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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第3章 マッド編 〜side Marika〜
86/105

86☆乙女スイッチ

 


 寮に戻ったのは門限ギリギリのビリっけつ。22時以降は入浴も制限されるので、先ほどぼくらの前方を歩いていた子たちが忙しなく廊下を行き来している。みんながバタバタしている今なら、あまり人の目を気にせず浴びれるだろうと計算し、ぼくもシャワーブースへダッシュした。

 とはいえやはり気になるものは気になるので、カーテンレールにタオルと着替え、それとバスローブを引っかけ、シャワーブースの中で脱ぎ着をする。髪から滴が垂れていようがおかまいなしに、タイミングを見計らい、こそこそと浴場を後にした。

 部屋は真っ暗だった。汐音はまだ浴場らしい。ベッドには紺地に大輪の百合の花が描かれた、汐音の抜け殻だけが無造作に横たわっていた。

 急いでいたから気が付かなかった。着方も分からなかったのだから、脱ぐのにも一苦労しただろう。先に行かずに脱がしてあげればよかったな、とちょっと反省……。

 また『そういうとこよ!』って怒られるんだろうなぁ……。

 ぼくは少し癖のある髪をタオルでわしゃわしゃしながら、母さんが買ってくれた浴衣を手に取った。かわいい彼女が袖を通していなければ、今頃もずっとタンスの肥やしになっていたのであろう浴衣を。

 ふと、帯に目が行った。裏返しになっているそれに、何か文字が書いてある。ぼくは今度は帯を手に取った。

 藤色の地にすみれ色の糸で『菫to茉莉花』と刺繍されていた。

 すみれ……。紫色が好きな、ぼくの母さんの名前だ。母から娘へ、とかわざわざ刺繍するなんて、さすがうちのこじらせ母さん……。

 タオルを首にかけ、ぼくは帯と浴衣を丁寧に畳んだ。奇麗な四角になったそれを抱えると、さっき汐音に刺された言葉が頭の中でリフレインした。

『あんたって、愛されることがそんなに怖いの?』

 ……確かにぼくは、愛することが怖いと思ったことがあった。失った時の苦しさを知ってしまったから。こんな苦しい思いをするくらいなら、初めから好きになんてならなきゃよかったと思ったことがあった。

 だけど、その逆はどうだ? 深く考えたことなんてなかった……。

 愛されることが怖い……? 

 分からない。いや、そんなはずはない。汐音の考えすぎだ。ぼくの生い立ちをちゃんと話せば、きっと勘違いだって気付いてくれるだろう。

「ただいま」

 ぎくっと肩がすくんでしまった。何を焦ることがある? ぼくは特に悪いことをしていたわけでもないのに、錆び付いたかのような頸椎をぎこぎこ回し後方を向いた。

「……何してんの? もしかして、あたしの汗の匂い嗅いでたわけじゃないでしょうね?」

「んなわけないだろっ。汐音がぐちゃぐちゃに脱いでたから、畳んでただけだよっ」

「ふーん……。だったらそんな慌てることないじゃない」

 汐音はいぶかしげな視線をよこしながら、ベッドにばふんと腰かけた。こちらに水滴を飛ばしていることに気付いているのかそうでないのか、鎖骨の下まである赤毛をわしゃわしゃタオルドライしだした。

 時刻はちょうど22時だった。ほぼびしょいしょのまま帰ってきたらしい。ぼくは自分のタオルで彼女の髪を挟み、ぽんぽん叩いて水滴を取ってやった。

「あんたも半乾きじゃない。先に乾かしたら?」

「いいんだよ、ぼくは。それより姫さんが風邪でもひいたら大変だろ?」

「……そっちの方が姫さんなくせに……。箱入り娘どころか、宝石箱入りお嬢様なくせに……」

 タオルの隙間から猫目がじろりと見上げてくる。

「それは家の話しだろ? ぼくにとっての姫は汐音だけだかんな?」

「……はいはい、子猫ちゃんはいっぱい飼ってらっしゃるけどね」

「んもー、なんなんだよぉ」

 ぼくは汐音の隣にばふんと腰掛けた。タオルを剥ぎ取ると、剥きたてのゆでたまごがつるんとお目見えする。

「あんたのベッドあっちでしょ」

「なにすねてんだって。さっきの話なら答えただろ? それとも服取りに行かなかったこと、まだ怒ってんのかよ」

「……」

「しおーん、今日はチューすらお預けなんだぞー? いつまでもむくれてないで、ね? 仲良くしよーよ……」

 耳元で甘く囁く。肩に手を回したところでタオルを顔面に押しつけられた。「今日はそんな気分じゃない」と言い捨てて、ドライヤーを取りに立ってしまった。

「ちぇーっ。いーさいーさ、汐音が寝たら、思う存分チュッチュしてやるかんなっ」

「あっそ、好きにしたら? 布団かけずにパンイチで寝るけど、それでもよければ」

「冷たっ! あのなぁ、言わせてもらうけど、ぼくは……」

 言いかけたところで、部屋の扉が勢いよく開かれた。ぼくと汐音はぎょっとして振り返る。ノックもなしの来訪者は、お構いなしにずかずか踏み込んできた。

「茉莉花のバカバカバカバカーぁ! ずるっこずるっこいじめっこーぉ!」

 半泣きで突入してきたのは、浴衣の布が成長に追いつかず、谷間丸出しの千歳だった。ベッドに腰かけたままのぼくへまっしぐらだ。

「うわっ! ち、千歳っ! こっち来んなっ! 落ち着けっ!」

「ひどいひどいひどいっ! ちぃも鈴ちゃんと花火行きたかったのにぃ! 茉莉花ってばどーしてどーしてちぃだけ呼んでくれなかったのー!」

「呼ばなかったわけじゃなくて、ぼくだって……おわっ!」

 勢いそのままに突進され、ぼくはベッドに押し倒された。馬乗りになってきた千歳のデカメロンが、ノー晒なぼくの胸にドドンと乗っかって苦しい。

「見たんだからぁ、見たんだからぁ。鈴ちゃん誘って行こうと思ったらさぁ、龍一さんが迎えに来ててさぁ、車手びゅーんって行っちゃったからさぁ、ちぃも混ぜてもらおーって思って会場行ったらさぁ、変なお面被った明らか茉莉花としーちゃん見つけたからさぁ」

 明らか茉莉花って……。まぁ、汐音の赤毛を知ってる人なら、隣にいるのが誰だか創造つくかもしれないけど、ニオイを嗅ぎつけるとはさすが千歳。鈴芽ちゃんへの執念が恐ろしい。見開きっぱなしのレモン目に、みるみる涙が浮かんできた。

「追っかけて行ったのにさぁ、警備員さんに止められちゃってさぁ、『ここから先は主催者関係席です』って通せんぼされたのーぉ。うわぁぁぁぁぁん! ひどいよ、ひどいよぉぉぉ!」

「わ、分かった! ぼくが悪かった! 謝るから、謝るから降りてくれっ、苦しいって!」

 千歳が駄々っ子のように顔をぶんぶん振る度、デカメロンにぐいぐい圧迫されていく。体勢的に谷間が更にモロ見えで目のやり場にも困る。顔が火照っていく。まずい、このままでは鼻血が……!

 巨乳に挟まれて窒息死したいとほざくおっさんがいると聞いたことがあるけれど、ぜひとも今すぐに変わっていただきたいっ!

「確かに、龍一さんに頼んで千歳の分も席用意してもらえばよかったわね。でも茉莉花は花火大会、忘れてたみたいよ? あたしも前日に誘われたの」

 汐音がドライヤー片手に、千歳の首根っこを掴んで起こしてくれた。猫みたいだ。ようやく開放されたぼくはすかさず後ずさりながら身を起こした。

 ベッドに正座した千歳は「そうなのぉ?」と涙声。ずびずび鼻をすすっているので、汐音がティッシュ箱をよこしてやった。

「鈴ちゃんち行ったら今日は帰ってこないってママさんに言われてさぁ、じゃあ寮かなーって急いで戻ってきてもいなくてさぁ、分かってるけどさぁ、分かってるけどさぁ、鈴ちゃんは龍一さんが好きだって分かってるんだけどさぁ、ちぃだってさぁ、鈴ちゃんと花火見たかったんだよぉ! せめて浴衣の鈴ちゃんと写真撮りたかったんだよぉぉぉ!」

 両足をバタつかせながら再びギャン泣きする千歳。ぼくと汐音は、同情と呆れの混じったため息をついた。

 叶わぬ横恋慕か……。千歳の涙にちくっとなる。

 我が兄ながら、罪なことしてくれるよ、ロリコン社長め。自分のタワマンにでもお持ち帰りしたか?

 入学当初からぼくと汐音の間を取り持ってくれた千歳。ケンカした時も、トラブルに巻き込まれそうになった時も、困った時はいつも何も言わなくても察してくれて、ぼくらを支えてくれた千歳。

 明るくてお調子者で、空気読めていないようで読んでいて、天然だけど頼もしい、元ぼくのルームメイト。

 大混雑で会えるかも分からないのを承知で会場まで追っかけて会えず、せめて写真だけでもと夏休みだというのに寮まで戻ってきても会えず……。

 横恋慕と知っていながらも、千歳は鈴芽ちゃんを諦めるつもりはないと言っていた。龍一兄ちゃんとの仲を壊すつもりもないとも言っていた。割り切ってはいるけれど、好きな人と一緒にいたいという気持ちまでは抑えきれないのだろう……。

 好きでいるって、そういうことだよな……。

「ごめん、千歳……。そりゃそうだよな、千歳だって行きたかったよな。自分のことばっか考えてたよ、マジごめん……」

「ちぃね、夏休みずっと『満福』の地方キャンペーン行ってたの。昨日やっと終わって帰ってきて、やっと鈴ちゃんに会えるーっって思ったのにね……」

 千歳は箱ティッシュを抱え、目元と鼻周りをぐちゃぐちゃに拭いている。鼻をかむか涙を拭うか1つずつやれよ、と内心思いつつ「そっかそっか」とツヤのある黒髪を撫でてやった。

 汐音はドライヤーを諦め、デスクチェアにもたれた。汐音にとっても千歳は恩人だ。心配そうに見つめている。だけどぼく同様、どうしてあげることもできない歯がゆさでいっぱいだろう……。

 やっぱり慣れないな、女の子の涙には……。

「茉莉花としぃちゃんはさぁ」

 一度鼻をチーンと豪快にかみ、千歳は眉尻を垂らした。

「諦めちゃダメだよ? いっつもいーっつもケンカしてるけど、運命の人はずぇーったい手放しちゃダメっ! 簡単に別れるなんて言ったら、ちぃが許さないかんね?」

「ぼくが汐音を手放すわけないだろ? なっ、しおーん」

 千歳と共に振り向くが、汐音はじっと千歳を見つめていた。

「あたしには運命とか永遠とか分かんないけどさ、千歳に言われると重たさを感じるわね」

「うんうん、しぃちゃんなら分かってくれるよねー? ちぃはね、鈴ちゃんが運命の人だと思ってるの。でも鈴ちゃんには龍一さんがいるでしょ? 鈴ちゃんにとって誰が運命の人か分かんないけど、ちぃはいつか鈴ちゃんがこっちきてくれるのずっと待ってる! 諦めないで待ってるんだぁ!」

 いつものように早口で、えへん、とデカメロンを天井に向け口角を上げてみせているけれど、頬に残る涙の跡には数ミリの説得力も感じられなかった……。

「さぁーて、茉莉花にいーこいーこしてもらったらすっきりしたし、お邪魔虫はそろそろ退散しますかねー。あ、バルサンしなくても退散するよ? 虫さんだけにね、あははははっ!」

 お決まりの親父ギャグを飛ばしたところで、「これ、あんがとね!」とティッシュ箱を汐音に返し、千歳はうーんと背伸びをした。

「あ、心配しなくても聞き耳立てたりしないからお構いなくやっちゃってねー! なんつっても花火の後なんだし、萌え萌えファイヤーしちゃうよねぇ、うんうん。どーぞどーぞどんどんやっちゃってぇ? 花火だけにどんどんね、あははははっ!」

「……お、お前なぁ……そんなこと言われて……」

「えっ? あー、そんなこと言われなくても萌え萌えファイヤーするよね、うんうん! んじゃ、ちぃはこの辺でーぇ」

 これじゃムード作ろうにも持ってけないだろー! とわなわなするぼくをよそに、千歳はイチゴ柄の浴衣を翻し、何事もなかったかのように「おーんやすみーぃ」と去っていった。

「ちょっと、かわいそうだったかも……」

 呟いてくるりとデスクチェアごと背を向け、汐音はドライヤーをかけ始めた。ぼくはおとなしく自分のベッドに転がる。あーぁ、浴衣姿の汐音、ご機嫌でかわいかったなぁ……と瞼を閉じた。

 汐音といい千歳といい、今日は花火大会で乙女スイッチ全開かよ……。アゲアゲな曲を聞きたい時に限ってバラードばかり流れてくる時のような気分だ……。



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