第35話 どっち派
お待たせしました!
よろしくお願いします!
「ねぇ? 二人とも、妥協点は無いの?」
「ありません!」
「ないわ!」
部室にあるテーブルに鞄を置いて、俺は座っている。ブロッサム先輩も座っていて、宇野宮さんも座っている。今日は双子先輩が居ないから、メンバーはこれで全員だ。
ただ、ブロッサム先輩はいつもの席に座っているのだが、いつもなら隣の席に座るだりう宇野宮さんは正面に座っている。
――理由はある。絶賛、喧嘩中なのだ。俺と宇野宮さんが。
「そんなに……大事な事かなぁ?」
「おっと、いくらブロッサム先輩とはいえ……」
「その発言は見逃せないですよっ!」
「仲良いじゃない……ほら、ね? もう、喧嘩は止めましょう?」
これは自分から折れてはいけない戦いなのだ。
事の発端は、宇野宮さんからイラストを描けと言われた二十分前に戻る。
◇◇◇
「さ、無駄話はそこそこに部室に行きません?」
「無駄話ってなによッ!? 完全に完璧なアイディアだったでしょう!?」
「いやいや……いやいやいや、って感じですよ? 宇野宮さん」
俺は鞄を肩に掛けて立ち上がった。
宇野宮さんが変な事を言い出すのには慣れてきたが、たまにどう反応するのが正解なのかも分からない、ビックリする事を言ってくる。
宇野宮さんもたぶん同じだとは思うが、たしかにオリジナル武器のイメージを絵に描き出したりなんて事はしていた。それに、ネット上に掲載されている中二チックなイラストを模写していた事もある。
だから別に、絵がそこまで下手という事は無い。そこそこ器用になんでも出来てしまう自分のスペックの高さには驚くが、あくまでそこそこである。描いたとしても、それはきっとどこかで見たことある様な……オリジナリティーの欠片も無い作品にしかならない。
「神絵師になれって言ってる訳じゃないのよ? ただちょっと……あの『世界を我が手に』先生みたいな絵を描いてくれるだけでいいの!」
「それ! 知る人ぞ知る神絵師じゃん!?」
やはりというべきか、宇野宮さんもマイン先生を知っていたのか……。
年齢不祥、性別不明。ただ、たまに某SNSに格好いいイラストを公開しているだけの神絵師。『お仕事のやりとりもネットを通じてのみ』だとか、コメントに対する簡単な返信が夜の十時に止まるから『実はまだ子供なのでは?』という噂もあったりしている。
何を隠そう、俺が敬愛して絵の上達の為に一時期とはいえ模写させて貰っていたのが、この世界を我が手中に先生だったりするのだ。
(どこにも投稿とかしてないとはいえ……怒られるかもしれないと思って、模写させて貰ったお礼すら言えなかったんだよなぁ)
変に強がっていた時期であるとはいえ、今更ながらお礼を言えば良かったと後悔している。
なら、今こそ言えば良いのかも知れないのだが……最近のマイン先生は絵の公開が少なくなっている。それに、近況の報告もたまにしかしていないみたいだ。
俺は中二病を卒業したとはいえ、マイン先生の絵からも卒業した訳ではない。こっそりと楽しんで、今でも新しく見せてくれる絵には心を踊らせている。
「さすがに知っているのね! そうよ、ワールド先生の様なイラストを近江君には描いて欲しいの」
「……ワールド先生? マイン先生でしょ?」
「ふふっ……近江君もジョークを言うのね? とっても面白いわ」
「俺も宇野宮さんの冗談には慣れましたけど、今回のは一番面白いですね」
「ははは……」
「ふふふ……」
「「ちょっと話し合いが必要ね!!(ですね!!)」」
教室に残っているクラスメイト達の視線が集まる。
だが、そんな事を気にしていられない程の事を宇野宮さんと話し合わなければならないみたいだ。
これは、よくある究極の二択問題に連なるレベルの問題だ。『世界を我が手に』先生を『せかわが先生』や『をがに先生』と呼ぶ人も居るが、それは少数派だ。大多数は『ワールド先生』か『マイン先生』と呼んでいる。
そして、その戦いに俺もよく参戦していた。おそらく宇野宮さんも参戦していたのだろう。
「いい、近江君? マイン先生派は先生を自分達が囲わないと……と思い過ぎなのよ。先生はもっと世界に飛び出して行くべき人なの。つまり世界。だからワールド先生なのよ!」
「それはどうかな宇野宮さん。たしかにマイン先生の実力は世界に轟いて欲しいとは思う。でも、ワールド先生派の人は何でもすぐに騒ぎ立てるでしょう? 先生にはもっと先生の為に、そして待ってるファンの為に頑張って欲しい。つまり我が手に。だからマイン先生なんだよ!」
何度も何度も繰り返し言われて来ただろう言葉を、お互いに浴びせる。これはまだ序の口だ。スタートの合図が鳴ったに過ぎない。
チラッと横目で教室内を見ると、とんでもない物を見たというクラスメイト達の視線があった。
(場所を移した方が良さそうだな……)
なら、ついでに部室に行ってしまおうと宇野宮さんに小さく伝えて教室を出て行った。
◇◇◇
俺と宇野宮さんの睨み合いは続いている。
お互いに譲る気は無い問題だ。きっと、いつまでも平行線のまま時間だけが過ぎることになるだろう。
ブロッサム先輩は部室の備え付けで置いてあるポットからお茶を注いで、俺達にも出してくれた。
「ぐぬぬぬぬ……」
「むむむむぅ……」
「なら、そのワールドイズマイン先生? に聞いてみたら良いんじゃない? どっちの呼び方が良いのか」
ブロッサム先輩の提案は最もだ。最も……つまり、もう既に過去に終わってる話なのだ。マイン先生の回答としては「好きにしてください」というものだった。
だからそれ以上は先生を巻き込んでの争いは無くなったものの、争い自体は激化していき、今もこうして……だ。
「ワールド先生には迷惑を掛けれない……だからこうして、マイン先生派を一人ずつ洗脳していかないと」
「マイン先生に迷惑を掛けるのはファン失格。ですからこうして、ワールド先生派を一人ずつ鎮静化させていかないと」
「本当に仲がいいのね。そもそもどうしてこんな話に?」
その何気ないブロッサム先輩の一言で、宇野宮さんがハッとした表情を浮かべた。
「そうだった! 元は近江君が文芸部でやることが無いっていうから、私の小説の挿絵を描かせようと……」
「ブロッサム先輩、今のを通訳しますと……『席替えで良い席になった近江君が許せない。そうだ、私の書く文章に載せる絵を近江君に描かせよう!』という事です」
「……そ、そうなのね。よく分からないけど分かったわ。とりあえず絵なら、スケッチブックが棚に置いてあったと思うから使って良いよ」
「それはそれは……まさに運命。そして導かれる天命……やるしかないようね、近江君」
ブロッサム先輩の指差す棚に走り、目的のスケッチブックを見付けた宇野宮さんは、それを俺の所にまで持ってきた。そして……隣に座ってパラパラと捲り始めた。
「何か描いてあるかと思ったけど……新品のままなのかしらね」
「イラストとかって、デジタルで書くイメージがありますけど?」
「まずは基礎よ! 何でも基礎が大事なんだから。魔法と一緒ね」
「これに何か描いてレベルを上げろ……と?」
「そう! 私の究極の文章に近江君の究極の絵を付けた、究極の物語を文化祭までに作り上げるの! どうかしら……とりあえず最高でしょ!?」
文化祭まで約五ヶ月と時間は少ない。俺に絵の才能が無い事は俺自身が一番分かっている。宇野宮さんの物語とて、まだ設定を考えている状況。先なんてまったく見えない。
それでも、『最高』と言ってみせる宇野宮さんの目は輝いていた。何でも出来る、そう信じて疑わない目をしている。
だから思わず返してしまっていた――最高という言葉を。
「ふふっ! なら、今日から忙しくなるわね! 私は文章力の向上……いえ、一般人に合わせる努力とアイディア出しを」
「俺は……画力? のレベル上げ? を?」
「大変そうね~。あっ! でも、文芸部はゴールデンウィーク中は部活休みになるよ? あと、もうすぐ中間テストだし勉強も頑張らないと補習になって大変だからね?」
「頑張りましょうか! いろいろと!」
宇野宮さんの気合いを入れる言葉は、何故か現実逃避をしているようにも聞こえた。
部活が無いのは良いとしても、テストで赤点を取るのはマズいだろう。こればかりは宇野宮さんに勉強を頑張ってもらうしか方法はないが、宇野宮さんはどの教科に置いても格好良いワードしか覚えていない可能性すらある。
(これ……物語の設定とか考えてる場合じゃないんじゃね?)
補習となれば、部活に出られない事もあるだろうし、もしかすると宇野宮さんのご両親が部活を辞めさせて、勉強に専念させる可能性もある。
「あれ? もしかして……俺が困る事はない?」
「よく分かんないけど、どういう意味!? それどういう意味なの、近江君!?」
「いや……まぁ、頑張ってね宇野宮さん」
「何だか急に突き放された!? ブロッサム先輩、近江君が私を見捨てて何処かに旅立とうとしてる気配があるんですけど!」
「あはは……きっと大丈夫よ麻央ちゃん。勉強さえ……勉強さえ頑張ればだけど……」
念を押す様に二回言ったブロッサム先輩も中々に宇野宮さんの心を抉ったらしく、宇野宮さんは机に突っ伏したまましばらく動かなくなってしまった。
その隙を見て、俺とブロッサム先輩は大量に出たゴールデンウィーク中の課題を少しでも終わらせようと、シャーペンをプリントの上で走らせ始めた。
こういう所で差が出てしまうと宇野宮さんに言おうかと思ったが、既に力尽きてるだろうから、可哀想だし何も言わずにそっとしておいた。
――しばらくして復活をした宇野宮さん。
だが、結局そこで課題を終わらせる事はせずに、スケッチブックに絵を描き始めた。
自分以外の二人が課題を進めているのに気付いていながらも、部活が終わる時間まで絵を描いて過ごしていた。だが、最後の最後にまさかとも思える意外な事を言い出した。
「近江君――いえ、知恵を持つ悪魔よ」
「誰が悪魔だ」
「悪魔契約を結ぼうぞ! 我に知恵を授けたまえッ!!(勉強を教えて)」
宇野宮さんが、学業へのやる気を見せた瞬間だった。
ついに、成績が悪いとどういう事になるかの危機感を持ってくれたのだろう。
「悪魔との契約はだいたい命賭けですよ。やる気があるなら突き放したりしませんから」
「ホント!? ほ、本当に突き放したりしない……? 最後まで面倒見てくれる?」
「もちろ……ん? 最後って、とりあえず中間テストの終わりまでですよね?」
「よ、よーし! これで勉強面はクリアねー」
あからさまな棒読み。そうかそうか……。
おそらく宇野宮さんは今後、テストの度にギリギリで勉強を詰め込む気なのだろう。普段から少しずつやっておけば良いと分かっていても、それでもギリギリになってからじゃないとやり始めない。
「いつからテスト対策を始めるつもりですか……?」
「んー? 三日……あ、ううん! い、一週間? くらい前から?」
「一週間前ですか……まぁ、それくらいならなんとか」
中間テストは五月の下旬で、まだ時間があると言えばある。
今から準備しておけば、流石の宇野宮さんとて悪い点数を取る事はないだろうけど……まぁ、一週間でも赤点回避ぐらいなら大丈夫だろう。
全ては宇野宮さんのやる気と学力次第になるが、俺も出来る事はやってあげるつもりだ。
「日頃から授業だけはちゃんと聞いておく事!」
「わ、分かったわ!」
「居眠り禁止ですよ!」
「はいぃ……」
「あと、課題も自力で解くこと!」
「分からない所は……」
「あー、そうですね。その時は教えるので聞いてください。良いですね!?」
「うん! じゃあ、とりあえず全部分からないから教えてちょーだい!」
自分でも言ってて少し熱が入り過ぎた気がした。こんだけ偉そうに言っておいて、万が一にでも宇野宮さんに点数で負けたら大変な事になってしまう。立場が逆転するだろう……精神的な意味で。
だからある意味、宇野宮さんを追い込むという事は自分自身をも追い込むという事になっていく。
直接の競争相手ではないけど、負けられないという意味では宇野宮さんも越えなければならないハードルだ。
「じゃあ、休みは勉強デート? 二人共、頑張って良い点取るのよ……って、どうしたの?」
「あ、いえ! べべ別になんでも?」
「そ、そうです……よ? どうもしてないですけど?
(そうだ。勉強するだけであって、それをデートとは言わないだろう。世間でもきっと、言わない。……言わないよな?)
テストというハードルを越える前に、ブロッサム先輩が要らぬハードルを増やした気がした。テスト自体よりも越え方の分からないハードルを、だ。
デート? いや、これはデートではない。でも休みに……そんな思考がぐるぐると渦巻いて、よく分からなくなっていく。宇野宮さんも余計な事を考えてしまっているのだろう……わちゃわちゃと手が空中で虚空を掴むかの様に動いていた。
「そう? じゃあ、今日はもうお開きね! 鍵は私が返しておくから、二人は先に帰ってて良いよ」
「あ、はい……ありがとうございます」
「ブロッサム先輩、また来週に……」
何だか落ち着かない気持ちのままだったが、宇野宮さんと二人で学校から駅まで帰って行った。口数は、いつもの半分以下だった。
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