誘えば都合よくほいほい呼び出せる女
「あははは!はははっ!はははははっ、はぁ〜可笑しい!」
「…………」
今日も彩乃と二人でいつものお店で飲んでいた。
先週、ついに翔太との決着がついたから、その報告も兼ねて。
――私は、遂に意を決して翔太に私たちの関係を確認した。
だいたい一、二週に一度のペースで会っていて、『言葉が欲しい』と言ったこともスルーされて。
それ以上の言葉ではっきりさせる勇気がないまま、結局こういう関係になってから二カ月も経ってしまった。
だけど、悩みすぎて、ここまで悩むくらいならもうどっちに転んでももういいやと思った。
一人でいっぱい考えて、翔太にとって私はどういう存在なのか、いくつかの可能性を考えた。
いろいろ、考えておけば少しばかりは傷が浅くなる気がするから。
これもある意味リスクヘッジ。
一番いいのは、ちゃんと恋人と認識されていること。
ただ言葉にするのが恥ずかしいというシャイな一面を発見して、確実に恋人になれる。
これをきっかけに腹を割って話せる関係性になれて一石二鳥。
で、現実的に考えたら、セフレというやつだろう。
誘えば都合よくほいほい呼び出せる女……それが私……。
辛い。
私が考えた三つ目の可能性。
実は他に本命の彼女がいて、私は浮気相手。
毎回、日曜日の朝に帰されることを考えると、これの可能性がかなり濃厚だと思えた。
土曜日は本命の彼女は仕事で、日曜日は休みだから、朝早く帰されるのかも。
そう思ったら、もうはっきりさせてもいいだろうと。
細かな理由まで合わないとは思うけど、多分三パターンのどれかの理由は当てはまるはず。
そう考えながら、勇気を出して聞いた。
『ねぇ、私たちの関係って何?この関係って何?』
『え?何、急に。どうしたの?』
『はぐらかさないでよ』
『どうしたの?何で朝から機嫌悪いの?珍しいね』
直ぐに恋人って言わないってことは、やっぱりそういうことか……。
これまで話していて、翔太がこんなに鈍い事はなかった。
この件に関してだけ鈍くなるなんて、わざとはっきりさせないようにしているとしか思えない。
そう思ったら、凄くイライラしてきた。
『ねぇ。ちゃんと聞いてよ。ちゃんと話したいの!』
『何?もー』
面倒くさそうだけどようやく翔太がこちらを向いてくれたから、答えが引き出せそうな言い方で聞いた。
『私たちのこういう関係って、世間ではなんて言うかわかる!?』
『なんて言うか……?んー……』
『…………』
『……あ。酔った勢い?』
『っ!?』
まさか……。
まさか、セフレという認識ですらないの!?
愕然とした。
毎回酔った勢いで事に及んでたってこと!?
確かに、毎回夜はバーや居酒屋に行って二人とも酔った状態だったけど……。
ヤツの股間を蹴り上げたい気分だったけど、最後の女のプライドとして、平静を装った。
あそこで怒れば、ヤツの言い分を認めたことになる気がして嫌だった――――
彩乃に事の顛末を話すと、冒頭のように笑い飛ばされた。
うん。笑ってくれた方がまだ良い。
可哀想な女と同情されたくないし。
「はぁ〜笑った。最高だね、臼井翔太」
「最低だよ!」
「良い経験になったって思うしかないね。ずっと笑い話にできるし」
「やめて。今すぐ消し去りたい記憶なんだから!」
本当に、いい歳して馬鹿なことをしたと思う。
大人になってから恋人がいなかったし、焦りは良くないとよくわかった。
できることなら記憶を消したいし、過去に戻れるならやり直したい。
「あはは!だね!本人からしたらそうだよね、ごめんごめん。でもさぁ、勢いって。そういうことじゃねぇんだよっ!ってね。質問の意図をわかってて誤魔化してるんだとしたら、間違いなく常習犯だね。もっと手遅れになる前にわかって良かったじゃん。まだ引き返せる所にいたって思おう」
「うん。今度は見た目に騙されない!ちゃんと内面を見る!そしてぜぇーっっったいにあんなのよりいい男を見つける!」
「そうだ!そうだ!」
「今夜は飲むぞー!!」
◇
「………………」
頭が割れるように痛いし気持ち悪い……。
これは間違いなく二日酔いだ。
昨日はどうしたんだっけ?最後の方覚えてないな。
あー、気持ち悪っ……。
彩乃に愚痴って飲み過ぎた。
二日酔いなんて、あまりなったことがないのに。
最近二日酔いに縁がある……。それだけ、悩んでいたってことだけど。
彩乃には笑われたけど、結構本気で悩んでいたし、本当に落ち込んだ。
笑ってくれたから、少しだけ救われた気分だけど。
あ。涙出てきた……。
駄目だ、もう少し寝よう……。
そうしてもぞもぞとベットに潜り込む。
が、肌に当たる寝具の質感がいつもと違う気がして目を開ける。
ぼんやりとしていた焦点が合うと、ここが見知らぬ部屋だと気付いた。
「…………え」
知らない部屋。
知らないベッド。
回らない頭では何も考えられないけど、自分の置かれた状況が異常なのはわかる。
ハッとしてベッドの中を見ると、下着姿の自分。
生まれて初めての経験に、サーっと血の気が引く感覚があった。
もしかして酔い過ぎて行きずりの人と一夜の過ちを!?
でも誰と?
彩乃と飲んでたはずなのに…………。
翔太とはすぐにあんな関係になってしまったけど、これまでは割と身持ちが堅いほうだったのに。
だから、五年以上も彼氏がいなかったのに。
行きずりの人となんて……さすがにそれはないと信じたい!
酔っ払いすぎた私を彩乃が連れて帰ってくれたのかもしれない。
そう思いたくて、痛む頭を宥めながら部屋の中を見渡してみた。
部屋の中には誰もいない。
白と紺のシンプルな、ホテルの部屋のように無駄な物のない寝室。
全く知らない部屋だった。
ただ、ホテルにしては生活感があるからホテルではない。
自分の部屋でもないし実家でもない。
彩乃の家だと思いたかったけど、米山君と同棲してるしきっとこんな感じではないはず……。ここは、男性らしい部屋だ。
もちろん翔太の部屋でもない。翔太の部屋はもっと生活感があった。
ここがどこで誰の部屋かすぐに答えが出なさそうだ。
となると、気になるのは自分が下着姿ということ。
今はとにかく服を着たい。
何をするにも下着姿ではまずい。
二日酔いでガンガンする頭でも、現代を生きる人間が下着姿で見知らぬ場所にいることの危なさは感じられる。
服を探そうと思ってベッドから降りた瞬間、寝室のドアが開いた。
Tシャツにスウェットのパンツというラフな部屋着姿で、手には私の服を持った男の姿。
「っ!?」
「あ、ごめん。起きてたんだ。服、ここに置いておくから」
悲鳴が出かけた私を見て、男はベッドの端に私の服を置いてすぐに出ていった。
な、な、な、な、な、な、なん、なんで?
なんで、後藤!?
ご、後藤だったよね!?今の!
眼鏡してたけど、後藤だったよね!?
っていうか、下着姿見られたし!
気が遠のく……気がしたけど、こんなことで気を失えるほど繊細なメンタルをしていなかった。
とりあえず、服を着よう。
何はともあれまずは服を。
現代人として、服は重要だ。
服を手に取るとふんわりと柔らかい質感で、私が使っているのとは違う洗剤の香りがした。
洗ってくれたのだろうか。気まずい。
コンコンッ
!!
「藤原?着替えたか?開けていい?……藤原?開けるぞ」
「…………」
「……何してんの?」
「現実逃避」
「何でだよ」
とりあえず服を着たものの、私はこの現実を受け止めきれなかった。
今すぐに家に帰って冷静になりたかったけど、寝室を出たらきっと後藤がいると思うと出て行けない。
それに鞄が見当たらないから着の身着のまま出ていけても家に帰ることができない。
服を着た私はまたベッドに潜り込み、布団にくるまってミノムシ状態になっていた。
二日酔いとはいえ、シラフな状態で後藤と向き合える気がしない。
下着姿を見られたし。
この状況にはパニックだし。
気は失えないけど、堂々と向き合えるほどメンタルは強くない。
どんな顔していいのかわからないから逃げたいけど、逃げ場がないからベッドの中へ。
「昨夜のこと、憶えてるか?」
「…………やった?」
「なにを?」
「だから、その……ナニかをよ!」
「やるかよ。……の藤原に手出さないから」
「ん?やってない?良かった!やってないのね!?つっ、うっ……。ぁ〜なんだ、良かったぁ」
下着姿でベッドの上だったし、服を持ってきた後藤は私の下着姿見ても平然としていたし、てっきり後藤と関係を持ってしまったかと怖かった。
心臓バクバクだったのに、違うらしい。
そりゃそうか。
バカにしてきた私に後藤が欲情するはずもない。
冷静に考えればわかることだった。
心の底から安心してガバッと起き上がったら、二日酔いで頭が痛い事と気持ちが悪い事を忘れてて、ダメージを受けた。
もおぉぉー最悪。
「バカだな」
「……バカですよ、どうせ」
「何で怒るんだ?そんなところも可愛いってことだ」
「…………はい?」
「昨夜のこと、ほんとに憶えてないのか?」
今サラッと可愛いって言われた気がしたんだけど。
気のせい?
後藤の顔を見てみたけど、涼しい顔をしていた。
絶対に「可愛い」なんて口にしなさそうな表情をしている。
やっぱり、聞き間違いか。
二日酔いの症状に幻聴なんてあったかな?
そんなことを考えていると、ベッドがぎしりと音を立てた。
ベッドの端に後藤が腰を掛けて私のことを観察するように見ていた。
あまりにまっすぐに見てくるので、少し気まずい。
「昨夜のこと、忘れたのか?」
「昨夜のこと……んー……」
昨夜は、彩乃に翔太とのあれこれを愚痴って聞いてもらってたら、後藤が来た。
どうやら彩乃が呼んだらしく――――
『新、莉子のことよろしくね!』
『彩乃!待ってよぉ〜』
『水野はそろそろ帰らないといけないんだと』
『まだ話し足りないのに。彩乃〜!置いていかないでぇ!私は本当に好みだったのに、なんでっ』
『あー、わかったわかった。俺が聞いてやるから』
『ごめん、新。後、よろしく。じゃあね莉子!』
『ああ。お疲れ』
『あー!彩乃があぁぁぁ……私を見捨てたぁ!』
『わかったから』
『ぜんっぜん、わかってない!私は結婚したいの!!』
『なら、俺と結婚するか?』
『はぁ?どうせまたバカにしてるんでしょ!?』
『俺がいつバカにしたよ?本気だ』
『本気ぃ?じゃあ今すぐ婚姻届書けるの?書けないくせに言わないでっ』
『書ける』
『はいはい。どうせ面倒くさいから話しを合わせとこうって思ってるんでしょ!?私と結婚したい人なんていないんだからぁ。わかってるんだからね!』
『なら、俺の本気を見せてやるよ。今から役所行くぞ。すぐに結婚するぞ』
『ん〜?ほんとだね!?約束だからね!』
『あぁ。藤原こそ、絶対に約束を忘れるなよ』
で、店を出て本当に一番近くの役所に行った。
行ったけど、夜だし正面玄関が閉まってて。
『あっ。閉まってる。そうだよ。こんな時間にやってるわけないじゃん!わかってて連れて来たんでしょ!私が諦めると思って!』
『知らないのか?夜間受付ってのがあるのを』
『夜間受付?なにそれ?』
『昼間に婚姻届を出しに来られない人の分を受け付けてくれる窓口。結婚した友達が言ってた』
『へぇー。そんなのがあるんだ』
『だから、夜間受付行くぞ』
それで夜間受付に行ったら、そこで婚姻届をもらうことができたから、その場で書いて……………………
書いて?あれ?書いて、で?
――――その後の記憶がない。
私、後藤にすごい絡んでるし。
「けっ、けけけ、けっきょん……し、ししたの?」
「けっきょん?いや、してない。必要な書類が全部揃ってないのにその場で出せる訳ないだろ。判子も持ってないし」
「な、あ、そう。そっか……はぁ〜、焦った。良かった」
そりゃそうだ。
冷静に考えればわかることを。
結局うざ絡みする私に付き合っておままごとのようなことをしてくれたってことか。
案外、優しいな。
でも、私がうっかり判子をして出しちゃうようなやばい女だったらどうしてたんだか。
「良くない」
「え?」
「早く戸籍謄本取って、証人の欄も書いてもらって出すぞ。証人は和哉と水野でいいよな?」
ほっと胸をなで下ろしていると、同じ目線にいる後藤が私をジッと見ながら言ってきた。
その顔は、冗談を言っているようには見えなくて、焦ってしまう。
「は?な、なに、言ってるの?」
「結婚するのは約束したからな。今『結婚したのか?』って聞いたってことは憶えてるんだろ。憶えてないとは言わせないぞ」
「そこは憶えてる、けど、そうじゃなくて。酔った勢いっていうか、ノリっていうか、売り言葉に買い言葉で。冗談だよね?」
「俺は本気だ。俺の本気を見せてやるって言ったのは憶えてないのか?」
「おぼ、え、てる、けど……え?待って、待って。意味がわからない。待って。帰りたい。具合悪いし……帰る、私」
「二日酔いか。そりゃあんだけ酔ってればな――わかった。家まで送ってく」
「いい。一人で帰れるから、いい。ほっといて」
「具合悪いんだろ?電車じゃ辛いだろ。車出すから。とりあえず顔くらい洗えよ」
今すぐ逃げ帰りたい所だったけど、確かになんだか顔もベタベタするし、この具合の悪さで電車移動はかなり辛い。
そう思って、大人しく後藤に従った。
後藤の後について寝室を出ると、リビングもすっきり片付いていて、できる男の部屋って感じだった。
新しい歯ブラシをサッと出してくれたから、ありがたく洗面所を借りて顔を洗って歯を磨かせてもらった。
洗面所から出ると、部屋着から着替えた後藤がペットボトルを持って立っていた。
眼鏡からコンタクトにしたのか、いつも通りの後藤に近くなっていた。
「とりあえず、ほら水。食欲あれば朝食も作るけど」
「ありがとう。食欲は無理、ない」
「だよな。じゃあ行くか」
後藤のマンションは、結構良いマンションだった。
同じ会社の同期とはいえ、片や一般職で事務の私と総合職で管理職では貰ってる額も違うのだろう。
「…………」
落ち着かない。
車に乗ってしばらく経つのになんで何も話さないんだろう。
今まで後藤の手なんて気にしたことがなかったけど、ハンドルを握る手が、なんかちょっと、良く見える。
朝の爽やかな日差しを浴びているのに、手から大人の色気を感じるっていうか。
別に手フェチな訳じゃないのに、おかしいな。
「どうかした?」
「へっ!?……つぅ……」
いきなり話しかけられたから驚いたら、頭に響いた。
「さっきからチラチラ見てるだろ」
「みぃてないし」
「動揺隠しきれてないし、バックミラーに映ってるから」
「っ!」
「具合は大丈夫か?もし、吐きそうなら言って」
「大丈夫、吐くほどじゃないから」
起きた時は吐きそうと思ったけど、今はそれどころじゃなくて。
そこまで二日酔いを気にしていられない。
大きな声を出したら響くし、今も頭は痛いけど。
後藤のいつも通りの冷静で落ち着いた喋り方が、二日酔いには優しくて助かる。
「家、この辺?」
「うん。あ、そこのコンビニのところで大丈夫」
「家の前まで送る」
「え、いいよ。そこで」
「車だからコンビニの前も家の前も同じだ」
……後藤にアパートの場所を知られたくないんだけど。
「早く」
「そこ、右……」
「次は?真っ直ぐで良いの?」
「白い壁に入り口の横に木が植わっているアパート」
「あれか。――着いたぞ」
「ありがとう。ご迷惑をおかけいたしました。それじゃ」
車から降りると、何故か後藤も車から降りて助手席側に回り込んできた。
「な、なに?何で降りるの?お茶なんて出さないよ」
「アパートの中に入るまでちゃんと見てるから」
「なんで?」
「心配だからだろ」
夜ならまだしも朝なのに?
後藤って実は心配性だったの?
そんな面倒見よかったの?
確かに、服も洗ってくれているし、歯ブラシ出したりタオル出したり、車まで鞄持ってくれたり、意外なほど甲斐甲斐しくお世話してくれたけど。
「……送ってくれてありがと」
「夜に連絡する」
「うん?うん。気を付けて帰ってね」
「大丈夫だ。寒いから早く中に入れよ」
「うん。じゃあ……ありがと」
アパートの入口からはどこの部屋か見えない構造になっているから部屋まではバレないけど……エントランスに入って直ぐ振り返ると、本当にまだこちらを見守るように車の前で立っている後藤がいた。
後藤って、あんなに優しい顔してたっけ?




