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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第3章 マッド編 〜side Marika〜
83/105

83☆おもいでめぐり

 

 薄着は嫌いだ。ぴたっとした服も嫌いだ。晒が透けるから。でも、胸の膨らみが分かってしまう服はもっと嫌いだ……。

 花火大会といえど、毎年特別なお出かけ着は着ない。だけど今年の夏はちょっとだけ特別なワイシャツを選んだ。

 七分袖を肘上までまくり、ボタンは2つ開ける。秋物なのでちょっと厚手なのだが、汐音とお揃いにしたくて紺色を選んだ。暑くないの? と尋ねてくる浴衣姿の汐音の額にも、うっすら汗が浮かんでいる。

 そりゃそうだ、今日は猛暑も猛暑……。

「少し休もうか? ぼくは全然大丈夫だけど、鼻緒、痛くない?」

「ううん、大丈夫。むしろ裸足だからスニーカーよりましかも。あんたこそ喉渇いたんじゃないの? 休む?」

 アスファルトで汐音の下駄がカランコロンと心地よい音を鳴らす。ヤンチャだった頃に通っていた小学校と、詩織との苦い……いや、甘酸っぱい思い出の中学校を回り、やっと陽の傾きだした地元を案内している。

 景色は何も変わっていない。まだここを離れてから5ヶ月だというのに、ずいぶん懐かしいような気がしていた。そりゃそうか、たった5ヶ月だ。

 そして1年前のぼくは、やっと立ち直った頃だっただろうか……。

 しみじみしていると、赤毛の彼女が心配そうに覗き込んできた。具合悪いのかと思われただろうか、耳元を伝う汗をハンカチで拭い、「そうだね」と応えた。

「休もうか。駅まで戻らなくても隠れ家カフェとかもあるよ」

「カフェなんてどうせ高いから、あたしは木陰で自販のジュース飲むだけでいい」

「えー、木陰ったって……」

 頭の中でグールグルマップを起動させる。ここは高級住宅地だ。ひたすらデカい家が並んでいるだけなので、緑は非常に少ない。木があっても人ん家の庭だ。川辺まで行けば少し木陰もあるにはあるが……。

「そうよね、こんな閑静な住宅街には公園なんてないわよね」

 汐音が苦笑いして言った。ぼくの中のグールグルマップが、思い出の公園に矢印を下ろした。無意識に記憶から抹消していた公園を……。

「ほんとに公園でいいのかよ。たまには隠れ家カフェってのも……」

「たまにはいいじゃない。浴衣で公園ってのも」

 嬉しそうに笑うので、ぼくは折れてやることにした。「暑くたって知らないからなー?」と脅してみるけれど、汐音はるんるんで下駄を鳴らしている。

 公園の手前には恵みの自販機があった。ジンジャーエールを2本買う。ボタンも取り出し口のパタパタも、火傷しそうに熱くなっていた。

 大きな人工池のある公園。詩織と内緒のデートをした場所。最後に会った場所。残酷な告白を受けた場所。ぼくがフラれた場所……。

 入り口で立ち止まるぼくに気付かず、汐音は人工池の方へ吸い寄せられている。下駄の音がカランコロンからザクザクに変わっていた。

「あれ? 茉莉花?」

 池の手すりの寸前で汐音が振り返った。ぼくは慌てて駆寄る。首を傾げる浴衣美人の手を取り、「ベンチに座ろう」と木陰へ誘った。

 もう終わりにしただろ、ぼくの初恋は……。

「はいよ、ジンジャー」

「ありがと。こんなところにおっきい公園があっていいわね。池があるからか、結構涼しいし」

「だろ? 子供の頃はよく遊びに来てたよ。ヒーローごっことか、チャンバラごっことかしてね」

「あははっ、茉莉花らしいわねっ」

 ご機嫌にケラケラ笑う汐音。どうやら相当浴衣がお気に召したらしい。

 上書きされていく。これでいいんだ……。

 ジンジャーエールを飲みながら、汐音は足の指をグーパーしている。やっぱり鼻緒が痛いのだろう。履き慣れない下駄に疲れたのだろう。我慢しなくたっていいのに……。

「茉莉花、向こう岸も行ってみたい。ぐるっと一周しようよ」

 指差す先は遊具コーナーだ。さすがにこの猛暑では人っ子ひとり見当たらないが、砂場やブランコ、そして滑り台などがある。

「いいよ。今日は姫さんのわがまま、なんでも聞くよ」

「むっ、わがままですって?」

 口を尖らせた汐音が下駄を履き直す。とっさに察したぼくは、慌ててベンチを立った。今日は踏まれたらシャレにならない。

 冗談よ、と言って汐音も立ち上がった。ぼくは汐音の分のペットボトルもバッグに入れ、そっと小指を差し出した。一瞬引っ込めかけた汐音だったが、辺りに誰もいないのを確認し、そっと絡ませてきた。

 木陰を選びながら、ゆっくりゆっくり歩く。今のこの時を噛みしめるように。汐音との時間を味わうように……。

 池を半周したところで遊具コーナーに到着。陽が傾いているとはいえ、まだまだ明るいのに子供たちがいないというのは不思議な感じだった。この世にぼくたちだけが取り残されているみたいだった。

 ぼくは足を止めることなく、真っ先に滑り台へ向かった。夕日が反射していて眩しい。見上げてみると、こんなに小さかったかな、と思った。

「ここでヒーローごっこしてたの? 飛び降りて骨折した思い出の場所とか?」

「……まぁ、やんちゃな思い出には違いないかな?」

 骨ではなく、心が折れた思い出の場所、だけどね……。

 絡めた指を離し、ぼくはひとり手すりに触れる。当然だが、あの日くくりつけたヘアゴムはもうない。氷のように冷たかった手すりは、火傷しそうに熱かった。

「ぼくはね、中学の時、かあさんが髪を切らせてくれなくてふたつ結びにしてたんだ」

「えーっ、想像できなーい!」

 ケラケラ笑う汐音。ぼくだって他人のような気がしている。

 あんなに好きだった詩織に未練がない自分が……。

 思い出を辿っても、初恋の苦みがこみ上げてこない。顔は思い出せるのに、後悔の気持ちは蘇らない。

「どうしたの? 怒った?」

 無邪気に覗き込んでくる汐音に振り向く。忘れられるものなんだなと思えた。大切にしたい人ができたから……。

「んなわけないじゃん。姫さんがぼくに怒ることはしょっちゅうあるけど、ぼくが姫さんに怒ったことはないだろって」

「はぁっ? あたしがいつも怒ってるみたいに言わないでよね。あんただって何回かは……」

 ほら、そういうとこだぞ?

 自主規制した汐音が黙る。笑いを堪えるぼくも黙る。

「でも、そういうとこも好きだよ?」

 にっこり笑うと汐音はムッとする。

「そろそろ川辺行きたい。屋台見てみたい」

「おいー、なんで流すんだよー。ぼくはこんなに……」

「はいはい。もっと詩織ちゃんとの思い出に浸りたいなら付き合うけど?」

 お見通しだった……。返答に困ったぼくは、考えた末に「てへぺろ」と舌を出した。呆れたようにため息をついた汐音は黙ったままぼくを抱き寄せた。

「ごめん、汐音……。不安にさせちゃった?」

「……ううん、バカ茉莉花だなーって思っただけ」

「だから、違うんだよぉ。別に詩織のことは……」

「分かってる。あたしに一途なくせに、自分の気持ち確かめるような顔しちゃってさ、バカだなーって思ってただけよ」

 敵わないな、ほんと……。

 この公園でのこと、滑り台でのこと、手すりのこと、何一つ話していなくても、ちゃんと理解されてしまう……。

 木々が風でざわざわと鳴っている。彼女の後れ毛がぼくの鼻をくすぐる。

 怒りんぼで泣き虫な彼女のしっとりとした首筋に唇を寄せ、耳元で囁く。

「ちゃんと分かっててくれて嬉しいよ。大丈夫、汐音しか見てないから」

「もうひとつ、分かってること教えてあげようか?」

「うん、なに?」

「花火会場に行ったら、きっとあたし『以外』の子しか見てないからね、あんたのことだから」

 そしてぼくは、「先におしおき」と、下駄のまま足を踏まれたのだった。もちろんいつもの何倍も痛かったのは言うまでもない。

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