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14.リアル・ディミトリ

「サラリーマン・スナイパーになりたいんです」


 翌日、グッド・キラーズ本社までやってきた笹貫レイジはそう言った。


「え、え、え? サラリーマン・スナイパーに?」


 アタルはレイジが「ホオジロザメの餌になりたいんです!」と言ったかのごとくきき返す。


「でも、その、サラリーマン・スナイパーをやったら、本業に影響しませんか?」


 アタルの問いかけはサラリーマン・スナイパーは副業であるという斬新な労働前提からこね上げられていた。


「そのことなら大丈夫です。おれは声優業を引退いたしますので」

「ええーっ!」


 それはアタルにとって、スナイパーズ・ドクトリンの最終回を意味し、残業や休日出勤に耐え、明日を生きるための原動力が消滅することを意味していた。


 もちろん、アタルは破滅的事態を避けようと努力する。


「だ、大丈夫です! うちは副業可ですから!」

「そうだったっけ?」と、社長。

「そうです! いま、この瞬間から! いいですよね、社長!?」

「うーん。熊谷部長がいいって言えば、構わないけど」


 アタルは財布をポンとイツカに持たせた。


「イツカくん。魚屋にひとっ走りして、このお金でノルウェー産高級サーモンを尾頭付きで買えるだけ買ってきたまえ!」

「御意ッス!」


 イツカが魚屋へ行っているあいだ、アタルはどうしても確認しないといけないことに気がついた。


「あの、こんなこと言うのは何ですが、マッド・マーダーズじゃなくて、うちでいいんですか?」

「はい。目指すスナイパーはアタル先輩ですから!」


 アタル先輩。

 同じ言葉でも言う相手が違うだけで、輝きが違う。


 ともあれ熊谷部長を鮭で買収し、社内規定改訂のための会議をして、株主総会による決議も終え、さらにそれが地球規模のSDGsの追求になると必死になって説得して、笹貫レイジにはサラリーマン・スナイパーと声優業の二足の草鞋を履いてもらうことになった。


「じゃあ、レイジっちも今日からうちの社員ということで。よろしくね。レイジっち」

「よろしくお願いいたします!」

「社長」

「ん、何かな、アタルっち?」

「なんで社長が社長なんですか? なんでレイジくんが社長じゃないんですか?」

「ええー。そんなこと言われても。僕、この会社の株式全部持ってるのに」


 さて、仕事を覚えてもらうためにレイジはアタルについて、営業の勉強をすることになった。


「うちは飛び込み中心の工夫ゼロ疲労ガチマックスの営業なんだけど」

「平気です。下積みですから!」


 アタルとレイジが早速分解したライフルを入れたカバンを持って、ホワイトボードに〈外回り〉と書いて出かけていく。


「イツカっち、イツカっち」と、社長が手招きする。

「なんスか?」

「あのふたりをちょっと尾行してみてくれない?」

「いいッスよ」

「何かあったら、電話してね」

「御意ッス!」


 さて、初めての営業が始まって、十分もしないうちにイツカから社長のもとに電話がかかってきた。


「シャチョー、大変ッス! アタル先輩が泡を噴いて倒れたッス!」

「やっぱり。何があったの?」

「何にもないッス。ただ、レイジっちが電車の切符を買っただけッス」

「それだけ?」

「それだけッス」

「うーん。先が思いやられるね。ありがと。引き続き監視して」

「御意ッス」


 今度は三十分後。


「シャチョー、またアタル先輩が泡を噴いて倒れたッス」

「今度はなに?」

「レイジっちが自動販売機でコーンポタージュを選んだッス」

「それだけ?」

「それだけッス」

「アタルっち。外回りの途中で死んじゃわない? 一応、いつでも救急車を呼べるように待機しておいて」

「御意ッス」


 今度は二時間後。


「シャチョー、またまたアタル先輩が泡を噴いて倒れたッス」

「もう、何があっても僕は驚かないよ」

「でも、今度は情状酌量の余地ありッス。レイジっちがアタル先輩に絡んできた当たり屋のチンピラを一瞬で倒したッス。もちろん血は一滴も流れないよう工夫してッス」

「それはかっこいいね」

「かっこいいッス」

「でも、アタルっちは泡を噴いて倒れたわけだ」

「ままならないッス」


 一時間後。


「シャチョー、泡ッス」

「くわしくどうぞ」

「中華料理店でのチャイニーズ・マフィアとの交渉の席をレイジっちにお任せしたッス。そうしたら、アタル先輩が『シーズン2のエピソード3』って連呼して倒れたッス」

「たぶんシーズン2のエピソード3でそんなシーンがあったんだね」

「そうッスね」


 それから四十五分後。


「泡」

「ん」

「牛丼」

「ん」

「ッス」


 業務終了五分前。


「今日一番の泡ッス」

「ふむふむ」

「レイジっちが今日一日、髪をおさげにしてたのに気づいて慌てて切ろうとしたッス」

「それでどうなったの?」

「人間ってあんなにがっちりハサミ握ったまま、泡を噴いて失神できるんスね」

「動画撮った?」

「ばっちりッス」

「後で見せて」

「御意ッス。シャチョー、これって研修になってるッスか? というより、アタル先輩の身がもたない気がするッス」


 まあ、でも、慣れたらさ、と社長。


「きっとアタルっちのことだから、制作現場裏話をきかせてくださいとか台詞を読んでとかってきかなくなると思うし、これはこれでいいのかもしれないね。やっぱりアタルっちの永遠の相棒はイツカっちってことだね」

「アタル先輩が申し訳ッス」

「でも、レイジっちの経歴みたんだけど、役のために、本当に特殊部隊並みの訓練をして、狙撃の訓練も受けてるんだね?」

「アタル先輩はそこが深いって言ってたッス」

「ふむむ。イツカっち。レイジっちの運用について、僕にいいアイディアがある」

「アタル先輩が泡を噴かないアイディアッスか?」

「ん~、噴くかもしれないし、噴かないかもしれない。ものすごーく非難されるかもしれないし、それはそれでありだなって納得してくれるかもしれない。そんなわけで僕は〈ペイルライダー〉に寄って、直帰するよ。アタルっちによろしくね」


 翌日、今日も笹貫レイジと仕事ができるぞとホクホク顔で出社してきたアタルを待っていたのは黒い戦闘服に身を包んだ笹貫レイジの姿だった。


「リアル・ディミトリ!」


 ぶくぶくぶく!と倒れて、また天国の門のそばに行くと、以前会った、大きな鍵を腰から吊るした不機嫌な老人が待っていて、「また来やがったな!」と嫌がるアタルの襟ぐりをつかんで、口にタバスコを流し込んで、雲の上から蹴り落とした。


 アタルはドラゴンみたいに火を吹きながら、現世に戻ってきた。ただ、あの不機嫌な老人が持っていたのはごくありふれた赤いタバスコだったのに、社長が持っていたのは緊急蘇生用の医療用ハバネロだった。


「これってパワハラですか?」

「だって、このくらいしないと生きて戻ってこれないでしょ? ほらほら、レイジっちをよーく見て?」

「シーズン3のエピソード7でタンザニアの国防長官を狙撃したときのコスチュームです。こんなふうにディミトリの、体は細いけど、必要な筋肉がしっかりついているのがバッチリ分かるようにぴったりしてて――」

「もっと末端を見てほしいんだけどなあ」

「かっこいいブーツですよね。オリジナルと違いますが。社長、いい趣味です」

「そうじゃなくて、上半身の末端。指先」

「……社長、シザーハンズ見ました?」

「惜しい。カリオストロ」


 ちょっと恥ずかし気にしている笹貫レイジの手は鋼鉄の小手に包まれ、その指先には刃渡り十七センチの刃がついている。


「いやあ、夢だったんだよね。近距離専門の切り裂き系暗殺者を社員にするの」

「これじゃレイジくんがライフル使えないじゃないですか!」

「『レオン』でも最初はナイフで、最後はスナイパーライフルって言ってたよ」

「逆です。最初がスナイパーライフル。腕が上がったらだんだん近づいて、最後がナイフです」

「まあ、うちはそういうことなんで。それに考えてみてよ。レイジっちが銃を持った敵の攻撃を鋼の小手で防ぎながら、距離を詰めて、複数の敵を次々と切り裂いて、切り裂いて、切り裂きまくるの」

「……」

「どう?」

「ありよりのありですね」

「でしょ?」

「アタル先輩、質問があるッス」

「なにかな、イツカくん」

「アニメって血が出ますよね」

「そうだね」

「スナドリで流血シーンはあるッスよね?」

「あるね」

「泡は噴かないッスか?」

「だって、あれはアニメだから」

「おー」

「内臓が出ることもあるけど、平気だよ」

「そのシーンみながら、モツとか食べられるッスか?」

「スナドリ鑑賞中は飲食禁止」

「あー」


 まあまあ、と社長。


「ときどき、アタルっちの営業についていかせるから」

次回更新は 2023/2/12 七時過ぎの予定です。

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