第12話 月の碧眼
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俺に宇野宮さんが居るかを尋ねて来たのは、上履きの色から同じ学年と分かる別クラスの女子だった。
肩に届くか届かないくらいの黒髪に、キリッとした瞳の色は少し青い。
顔立ちは日本人寄りのハーフっぽく、背も女子にしては高い方だろう。
可愛いかそうでもないかで言ったら、可愛い。好みか好みじゃ無いかで言ったら……胸も大きいし好みですね。
だが……何故か物理的な距離がある。普通に会話をする距離よりも大幅な距離感が。
「宇野宮さんですか? 居ますけど……俺、何かしました?」
「いや、気にしないで。居るのなら、とりあえずそれで良いです」
廊下の幅は約二メートルくらいはあるだろうか?
教室から出たばかりの俺は当然壁際に居るのだが、その女の子は反対側の壁際に居た。しかも斜め四五度くらいの位置に。
パーソナルスペースが広いと言われたらそれまでだが、初対面なのにこんなに距離を開けられると、相手が美少女だけに軽く凹む。
「ちょっと、近江君! 我が邪眼からは逃げられな……って、なんだまだ居るんじゃない」
「あ、宇野宮さん……えっと、お客さんだよ?」
鞄を肩に掛けて教室から出てきた宇野宮さんに、ちょっとだけ離れた所に居る女の子の存在を教えてあげた。
そもそも、二人は知り合いなのだろうか?
興味本意で宇野宮さんに近付くとしては、女子ってのが珍しい気もするが……。
「ほぅ……誰かは知らぬが珍しいな。我を尋ねてくる……なん……ッッ!?」
「麻央……貴女はまだ眼帯なんかして」
(空気が変わるのを感じる……よし、ここ逃げの一手だな)
宇野宮さんの驚きの表情。相手の女子の言葉。
その二つで二人が知り合いだというのが察せた。
しかも、仲良しではないという雰囲気も。
場の空気を感じ取って逃げようと、足を踏み出した途端に宇野宮さんに腕を捕まれた。
「ぐっ……宇野宮さん、手を離して貰えるかな? 自分で言っただろ珍しいって。なら俺は邪魔だろっ?」
「同朋よ……コイツは危険だ。いろいろと……そして、苦手!」
「いや、そんな堂々と宣言されても!」
宇野宮さんが苦手という女子を再度確認する。
スカートのから伸びる足は黒のストッキングで隠され、絶対領域すら見せない鉄壁の守備。
背筋はピンと伸びていて佇まいは、清楚そのものだ。
一見して真面目な生徒と判断ができる。宇野宮さんと真逆で。
「麻央! もう普通でも良いんだって、それじゃ……中学の時の二の舞よ。また貴女は一人になってしまう」
「近江君、コイツの名前は月見川秋羽と言うの。その内、まぁまぁな成績とまぁまぁな容姿で名は広がるでしょうね」
「……え。ここで自己紹介的なの入れる? 宇野宮さん、空気読んでる?」
思わず口に出してしまった、宇野宮さんへのツッコミ。
真面目に紹介してくれたのか、相手の子が意味深な事を言ったのを誤魔化す為に挟んだのか、判断が難しい。
宇野宮さん自体は、一応落ち着いているみたいだが、さっきから月見川秋羽さんを『コイツ』と呼んで、敵意を剥き出しにしている。
ついでに、俺の腕は離していないが、もう片方の腕で戦うポーズを取っている。
二人の関係性が微妙に把握出来ない。でも宇野宮さんの言う通りで、容姿が良くて頭も良かったりしたら……宇野宮さんとは違い、真っ当に話題にはなるだろう。あと、胸もデカいし。
「えっと、そこの貴方。近江君とか呼ばれていたよね? 君も思うでしょ? 麻央は普通じゃないって。眼帯とか外すべきだって」
(この人も俺に振るのかよ……)
問われて、冷や汗が出る。
俺も宇野宮さんサイドだった過去があって、月見川さんの言葉が胸にチクリと刺さる。
でも……そんな俺だからこそ、諦めた俺だからこそ、宇野宮さんの代わりに言っておきたい事もある。
「普通じゃなくて……何か、駄目なんですか? 宇野宮さんは自分に正直なだけです。他人の目を気にして自分を曲げてしまった奴よりも、何倍、何十倍も格好いいって……俺は思いますけど」
「お、近江君……!」
俺は月見川さんの目を見て言い放った。
宇野宮さんも、よくぞ言ってくれたという顔をしている。
だが――――。
「いや、駄目でしょ!!」
「「えっ!?」」
ただ単に、一蹴された。
悪い物を悪いと言っただけという感じで。
自分が善であると言わんばかりに、彼女は俺の言葉に真っ向から反論してきた。
俺が更なる反論を述べようとするまえに、彼女からの追撃が襲い掛かってきた。
「視力は悪くなるし、変な言葉を使ってるせいでコミュニケーションだって取れて無い。今は感情じゃなく、理論的に話して欲しいんだけど!」
そして――月見川さんの正論に、俺達は黙ってしまった。
返す言葉も無い程に正しかった。
宇野宮さんの言っていた、いろいろと危険というのは俺達みたいな雰囲気で生きてるタイプの天敵という事なのだろう。
だがしかし今の俺は、どちらかと言えば月見川さん側に立とうと頑張っている最中だ。
宇野宮さんの代わりに言ってみたのだが、月見川さんの言いたい事も理解できてしまう。
「お、近江君? 彼女の真名は『月の碧眼』よ」
「そ、そうなんだ? でも今その情報……いる?」
青い瞳がこちらを見据えている。
ピッタリな真名だとは思うけど、この状況を打開するのにはまったく関係の無い事である。
「ほ、他に何か情報は無いの? このままじゃ、動くに動けないんだけど?」
「幼稚園からの幼馴染よ。口やかましくて……あと、委員長とかしてたわ」
「誰が口やかましいって、麻央?」
「ひぃっ……」
宇野宮さんが、怒らせた。
俺は関係がない。これは宇野宮さんと月見川さんの問題だから、最初から関係ないんだけど。
どうにか俺だけでも帰れないかと考えていた時、疑問というか、小さな引っ掛かりを覚えた。
気のせいかもしれない。だが、当たっているとすれば、とりあえず逃げ出す事は可能になるかもしれない。
そんな打開策に繋がるアイデアがパッと閃いた。
それを確実なものにする為にと、宇野宮さんから情報を聞き出す必要が出てきた。
「あとは……いちいち細かくて、負けず嫌いで、お節介で、けっこう根に持つタイプね!」
「麻~央~!!」
宇野宮さんが、無自覚に月見川さんを煽る。
宇野宮さんにここまで煽られたら普通、キレてもおかしくない。 俺ならデコピンを一〇〇回は打ち込むだろう。
でも、月見川さんは動かない。いや……正確には『動けない』。
「宇野宮さんや宇野宮さんや」
「どうしたの? というか、どうにかしてよ!」
「月見川さんってさ……もしかして、男子が苦手なんじゃない?」
「――っ!?」
「そ、そうだった! すっかり忘れていたわ! 何故かは分からないけど、昔からコイツは男子が苦手。フッ……流石は『終末の手記者』といった所ね」
宇野宮さんが重要な情報を忘れていた事や、何故か今ドヤ顔になっているのは少し腹立たしさがある。
だけど俺は、とりあえず一歩……前に進んだ。
すると同時に、月見川さんが少し離れる。
俺と宇野宮さんは謎の勝利を確信していた。そして、調子にノッた。
「近江君! 行くのよ、コイツを倒す絶好の機会だわ!」
「ちょ、やめっ、それ以上は……」
少しだけ目に涙を浮かべ、焦っている表情の月見川さんを少しずつ追い詰めていく。
壁際まで追い詰めてようやく、自分のしている行動が普通にゲスいという事に気付いた。
人は追い詰められたら何をするか分からない。窮鼠だって猫を噛むのだから。
「近江君! 口ではまったく敵わなかったけど、こうしてコイツを倒せて私は満足よ」
「俺が一番悪いんだけど一応言うね……宇野宮さん、それはゲスい」
「…………な……い」
俺と宇野宮さんは、お互いのゲスさについての不毛な言い合いを始めた。
だから、反応が遅れてしまった……というよりかは、ほんとうに気付いてすらいなかった。
窮鼠が猫に噛みつくタイミングが、すぐそこまで迫っていた事に。
――パチィィィンッッ!!
甲高い音が響き、左の頬が熱くなっていくのを感じた。
痛みは少し遅れてやってきた……それだけ、俺の脳がこの状況を理解できていなかったという事だろう。
右手を振り切った月見川さんは、その格好のまま徹底抗戦という瞳を向けて来た。
宇野宮さんも驚いた顔をしていたが、それ以外にも何事かと、教室に残っていた生徒や今まさに帰ろうとしていた生徒達がこちらを見てくる。
「私は、負けない!」
「…………いや、痛い」
「そうだ……コイツ護身術とか習ってるんだった!」
(先に言ってくれよぉ、宇野宮さん)
これは、嫌がる女のを追い詰めた罰なんだろう。
言い訳になる事を承知で言わせて貰うと、護身術をやっていると知っていたら、追い詰めるなんて事はしていなかったと思う。というか、絶対にしていない。
宇野宮さんは、重要な情報ほど忘れてしまうという残念な特性でも持ってしまっているのだろうか。
この状況の始めは、宇野宮さんと月見川さんの二人の問題だったはずなのに。どうして今、俺が平手打ちされてるんだろうか。
そう考えると、自分で自分が恥ずかしくなったり、宇野宮さんへの呆れだったり、月見川さんへの罪悪感で精神的に疲れてきた。
「あの……月見川さん、怖がらせてごめんなさい。俺もう……帰ります」
「えっ? や、あの……」
「待って! 近江君が居なかったらヤバいわ、次が私の番になっちゃう!」
完全に戦意喪失して、トボトボと歩いて帰る。
そして俺を引き留めるのは、自分が叩かれるのだけは嫌な宇野宮さん。
そんな宇野宮さんの声に対して俺は、振り返る事をせず、何も躊躇わずにそのまま歩いて行った。
駅から家へと帰る途中にある駄菓子屋で、甘いのばかりを調達したのは無意識だった。
◇◇◇
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