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プロローグ:お通しを前にして

 要するに人間のクズだった。

 すがすがしいまでにクズだった。

 いや、すがすがしくはないか。


 十九のガキんちょ。ポルシェを運転。未成年で酒気帯び。ひき逃げ。

 父親は大物政治家で事件はもみ消され、形だけの裁判で無罪が決まる。

 本人も反省しているとか、社会的制裁はもう十分に受けたとか。


 だが、裏口で入った大学は退学していないし、報道では実名は出ていない。

 と言っても、親が親なので身元はとっくにバレているが、それで何かされたということはない。


 権力万歳。


 クソガキは退廷するとき、遺影を抱えて呆然とする父親をあからさまに嘲笑った。

 裁判所の前はマスコミ関係者が詰めている。まあ、あと一か月くらいはマスコミがクソガキとクソガキの父親にまとわりつくだろう。

 だが、もうじき日本シリーズも始まるし、一か月後にはアイドルの家からマリファナが見つかって、彼は忘れさられる。


 裁判所を出ると、マスコミが殺到する。


「被害者の遺族に何かひと言!」

「いまの心境をひと言!」


 激しいフラッシュ。人殺しと罵る声。なんとでも言えばいい。最後に笑うのはこのおれだ。

 ポルシェも親父に新しいのを買ってもらえるし。

 いや、今度はフェラーリにしてもらおうか?


 警官たちは人込みに自分の体を押し込んで、道を開け、あらゆる質問を弁護士がかわりに応対する。


 ただ歩いてリムジンまで歩くだけの簡単なお仕事です。ギャハハ。

 笑っているから、なんだ? 誰もおれには逆らえな――、


 ポン!


 アメリカ製のタフなフーセンガムが割れるような音。


「きゃああああ!」


 顔を真っ青にした女性記者が指差す――弾け飛んだ後頭部から脳漿をまき散らすクソガキ。


 悲鳴。転倒。血だまりのクソガキ。慌てる人びと。

 まわり続ける生放送のカメラは人間の体のなかにはこれだけの血が入っているのかと思えるくらい血が流れるのを映す。

 立派な、これ以上ないほど立派な放送事故。


 おかげで、全てのキー局の夕方のニュース番組はコスモスの花咲く『しばらくお待ちください』映像を三十分も流し続けるハメになった。


 裁判所の前の騒乱から五百メートル離れた位置に立つ、世界的に名の知れた電子機器会社の世界的に名の知れた本社ビルの自動ドアが開き、ひとりのサラリーマンが黒いカバンを片手にガラケーで通話しながら、あらわれる。


「はい――はい、部長。ただいま終了しました――はい――ええ、きっと先方にもご満足いただけるかと――え? 僕ですか? 大丈夫です――はい――時間も遅いので予定通り直帰いたします――はい。――成果報告書は明日提出します――では、また明日――はい、よろしくお願いします」


 ピッ。

 ガラケーをベルトにつけた専用ホルダーに納め、ふう、とため息をつく。

 そして、ズボンのポケットの小銭入れから百円玉を一枚取り出して、近くの公園へ。

 きょろきょろとあちこちを見まわし、やっとのことで百円自動販売機を見つけると、マイナーなブランドの缶コーヒーを買う。


 ベンチに腰を下ろし、夕暮れの気配迫る暗がりの心地よさにまったりしながら、コーヒーを飲む。


「……」


 ……甘い。甘すぎる。


 サラリーマンは缶を見た。目を細めた。確かに微糖と書いてある。

 これは八番目の世界七不思議だが、百円自動販売機が売るコーヒーは微糖と表記しても絶対微糖にはなっていない。

 いったいなぜなのだろう。それを解き明かし、糾弾し、百円自動販売機愛好家にも微糖を味わう権利を勝ち取ってくれる名誉の人はいないのだろうか?


 じゃあ、お前がやればいい?

 いやいや、こちらはごく普通の、でもちょっと仕事ができて、営業成績が一位より下に落ちたことのないサラリーマンというだけだ。

 飲料業界を敵にまわして、大立ち回りするなんてとてもではないが――。


 気づいてみれば、時計の針は六時をまわっている。

 西に立つビルのあいだには灰と紫に霞む残照がこずんでいるが、それなりに明るい。


 こんな時刻から居酒屋でひとり飲みを敢行するのはさぞ楽しかろう。

 別に高い店じゃなくてもいい。チェーン店でもいいじゃないか。

 問題は大勢の社畜諸君がデスクから離れること許されぬまま、働き方改革も何のそののサービス残業序曲を奏で始めるこの時刻に生ビールを中ジョッキでいただくことに意味がある。


 商業ビルが立ち並ぶ一画から街道を挟んだところに居酒屋街がある。

 彼は真っ先に目についたチェーン居酒屋〈どんぱち〉に入り、お一人さまを表す人差し指を立てる。


 すると、バイト店員で金髪のあんちゃんは「ん?」という顔になる。

 ああ、これだから普段行かない居酒屋は嫌なんだ。

 彼は童顔だった。居酒屋に行くと必ず身分証の提示を求められるくらいの童顔だった。

 背も低くて、ちょっと細すぎるせいだろう。


 それで彼が二十七歳であることを証明する運転免許証を渡すのだが、ここでも一波乱ある。


「鵜手羽アタル?」


 あんちゃんの「ん?」は「んん?」に格上げする。「これ、本名っすか?」


「本名です」

「なんて読むんすか?」

「〈うてば〉と読みます」

「うてば……鵜手羽うてば……んんんん?」


 そのうち、?の前に「ん」が二十個くらい並ぶことになりそうだ。


「とにかく、その、僕が成人だってことは分かりましたよね? これでいいですか?」

「ちょっと店長を呼んできます」

「いや、そんな大げさなことじゃなくて」

「店長ーっ!」


 まだ時間がはやいので店はガラガラ。店長はすぐにやってきた。


「店長。こちらのお客さんなんすけど、ちょっと中学生っぽいんす」


 中学生! 中学生に見えたんか!? テロ、疫病、食糧問題――世界は確実に悪いほうへ転がっている。これまで未成年に間違えられたとき、たいていは高校生だったが、ここにきて、中学生とは。


「どれどれ……って、ありゃ? 鵜手羽さんじゃないですか?」

「え? あ、佐上さん」


 やってきた店長というのが近所にある同一チェーン店の店長だった佐上だった。


「いや、これはすいません。おい。加崎。この人は大丈夫だ」


 やっと席に通される。バイトのあんちゃん加崎は申し訳なさそうにお通しを持ってきた。鮭の白子のねぎポン七味。


「店長が鵜手羽さんの大好物だから持っていけって。もちろん無料っす。ほんとすいませんっした」


 普通に出すお通しよりもずっと手の込んだもの。佐上さんの気遣いがありがたい。

 金髪のあんちゃん加崎さんだって、こうして見てみるといいやつだ。

 佐上さんもいることだし、この近くで飲むときはここを利用しようと思った。


「それでご注文はお決まりすか?」

「とりあえず生中」

「生、中ジョッキ入ります!」


 あんちゃん加崎の声がガラガラの店内によく響く。


 じゃあ、佐上さんのお気遣いをいただこうかなと箸を手に取ったとき、ベルトの専用ホルダーに入れたガラケーが震えた。見れば、部長からだ。


 すごく嫌な予感がする。すごくすごく嫌な予感がするが、電話に出た。


「はい。鵜手羽です。――はい、もう帰る途中で、――え? 追加の仕事ですか? でも、僕、今日はもう上がってしまって――いや、そんな、――ええ? それなら先ほど言っていただければ、一緒に済ませることが――あれ、部長? もしもし? もしもーし!?」


 切れた電話をホルダーにしまうと、あんちゃん加崎が立っている。


「……すいません。生中、やっぱやめで」


 せめて、お通しの代金だけでも払おうとしたが、店長の心づけっすので、と、あんちゃん加崎は断った。

 アタルのことを中学生と見間違えたので、出だしはあまり良くなかったが、このあんちゃんはすごくすごくいい人だ。

 きっとこんな感じで企業戦士たちがお通しを前にしてブチョーと呼ばれる人類の無茶ぶりを食らい、まるで遠隔操作されてるみたいに会社へ引きずり戻されるのを何度も見てきたのだろう。


 ……また来よう。





 カバンを開ける。

 いつも使っている薄型ノートパソコンを横に動かし、ジッパーで二重底を開く。

 そこにはいくつかの金属部品とプラスチック部品が無駄のない収納スキルできれいに収まっている。

 それらの部品を組み合わせる。

 規則正しく、まわし、差し込み、カチッと音がなるまで押さえると――、


「これでよし」


 シャープなシルエットのサイレンサー付きスナイパー・ライフルが完成する。


 ハンカチをひろげて、その上に腰を下ろし、立てた膝に銃身を乗せる形で狙撃姿勢をとる。


「ふ、ふぁ――っくしょん!」


 もう十月。日が落ちると意外と冷える。

 特に屋上は冷える。風を遮るものがない。


「っくしょん! っくしょん!」


 狙撃に取りかかってから、くしゃみをしても困るので、先の分のくしゃみもしておく。

 まあ、寝だめみたいなものだ。


 スコープのなかには赤坂の老舗料亭〈残月〉の行灯が見える。庭のなかを照らす黄色い光が点々としている。

 残月は敷地にひとつ竹藪を持っていて、竹に囲まれた離れがターゲットのお気に入り。


 アタルが侵入した雑居ビルの屋上からターゲットのいる料亭まで四六〇メートル。東の風が二キロ。


 ターゲットはあのクソガキの父親である衆議院議員。


 正直、言いたい文句はいろいろある。

 クソガキを狙撃した時点で言ってくれれば、あの場で父親も後を追わせることはできた。

 今日やってる残業はまったくの無駄残業だ。


 もちろん会社はいま、なかなか厳しい競争にさらされていて、明らかに苦し紛れな『いま殺せば、半額でもうひとり!』キャンペーンを打っている手前、「やっぱ親父も地獄に送ってくれ」と注文が出たら、対応せざるを得ない。


 だが、バックアップが雑居ビルの屋上の合い鍵だけで、スポッターもなにもつかない狙撃をいきなりやれと、それも就業時間外にやれと言われるこっちの身に――。


 そのとき、ターゲットが料亭の庭にあらわれる。

 着物の女中に案内される形で竹藪の離れに向かう。竹藪はよくない。

 あんなところに入られたら撃てない。そうなったら、ターゲットが帰宅するまで、ここでこの座射の姿勢を五時間かそこら取り続けないといけない。

 くしゃみも出るだろう。風邪もひくだろう。

 お尻がコチコチに凍るかもしれない。屋上の床は馬鹿に冷たい。


 となれば、やることはひとつ。


 社是――ワン・ショット、ワン・キル。契約の履行は迅速に。


 調整済みのスコープの十字線がターゲットの額を捉え、アタルは引き金を絞る。


 パシュ!


 本日の時間外労働、これにて終了。 

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