彩色のオウムが飛んでいく。
バナナ色の制服を着た美人が五人詰めている受付の上には三×十メートルの巨大な絵がかかっている。絵のなかでは黒人、中国人、シチリア人がこれ以上楽しいことはないといった表情で青いバナナを抱えて歩いている。
ブラック企業を見抜く目を養ったアタルはその絵をバナナ版ゲルニカと呼んだ。
外に出ると、オーダーメードらしいスーツを着た男がカッパ橋で購入したらしいバナナ・パフェを片手に「バナナを解放せよ! バナナの御手にすがるべし!」と大声をあげていた。
そして、先ほどの顧客が男の横にいて、両手を大きくふりまわしながら、「すがるべし!」と叫んでいた。
改心者の体は半透明になったみたいで、こめかみや前腕、頸筋、皮膚の下に青筋がクリアに見える。
人が本気で何かを信じている証拠である。
「もったほうだね。ビルから出られてるわけだし」
とりあえず、未来の顧客とターゲットになるかもしれないと思って、ふたりの写真をガラケーで撮っておいた。小さなことからコツコツの情報収集がデキる営業の秘訣なのだ。
「アタル先輩。今日はもう狙撃はなしッスか?」
「そうだね。とりあえず本社に戻ろう」
「アタル先輩。本社っていうのは支社があって初めて許される言葉ッス」
「支社はないけど、営業所がある」
「え? 本当ッスか?」
「そういえば、まだきみは行ったことなかったね。ちょうど近くにあるから行ってみよう――あ」
サッと両目を手で覆う。
そのコンマ一秒後に飛んできた三〇・〇六弾がキャデラックの後部座席から顔を出した仏教系インチキ教祖の出家頭を吹き飛ばしていた。
グッド・キラーズの仕事ではないが、マッド・マーダーズの仕事でもない。
教祖殺害シーズンはフリーランスのスナイパーも稼ぎどきで、ここで稼いでおかないと歳を越せないのだ。
「イツカくん。もう終わったかい?」
「まだッス。教祖さまの脳みそがアスファルトにべったりと――」
「解説しなくてもよろしい。僕の手を引いて、血みどろゲロゲロが見えないところまで連れて行ってくれたまえ」
「あ、掃除のおばちゃんが来たッス」
この時期の教祖狙撃ラッシュは清掃業を大いに潤す。
脳みそ除去のプロフェッショナルたちがプライドをかけて、きれいに清掃するので、仕事が終わったら、アタルでも平気で通ることができるほどだ。
「まだ? まだ?」
「いま、掃除のおばちゃんが頑張ってるッス。でも、アタル先輩。レイジっちの血みどろゲロゲロを映像で見たときは――」
「死の舞踏」
「へ?」
「レイジくんの血みどろゲロゲロは血みどろゲロゲロじゃなくて死の舞踏って呼ぶんだよ」
「その死の武闘は平気で見れたのに、これはダメなんスか? 出血量もレイジっちのほうが多かったし、胴から離れた首と手足もずっと多かったッス」
「レイジくんは特別」
「ときどきアタル先輩、おっかないとこ見せるッス」
「失礼な。僕は平和主義者だよ。メキシコの麻薬カルテルから〈エル・パシフィコ〉って呼ばれるくらい平和主義者だよ」
営業所は高層ビルディングたちの根元、指の股にあたる日照権無視上等の正午も夜みたいに暗い通りにあった。
三重の自然児千秋イツカもそれなりに社畜奉公して、世のなかの仕組みが分かってきたので、グッド・キラーズの営業所が明治神宮の近くのおしゃれな街にないことは分かっていたが、それにしても惨めな地所である。
ジメジメした板塀と木造の廃屋で構成された迷路はよそものを拒もうとしているのか、それとも逃がさないようにしているのか。
ときどき塀の割れたところからソテツだらけの誰かの庭を通ったり、腐った畳を積み上げてつくった階段で石垣を越えたりと、普通に暮らしているだけでは体験しない東京を味わうハメになる。
「わたしが間違ってたッス。帰りたいッス」
「そう悲観するものでもないよ。ここはキノコの宝庫でね。ササクレヒトヨタケやコガネキヌカラカサタケといった、残飯を日の当たらない場所に一週間放置しなければお目にかかれないキノコが『もう結構です。隣の人にあげてください』と言いたくなるほど生えている」
「東京って結構ダメダメッスね」
「伊賀にはこういう街はなかった?」
「ないッス。みんなきちんとした家に住んでるッス。道に生えてるキノコだって二時間真剣になって集めれば、晩御飯は炊き込みご飯になるッス」
「あちゃあ。どうしてきみは故郷を離れてしまったんだろうねえ」
「若気の至りッス」
「ところで、道に生えてるキノコって松茸とかも生えてるの?」
「生えてないッス。でも、シメジが生えてくることがあるッス」
「香り松茸、味ブナシメジって言うくらいだもんねえ」
「そうじゃないッス。香り松茸、味シメジッス」
「うん。だから、香り松茸、味ブナシメジ」
「ブナシメジはシメジじゃないッス」
「え? そうなの?」
「味シメジのシメジは本シメジッス。社会人のジョーシキッス」
「その本シメジってお高いの?」
「五百グラムで四千円くらいッス」
「高ッ! 高いじゃないか、イツカくん!」
「わたしに文句言われても困るッス」
「なんてことだ。香り松茸、味シメジは松茸を買えない貧乏なサラリーマンを励ますスローガンだと思っていたのに、どっちも高いんじゃ、僕らは何にすがって生きていけばいいんだ」
「エリンギなんてどうッスか?」
「土瓶蒸しにできるかなあ」
その後、アタルはこの街が『世界一、LED電球が使われていない街』として世界遺産登録を目指しているなど、きいても元気になれない豆知識を披露しつつ、ココが迷路のドンヅマリ、おかえりはアチラ、キタ道モドレの一軒家にたどり着いた。
戦前の小説家がカルモチンを飲んで自死を選んでいそうな陰気な構えで、ガラス戸のヒビにテープが貼ってあり、表札には個人の名字のかわりに『グッド・キラーズ営業所』とある。
「所長、いますか?」
すると、奥のほうから声がした。
「鵜手羽くんかね? 庭のほうから入りたまえ」
ミントとセイタカアワダチソウが種の繁栄をかけて戦う庭へとまわると、縁側で猫を膝に乗せた和服の初老の男性が「やあ」と笑いかけてきた。
「おや、新人さんかい?」
「はい。イツカくん。こちらは営業所長の兼橋さんだ。兼橋さん、こちらは千秋イツカくん。新入社員です」
「こんにちは、千秋さん」
「あっ、ハイ。こんにちは……ッス」
「まだ、うちの営業所に来たことがなかったので、顔見せに来ました」
「それはわざわざどうも。お茶の一杯もごちそうしたいところなのだけど、この通り、猫が膝に乗っていて動けない」
ちょっと太めの三毛猫が木綿の上ですっかり丸くなって寝息を立てていた。
「お気になさらないでください、所長」
「そうだ。鵜手羽くん。このあいだ頼まれた改造、終わらせておいたよ」
「もうですか? さすが速いですね」
「このくらいしか取り柄がないからね。そこの床の間のそばにあるよ」
「失礼します」
いつもアタルが持ち歩いているブリーフケースと全く同じものが置いてあり、靴を脱いだアタルは和室へ上がって、ケースを開けると、早速ライフルを組み立て始めた。
「銃身は強化セラミックに変えてある。それはNASAの研究所の他には地球上のどこにも存在していない材質でね。強化セラミックとは言っているけど、セラミックじゃない。もっと別の何かだが、何なのかさっぱり分からない。UFOの破片からつくったのかもしれない。これが今ここにあることを知ったら、アメリカ人たちはさぞ怒るだろうね」
「このあいだ、大統領の命を救ったから大目に見てくれますよ。何か気をつけることはありますか?」
「ある種の武器に潜む誘惑がある。ほら、妖刀という言葉があるように、この材質は恐ろしく体になじむ。きみも感じないかい? 今日初めて触ったはずなのに、まるで太平洋戦争のあいだ、ずっと使っていたみたいな気持ちにさせられる。ガダルカナル、タラワ、ペリリュー……」
「なんだかしてはいけないことをしちゃいそうになりますね……あれ? イツカくん、いつもなら『サラリーマンでスナイパーな時点で、もう既にしちゃいけないことしてるッス』ってツッコむところじゃないのかな?」
「あ、いいえ……ッス」
「おや。本調子じゃないみたいだね。所長。これ、持ち帰っても?」
「もちろんだよ。それとそっちのほうは預かろう。調整しておくよ」
「はい、ありがとうございます。それと兼橋さん、香りマツタケ?」
「味シメジ」
「シメジって何だと思います?」
「ん? ブナシメジだろう?」
「どうなんだっけ、イツカくん?」
「え、と。シメジはブナシメジじゃなくて――」
「あ、もしかして違うかな」
兼橋さんがちょっとしょんぼりする。
「ブナシメジッス! シメジと言ったら、ブナシメジッス! そうじゃないって言う人の気が知れないッス」
「そうかあ」ぱあ、と兼橋さんの顔が明るくなる。「やっぱりそうか。わたしはブナシメジに目がなくてね。あの若干のプチプチ感が好きなんだ」
腐った塀とキノコの迷路を帰る途中、アタルはニヤニヤしながら言った。
「きみ、分かりやすいね」
「ああ、その通りッス。渋いロマンスグレーのおじさまが好きッス」
「開き直ったね」
「でも、安心していいッス。アタル先輩は射程外ッス。見た目十四歳の中身二十七歳のおっさんに興味はないッス」
「おじさまとおっさん、使い分けてる?」
「素敵な中年がおじさまで、ダメダメ中年がおっさんッス。アタル先輩、選考の結果、アタル先輩がおっさんに内定したことをお知らせするッス」
「失敬な。僕はまだ二十代だよ。……そういえば、僕は内定ってもらったことないんだ。あれってどうなんだろう?」
「え? 内定もらったことないんスか? サラリーマンの権化みたいなアタル先輩が?」
「社長の前で狙撃をして、即採用だから内定をもらったことはないんだ。試用期間すらなくて、普通に正社員ばりにこき使わされたよ。ああ、でも、内定を複数もらって、どこに行こうか悩むのに憧れるんだよね。きみは?」
「わたしは内定もらったことがあるッス」
「え? 社長から内定もらったの?」
「もらってないッス。ここに入る前にもらったッス」
「どこから?」
「CIAッス」
「……」
「……嘘じゃないッスよ?」
「どうしてCIA蹴ったの?」
「英語が話せないからッス」
「じゃあ、どうしてCIAから内定もらえたの?」
「こっちがききたいッス」
グッド・キラーズに戻ると、何人かの暗殺社員たちが教祖抹殺のハシゴをさせられて、机に突っ伏して眠っていた。ホワイトボードには〈起こすべからず〉と書いてあったが、どうして熊谷部長が業務時間中の居眠りを許しているのだろうと思っていたら、労基の管理職研修に出ていたからだ。
「アタル先輩。熊谷部長のところに書いてある『NR』ってなんスか?」
「ノー・リターン。直帰だよ」
「ほへー。なるほどッス。じゃあ、『OB』は?」
「オーケー・ベイビー。残業百時間を超えると誰かが油性マジックで書く」
「全然、オーケーじゃないッス。あ、社長のところにも何か書いてあるッス」
ホワイトボードの、社長の顔をデフォルメしたニコニコマークがつけてあるところには『MM NR』とあった。
「MM。どこの労基かな」
「ミリメートルかもしれないッス」
「ミリメートル・ノー・リターン。何となくミクロの決死圏を思い浮かべるね」
「帰ってこなかったら、どえらいことになるッス」
「……」
「どうかしたッスか」
「MM。ひょっとして、マッド・マーダーズの略かも」
「……」
「……」
「……」
「なわけないよねーっ!」
「シャチョーに限ってそれはないッス。笑い過ぎてお腹がよじれるッス」
「資本規模も支社の数も社員の数も福利厚生でもお話にならない大企業にあんなお気楽極楽な社長がアポとれるわけないよねー。ああ、笑ったらすっきりした。笑いっていうのは意外とサラリーマン・メンタルによい効果をもたらすね」
「どうせ、新しいキャバクラか何かの略ッスよ。ところで、アタル先輩。どうして、さっきからあそこで疲れて眠ってるレイジっちのことについて何も言わないんスか?」
ぶくぶくぶく!
「あー、寝顔が尊すぎるから、あえてシャットアウトして自我を保とうとしてたッスね。じゃあ、千秋イツカは牛丼屋にいってNRするッス。また、明日ッス」
次回更新は 2023/2/19 七時過ぎの予定です。




