彼氏を作るのがこんなに難しいとは思わなかった
彼氏を作るのがこんなに難しいとは思わなかった。
最後に恋人がいたのは大学三年生のとき。
就活中にすれ違いがあり、その人と別れてから彼氏がいない。
こんなことなら就活中に出会った男子に誘われたときに、付き合っておけば良かったかも。
真面目に『就活に集中したいから』なんて断らなければと思うほど、いまさら焦りを感じている。
まぁ付き合ってたとしても、就職後の余裕のなさで結局別れてただろうけど……。
「ねー。どうしたら彼氏できるんだろう。やっぱりアプリは複数登録したほうがいいのかな?他のアプリも見てみたけど、今使ってるアプリと同じ人も結構いるんだよね。遊びの人も多いっぽいし」
「アプリを複数って、莉子ってそんなに彼氏欲しいの?」
私はジョッキ片手に、上手くいかない婚活状況をブツブツと同期の彩乃に愚痴っていた。
婚活アプリを使っていることはあまり人には言っていない。やっぱり少し恥ずかしいし。
だから、事情を知っている彩乃に愚痴っていたのに、心底不思議そうに言われてしまった。
「だってもう今年二十八歳だよ!?私、結婚願望あるし、そろそろ将来を考えられる人と出会いたいんだよね」
今時?と言われるかもしれないが、私の子供のころから唯一変わらず持ち続けている夢は『お嫁さん』なのだ。
大好きな旦那様と可愛い子供と幸せな家庭を守る専業主婦。もしくは、パートで働く主婦。
何が理想かなんて人それぞれだから、思うのは自由だ。
と、思いつつ、人によってはつまらない人生と考える人もいるのがわかっているので、人に言ったことはあまりない。
特に、今勤めている会社にはキャリア志向の女性が多いから言えない。
「そうなの?私はまだいいな」
「彩乃は彼氏がいるから。米山君は何も言ってこないの?結婚とか。同棲してもう何年だっけ?」
「三年。……言ってくるよ」
「そうなの?え!?もしかしてプロポーズされた!?」
「改まって言われたわけじゃないけど、最近結構将来の話とかされるね。今更和哉以外との結婚なんて考えられないけど、もう一緒に住んでるしそこまで焦ってないっていうか。自分が結婚してるイメージができないんだよね」
彼氏がいるから余裕があるのだろう。
彩乃は同期の米山君と付き合ってもう五年は経つ。
将来の話も出てるみたいだし、しようと思えばいつでもできる状況だから。
羨ましい。
二十八歳で出会って、最低でも一年は付き合いたいし、それから結婚の準備をして、いざ結婚ってなったら三十歳。
そんな想定通り上手くいく訳がないとわかっている。
だから焦る。
テレビやネットで三十代になると結婚できる確率が下がるなんて耳にすると、余計に焦る。
付き合った人の数も少ない上に社会人になってからずっと彼氏がいないんだから、この先の五年もそのまた先の五年間も、もっともっと先までずっと同じなんじゃないかと不安になる。
結婚を考えるとやっぱりそろそろ出会っておきたい。
理想は自然な出会い。
なのに現実は甘くなくて、自然な出会いなんて全くない。
仕事して満員電車に揺られ、家の近くのコンビニに寄って、買ったお弁当食べながらテレビや動画見て。
SNSのチェックしてたら、いきなり同級生の結婚報告見たり充実ぶりを見て、焦る気持ちが加速する。
誤魔化すようにお風呂に入って寝る。
朝起きて、適当にご飯を食べて。
慌しく準備して満員電車に揺られて会社に行く――っていう暮らしの繰り返し。
夜に突然、訳もなく泣きたくなってお風呂で泣いたり、わざと泣ける動画を観て泣くこともあって、我ながらヤバいなって思うこともある。
そろそろ精神的な支えがほしい。
いや、パートナーに寄りかかって乗っかっておんぶに抱っこをしてもらおうと思っているわけではないけど。
漠然と、誰か共に生きていける人がいたほうが、強く生きていけるのではないかと思って。
社会人なら取引先の人と恋に落ちたり――なんて夢みたいなことを思っていた時期もあった。
だけど、仕事を通じて知り合っても仕事モードになってるから、そんな雰囲気になんてならない。
たまに職場恋愛とか取引先の人と付き合ってる人もいるけど、どうやって切り替えているのか教えてほしいくらい。
そもそも私は総務部で事務職だから、外部の人と深く関わるような仕事もしてないし、出会いの数が少ない。
営業職とかだと少しは違うのだろうかと思うけど、さすがにそのために異動願を書くつもりはない。
だから出会い系アプリにも登録してみたけど、今のところ期待したような成果は得られていない――――
「莉子先輩。私の友達の彼氏の友達が彼女募集してるって言うんですけど、会ってみます?普通のサラリーマンで営業をしてる二十八歳って言ってました。どんな人か私も友達も直接は知らないので、何の保証もできないですけど。独身である事は間違いないみたいです」
「結衣ちゃん!ありがとう!」
同じ部署の一年後輩である結衣ちゃんが、女神に見えた。
恥を忍んで『彼氏募集中!出会い募集中!』って言っておいた甲斐があった。
「あ、写真見ます?」
「あるの?見たい」
「この左の人らしいです。まぁ、普通の人ですけど。どうですか?」
結衣ちゃんは『普通の人』と言ったけど、白地に青のストライプのシャツが似合う爽やかさと清潔感。少しかわいい笑顔が私の好みをついていて、程よく鍛えていそうなスタイルもかなり良い。
それに、その普通が良いのだ。
婚活をしてみてよぉくわかったことがある。
普通の人と出会うのって、実は凄く難しい。
そういう男性って、大体既にパートナーがいたり、仕事や趣味に打ち込んでいて出会いを求めていなかったりする事が多い。
多くの女性が思い浮かべる普通の人は、婚活市場にあまりいない。
普通の人を射止めるためには、相当な倍率やタイミング、相手の好みなど諸々をクリアしなければならない。
少しでもタイミングが合わなければ、連絡を取り合うことさえできない。
つまり、婚活する前に思っていた普通の人は普通ではなかった。
「結衣ちゃん!セッティング、よろしくお願いします!」
「わかりました。いきなり二人きりで会うのでも大丈夫ですか?私は知らない人なんで」
「この人の連絡先を教えてもらえるなら大丈夫」
「じゃあそのように伝えますね」
「うん。よろしくお願いします!」
かくして、二週間後に会うことになった彼は、臼井翔太さん。
私と同じ二十八歳で、準大手の会社で営業をしている。
「あの。藤原、莉子さん。でしょうか?」
「はい。臼井さんですか?はじめまして、藤原です」
遠目で、こちらに近づいてくる人を『もしかして彼がそうかな?写真で見るより良くない!?』と思いつつ、気づかないふりをしていたら、緊張気味に声を掛けられた。
第一印象は物凄く大事。だから、精一杯感じの良い笑顔を浮かべて挨拶をした。
「初めまして。良かった!こんなの初めてだから、違う人だったらどうしようかって緊張した」
緊張気味な顔から一転、臼井さんの笑った顔が可愛くて、きゅうぅぅん!とときめいてしまった。
自分でも今一気にテンションが上がったのがわかる。
「あー、じゃあ早速ですけど、行きましょうか。一応、お店予約してあるんで」
「あ、予約してくださったんですね。ありがとうございます」
「最初くらいはやっぱり、ちゃんとしないとって。イタリアンですが大丈夫ですか?」
「はい。もちろん」
「よかった。こっちです――」
営業マンなだけあって、爽やかで清潔感もあり、話も上手かった。
初対面なのに時間が過ぎるのがあっという間に感じられた。
何よりも笑顔が好みで、自分の気持ちが盛り上がっているのを実感する。
なんとなく、これって一目惚れっていうのかな……なんてぼんやりと思う。
お酒が入っているとはいえ、我ながら気持ち悪い程に乙女スイッチが入ってしまって、終始キャッキャウフフしてた。
話す声は高くなり、口からは勝手にふふ、うふふ、と乙女な笑いが止まらない。
何がそんなに楽しいのかわからないけど楽しい気分。
知り合いには絶対に見せられない姿だと思いながらも、一言ごとにうふふが止まらない。
イタリアンで晩御飯を食べた後は、お洒落なバーに連れて行ってくれた。
こんな楽しいデートは久しぶりで、彼の隣を歩いているとふわふわと体が軽くなったようにさえ錯覚してしまう。
駅に向かうまでの細い路地。
店の前にたむろする人たちを避けた際に、手が彼の手にぶつかった。
中学生かのように、それだけでドキッと意識してしまう。
「連休だし、やっぱり混んでるね」
「そうですね」
「……手、繋いでいい?」
急に、落ち着いたトーンで聞かれて、胸が高鳴った。
「は、はい」
「はは……照れてる?可愛いね」
頭では(この人結構、いや絶対慣れてる)とほんの少し警鐘を鳴らしているけど、高揚した気持ちがそれを蹴る。
こういうのは久しぶり過ぎてドキドキが止まらない。
あー、やばい。
絶対、この人と上手くいきたい!
◇
「ねぇ、莉子。さっきからなんなの?」
「え?」
「スマホばかり気にしてる」
「うっ……ごめん」
今日は同期の彩乃といつも行ってるお店で飲んでいる。
けど、私は注意されるほどスマホに気を取られていたらしい。
「そんなに連絡欲しい人ができたの?」
「うん。実は、一カ月くらい前に結衣ちゃんに紹介してもらった人がいるんだ。友達の彼氏の友達っていう遠さなんだけど」
私と彩乃の所属する課は違うけど、時々話にも出るし、三人で飲んだこともあるので、結衣ちゃんと言えばそれが誰のことかすぐに通じる。
「へぇーそうなんだ。良い人だったの?」
「うん。実はそれが、すっごい好みだったの。まだ一回しか会ってないんだけどね」
「そんな好みの人だったんだ。どんな人?」
「笑顔が可愛い系で爽やかな感じ。同じ歳で、仕事は営業。だからか、話てても楽しい」
「あー。莉子好きそう。テンション上がっちゃってるじゃん。だからスマホ気にしてるんだ?」
「うん。一回目会った時にかなり良い感じだと思ったんだけど――」
そのとき、私の隣の空いている椅子がガタッと急に動いた。
そして。
「おー、お疲れ」
「え?」
いきなり私の隣に座ってきた人がいてびっくりした。
驚いて横を見ると、おしゃれなスーツを着こなした凛々しい顔立ちの男性が座っていた。
私たちの同期の後藤新だ。
「えっ、なんで?」
「あ、新。ちゃんと来れたんだ。無理だろうと思ってたのに」
「早く帰ろうと思えばたまには早く帰ることもできるからな――今日の昼間に受付で水野と和哉が話してるところに遭遇して、和哉も飲みに行くって言うから。俺も久しぶりに行くかと思って。藤原、久しぶりだな」
私の戸惑いを無視した彩乃が後藤に話しかけた。
まるで予め後藤が参加する予定で決まっていたかのように。
その彩乃に応えたあと、後藤が私の疑問に答えてくれた。
いつもの彩乃と飲んでいるこの会は、元々は同期皆で集まる会が始まりだった。
転職や総合職で忙しい人が徐々に来なくなり、気づけば一般職女子二人の会に変わっていた。
私藤原莉子と水野彩乃、米山和哉、後藤新。
私達はゼネコンに同期入社した中で、今でも残っているうちの本社勤務の四人。
だから、彩乃の彼氏である米山君が顔を出すこともよくあるし、後藤が来てもおかしくはない。
今日は米山君も後から来るのは知っていたけど、後藤のことは何も聞いていなかった。
彩乃の方を見ると「ごめん。言い忘れてた。行けたら行くって程度だったから、どうせ来ないと思ってたし」と。
後藤は仕事ができる男らしい。
建築士の資格を持つ彼の所属する部署は、うちの会社の中でも忙しい部署らしく、飲み会にはあまり顔を出さない。
顔を見るのは数カ月ぶりだ。
私は「久しぶり」と返しつつ、つい、後藤との距離を椅子ごとずらして五センチほど離れた。
私が後藤から少しでも離れようとするのには訳がある。
入社直後、総合職も一般職も一緒になってやる研修があった。
その期間中、私は慣れない中自分なりに一生懸命試行錯誤して、せめて皆の足を引っ張らないように頑張っていた。
必死な様子の私に対して、後藤からバカにされたことがある。
それから私の中で、後藤は苦手な人に認定されていた。
私はこの会社に奇跡的に入社できたくらいの能力しかないって自覚してたから、皆に置いて行かれないよう必死だったのに……。
『―――バカだな』
『!?……そんなの、言われなくてもわかってるし……』
あまりにも直接的な言葉だったから、深く突き刺さった。
一瞬で喉が締まったような感覚になり、ぼそぼそと言えば『何か言ったか?』とまた冷たく言われ。
その後も事あるごとに何度も『バカだな』と言ってるのを耳にした。
それも、揶揄うように面と向かって言われるならまだ冗談として受け流せもするけど、ボソリと言うから心底バカにされているのが伝わってくる。
部署も違うし、仕事で関わることもないから、今ではたまにこうして会うくらいしかなくなった。
お陰で以前のようにバカにされることはなくなったけど、入社当時のことがあるから、今でもどことなく苦手意識を持ったまま。
彩乃もそのことは知ってるはずなのに。
せめて、来るとわかっていれば、少しは心づもりをしておけたのに。
いきなり現れるなんて、心臓に悪い。
思わず彩乃を恨めしげに見てしまう。
「で?何が良い感じだったんだ?」
「後藤には関係ない」
「なんだよ?なんか機嫌悪くないか?」
思わず突き放すように言ってしまうと、片眉を上げた後藤に顔を覗き込まれた。
やめて。見ないで。
「莉子が良い感じの人に出会ったんだって!」
「ちょっと、彩乃!」
面白がるように後藤に言う彩乃に慌てる。
恋愛にうつつを抜かしてと馬鹿にされるかもしれないから、知られたくないのに。
「へぇ?どんな奴?」
「笑顔が可愛い系で、莉子の好みのタイプなんだって〜」
「ふぅん。藤原からそういう話聞くの初めてだな。好みのタイプと出会えたんだ?」
「……うん」
意外にも、揶揄うでもバカにするでもなく、普通に話に混ざってくる。
しかしながら、敵対視している相手が普通に話してくると、気まずい。
まるで私がいつまでも根に持っているようだし、私だけが子供のようではないか。
「藤原のタイプって、どんなやつ?」
「莉子のタイプは、ちょっと可愛い系だよねー爽やかな感じで」
「男の可愛い系ってのがよくわからないけど。そいつも可愛い系ってことなのか」
「うん」
「タイプの男と出会えたって割に、なんか浮かない顔してないか?」
「…………」
今来たばかりなのに何でわかるの?
この男が仕事ができる理由は、こういうところにもあるのだろう。
人のことをよく見ていて、些細な違いや変化に気付くことができる。
仕事ではクライアントの声にならない希望まで掬いとることに役立ちそうだ。
私の今の悩みは臼井さんについて。
初回から臼井さんとは良い感じだと思ったのに、初めて会って以降、メッセージが少し素っ気ない気がする。
返事も、会う前より遅れ気味な気がする。
お互い社会人だし、なにも学生の時のようなペースやテンションでやり取りしたい訳ではない。
だけど、別れ際に『また会いましょう。次は居酒屋にでも!』と言ってくれたら、次を期待してしまうでしょう?
なのに、一向に次のお誘いが来ない。
あれは社交辞令だったのかとモヤモヤして不安になっている。
今日はそのことについて彩乃に話を聞いてもらうつもりだった。
だけど、この悩みを後藤に言うのは躊躇われた。
そんなことで悩んでいるのか、くだらない。とバカにされるかもしれないから。
だけど、男性の意見を聞きたい気持ちもある。
「その好みの人からの連絡を待ってるんでしょう?」
彩乃にそう言われ、やっぱり彩乃に話を聞いてほしいという気持ちが勝った。
後藤がいる手前、なんとなくぼかしながら話すと、意外にも後藤から励まされた。
急に優しくされると調子が狂う。
「まだわからないと思うけど。男は仕事してたら、そのつもりはなくても気付けば放置してたって結果になることはあるし」
「そうなの?」
「人によるから絶対とは言えないけど、その可能性もなくはない。落ち込むのはまだ早いんじゃないか?―――ま、俺なら直ぐに返事するけどな」
確かに後藤ならすぐに返事がくるだろう。
メッセージアプリの同期グループの中でも、誰かがメッセージを送ると後藤の返信はいつも早い。
後藤は花形の建築設計の部署に所属しているし、学生の時に留学していたとかで年齢は一つ上だけど、同期の中で一番の出世頭。
今年の人事で早々に管理職に仲間入りしたし、忙しいはずなのに、相変わらずマメなところは感心する。
だからこそ仕事ができて出世できるんだろうけど。
「そんな顔するくらいなら、自分から連絡――」
ブブッ
「!」
テーブルの上に置いていたスマホが震えた。
慌ててスマホに手を伸ばすと、メッセージは臼井さんからと表示されていた。
『急ですが明日の土曜日、デートしませんか?』とメッセージが来た。
「あっ!!」
「連絡来たの?」
「うん!明日、デートしようって!」
「よかったね」
彩乃にニヤニヤしながら言われたけど、構わない。
誘われたことが嬉しい。
「そんな嬉しそうな顔して。わかりやすいな」
「な、なによ」
いそいそと快諾のメッセージを打ち込んでいると、後藤が低い声で呟いた。
私のことをバカにするときも、普段話すよりも少し低い声だったので、またバカにされているのかと身構えてしまう。
「何が?何も言ってないだろ」
「なんかバカにしたよね?」
「してないけど。バカにする要素がないだろ」
「それならいいけど。あー、楽しみ!何着ていこうかな」
その後、米山君も合流して久々に同期四人で飲んだ。
開き直った私は、デート中にどうしたらもっと気に入ってもらえるかを相談したりして。




