俺が素麺を食べるだけ、あるいはそこから発展する義務感の話。
何かを成し遂げたことがあるかっていうと、特にない。まず、成し遂げるということが俺には難しい。
たまの日曜日。一般的な独身男性である俺は、ジムで汗を流すという健康的なことも、同僚とバーベキューラグビーウェーイすることもなく、ベッドに寝っ転がりながらテレビを見ていた。
時刻は昼。
『夏真っ盛り! 今食べたい素麺アレンジレシピ』というコーナーが始まり、いろんなレシピが紹介される。
素麺というだけあってどれもシンプル。火を使わないというお手軽さが売りらしい。
その中で、夏バテ気味になっている俺の目を引いたのは、『ポン酢とトマトで作るさっぱり素麺』だ。
使うものはトマト、ポン酢、ネギ……どこでも手に入れられるものだ。トマトを切ってポン酢と和えてネギを散らすだけ。柚子胡椒のアクセントなどどうでもいい。タレントの女はやたらと柚子胡椒を褒めていたが、それは柚子胡椒の味しかしないということではなかろうか。
俺は買い物に出かけることにした。いつも行くスーパーは、地下と一階に分かれているどでかいスーパーだ。地下ってだけでテンションが上がる。
俺はカートにカゴを二つ置いた。車で来てるから、この量を持ち帰るのはさほど苦ではない。やはり免許は取っておくべきである。
一階は肉や魚、野菜を売っていて、地下では調味料やインスタント、ちょっとした家庭用品を売っている。こういうどでかいスーパーで無意味に買う文房具が、俺は好きだ。
俺は買い物を楽しんだ。
駄菓子の前で小銭を握りしめて悩んでるガキを尻目にスナック菓子をぽいぽいカゴに入れ、商品入れ替えの棚からめぼしいものをカゴに入れた。入れ替えの棚は良い。今まで手が出せなかった謎のだし醤油を手に入れた。美味いのかはわからないが、不味くても、まあ割引で買ったしな、と割り切れる。
満足感と優越感に包まれて、俺は家に帰った。
そして、日曜日の国民的アニメを見ながらステーキを食った。
「……あれ?」
素麺どころか、トマトも、ネギも買わなかった。唯一あったのは、あのタレントがやたらと褒めていた柚子胡椒だけだった。
そして、俺は気付いた。柚子こしょう、胡椒じゃないんだ。
柚子こしょうは美味かった。市販のステーキソースにアクセントを加えてくれた。
俺は昼間見たタレントのように「柚子こしょうってすごいんですね〜」と放心しながら呟くしかなかった。
日曜日は無為に終わった。
昨日の反省を活かそうと、俺は会社の帰りにコンビニに行き、トマトとネギ(カット済み)、そしてポン酢を買った。
家にあるポン酢は怪しい。柚子こしょうで柚子の素晴らしさを知った俺は、柚子風味のポン酢をチョイス。
素麺も買った。そして、チルド弁当が目に入った。
その日の俺の晩飯は、コンビニで買ったカツ丼だった。白米に後のせする作業が地味に楽しい。
このままではいけない。
上司に怒鳴られた火曜日、俺は午後11時でもやっているスーパーに行き、たまたま目についた惣菜を買ってビールを飲んだ。
上司に褒められたが、謎の罪悪感が俺を支配していた水曜日。トマトが、ネギが、冷蔵庫の中で静かに俺を見つめていた。
『まだ素麺を作らないの?』
エコバッグに入ったままの素麺は、沈黙を守っていた。俺は素麺の健気さに泣き、かといってテンション上がって外食で満たされた腹をどうにかすることもできず。
静かに、冷蔵庫を閉じた。
せめて自炊モードまで直さなければ。そう決意した木曜日。
卵が賞味期限切れになりそうだったので、オムライスを作った。
しなしなのピーマンと、もうすぐやばい匂いを放ちそうだった鶏肉を使ったものだったが、俺は「自分は神か」と錯覚しそうになった。それくらい美味かった。
『ポン酢とトマトで作るさっぱり素麺』はオムライスよりも簡単だ。明日は金曜日で余裕がある。だから、明日の夜こそ、素麺を茹でよう。
俺は、慢心していた。
疲れた。何を腹に入れることもなくばったりとベッドに倒れた金曜日。俺はすぐに寝た。
義務感が、俺を支配していた。
日曜日までに素麺を作らなければ、俺は生粋のダメ人間だと証明されてしまう。土曜日。珍しく朝早く起きて、朝食を作る。洗濯をする。部屋を掃除する。
俺はまるで儀式のように、家事全部をこなした。心地よい疲れが体を支配していた。
「少し休もう」
そう言って、ベッドに倒れ……。
悪魔の、日曜日。
むくり起きだす。時刻は、午前2時。
「やばいな」
代償に、体は軽くなっていた。
エコバッグに入ったままの素麺を取り出す。とりあえずキッチンに全部を並べる。袋入りの素麺、ポン酢、トマト、ネギ、それに、俺の最大の味方である柚子こしょう。時は来た。
素麺を茹でる。あげる。冷水にさらす。少しねちゃっとしている。なにせ、茹でるのなんて久しぶりだからだ。
トマトを切る。一個は意外と多いが、まあ良いだろう。野菜は大事だ。
透明な皿に素麺を盛り、トマトを乗せると素麺が見えなくなった。まあ良いだろう。そこにネギをふりかける。さあ、あとはポン酢をかけるだけ……。
「素麺うまっ」
達成感に包まれながら、俺は素麺を啜った。麺つゆの優しい味わいと、柚子こしょうの辛みがまた合う。
違う皿に取り分けられたトマトは、ネギと一緒にポン酢に浸して食べた。デリシャス。
それをビールで流し込み、俺はテレビに目を向けた。深夜の3時。日曜朝のテレビ番組は、コアなものが多い。
チャンネルを捻れば、例の柚子こしょうタレントの女がいた。可もなく不可もない番組に出て、一所懸命に目立とうとしている。
「頑張れよ」
ふっと笑って、俺は眠りに落ちた。
あのタレント、名前なんて言うんだろう。そう思いながら。