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13.マクシモ・〈マックス〉・ゴメス・ピエラーダを守れ!

 環状線と地下鉄は政治家とマフィアみたいなもので、片方は地面を、もう片方は地下で同じ道をたどっている。


 環状三号線(政治家)は浜松町にぶつかって消えるが、地下鉄(マフィア)日比谷通り(別の政治家)に乗り換えて、しぶとく生き続ける。


 そんな環状三号線のおしまいには芝公園がある。

 都心の一等地を遠慮なく占拠する植物たちは寺や神社、野球場、ホテルやタワーマンションなど様々な施設を飼っている。

 一番有名だった東京タワーは二年前の台風十九号がきれいに持ち去ってしまったのでもうない。ただ、東京タワーの亡霊が首都高から見えたりすることはあるらしい。


 さて、このように様々な施設を擁する芝公園だが、四つの教科書倉庫ビルがあることはあまり知られていない。


 アタルとイツカは管理費だけで二十万円をかっさらっていく恐るべきタワマンの屋上から四つの教科書倉庫ビルを見上げていた。


 タワマンは最上階が三十階。教科書倉庫ビルはどれも四十五階以上の高さだ。


 恐るべき東京のモノリス。

 そして、暗殺者候補のうち、四人、アタルがつけたコードネームによれば〈ブース〉〈ギソー〉〈チョルゴッシュ〉〈オズワルド〉が四つの教科書倉庫ビルの窓のそばにバラバラにいる。


 誰が暗殺者なのか、まだ情報が来ていない。


「これ、四人全員、正解だったってオチかもしれないッス」


 双眼鏡で教科書ビルを見上げているイツカはビル風が運んできた歓声に「んっ?」と反応し、谷底の環状三号線へ視線を下ろす。

 屋根のないキャデラックの後部座席から手をふるゴメスがいた。丸い眼鏡をかけ、前世紀っぽい古風な口ヒゲは白く、体は小さい。


「あんま、マッチョとか関係なさそうッスね」

「内面の問題なんじゃないかな」

「心臓に毛が生えるやつッスね」

「ぱっと見たところ、うちの大家に似てる」

「メンシェヴィキみたいッス」

「え? なんだって?」

「メンシェヴィキ」


 アタルの頭のなかではごく薄いクレープを何枚も重ねたケーキみたいなお菓子がセーヌ川沿いのセピア色で思い浮かんだ。


「ロシア社会民主労働党が分裂したときの社会主義右派の派閥ッス」

「……イツカくん。五×六は?」

「五十六ッス」

「七×二は?」

「七十二ッス」

「九×九は?」

「九十九ッス」

「ありがとう。心の平穏が保てそうだよ」

「よく分からないけど、どういたしましてッス」


 アタルは緑色の貯水タンクの上でほとんど仰向けになって、一番怪しい〈オズワルド〉を狙っていた。サラリーマン・スナイパーの勘で一番怪しい人物に〈オズワルド〉の名を冠することを許したわけだが、このオズワルドはバイオリンのケースを開けて、何かを組み立てている。


「これは〈オズワルド〉で決まりかな」

「あ、アタル先輩! 〈ブース〉に動きありッス!」

「なんだって? ――あれは花瓶か?」


〈ブース〉は花瓶を逆さにして、花と一緒になかの何かの部品を取り出そうとしていた。

 もしやと思って、〈ギソー〉を見ると、巨大なブルーベリー・マフィンを切り分けて、こちらも隠していた何かの部品を組み立てている。

 彼ら全員がスナイパーだとするなら、〈チョルゴッシュ〉は過激派の名を冠するにふさわしい隠し方をしていた。時限爆弾のなかに隠していたのだ。


〈オズワルド〉はライフルを完成させていて、ガラス切りで窓ガラスに穴を開けようとしている。


 そのとき通信機が耳元でザラザラ紙やすりを合わせてこするような音を鳴らした。


『鵜手羽! 全員だ!』


 波多野の声をきくや否や、カシュッと控えめな銃声がして、毒薬入りの注射器が〈オズワルド〉が開けた穴から、その首元へと飛び込んだ。

 優れたサラリーマンは優れたルーチンを開発するもので、このときのアタルは窓を相手に開けさせてからの狙撃を繰り返し、三十秒後には〈ブース〉〈ギソー〉〈チョルゴッシュ〉が床に倒れて痙攣しながら細かい泡を噴いていた。


「波多野さん。こちら、鵜手羽です。四人全員、処理しました」

 

『四人? 五人じゃなくてか?』


 考えてみると、もし五人目がいるのなら、狙いやすいよう、アタルとイツカがいるタワマンの屋上へやってくるのが合理的だ。

 だから、狙撃ポイントにいるふたりの邪魔者を背後から襲おうとしても、さほど不思議ではない。


「アタル先輩、見ちゃダメッス!」


 イツカと五人目との格闘が始まるが、アタルはというと、きつく目をつむっていた。

 イツカの拳のいいのが一発、相手の顔のど真ん中に入り、鼻が砕けて鼻血が止まらなくなったのだ。


 カンフー映画のごとき鋭い呼吸音がそれから続き、アタルは目をつむったまま、援護射撃を試みる。


「イツカくん! 場所を教えてくれ!」


 くノ一とプロの殺し屋の激しい戦いへ目をつむったままの狙いをつけるのは思ったより難しい。それに肝心の指示が――、


「もうちょい上! 左ッス! 気持ち右っぽい左ッス! あ、やっぱ下! いや、上、めっちゃ上ッス!」


 そのうちナイフが鞘をこすって抜き放たれる音が二度した。キヒヒという笑い声も。


 間違いなく五人目は両手にナイフを持って、まずイツカを、次にアタルをアジのたたきみたいにしてしまおうとしている。


 こうなったら、イツカに当たるのを覚悟で撃ってしまおう。

 心配いらない。彼女も健康保険に入っている!


 アタルはボルトを引いて、即死性の注射弾を抜き取り、普通のライフル弾を込めようとした。

 指が弾の尻の刻印に触れて、気がついた。持っている弾は〈ペイルライダー〉で大人買いしてゲットしたスナドリ限定.308ウィンチェスター弾だということを。


 自分の親を薬室に装填してもこれほど心が引き裂けることはないだろう。

〈ペイルライダー〉のバイト店員から「うちの店はこれが最後の一発」と言われた限定.308ウィンチェスター弾を込めようとするのだが、手が震えて動かない。


 アタルのなかの天使と悪魔がメキシカン・スタンドオフをしていて、百年経っても動きがない均衡を作ってしまったのだ。


 こうなったら、アタルの精神に大きな影響を与える外的刺激がないといけない。


「正面、右二十七度、銃身を三度上げるんだ!」


 非常に耳に入りやすい男性の声がそう言った。


 それは一切の未練を切るマンダラのごとき一声だったので、限定.308ウィンチェスター弾は薬室に滑り込んで、ボルトが閉ざされ、指示に従って秒速九百四十メートルの速さで放たれ、SunaDori!と刻まれた弾は五人目の眉間を貫いた。


「アタル先輩。まだ目を開けちゃいけないッス」

「血みどろゲロゲロ?」

「ゲロゲロッス」


 五人目の暗殺者の死体をブルーシートでくるみ、やっとアタルは目を開けられた。

 真っ白に面食らって、色彩は叩き出され、時間とともにゆるゆる戻ってくる。


 すると、背の高い、髪の長い青年の姿が目に入った。


「すいません。弊社の社員がお世話になりました」

「いえ。おれも助けてもらった身です」

「うん。助けて?」


 そこで気がついた。ゴディバ立てこもり事件の人質のひとりだ。


「奇遇ですね。どうしてここに?」

「すぐ下がおれの家なんです」

「家? タワマンの最上階角部屋が家? ひぇっ、ひゅっ、ひぇっ、ひゅっ」

「あ、あのっ。大丈夫ですか?」

「サラリーマン拒絶反応が出ただけッス。弊社の先輩が申し訳ッス」

「……失礼しました。もう大丈夫です。考えてみれば、ゴディバのカフェにいたのですから、なるほど、タワマンの最上階も納得です。すいません。お礼がしたいのですが、お名前をうかがえますか」

「はい。笹貫、――笹貫レイジといいます」

「笹貫レイジさん。奇遇ですね。今季覇権アニメ『スナイパーズ・ドクトリン』で主人公のディミトリを演じている、類まれなる唯一無二の声優さんと同じ名前です」

「あ、あの、それなんですけど」


 すると、青年は眼鏡を取り、髪を少し分けて、恥ずかし気な顔の横に垂れる髪をちょっとねじって見せた。


「え、と。それ、たぶん、おれのことです」


 お、おおー、とイツカが感心する。


「東京に来て、初めて芸能人に会ったッス。意外と遭遇しないもんなんスね。芸能人。でも、アタル先輩、よかったッスね。夢にまで見た笹貫レイジを至近距離ッス」

「……」

「アタル先輩?」


 ぶくぶくぶく!


 いろいろなものがキャパをオーバーしたアタルは哀れ、泡を噴いて卒倒した。

 しばらくして意識が戻ると、笹貫レイジのおろおろした困り顔がアタルを見下ろしていて――、


 ぶくぶくぶく!!!

次回更新は 2023/2/5 七時過ぎの予定です。

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