第48話 災難でしたね、麻央さん
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どうにか体を起こし、椅子に座らせることには成功したのだが……麻央さんは机に突っ伏したまま動かない。
逆に自分が、あの薬――名前を付けるのなら『自己暗示強化薬』ってところだろう――を飲んでいたとすれば、麻央さんと同じように失態を晒していたことだろう。
だから『わんっ』と吠え、『ガブッ』と噛んできた麻央さんを笑ったりはしない。……普段ならば。
この気まずい空気を打破するには、やはり少しくらいはイジった方が状況は好転するだろう。
というか、あれだけ変になった麻央さんをスルーする方が失礼になる。
お互いに忘れようと言っておいてあれだが……うん。笑い話になると信じて、ここは心を鬼にして。
「…………」
「…………」
「……いぬ宮さん」
「いやぁぁぁぁぁぁぁあああ!! 忘れて! も、もう……全てを忘れて!!」
ガタッと椅子を倒す勢いで立ち上がって、そのまま俺の襟を掴んで前後へ揺らし始めた。目は羞恥心で涙目、でも握る力は強かった。
その麻央さんに対し、更に追い討ちをかける様に噛まれた指をスッと出す。
「ゴメンね! 指食べちゃってゴメンね!! ――でも、忘れてっ! 忘れろぉぉぉ~」
「……お、オーケー。そこまで元気があるなら、オーケーです。グエッ……別に誰かに言うわけじゃ無いですか……グエッ。ちょ、ストップ! 首折れます、首折れますって!」
ブンブンと遠慮なく揺さぶる麻央さんに、首を持っていかれそうになるのを必死で止めにかかる。
どうやら元気は有り余っているらしく、その点は良かったが……今日はダメージを受けすぎている気がする。噛みつき、(酸性の)唾液、首折り……HPはゼロに近いところまで減った気がする。
「よーし、後輩達! 実験を手伝ってくれたことに感謝するぞ!」
「報酬は用意したのですよ、後輩ちゃん達。私達に出来るのは、理系科目の勉強を見てあげる事くらいですが……」
先輩の報酬を聞いて、喜んだのは俺だけだった。
どちらかと言えば、報酬を受け取るべきなのは麻央さんなのだが、その当人は報酬が勉強というのを聞いて……物凄く嫌そうな顔をしていた。
ブロッサム先輩が言っていた様に、双子先輩は理系特化型だ。その二人に教えて貰うというのは、無料で家庭教師を雇うぐらいの価値はあると思う。一言で言えば――贅沢って感じだ。
「えー、結局頭が良くなる薬は無いの~?」
「ぜ、全然懲りてないですね麻央さん……」
麻央さんの出来そうな見た目からの、勉強も運動もダメというギャップ。おまけに堕落を求める精神構造……これはいずれ、ダメニートになりそうな気しかしない。
「夏海先輩、さっきの薬はもう無いんですか?」
「少しならあるけど……どうするんだ?」
「いや、麻央さんに自分を『勉強大好き』と思わせられれば、少しくらい後遺症で勉強を好きにならないかな~と」
先輩達の薬を使えば、思い込んでいる時の記憶は残るらしい。それを利用すれば……例えば、運動嫌いの人が運動に対する偏見を和らげられたり、料理の嫌いな物だって克服への一歩を踏み出せるかもしれない。
いぬ宮さんの様な使い道よりも、本来はこういった使い道が正しいのではないだろうか。
(もしかしたら……かなりの発明なんじゃないか?)
先輩達はおそらく、遊ぶために作ったのかもしれない。けど、薬の効果はホンモノだ。
「ほぅ。強めの暗示での疑似体験を用いた実験か……面白い! 人格をも変えてしまおうという後輩の発想! やるじゃないか!」
「えぇ、たしかに。ナイスアイデアですよ、後輩ちゃん。称賛ものです。頭を撫でてあげましょう」
「いや、そんな物騒な気持ちで言ってないです!」
「お、近江君!? いったい私を……ど、どうする気なの?」
どうもこうも、麻央さんに勉強して欲しいだけだ。
夏海先輩に称賛されても、夏乃先輩に頭を撫でられても……なんだか自分が、先輩達の想像を越えた物騒な考えの持ち主みたいで嬉しくない。
どう考えても、そんな薬を作り出す先輩達の方が物騒だ。
「やっぱり、普通に勉強しましょうか……数学、教えてください」
「そうだな。薬をもっと改良してからの方が楽しそうだし! 数学なら私が教えてやろう」
「では、私はこちらの後輩ちゃんを調きょ……指導しましょうか」
「なんか今、変な言葉が聞こえた気がしたんだけど? ……先輩? た、助けて近江君!」
「さぁ~て、勉強勉強」
麻央さんの方を視界からシャットアウトして、夏海先輩に数学を教えて貰う。
夏海先輩の教え方は、意外と言ったら失礼かもしれないが……かなり分かりやすかった。
そのせいもあってか……一時間も経つ頃には、何故か試験範囲を飛び出して、まだ習っていない場所までサクサクと教えて貰っていた。
「おい、後輩君。本当は……学力的にもっと上の学校に行けたんじゃないか?」
「え? 先輩がそれを言います?」
「私と夏乃は文系科目がな。どう頑張ってもこの学校のレベルが精一杯だったが……お前は春姉さんと同じで、特に苦手も無さそうに見えるのだが?」
たしかに苦手という科目がある訳ではないし、行こうと思えば他にも学校はあった。
勉強も嫌いな訳ではないし、そもそもこの学校である必要も無かった。それでも進学校を選ばなかったのは、単に『普通』だったからだ。
学校の偏差値が高い訳でも低い訳でもなく、部活が強豪という訳でもなく、何か目立った行事がある訳でもない。そんな学校だったから。
「丁度良かったからですよ。何が……という訳ではありませんけどね」
「ふむふむ。そう言えば春姉さんも、近いからこの学校を選んだって言っていたなぁ」
(ブロッサム先輩……しっかりしている様に見えて、意外とズボラな人なのかな? いや、ブロッサム先輩なら何か高尚な理由があるはずだよな)
少し会話を挟んだ後に麻央さんの方を見ると、三〇センチ物差しをどこからか取り出した夏乃先輩が、必死でシャーペンを動かす麻央の肩を叩いていた。
世の中には二種類の人間が居て、その代表となる二人の姿がそこにはあった。
「夏乃はなぁ……たまに怖いんだぞ」
「麻央さんは……なんか、いつもあんな感じですかね」
アワアワ言いながら勉強をして……させられている麻央さんの姿。
何だか最近は、そんな姿が板についてきている気がする。他の人からすれば、中二病のイメージが強すぎてそれしか無いのだろうけど。
放課後の時間一杯まで先輩達に勉強を教えて貰って、かなり充実したテスト勉強になったと思う。
「生きてますか、麻央さん」
「……うぴぃ~」
先輩達に先に帰ってもらい、鍵を返してから二人で下校している。
そんな中、まるで魂が抜けてしまった様な声を出しながら隣を歩く麻央さん。お疲れの様だ。
「たい焼きでも買いに行きますか?」
「……行く」
「この前近くにあるのを発見したので、頑張ったご褒美に食べましょ」
買い食いを禁止する校則は無い。時間は少し遅くなるけど、思う存分甘い物は楽しめる。
今日は災難続きの麻央さんだし、最後くらいはこういう普通の終わり方でも良いだろう。
「すいません……期間限定の抹茶味はもう無くなりましたね……」
「えぇ……」
「ドンマイです、麻央さん」
「まぁ、仕方ないわね……。じゃあ、クリームにするわ」
最後はホクホク顔になった麻央さん。
思い通りにならなかった日だとは思うけど……まぁ、良かったかな。
◇◇◇
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