他の人に取られるのは嫌
次の日の夜、翔太にメッセージを送った。
なんて打つか迷いに迷って、結局素直な気持ちを書いた。こういう時に変に誤魔化したり良い人ぶるのは良くない。
ただでさえ行き違いがあったのに。
翔太とは言葉も気持ちの確認もないまま、すぐに大人の関係になってしまった。
それで最後に会った時まで付き合っているのかずっと悩んでいた。
だから『言葉が欲しい』と伝えたつもりだった。
はっきりしない関係が続いていたから、あの日の朝は勇気を出して確認した。
ちゃんと『私たちの関係って何?』と、はっきり聞いた。
だけど、翔太に答えをはぐらかされて、その上『酔った勢い』とまで言われて、私は翔太にとって都合のいい女だったんだと思い知った。
これには認識の違いがあったようだけど、あの瞬間に私の気持ちは一気に冷めてしまっている。
だから、関係を続ける事はできないし、もう会えない。
―――と言う内容で。
最後に[一方的にごめんなさい。今までありがとう。さようなら]と添えてメッセージを送ったら、返事は来なかった。
なかなか返事が来ないなと思って、翌朝アプリを確認したら既読は付いてたから、見たのは間違いない。
こちらの気持ちはわかってくれたはずだ。
返事が欲しかった訳ではないけど、[分かった。さようなら]なり[こっちこそごめん]なりあってもいいんじゃないかなと思ってしまった。
名前のつくような関係性ではなかったけど、短くてもそれなりに付き合いはあったのだから。
そんなところにもまたガッカリしてしまった。
でも、彩乃の言った通り、早めにわかって良かった。
ずるずると関係を続けていなくて良かったのは確かだ。
◇
今日は彩乃といつものお店に飲みに来ている。
通い慣れているから居心地のいいお店。
ちょこちょこつまめるおつまみメニューが充実しているのも気に入っているポイント。
「莉子、新と何かあった?」
「なんで?」
「会社を出入りする新の顔が怖い。昨日今日はまた機嫌が悪いみたいだって噂になってるよ。ここ二、三週間は随分と機嫌が良さそうだったから、新狙い勢の間で噂になってた。元々愛想を振り撒くタイプじゃないから余計にそう見えてるんだろうけどね」
受付をしている彩乃は社内の噂を仕入れてくるのが早い。
だから本当にそんな噂があるのだろう。
後藤の機嫌の悪さは私が原因とは限らないと思うけど。
翔太にメッセージは送ったけど、後藤に連絡を取るのを躊躇っている。
あっちが片付いたからってすぐに後藤に連絡を取っていいのか。
それはあまりにも都合が良すぎないか。
強かで浅ましすぎるのではないか。
そんなことを考えて、連絡できないでいる。
それに後藤に惹かれ始めているのは自覚してるけど、なかなかそれを素直に認められない自分がいる。
長年の後藤への苦手意識がそうさせるのか……。
私、こんなに天邪鬼な性格ではなかったと思うんだけどな。
「……後藤と飲みに行こうとしてた時に、駅で翔太と偶然会ったんだよね」
「臼井翔太?酔った勢いの?」
「言い方よ……。まぁ、その人」
「で?」
「付き合ってると思ってたって言われた。後藤にも俺が彼氏なんだからって言ってて」
「は?いまさら?」
彩乃が盛大に顔をしかめた。
信じられないという顔をしている。
次に言うことを聞いたらもっと嫌がりそうだ。
「駅で結構大きい声でセフレだったのかって言われたりして。後藤がいたからその場から離れられたんだけど。翔太には連絡待ってるって言われて」
「なにそれ?駅でセフレとか、最っ低!縁切って良かったよ!」
「……うん」
「え?何、もしかして再会して再燃したわけじゃないよね?」
「まさか!」
さすがにそれはない。
その後の展開について、彩乃に話すべきか迷っただけ。
「それで?新とどういう関係が?」
「――で…………えっと…………」
言いたい。相談したい。
さっきまで聞いてもらうつもりだった。
だけど、人の気持ちを勝手に話すのはだめだと急に思った。
「……あ、わかった。新から告白されたんだ?」
「えっ!なんで」
「やっぱり。やっと言ったんだ。で?なんて言われたの?」
「えっと……、翔太とのことをちゃんとしてから返事を聞かせてほしいって」
「ふぅん。まぁそりゃそうだよね。どうするの?」
そうなのかなと思っていたけど、やっぱり彩乃は後藤の気持ちを知っていたみたいだ。
もしかして気づいていなかったのは、私だけなのかな。
「翔太には気持ちが冷めてるから無理って、昨日メッセージを送った。既読無視だけど」
「新には?」
「まだ何も」
「何も?だから機嫌悪いのか。なるほど」
「これが原因かわからないじゃない」
「絶対そうだと思う。大きな案件の時も落ち着いてる男が乱されるのは、大体いつも莉子に関係する時だもん」
そんな大袈裟な。
後藤が私ごときでそんな機嫌が左右されるか?
公私をきっちり分けてそうなのに。
「莉子が臼井翔太と関係持ってた頃、新の機嫌が激悪だって噂になってたんだよ。イライラしてる様子で何があったんだって」
「嘘?そんな噂知らないよ」
「今まで彼氏がいないからって安心してたのに。私が、莉子が好みの人と出会ったらしいって言った瞬間の新の顔は、ぷっ、あはは!あの時の顔は写真に残したいくらい傑作だったよ」
彩乃が目に涙を浮かべて一人で大笑いしている。
私が気まずい気持ちになるのはなんでだろう。
「それって前から私のことが好きだったってことだよね?」
「んー……ま、自分で言ったみたいだからもういいか。そうだよ」
「……何で今まで何も言ってこなかったんだろう?それに、こんな言い方あれだけど全然手を出してこないよ。思い出したんだけど、今年の新入社員歓迎会のときに私を送ってくれたことがあったんだよね。あとは確か昨年の納会後も……別に自分で帰れる程度だったのに」
「あぁ。新歓は行ってないからわからないけど、納会のときは、近くにいた男が『送ってあげようか?』って下心丸出しな感じで近づいてきたんだよね。それで新が『同期なんで俺が』とか言って守ってた」
守ってたって言われるとくすぐったい。
何度か飲み会後に送ってくれたことがあったけど、もしかして全部そうだったのかな。
それなのに、私は最寄り駅まで来たらいつも『これ以上は大丈夫だから、ほんとに帰って』って……酷いな。
ただの親切心でやってくれてたとしても、酷い。
でも……
「だけど……後藤の家にいた朝なんて下着姿になってたのに、結局何もされていないっぽいし。紳士すぎない?……そういうのじゃないからってことはない?」
「さあ?ヘタレだからじゃない?」
一見、清楚系で女子力高めのモテ系女子に見える彩乃が、吐き捨てるように言った。
辛辣な言葉に、なんとも言えなくなる。
「だって、莉子から微妙に距離置かれてるの気付いていたし。紳士ぶって手を出さなかったんじゃなくて、単純にそれ以上嫌われたくなくて勇気がなかったんだと思うなー」
「自信ありそうなのに?」
「仕事とかではね。でも他の人に取られそうになってやーっと行動できたんだよ。ヘタレ以外の何者でもないよ」
全然知らなかった。
苦手だと思ってるのが気付かれていたのは気まずい。
「莉子は、新じゃ駄目なの?」
「……お互いそんな対象として見てないと思ってたし、苦手だったし……」
「で、駄目なの?どっち?」
真っ直ぐに視線を合わせて聞かれると、嘘はつけない。
それどころか、赤裸々に話さないといけない気がしてくる。
「ふたりで過ごしてみたら、全然だめじゃなかった。……嫌じゃなかったどころか出掛けるのも楽しいし」
「じゃあいいじゃん。付き合ってみたら?」
「だけど、ずっと苦手だと思ってたのに、ちょっと構われたからってすぐ絆されるとかどうなの?って。私、簡単すぎない?」
「別にいいんじゃない?絆されたって。女の子は想うより想われる方が幸せになれるって言うし。新は最近知り合ったばかりの人でもないし。それに、ずっと抱えてた気持ちを解放したからには新は全力出してくると思うよ」
「うーん」
「良いの?このまま放置して、新が見込みないって莉子を見限ったら。きっとあっという間に彼女できるよ」
「…………」
それは嫌だな……。
他の人に取られるのは嫌だ。
でも、だからって独占しようとするのはどうなんだろう。
気持ちが傾いているのは確かだけど……。
それに、本当は今の私みたいな女、好きじゃない。言い寄られてすぐに絆されるような女。
自分がそれになっているかと思うと、少し抗いたくなる。
「莉子から連絡が来たら、新は喜ぶと思うよ。本当は自分から連絡したいところを我慢して、今か今かと待ってると思うな」
そうかな……。
でも、なんて連絡したら良いんだろう。
それに、浅ましくないだろうか。
「でも、他の男の人とのごちゃごちゃで待たせて、終わったからって『お待たせ』って、私何様って感じじゃない?」
「もぉっ!莉子も新のこと、満更でもないんだよね?だったら今すぐに連絡しなよ。無駄に待たせるほうが何様だよ」
「うー……うん」
[お疲れさま。あの件、一応ちゃんと自分の気持ちを伝えて、終わらせました。既読無視されたけど、それが答えだと思っていいはず。]
メッセージで長々書くのもあれなので、要点だけわかる内容にして送った。
送信前に一瞬迷ったけど、ここでいろいろ考えても無駄だと思って思い切った。
彩乃がじぃーっと見てくるし。
「送った?」
「うん」
「過ごした時間とか、今まではどう思っていたとか、恋愛にそういうの関係ないから。ちゃんと新には――」
ブブッ
「!……えっ」
「確認しなよ」
そう言われて、テーブルの上のスマホに手を伸ばす。
なんとなく、確認するのが怖いと思ってしまった。
「新?」
「うん」
「早っ!ははっ!流石。何て?」
「今どこ?って」
「いつもの店って返事しなよ、すぐ」
「うん……」
[彩乃といつものお店で飲んでる。]
ブブッ
[すぐ行く。]
「えっ」
「なに?」
「すぐ来るって……」
彩乃がニヤニヤが止まらない顔をしながら「だから喜ぶって言ったでしょ?じゃ、あたしは帰るわ。これ、あたしの分ね」と言って帰って行った。
なんだか気まずいからいてほしかった。
彩乃といつも行くお店は会社から近い所にあるとはいえ、メッセージが来てから十分くらいで来た。
少し、息を切らせていて、相当急いで来たのがわかる。
「あれ?水野は?」
「後藤が来るって分かったからさっき帰った」
「あー、そっか。邪魔したか?悪い」
「ううん、大丈夫。何か飲む?」
近くにいた店員さんにビールを注文すると、さっきまで彩乃が座っていた向かいの席に後藤が座った。
「とりあえず、お疲れ」
「お疲れさま」
直ぐに来たビールジョッキを掲げられたので、とりあえず乾杯をした。
喉が渇いていたのか、後藤は一気に半分くらい飲み干している。
やっぱり急いで来たのかなと考えていると、意志の強そうな瞳がこちらを向く。
「それで、既読無視されたって?」
「あ、うん。無視されたけど、認識の違いがあったみたいだけど気持ちは冷めてるからもう会えない。って送ったから大丈夫だと思う」
「結構容赦なく直球だな」
「何か期待されても困るし、はっきりさせたほうがいいでしょ?」
「まぁ、そうだけどな」
「うん」
それきり、なぜかお互い無言になってしまった。
何となく気まずい空気が流れていて、後藤が頼んだ一杯を飲み終えたら店を出ることにした。
「手、繋いで良い?」
「……うん」
店を出て直ぐに確認された。
改めて確認されると、照れてしまう。
ちらっと横を見ると、「ん」と言って私の手を取る後藤の顔が嬉しそうだった。
その顔を見ているだけで、私まで嬉しくなってしまうから不思議。
何か意味のある話を話すでもなく、今後について触れるでもなく、そのままアパートの前まで送ってくれた。
アパートの前まで来たので『それじゃあ』と、後藤のほうへと体を向けたのに、手を放してくれない。
それどころか、さっきまでよりも少し強めに握られた。
「明日、出掛けない?デートしよう」
「うん、いいよ」
「じゃあ……明日は十一時に迎えに来るから」
「うん。わかった。送ってくれてありがとう」
私がデートの承諾をすると、ようやく手の力が弱まり、放してくれた。
あの話は今日はしなくていいのかと、つい見上げてしまう。
「冷えるから早く入りな」
「うん。ご…あ。あ、新も気を付けて帰ってね」
「! あぁ。おやすみ、莉子」
新と名前で呼んでほしいと言われていたけど、私は結局今まで『後藤』と呼び続けた。
『ずっと後藤って言ってたし、やっぱり無理!』と言って。
なんだかんだ不満そうにしつつ、受け入れてくれていた。
でも今は、名前で呼びたい気分になった。
一瞬、今まで通り『後藤』と言いそうになったし、言い慣れていないからどもってしまったけど。
後藤ではなく、初めて新と呼んでみた結果、新ははにかんだような笑顔を見せてくれた。
ちょっと照れたような様子が凄く可愛い。
だけど、私も恥ずかしさが勝って、逃げるようにアパートの中に入ってしまった。
エントランスの中から振り返ると優しい眼差しで新が見守ってくれていた。
新はあんなに急いで来たから、告白の返事を聞きに来たのかと思ったのに。
返事は聞かれなかったし、翔太とのことも、思ったより聞かれなかった。
聞かれると思ったのにな。
私から言うべきなんだろうか。