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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第3章 マッド編 〜side Marika〜
82/105

82☆そわそわサプライズ

 

 龍一兄ちゃんから連絡が来たのは、昨日の夕方のことだった。『今年は帰って来ないのか? 株主席は確保してあるぞ』とのメッセージに、初めは何の話しだ? と首を傾げていた。

 ぼくはすっかり忘れていたのだ。毎年8月の最終末には、レオンレオン主催の花火大会があることを。『行く! 確保しといて!』と急いで返信し、嫌々デスクにかじりついている汐音に提案した。

 汐音は返事に困っていたようだった。宿題ならもうちょっとじゃんか、と促しても生返事ばかり。何をそんなに躊躇っているのかと問いかけても、いつになく歯切れ悪く「分かった」とすぐにデスクに向き直ってしまった。

 そんな汐音のリアクションが気になりつつも、ぼくは準備のため「じゃあ明日!」と寮を出た。もちろん汐音は今から帰るのかと驚いていた。笑顔で手を振っても、呆れのため息だけが返ってきた。

 実家に着いたのは23時前だった。計算通りだ。早寝早起きの両親に会わずにすむ。捕まったらあれやこれやと面倒な質問攻めに遭うに決まっている。ぼくの目論見通り、自室まで両親には遭遇せず辿り着けた。

 ぼくは汐音の笑顔を想像しながら、明日の花火大会の支度をした。思わずニヤけてしまう。途中、龍一兄ちゃんと鈴芽ちゃんとのメッセージのやりとりもしながら、ぼくの頭はすでにお祭り騒ぎだった。

 汐音は獅子倉家に一度来ている。最寄り駅も知っているので、13時に改札で待ち合わせをした。ホームに続く階段から降りてくる姿は、すでに足取りが重いといった様子だった。なぜだろう?

 自宅に案内する最中も、汐音はずっと浮かないままだった。服を褒めてもアクセを褒めても「そりゃどうも」とそっけなかった。

「鈴芽ちゃんはもう来てるよ。ぼくの部屋で待っててもらってる。あぁ、千歳にバレたらめっちゃ怒られるだろうなぁ。『私も鈴ちゃんと花火行きたかったのにー!』ってさ」

 ぼくが笑っても、汐音は笑わない……。もしかして、実家に来ることに緊張しているのかと思い、「両親ならいないよ。打ち合わせがあるとかなんとかで、朝早くから現地に行ってる」と教えると、「そっか」と初めて目を合わせてくれた。

 自室に通すと、汐音の強ばっていた表情がいくらかほころんだ。鈴芽ちゃんの姿を見て安心したらしい。「お久しぶりです、汐音さん」と仰々しく頭を下げる鈴芽ちゃんを抱きしめ、やっと嬉しそうに笑った。

 今日初めて笑顔にさせたのがぼくじゃなくてちょっぴり残念だったけど、つられてぼくの口元も緩んでしまう。元ルームメイト同士、やっぱりぼくとは違う安心感があるのだろう。

「では獅子倉さん、お着替えをしますので」

 鈴芽ちゃんの合図に「よろしくー」と手を振り、ぼくはベッドに転がって背を向けた。状況が全く把握できていない汐音に、「こっちが襦袢じゅばんです。下着の上に羽織ってくださいね」とテキパキ説明していく鈴芽ちゃん。

 持つべきものは友達だ。さすが由緒正しき藍原家のご令嬢、感謝しかない。

 母さんがたくさん買いそろえていた浴衣。ひとつも袖を通さず迷惑にすら思っていたぼくだが、かわいい彼女に着せられた今となっては、母さんにも感謝だ。

「や、やっぱり似合わないよぉ……。苦しいしぃ……」

「とってもお似合いですよ? 汐音さん、もう少しなので動かないでください」

 二人の会話と布のこすれる音を背で聞きながら、今か今かとそわそわしてしまう。「はい、いいですよ」という鈴芽ちゃんの合図に、待ってましたとぼくはバネのように飛び起きた。

 振り返った先には、着付けを終えてにこにこ満足顔の鈴芽ちゃんと……。

「な、なんか言いなさいよ……」

 頬を赤らめてむくれる、浴衣姿の汐音……。

 濃紺の地に大輪の百合があしらわれたその柄は、清楚でりりしい。藤色の帯にはさりげなく散らばる銀糸が特徴的だ。猫目の汐音には、可愛らしいデザインよりも、やはり大人っぽいほうが正解だった。さすがぼく。さすが汐音。

 数ある中から、赤毛の彼女に1番似合いそうな浴衣をチョイスしたつもりだったが、ここまで似合うとは創造以上で……。

「ちょ、ちょっとぉ、なんで黙ってんのよ……。や、やっぱこんな高そうな浴衣、貧乏人のあたしには似合わないって……」

 ぽかんとしていたらしい。手早くアップに結われた首元も色っぽくてごくりと生唾を飲んでしまった。慌てて首を横に振る。

「いや、いやいやいやいや、つい見とれちゃってただけだよ! 汐音があまりにも似合ってて、その……」

 褒めようと、いや、率直な感想を伝えようとしているのに、どの言葉も軽すぎて言葉が選べなかった。着付けしてくれた鈴芽ちゃんでさえ、「モデルさんみたいですよ」と見惚れている。

 息をするように子猫ちゃんたちを褒めちぎる普段のぼくはどこへ行った? こんなにも語彙力のないやつだったか?

「では、私も着替えてきますので。会場でお会いしましょうね」

 笑顔のまま深々とお辞儀をする鈴芽ちゃんが出ていった。持参した浴衣があるのだろう。黒髪おかっぱ人形ちゃんな鈴芽ちゃんのことだから、これまたどんな浴衣でも似合いそうだ。

 2人きりの部屋に沈黙が走る。相変わらず口ごもるぼくに落ち着かないのか、汐音はそわそわと髪や帯をいじりだした。

「その……あんたは着替えないわけ……?」

 ぼくは水浴びの後のわんこみたいに、勢いよくぷるぷる首を振る。汐音はちょっぴり残念そうに「そう……」と返してきただけだった。

 何も口に出来ない申し訳なさに耐えかねて目を逸らした。15年間を過ごした自室なのに、彼女の纏う物ひとつでこんなにも落ち着かない空間に早変わりしてしまうものなのか。窓の外には見慣れた景色が広がっている。夏の昼は長い。日没の開始時間までどうしよう、そんなノープランな自分が恨めしく思えた。

「茉莉花?」

 呼んで、汐音はぼくの隣に腰かけた。柔らかいマットが傾き、ぼくも座り直す。

「これ、あたしに選ぶために昨日急いで帰ったわけ?」

「う、うん。そうだけど……」

 視野の端に映る首筋が近くて、もう一度生唾を飲む。汐音はそれに気付いたのかそうでないのか、じっとこちらを見つめていた。

「ありがと。正直あんま気乗りしなかったけど、浴衣は着てみたかったんだ……」

 汐音は俯いた。ちらりと横顔を盗み見る。はにかむ笑顔が愛おしかった。

「似合ってるよ」

 散々考えたあげく、その一言しか口にできなかった。きっと「それだけ?」とか「嘘ばっか」とか返ってくるんだろうな、と苦笑いを浮かべてしまった。

「あ、ありがと……。ぐちゃぐちゃ嘘くさい言葉並べられるより、そっちの方が嬉しい……」

 お互いの横目が交わる。

「あのっ、あのさ、夜店が出るまでまだ時間あるしさ、せっかくだからぼくの地元案内するよ」

「……」

「ぼくとデートしてくんない?」

「その後に『子猫ちゃん』を付けたら断ろうと思ったけど……バカ茉莉花の育った町、見てみたい」

 バカは余計だけど、今はそれすらもいじらしく思えてしまう。浴衣効果ハンパない!

 ぼくは後れ毛の残る汐音の首筋に腕を回す。いつもの何倍速かの心臓が苦しいくらいだった。察した汐音が目を閉じた瞬間……。

「おーぅ、茉莉花ぁ。ひっさしぶりじゃねーかぁ!」

 ノックと同時に入ってきたのは……。

「ん? なんだ? 友達ちゃんの目にゴミでも入ったのか? 俺が取ってやろうか?」

「こ、虎二郎こじろう兄ちゃんっ! の、ノックと同時に開けるのやめろよなー!」

 ぼくと汐音は反射的に離れた。不自然に顔が赤いことは、3人の兄ちゃんの中でも1番鈍感な虎二郎兄ちゃんにはバレていないだろう……。

「あの……お邪魔してます」

 立ち上がった汐音がぺこりと頭を下げた。虎二郎兄ちゃんも「あー、どーもどーも。妹がお世話になってまーす」と顎を引く。相変わらず軽くてチャラい。

 鈍感かつデリカシーのない虎二郎兄ちゃんが汐音をまじまじ見ている。まずい、汐音は男が嫌いだ。きっと視線ですら嫌悪感が沸いているに違いない。

「そうだ、虎二郎兄ちゃん、なんか用があってきたんじゃないのかよ。友達来てんだからあんま長居すんなよ」

 虎二郎兄ちゃんがこちらを向いた。「久しぶりだっつーのにつめてぇなーぁ」とゲラゲラ笑っている。ぼくは隠すように汐音の前へ出る。大学4年だというのに就職活動のひとつもしていないのだろう。サイドに入ったままの銀のメッシュが何よりの証拠だ。

 父さんがいつも言っていた。「長男が龍一で良かった。虎二郎は少し外で修行してからグループ会社を任せることにする」と。うん、ぼくもそれがいいと思うよ、父さん。

 龍一兄ちゃんはいかにもなエリート紳士タイプだ。しかし、次男の虎二郎兄ちゃんは全く逆だ。グレたり警察のお世話になってこそいないものの、遊びという遊びは遊び尽くしている。

モテたいという理由だけでバンドを組んで「俺は大物になる!」と夢をこじらせてみたり、すぐに飽きて三流大学に入ったはいいが夜遊びばかり。多分両親はぼくよりも手を焼いているに違いない。

「そーそー、兄ちゃんからパシられてよぉ。友達の分もパス渡しとけって」

 シルバーのごつごつした指輪が並ぶ手に握られていたのは、夜店の優待券だった。あまり入ってきてほしくないので、急ぎ足でぼくから受け取りにいく。外国のキツい香水とタバコのにおいがした。

「ありがと。龍一兄ちゃんに会ったら、ぼくから御礼言うよ。んじゃ」

 ぼくは虎二郎兄ちゃんの背を押し、外へとずいずい追い出す。「お前、かわいげないけどやっぱりかわいいなぁ」とどこかで聞いたような台詞を吐きながらぼくの猫毛をわしゃわしゃかき回した。

「悪かったな、かわいげない妹で。んじゃーな」

 べー、と舌を出して扉を閉めた。ガハハッという豪快な笑い声が消える。ふーぅと肩でため息をついた。

「汐音、ごめん。チャラいから怖かっただろ?」

 心からの謝罪だったのだが、気をつけをしたままの汐音が、ぷっと吹き出した。

「あんたにそっくりじゃない! あははははっ」

「に、似てるのは顔だけだろー? ぼくはあそこまでチャラくないぞ?」

「似てるわよ、全部似すぎてて笑い堪えるの必死だったんだから!」

 本当に堪えていたのか、思い出してまた「ぷっ!」と吹き出している。

「龍一さんほどじゃないけど、顔ももちろん似てたわね。服装も似てたし。チャラいとこも女を見る時の目も。それから台詞も。あんたが男だったら、間違いなくうりふたつよ?」

「ひっでぇ! ぼく、あんな風に見えてんのかぁ……」

 あそこまで遊び人じゃないのに……と肩を落としたぼくを見て、汐音がまた吹き出した。今度はお腹を抱えて笑っている。ちょっぴり傷ついたけど、かわいいからまぁいいか、とこめかみをぽりぽりした。


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