第40話 休日⑤
お待たせしました!
よろしくお願いします!
二階にある一室。部屋のドアには『地獄への入口』と、何かで印刷したのだろう……真っ黒に赤文字というデコレーションされた紙が貼られてあった。
間違いなく、ここが宇野宮さんの部屋だろう。
「どうぞ!」
「あれ……ここは呪文的なのは無いの? いや、無いなら良いんだけど!」
「……ふふ。近江君も好きよね~」
女の子に手をあげちゃいけないのは分かっているのに、何だかチョップくらいならしても良い気がしてきた。
「そもそも……入って大丈夫なの?」
「昨日、片付けたから大丈夫よ?」
女の子の部屋……そのワードだけ聞けば、とてもドキドキする言葉だ。それは男子側からの意見だけど、女子側にも男子を招くという……そういう緊張感みたいなものは生まれると思ってる。
自分の部屋を見られるのは、男女問わず恥ずかしくなるものだと思うから。だが、隣に居る宇野宮さんは何を考えているのか分からない顔をしていた。決してドキドキという感じの顔はしていない。
「まぁ、良いなら良いけど。じゃあ、お邪魔しま――こ、これはっ!?」
「ふふーん! どう? 綺麗にしてあるでしょ?」
開いたドアの奥。その部屋の在り方が、俺の脳に過去の自分の部屋をフラッシュバックさせてきた。
綺麗とかそれ以前の問題である。全体的な色は黒。そして、剣のキーホルダー、魔方陣の壁掛け、変な置物と目立つアイテムがすぐに見付かる場所に配置されていた。机の上はノートパソコンが置いてあるだけで綺麗だけど。
配置や物の種類に違いはあるけど、おおよその部屋の雰囲気が……片付ける前の自分の部屋にそっくりだった。少し、懐かしさすら覚える。
「テキトーに座って!」
「あ、うん……では、失礼して」
なんとなくベッドに座ってみた。ふかふかだ。
幾つか聞きたい事はあるけれど、とりあえずは段取りがありそうな宇野宮さんに任せてみるつもりだ。
「ようやく本題に入れるわね。今日は部活のミーティングをするのよ!」
「ミーティング……ですか?」
「うん! ほら、私が小説を書く間に近江君には絵を上達して貰う事になったじゃない?」
なった……まぁ、たしかになった。することが無いから引き受けたのには間違いない。
おそらく挿し絵や表紙絵を描くことになるのだろうけど、それを描けるレベルに上達する気が残念ながらしていない。
やる気が無い訳では無いけれど、ネット上に載っているラノベとかに抜擢される絵師さんの絵を見ると、文化祭までの半年無い期間で足元にも及ばない気しかしない。
「それで、まずはアナログ絵で地力をあげて貰う為にいろいろ頑張って欲しいんだけど、その先はデジタルにも挑戦して欲しいのね?」
「はぁ……。なかなかに厳しいですけどね」
「近江君! 文化祭は三回もあるのよ! 最初から上手くいくなんて私も思ってないわ。魔術だってそう。つまり、そういう事よ!」
(後半の例えが無ければ良いこと言っている風だったのに……)
だが、思ったより先を見ていた宇野宮さんにちょっと驚いた。
たしかに今年が上手くいかなくても、二年生の頃には絵も上達しているだろう。そう考えると気は楽になるが……二年生になってもやるのかと考えると微妙な気持ちになってくる。
「でも、だからって今年を諦めるという意味じゃないわよ? 今年は今年で、今の自分達の最高の力を出しきるの!」
「なるほど。宇野宮さんらしいですね」
「だから……近江君に先行投資をしようと思うの」
「ん? それはどういう……?」
クローゼットの方に移動した宇野宮さんが、ガサゴソとして箱を持ってきた。
俺も絵を描くことに決まってから、自分のパソコンでいろいろと調べて『それ』についてもチラッとだけ調べていた。いずれは通るだろうと思ってだ。
「液タブ……ですよね」
「そうよ! はい、近江君」
「いや……いやいや! そんな高価な物を気軽に渡されても!」
宇野宮さんが液晶タブレットを持っているのにも驚きだが、今は渡される困惑の方が勝っている状況だ。
安い物でも高校生にはちょっと良い値段がする。漫画の貸し借りのレベルじゃない。
「先行投資って言ったでしょ?」
「いや、それなら宇野宮さんが絵を描いたらいいんじゃ!?」
「見る? パソコンに一応はデータが残ってるけど見る? 千恵さんに笑われた私の絵……見る?」
目のハイライトが消えていく宇野宮さんだった……。
クローゼットに片付けられていた理由はなんとなく察して、傷を広げない為にも俺は、液タブが入っている箱を受け取るしかなかった。
箱は綺麗だし、値段は分からないけど高いやつの気がする。
「これは……プレッシャーが凄いですね」
「まぁ、何度も言うけどまずは神絵師さんの絵を模写するとか、デッサンとかして上達してちょうだいね! 学校中で話題になるくらいの作品を私達で仕上げるんだから!」
神絵師の模写っていっても、まだ何をどうするかすらピンと来ていない。デッサンを中心にいろいろ描いていくことになるだろうな。
期待してくれる宇野宮さんを裏切りたくは無いけど、まだまだ足りない物が多すぎるのも事実だ。とりあえず頑張る……今はそれしか出来そうにない。
「神絵師さんの絵って勝手に模写して良いんですかね?」
「ネットに載せなければ大丈夫とは思うけど……そうね。載せるとしても絵師様の許可を取ったり、模写って事を言えば大丈夫じゃない?」
「なるほど。じゃあ、模写する絵を借りる時もダメ元で神絵師さんに断りを入れた方が良さそうですね」
今はパクり問題とかいろいろ危ない時代だし、その辺は気を配れるだけ配った方が良さそうだ。
デッサンなら、風景や果物だから著作権の問題は無さそうだけど。
(物は良いとしても人のデッサンはどうしよう……。妹様はキモいって言われるだろうし……宇野宮さんとか、文芸部の他の先輩を描かせて貰うのがベストかな?)
きっと、宇野宮さんの書く小説の登場人物は美少女とか美男子とかだろう。だから、二次元絵をひたすら練習した方が良いのかもしれない。
だけど、人のデッサンもやっておかないといけない気がする。宇野宮さんの言う地力を伸ばす為にも、オリジナルキャラの参考にする為にもだ。
「方向性が決まったわね!」
「ですね。そういえば、宇野宮さんの小説の方向性は決まったんですか?」
「……。…………。…………ん?」
駄目な間でしかなかった。世の中には溜めて良い間と駄目な間があると言われているが、今のは完全に駄目な間だった。
「ま、まぁ……何かポンとアイデアが降ってくるかもしれませんしね!」
「そうよ! 結局はそういう事なのよ!! はぁ……明日からはアイデア出しで忙しくなるわね」
「小説の方も大変そうですね」
「舞台になる公園や建物の場所に実際に出向いてみないと、分からない事ってあるしね。忙しくなるわよ、近江君!」
「えっ……俺も、行くんですか?」
「ん? 当たり前でしょ! 近江君が絵を描くんだもの」
ハッキリと言われたら、そんな気もしてくる。宇野宮さんが舞台とする街並みや建物を知らなければ、描けないというのも頷ける理由だ。
そりゃ、忙しくなるだろうけど……気のせいじゃなければ、宇野宮さんは明日からでも行動しそうな雰囲気を出している。
「確認ですけど、いつからですか?」
「それは……」
(それは……)
「今からよ!!」
「今からかぁ~……想像の上をいくもんなぁ~宇野宮さんってば」
宇野宮さんが再びクローゼットの方に移動して、ガサゴソとまた何かを漁り始めた。
そして手にして戻って来たのは、スケッチブックだ。こういう時の宇野宮さんの準備は万端だ。
「私はネタ帳、近江君はスケッチブック。うんうん、完璧ね!」
「完璧ですか……あ、何か化け物みたいな絵が沢山描いてありますね?」
スケッチブックの最初の方のページに、宇野宮さんが小さい頃にでも描いたのか、怪獣か化け物かよく分からない絵が描かれてあった。
俺も幼稚園の頃にこういう絵を沢山描いていたのを思い出して、ちょっと懐かしくなった。
「あ、あーっ!! あー! バッ……ぎゃぁーーーーーッ!! 見ないでぇ!」
「えっ、えっ? ちょ、暴れな……危ないですから!!」
手を伸ばして覆い被さる様に突撃してくる宇野宮さんに、俺が出来た抵抗は距離を取る事だけ。ただ、ベッドに座っている状況から逃げられるのは上半身だけであった。
(ちょ、この体勢は……マズイ!!)
さっき宇野宮さんのお父さんに注意されたばかりだ。
ベッドに押し倒されるながらスケッチブックを遠ざける俺。上から覆い被さる様にスケッチブックを取ろうとする宇野宮さん。
他の人から見れば、俺が押し倒されている様に映るかもしれない。幸い、宇野宮さんは特に意識しての行動じゃないみたいだから今の内に離れておかないと、気付けば待っているのは気まずさだけだろうし。
ガチャ――。
(……ガチャ?)
その、鳴ってはいけない音が鳴って、この部屋の入口の方に視線を向けた。
この状況を俺は死と思ったのだろうか、ゆっくり、かなりゆっくりとドアが開いていく様に見えた。そして、そこから現れた千恵さんと、バッチリ目が合った。
視線と視線が交差する。ゆっくりと上がる千恵さんの口角。
「か、返してぇ~!!」
「宇野宮さん!! はい、スケッチブック! 返す! 返すから!!」
俺からスケッチブックを奪った宇野宮さんは、冷静に戻ってくれた。
ただ、タイミングとしてはあまりよろしくない。お互いの顔が……とても近い所にあったから。
この距離感や体勢に気付いた宇野宮さんが、慌てて距離を取って、ペタンと腰を抜かしたみたいに床に座り込んだ。
「あ、あぅ……ご、ごめんなさい……」
「う、うん……。大丈夫、大丈夫だから」
俺も上半身を起こしたが、どんどん赤くなる宇野宮さんの顔を見て、顔を逸らした。
きっと俺も、同じように赤くなっているだろう。心臓の鼓動がちょっと速くなってるのは、自分でも分かる。
ゴシックドレスの裾をギュッと掴んで、視線か泳いでいる宇野宮さんに描ける言葉が思い浮かばなかった。
(宇野宮さんでドキドキする日が来るなんてッ!! なんか、ちょっと負けた気分だなッ!!)
「ご、ごめんね?」
「大丈夫だ……よ? うん……うん……」
やはり待っていたのは気まずさだった。
俺も視線を右へ左へと向けて、ひとつ気付いた事があった。
(あれ……千恵さん、は? 見間違いか? でも、あの笑みはたしかに……)
部屋に入ってきたと思った千恵さんの姿が部屋になく、ドアが完全に閉じてない状態なのを確認した俺は――いきなりの行動に驚く宇野宮さんを部屋に置き去りにしながらも、千恵さんを追い掛ける為に部屋を飛び出した。
とりあえずリビングへと向かった。そして、そこに千恵さんは居た。
「ご、誤解ですから!!」
千恵さんに言ったのか、ご両親に言ったのかは咄嗟の事で自分にも分からない……どっちにも言わなきゃとは思ったが。
「近江君……ずいぶんと(手を出すのが)早かったね」
「誤解ですから!」
「あらあら~」
「いや、それはどういう反応ですか!?」
「叔父様の言う通り、部屋の前で待機して正解だったみたいよ!」
「凄い疑ってたんですね!!」
千恵さんが入って来たのは偶然でもなんでも無かったらしい。物音がし始めたら突入しろという、ご両親からの指示があったみたいだ。
そして偶然にもあんな状況になったから、千恵さんは部屋に突入して様子を確認し、報告に至ったらしい。
「あの、ホントに誤解なんです!!」
「近江君、大学にもたまにそういう男が居るけど、自分の行動には責任を持たなきゃ駄目よ?」
「あ、すいません……じゃなくて! ホントに何もしてませんから」
責任という言葉に男は弱い……ネットに書かれていた通りだった。その二文字の前で、男が出来る行動は少ない。
俺も危うく千恵さんの話術に流されてしまう所だった。
「近江君……そんなに麻央は嫌い?」
「いえ……そんなことは無いですけど」
「アナタ、近江君は麻央を好きみたいよ~」
「そうだな。話が少し極端だが、今はそういう事にしておこう」
「せめてご両親は怒ってください!! こんな状況なら娘の為に俺を怒ってくださいよ!!」
めちゃくちゃユルい家族を相手に、何を言っても無駄な気がした――山野近江、高一の五月である。
そしてそれは同時に、外堀が完全に埋め立てられてしまった日にもなった。
「お、近江君? 大丈夫?」
「宇野宮さん……今は物凄く外で魔界の話を聞きたいから外出しない?」
「――もちろんよっ!! ふふふ、近江君の封印された魂が目覚める日も近いという事かしらね」
こんなやり取りなのに安心するなぁ、チクショウめ。
誤字脱字その他諸々ありましたら報告お願いします!(´ω`)