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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第3章 マッド編 〜side Marika〜
96/105

96☆妹

 


「座って?」

 お姉さんはベッドサイドの丸椅子をずるずる引きずり、ぼくに座るよう促してきた。汐音も「どうぞ?」と言い、自分はお姉さんの足元にちょこんと腰かけた。

「えっと……失礼します」

 らしくなく緊張で妙な声になっていただろうか、汐音がぷっと吹き出した。

「なに緊張してんのよ。あんたらしくない」

「こら汐音? お友達にあんたなんて言わないのー。ごめんなさいね、口の悪い妹で。小学生の時はもうちょっとかわいかったんですけどね」

「ちょっとぉ、お姉ちゃんっ」

 母親か? 的な口ぶりと慌てる汐音のやりとりに、ぼくも思わず緊張が解けていく。

「獅子倉です。妹さんにはお世話に……」

 頭を下げようとしたところで汐音と目が合う。喉元で止まった言葉を急かすように尋ねてきた。

「お世話に……?」

「お世話に……」

「お世話に……なってます、でしょ?」

「妹さんのお世話してます」

 ぼくがきっぱり断言すると、お姉さんは「そうなんだ?」とにっこり微笑んだ。踏もうとして延ばしてきた汐音の足が視界に入ったが、ベッドが高くてちょっと届かなかったらしい。セーフ。

「仲良くしてくれてありがとうね。ガサツなくせに甘えん坊だから手が焼けるでしょう? 気が強いわりに泣き虫だし、そうかと思ったら急に独りで反省会し出すし……」

「お姉ちゃんっ!」

「何? ほんとのことじゃなーい」

 姉妹のツッコみ合いを間近にしながら、なんだか遠くから傍観しているような気分だった。

 お姉さんの柔らかい声が耳に心地よい。3つ年上と聞いていたが、6つ年上の虎二郎兄ちゃんよりもよっぽど大人びて見える。その分、慌てて抗議する汐音が子供っぽく見えた。当たり前だがお姉さんの前では『妹』なんだな、と思った。

 ぼくにも姉がいたら……こんな風に妹っぽくなれただろうか……。

 こんなコンプレックスの塊を抱えて来なかっただろうか……。

 母さんや兄ちゃんたちの望む『普通』になっていただろうか……。

「汐音、悪いけどコーヒー買ってきてくれない? 獅子倉さんは何がいい?」

「あっ、自分が買ってきますよ」

 立ち上がったぼくをお姉さんが制した。

「妹はね、親元離れたら羽根が生えたみたいで、ちょっと顔丸くなっちゃったみたいなの。少しくらい動かさないと、ね?」

「もーっ、お姉ちゃんっ!」

「分かった分かった。汐音のジュースも買ってきていいから、下の売店行ってきて?」

「そうじゃなくてー!」

 じたんだを踏む汐音はますます子供っぽい。くすくす笑うお姉さん。でも汐音もまんざらじゃない顔で「行ってくればいいんでしょー」とベッドから降りた。

「茉莉花? くれぐれもお姉ちゃんに変なこと言わないでよ?」

 三つ折りのウォレットを受け取った汐音は、振り返りざまに吐き捨て病室を出た。彼女の姿が見えなくなってベッドに視線を戻すと、お姉さんは目が合うなりにっこり微笑んだ。

「茉莉花ちゃんて言うんだ? 妹はずいぶん心開いてるみたいね」

「ははっ……そうなんですかね」

 ぼくも苦笑いを浮かべる。マスクの下が痛い。カーテンの向こうからコンコンとお隣さんの咳が聞こえた。

「あの子の傷、知ってるんでしょ?」

 お姉さんが上腕を摩った。

「はい……聞いてます」

「そっか……。カミングアウトしたきっかけはなんにしても、口にできるくらいまでには回復しててよかった。ここ1年くらい、さっきみたいな笑顔見せてくれなかったからね……。がんばって星花女子学園に入れてほんとによかった」

「お姉さんのことも聞いてます。大学受験があるのに、学校に行けなくなった自分の勉強をみててくれたって。星花を勧めてくれたのもお姉さんだって」

「あはっ、ずいぶんおいしいとこ取りさせてもらってるみたいねぇ。でも、その話には裏話があってね、あの時はすでに大学行くのやめようと思ってたのよ? 今はネイルサロンで修行中の身なの」

 お姉さんはその『裏話』とやらを話してくれた。

 国立に行きたかったが成績が足りそうになかったからとか、大学でやりたいことが見つからなそうだったからとか、だから社会に出て経験を積みたくなったからだとか、それらしい理由を述べてはいたが、ぼくには汐音を星花へ入学させるための自己犠牲としか聞こえなかった……。

 汐音が星花へ入学するとなると、両親に大きな負担がかかる。自分が大学へ進むとなると、もっと莫大なお金がかかる。長女である自分が働けば、少しは妹たちの学費の足しになるだろうとの進路変更に違いない……。

 姉って、そんなもんなのか……? 自分の人生を変えてまで妹の人生を守ろうとするのか……?

 いや、相葉家が特別なのだろう。親の収入事情だけでなく、汐音の事件が重なっているからだ。

 だからって……。

「汐音は多分ね、茉莉花ちゃんのことが好きなんだと思う」

「はいっ?」

 突然の言葉に目をひん剥いた。

「ほんとは気付いてるんじゃない? あの子の気持ち。トラウマで男嫌いのあの子が、茉莉花ちゃんみたいなボーイッシュの子と一緒にいるのよ? あの子のワガママに付き合ってくれてるから、心を許してるんだと思うんだけど……違うかなぁ?」

「んー……どうでしょうねぇ? 自分でも、なんで汐音がぼくと一緒にいてくれてるのか分かんないんですよね」

「うふふ、ほんとにぃ? 私には分かるけどな。すっごく大事にしてくれてるからだって。……ねっ、約束してくれる?」

 か細い小指を差し出された。ぼくは何のことか分からないまま視線を上げた。

「守ってあげて? あぁ見えて弱いの。だからあの子が壊れないように、どんな関係でもいいからそばにいてあげてくれない?」

「……どんな関係、でも?」

 ぼくたちの関係を気付いているのかそうでないのか、柔らかな微笑みと穏やかな口調だけでは分からなかった。

「ダメ、かな?」

 ピンと真っ直ぐだった小指が、力なく折れ曲がっていく。ぼくはそれを両手でそっと包み込んだ。

「約束しますよ。踏んだり蹴ったりされても」

「……踏んだり蹴ったり?」

 首を傾げたお姉さんだったが、すぐに「約束ね?」ともう片方の手を重ねてきた。

「まぁーりかーぁ? あんた、うちのお姉ちゃんにまでなにしてくれてんのよー!」

 ドスを効かせた声に、急いで手を引っ込めようとした。だが、上から覆っていたお姉さんの手が離れず、あわあわともがくしかなかった。

 ジト目でじりじりにじり寄ってくる。未開封の缶コーヒーで殴られたらたんこぶがダブルのアイスクリーム状態になってしまう。危機を感じたぼくは反射的に肩をすくめた。

「あれぇ? 汐音ってばヤキモチぃ?」

 未だぼくの手を包み込んだまま離さないお姉さんがいたずらな笑みを浮かべる。煽るな煽るなっ、お願いだから煽らないでくださいお姉さん!

「違うわよっ。こいつがいっつもいっつも誰それ構わずナンパするから……」

「そうなの? 私も口説かれちゃいそう。優しそうだし、声も素敵だし、マスクの下もきっと美形なんじゃない? 見てみたいな、マスクの下……」

 じっと覗き込むように見つめられてドキッとした。彼女に似ているからか? 鼓動はそのまま加速していく。

 包まれた手が熱を増していくのを感じる。顔も熱くなってきた気がする……。

 褒められることなんて慣れているのに、スキンシップなんて日常茶飯事なのに、身も心も包み込まれるような温かさにトキめ……。

 と、トキめ……?

「茉莉花のくせに、なに赤くなってんのよっ」

 言われて我に返った。

 ぼくは冷や汗を感じながら姉妹の顔を見比べた。お姉さんのほうは明らか冗談というにこにこ顔に対して、妹のほうはマジに受け止めているらしく、フグのように膨れている。

 ……こうして見ると、やっぱり入学当時より丸くなってるかも? おいしいもの与えすぎたかな? なんて反省してる場合じゃなくて……。

「ふふっ、冗談冗談。汐音もこっちおいで?」

 やっと解放した手でベッドをぽんぽんと叩くお姉さん。フグはフグのままどかっと座った。まだ冗談と認識し切れてないのか、なぜかこちらを睨み上げている。冗談を言ったのはぼくじゃないのにー……。

 同時にすね蹴りを喰らって悶絶する。さっきはつま先まで届かなかったからって、弁慶の泣き所とは卑怯なり……!

「いってぇ……! 酷いなぁ、ぼくはただ……」

 すねを摩りながらお姉さんと目を合わせる。お姉さんはただ、黙って首を振っていた。が、汐音が振り向くと同時に話を変えてきた。

「ねぇ汐音、女性ってさ、結婚して子供を授かるだけが幸せじゃないと私は思うのよね」

「……なに? 急に」

「ふふっ、あなたたち見てて思っただけ。友達でも恋人でも家族でも、一緒にいて落ち着くなーって人と一緒にいるだけで幸せだと思わない?」

 お姉さんはぼくと汐音の顔を交互に見た。諭されているようだった。どんな言葉が適切なのか返し損ねているうち、お姉さんは続きを重ねてきた。

「私は思うよ? 私にはあなたたちみたいにじゃれるような友達はいないし、恋人もいまはいない。でも、私は家族が大好きだから、一緒にいるのって幸せなことなんだなーって実感したの。汐音と久しぶりに会って改めて思ったよ? 私は汐音が大事だから、大事な妹には自分なりの幸せを見つけてほしいなって思ってる」

 汐音の目が微かに潤んだ。そんな妹の赤毛を、愛おしそうに細い指が鋤いていく。ぼくまで熱くこみ上げるものがあった。その美しい光景を、目に焼き付けておこうと思った。

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