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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第3章 マッド編 〜side Marika〜
94/105

94☆ふんだりけったりたこなぐり

 


 踏んだり蹴ったり……。

 とだけ聞けば、被害者側の状況を表す言葉だが、今回の肉体的『踏んだり蹴ったり』は汐音で、実際には結衣が『踏んだり蹴られたり』だった。

 ぼくはというと、精神的に『踏んだり蹴ったりタコ殴り』の刑に合い、散々な朝だった……。

 汐音に引きずられるように医務室に行き、「どうしたのっ、その顔!」と先生に驚かれたまではいいが、先生が直後汐音のほうをチラ見したものだから、「ほらぁ、やっぱり!」と疑われたことを責められ、また背中をどつかれる始末……。

 ぼく、充分不幸なのではー……?

 本来、布をギザギザに切る目的のピンキングハサミの傷口は厄介らしく、そこまで深くはないが、すぐに外科で縫ってもらわないとダメだと先生に説得された。

 ケガの理由を聞かれても、「衝動的に前髪切りたくなったんスけど、普通のハサミだとぱっつんになるじゃないッスかー。したら手元が……」などと自分でも苦しい嘘だと思いつつも貫き通した。もちろん疑いの眼差し満点だったが、手当てが先だと病院へ強引に連行された。

 自分も同行するとせっついた汐音だったが、案の定先生に「相葉さんは授業に戻りなさい」と一喝され、しぶしぶ医務室を後にしていった。心配症の彼女のことなので、きっと授業中もぼくからの連絡が来ていないか、そわそわスマホを覗いたことだろう……。

 ぼくが病院から戻ったのは、昼休みの終わる直前だった。

 バッグを机に置いたまま午前中丸々欠席したぼくが、戻ってくるや否や教室内は騒然とした。現れたと思えば、頬に巨大なガーゼを貼り付けていたのだからごく自然なリアクションだろう。

 ケンカの勲章のようなガーゼの理由……いや、嘘を、何十回説明しただろうか……。

 当たり前だがしゃべるだけでも痛い。そうでなくても外科医に「あまりしゃべらないように。傷が残るかもしれませんよ?」と脅されているのだ。それは困る。非常に困る。

 しばらくはカラオケも部活もおあずけかー……なんて、いつもの呑気な自分が退屈なため息をついた。

 それくらいポジティブな性格で救われたのかもしれない……。

 あの後、結衣は「もう二度と近付かない」と許しを請うてきた。同然だが、ほんとかどうかは定かではない。頑として足をどかさなかった我慢比べに、今日のところは汐音が勝ったというだけだ。

 少なくとも四半世紀以上の嫉妬なのだ。根は深い。兄妹のいざこざに娘たちが巻き込まれているというのを、母さんは多分知らない。ぼくの大事なイケメンフェイスに傷を付けるまで追い込まれていた結衣だって、充分被害者だ。

 だから、ぼくは結衣を憎みきれない……。元々人を憎だことなどないけれど、足をどかした途端にわんわん泣きだした結衣に同情すら覚えたくらいだ。

 あれは踏まれた痛みなんかじゃない。父の闇に染まりきれなかった情けなさ、貶めきれなかった悔しさ、見せつけられた愛情……それ以外にも、ぼくらには想像しきれない葛藤があったに違いない。もう一度父に愛されたいと願う少女の涙だと、ぼくは信じている。

 いくらぼくが涙に弱いといえど、急に現れた親族ゆえの情状酌量じゃない。むしろぼくはこれからも叔父と従姉妹の存在について知らなかったふりをしていくつもりだ。

 優しすぎると汐音に責められたが、ぼくはこの事件は口外しないと結衣に約束した。初犯なので執行猶予付きだ。でも二度目は許さないと忠告した。具体的には考えていないけれど。

 人は大なり小なりコンプレックスを抱えている。ぼくだってそうだ。心の闇を消すことなんて容易くないのだから、時間がかかっても薄まっていってくれることを願うことしかぼくにはできない。

 宝城結衣にもその父親にも、憎むことでいつまでも、獅子倉菫と獅子倉茉莉花に縛られてほしくない……。

 和解する時が来るとは思えないし、溝を埋めるつもりもない。それでも、せめて結衣だけでもぼくと出会う前の生活に戻ってくれればいいな、と心から思う。

 だって、ぼくが幸せでいることで誰かが不幸に鳴るなんて、そんなの理不尽だけどお互いに切なすぎるじゃん……。

 誰の不幸も気にせず、笑っていたいじゃん……。

 *

 しかし、本当に迷惑な部位に傷を作ってくれたもんだ……!

 負傷直後なので仕方ないが、じっとしていてもズキズキ痛い。しゃべっても痛い。当然頬杖はつけない。あくびもできない。食べ損ねたランチなんて食べる気分になれそうにない。

 だけどぼくの性格上、痛い顔も苦しい顔も見られたくないので、ついついへらへら笑顔を作ってしまう。我ながらめんどくさい脊髄反射だ。

 自分でも見ていないが、あのギザギザの刃先でやられたのだ、傷跡はさぞかしグロいに違いない。へーきへーき、と青アザひとつとかならまだしも、グロい傷跡をさらすわけにもいかないので、抜糸してもしばらくはマスク生活だろうか……。おしおきか罰ゲームな気分だ……。

「茉莉花ぁ?」

 5時間目が終わると同時に、クラスメイトたちがぼくの席を囲もうとしていた。だがその輪は教室外からの声でCの字で止まった。

 ぼくが病院に行っている間にちょっとクールダウンしたのだろう汐音が扉のほうへ手招きしている。残念そうなクラスメイトたちに「ごめん、後でね」と片手を上げ廊下へ急いだ。

「お昼、食べてないんでしょ? ほらっ」

 ガサッと差し出されたのは、ゼリー飲料とチョコレートが入ったビニール袋。お腹は空いているだろうが咀嚼は痛いだろうという汐音の計らいがめちゃめちゃ嬉しくて思わず笑みが……。

「……笑わないほうがいいんじゃない? 痛いんでしょ?」

「うん、めちゃめちゃ。ありがと。こういうものに着目できるとは、汐音はさすがだね」

 例え校内でも、恋人の前だと素直に痛いと言えた。嬉しくて頬が緩んでしまうのは生理現象なので気をつけようがない。

「6時間目始まる前に飲んじゃいなさいよ? じゃあね」

 口ぶりはそっけなくとも、心配が表情ににじみ出ていて愛おしい。しかし今衝動的に抱きしめてビンタでも喰らおうものならシャレにならないので「はーい!」とだけ返し自主規制した。

 まだ幾人かのクラスメイトたちが席を囲んでいる。ぼくはその輪に戻り、ゼリー飲料を咥えながら応対した。咥えながら喋ると、あまり口を大きく開けなくて済むことに気が付いた。帰りにおしゃぶりでも買いに行こうかな、なんてバカなことも考えた。


 *

「きゃははははっ! しーちゃんてば、めちゃめちゃかっこいいじゃーん! ちぃが女の子だったら絶対惚れてるよぉ」

「千歳は元々女の子だろーが。ったく、笑いごとじゃないっつーの」

「例えだよ、例えー。いやぁ、朝メッセよこしてきた時は何事かと思ったけど……まぁ2人とも無事でよかったよかった、うんうん!」

 219号室。その夜、ぼく以上にのんき者の千歳に報告している間、鈴芽ちゃんは隣でムンクの叫びのような顔で硬直していた。穏やかな上流家庭で育っているのでケンカともケガとも無縁なのだろう。卒倒しそうでちょっと心配になる。

 2人には心配をかけたし、特に鈴芽ちゃんは責任を感じていたので詳細に話したが、現段階では龍一兄ちゃんやうちの家族には口外しないでくれと頭を下げた。万が一の確立でぼくの姉になる可能性のある鈴芽ちゃんだって、この学園にいる以上は回り回って巻き込まれるかもしれないけれど、まぁそこまで心配したらキリがない……。

 なにより、歪んでしまった結衣を信じてあげたい……。

「光あるところに闇あり、ですね……。私も、龍一さんのお母様にお兄様がいらっしゃるとは知りませんでした。今回のことは口外しませんけれど、次に何かあった時には即刻龍一さんに相談しますので、その点はご了承くださいね」

 ようやくムンクが冷静さを取り戻した。

「分かった分かった。その時はぼくもちゃんと言うよ。これ以上傷つけられてフランケンになるのはヤダかんね」

 だははっと苦笑いしたところで、脇腹に汐音の肘鉄がヒットした。無理に笑うんじゃないわよ、という優しさなのだろうけど、もう少し別の方法で示していただきたい……。

「まぁぼくはともかく、汐音に何もなくてよかったよ。ねっ、汐音」

「しばらくは軟飯でって医務室の先生から食堂にお願いしてくれたみたいよ? 周りに迷惑かけてるくせに、なーにが『なにもなくて』よっ」

 また怒られた……。

「はいはい。すいませーん」

「顔が反省してない」

「なんだよもうっ。何言っても怒られるんなら、もう汐音とは口きかないぞー?」

 ぼくがすねたところで「ほんっと仲いいねぇ」と千歳が爆笑する。隣で鈴芽ちゃんがそわそわし始めた。

「あのっ、獅子倉さん……申し訳ありません」

 ぺこっと頭を下げられて、全員がきょとんとなった。

「いきなりどうしたの?」

「えぇと……実は龍一さんから誕生日プレゼントを預かっていたのですけれど、昨日こちらを訪ねたらカラオケに行ってらっしゃると伺いまして。出直そうと思っていたのですが、その後すっかり忘れていまして……」

 もじもじしながら見上げてくるおかっぱ人形。常に冷静沈着なしっかり者の鈴芽ちゃんでもうっかりすることがあるんだな、なんてほっこりした。

「あー、そういえばぼくも兄ちゃんから電話もらってたけど、カラオケ中だからじゃーねーって切っちゃったままかけ直してなかったんだった。」

「そうなのですか? お兄様一同とご両親からと2つ預かっていまして。こんな時になんなんですけれど、今お持ちしてもよろしいですか?」

 もちろん、と微笑みかけてまた痛む。一礼して部屋を出ていく小さな背中を見送りながら、なんだかなー……と複雑な気持ちになった。

『愛されるのがそんなに怖いの?』

 解決したはずの言葉がリフレインする。

 傍から見たら幸せなのだろう。もちろん実際に幸せだと思う。

 ぼくはただ、過剰な愛情が怖いだけだ。

 ふと思う。母さんの異常な愛着障害は、結衣の父親との間に何かあっての発症だったのだろうか、と……。

 ぬるま湯で贅沢に与えられ続けるだけだったガキんちょのぼくには分からない。家族の過剰な愛情が疎ましいと思ってしまうくらいの贅沢者のぼくには、愛したいのに愛せなかった人の気持ちも、愛されたいのに愛されなかった人の気持ちも……。

「お待たせしました」

 鈴芽ちゃんの少し弾んだ声で我に返った。

「こちらがお兄様方からで、こちらがご両親から、とのことです。週末に預かっていましたのに、1日遅れて本当に申し訳ありません」

 空になった小さな両手を揃え、深々と頭を下げられて恐縮してしまう。ぼくはその肩を掴んで「いいよいいよ」と揺さぶった。

「兄ちゃんたちだって送ってくれればいいものを、わざわざ鈴芽ちゃんに託したんだろ? そんなに責任感じなくていいって。逆にごめんね。ありがと、鈴芽ちゃん」

「いいえ、お預かりした以上は……。それと、細やかですが、こちらは私からです」

「マジでっ? ありがと!」

 水色の紙袋を差し出したままの鈴芽ちゃんをむぎゅっと抱きしめた。汐音と千歳が微笑ましく見守る中、きゃしゃな鈴芽ちゃんだけが「えぇと、えぇと……」とぼくの腕の中であたふたしていた。

「さあさっ、そろそろ鈴ちゃん返してもらうぞぉ? 茉莉花もちぃたちがいるとオートで愛想笑い発動しちゃうからねぇ。せいぜい今日はしーちゃんにビンタされない程度によろしく甘えればいいよぉ! むふふふふ」

 千歳がハサミで作られたたんこぶをちょんちょんしてきた。痛みで反射的に鈴芽ちゃんを手放す。

「おいこらっ、ほんっとに痛いんだからなー?」

「むふっ、めんごめんご! しーちゃんに膝枕でもしてもらいながら冷やしなよー? んじゃーねー」

 半ば引きずられる鈴芽ちゃんと千歳が部屋を出て行く。バタン、という音と共にどっと疲れが沸いてきた。

「しおーん」

「なによ、あたしとは口ききたくなかったんじゃないの?」

「嘘に決まってんだろー? ねっ、ねっ、膝枕して?」

 返事を待たず寝転がるぼくを黙って見下ろしていた汐音だったが、小さなため息をついてベッドに腰かけた。むっちりした太腿にすかさず右頬をくっつける。自然に瞼が閉じていく。

「ごめんね、茉莉花」

「うん?」

「あたしがあの女について行ったからこんなことになったんだもんね……」

 汐音の指先がそっと頬のガーゼをなぞる。

「勇ましく乗り込んできてくれた汐音がいたからこれだけで済んだんだ。さっきも言ったけど、ケガしたのがぼくだけでほんとによかったと思ってるよ?」

「……ううん、軽率だったって反省してる。雰囲気的にファンの子じゃないなって思ったし、髪色のせいで中学の頃は先輩の呼び出しなんて珍しくなかったから、『話しあるんだけどいい?』って言われて、てっきりあたしに言いたいことがあるんだって勝手に思っちゃって……」

「汐音は悪くないよ。いつも巻き込んじゃうのはぼく絡みのいざこざなんだし、むしろぼくが謝らないとだね」

 ぼくも歯音の頬に触れる。下から眺める猫目は穏やかだ。

「プレゼント、開けないの? 龍一さんに折り返しの電話もしないとじゃない?」

「もうちょっと浸らせてくれたっていーじゃんか。いいんだよ、どうせ後でちゃんと御礼のメッセしとくんだから」

 駄々っ子のように足をバタつかせる。掛け布団がばふばふ鳴った。話を聞いてなかったんだか聞いてないふりをしてるんだか、汐音はぼくのお腹の上に、ドサッとプレゼントを乗せた。

「いくら家族といえど、人の好意は無駄にしないの!」

「はいはい。んじゃ開けますよ……」

 貧しい家庭で育ったから物を大切にする気持ちは人一倍なのだろう。急かされたぼくは寝転がったまま包装紙を奇麗に剥がした。

 家族の前に鈴芽ちゃんからのプレゼント。中身は緑茶の香りのハンドクリームだった。和のよく似合う鈴芽ちゃんらしいチョイスだな、と思った。

 次に両親からと渡された長細い箱。お菓子? と想像しながら蓋を開けると……。

「うわっ! マジかよ……」

 思わず声が漏れた。緑茶のハンドクリームに鼻を近付け「いい香りー!」と感動している汐音に見られないうちにガバッと蓋を閉じた。

「どうしたの? ご両親からの、何だったの?」

「い、いや……好きなもん買えってこと、かな……? あはは」

 言えないっ! 分厚い札束だったなんて言えない!

 珍しく疑うことなく「お小遣いかぁ。思いつかなかったのかなぁ? まぁそれが1番嬉しいわよねぇ」と受け止めている。桁なんて予想がつかず、せいぜい一万円くらいかと想像していることだろう……。

 そりゃ小遣いは多けりゃ有り難いけれど、ずぶ濡れの母さんを好美さんに押しつけて出て行った娘が貰う金額じゃないだろー……。むしろ減額されてもおかしくない行動だったと思うんですけどー?

 こりゃ後でちゃんと電話しとかないと鈴芽ちゃんがよからぬ疑惑をかけられてもいけないな、と傍らに置く。

 最後に兄ちゃんたちからの袋。……なにやら柔らかい物が入っている。まさかこのぼくにぬいぐるみなんかじゃないだろうな……と嫌な予感がしつつもそっと開封した。

「……これを茉莉花にっ? あははははっ!」

 絶句するぼくとプレゼントを見比べて爆笑する汐音……。

 それもそのはずだ。

「絶っ対虎二郎兄ちゃんだろ、これ選んだのーぉ!」

 中から出てきたのは、超高級そうなピンクゴールドのチャイナドレスと、ショッキングピンクのスケスケランジェリーセット……。

「ふっざけんなよー、バカ兄貴ーぃ! 誰が着てやるもんかー!」

 紅潮して、また傷が痛むぼくだった。



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