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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
79/105

79☆暗闇の中の夢

  いつものあたしらしくない……。二人の部屋でも寮の浴場でも、脱ぐ事にこんなに恥じらいを覚えるなんてあたしじゃないみたい……。


 こんな日が来たら、いつか好きな人と肌を重ねる時が来たら、躊躇いなく全てを見せられると思っていたのに……。


「ご、ごめん……。あの……あたし、やっぱり……」


 もじもじと指先をいじりながらちらりと茉莉花の背中に視線をやる。あたしの声に反応して一瞬振り向こうとしていたけど、あちらもやっぱり踏ん切りがつかないのかただ白い背中を向けて体育座りで縮こまったまま。


 堪らずあたしも背を向ける。自分の言動の矛盾差に呆れてしまう。ヘタレだのなんだのって散々茉莉花をバカにしておきながら、いざとなったら自分の方こそ羞恥心に駆られるとは……。


「なんか……今、ちょっとだけ茉莉花の気持ちが分かった気がした……」


「……なんだよ、単なる覗き魔だったのか……? ぼくは覗くつもりないから、満足したらさっさと出てって欲しいんだけど……」


「の、のぞ……。ち、違うもんっ。あたしは、あたしはちゃんと……」


 身体ごと、向き合いたいだけだもん……。


 小さく丸まる茉莉花の首に腕を回す。不意に後ろから抱きつかれて驚いたのか、茉莉花の冷たくなっていた肩がびくんと跳ねた。


「し、しお……」


「う、うっさいわね。あたしも恥ずかしいんだからこっち見たらぶっ飛ばすから……」


「み、見ないよっ。じゃ、じゃあ、あんま胸押し付けないでくんない……?」


「お、押し付けてないもんっ」


 ギュってしていたいだけだもん……。


 茉莉花もあたしも、しばらくそのまま黙っていた。浴槽から湯気が立ち上っているとはいえ、水滴が乾いていくにつれて身体も冷えていく。


 だけど、服の上からでは分からなかった茉莉花の華奢な背中は火照っている気がした。茉莉花もまた、いつもより高いあたしの熱を感じているに違いない。


「ねぇ、茉莉花……」


 少し腕を緩めて、そっと耳元に唇を寄せる。


「このシャンプーいい匂い。あたしもこのシャンプーで洗って?」


「えっ? ぼくが?」


 驚いた茉莉花が顔を上げた。


「身体まで洗ってとは言ってないじゃない。見えなければいいでしょ? 電気消してくるから、ねっ?」


 茉莉花はしばらく唸っていた。考えているのも躊躇っているのも嫌ではないという証拠。もう一度「ね?」と耳元で囁くと、少し間を置いてからこくんと頷いてくれた。


「ありがと」


 濡れたままの猫毛を撫でて照明を消しにいく。ぴたぴたとタイルの上を歩くあたしの足音が遠ざかるのを確認しているのか、茉莉花は物音も立てずにもぞもぞとシャンプーに手を伸ばしていた。


 浴室の灯りを消すと、視力のいいあたしでさえほぼ何も見えなかった。ひんやりとした壁を伝って、なんとかシャワーヘッドまでたどり着く。洗ってもらうあたしはさておき、ひとまず茉莉花の身体を暖めてから、と思いコックをひねった。


「シャワー、分かる? あたしノズルの先にいるから、先にあんたも身体あっためれば?」


「あんたって言うな。……もう」


「あはっ。あんたなんかあんたで充分よ」


「はいはい。分かりましたよ、姫さん」


 ザーザーという音の向こうで苦笑する茉莉花の身体から跳ね返ったしぶき。暗闇でもそこにいるのが分かる。近いような遠いような、だけど見えなくてもお互いを感じているし、見えないおかげでお互いの緊張がちょっとだけ解けた気がした。


「汐音、シャワー持ってて。んで止めて」


「痛っ! シャワーで頭叩かないでよっ」


「えっ、当たった? ごめんって。でもしょうがないだろ、見えないんだから」


「いったぁっ! 今度は肘っ? あんたわざとやってるでしょー!」


「やってないってばぁ。ほんとに見えないんだってー」


 わざとじゃないんだろうけどにやにやした口調に日頃の仕返し? と勘ぐってしまう。だけど茉莉花とお揃いのいい香りと柔らかな手つきに免じて大目に見てやる事にした。


 照明が点いていたら、赤面している顔がきっと鏡に映ってしまっている。ううん、赤くなったどころの騒ぎじゃなかったかもしれない。照れくささとまたも甘えてしまっている申し訳なさから、わしゃわしゃと洗ってもらっている間あたしはしばらく黙っていた。


「かゆいところや気持ち悪いところはないですか? 姫さん」


「なくってよ? 苦しゅうないわ、じいや」


「誰がじいやだよ。美容師さんだってばぁ」


「どっちでもよくってよ? シャワー出すわね、じいや」


「だからじいやじゃ……わぷっ!」


 シャワーヘッドを茉莉花に向け、思い切りコックをひねった。思惑通り顔面にシャワー攻撃をくらった茉莉花が悶絶している。あたしがけたけたと笑っていると、「くっそぉ」と悔しそうに唸っていた。


 楽しーいっ。


「うーん、いい香りぃ。ありがと。身体は自分で洗うから、茉莉花は浸かってたら? 冷えちゃったでしょ?」


「はいはい。姫さんの言う通りにさせてもらいますよ」


 お湯を溜めていた浴槽側の水音が消える。と同時にとぷんっという茉莉花の足が湯船に沈んでいく音が響く。あたしはそれを背中で聴きながら、凹凸のないポンプの頭を探した。


 暗闇の中からふーっというため息が聴こえてきた。緊張から解放されたため息か、逆に落ち着かせる為のため息か。あるいは安堵のため息か。単にお湯を堪能しているだけなのか……。


「ねぇ、茉莉花」


 洗い終えたあたしの声は意外と反響した。シャワーを止めて浴槽の方に問いかける。


「うん?」


「一緒に入ってもいい?」


「……」


「ダメ?」


「今更聞く?」


 茉莉花の呆れたアルトボイスがちゃぽんという水音と共に響く。だって顔が見えないんだから表情を窺えないんだもん、と心の中で言い訳をする。どうやら腹を括っているのは茉莉花の方らしい……。


「手前の方なら空いてるよ。ぼくは奥の方にいるから」


「ユニットバスじゃあるまいし、奥まで行かなくたって触れりゃしないわよ」


 とは言いつつもホッとしてしまうあたし。慎重に足を進めて浴槽の淵を探し当てる。そっとつま先から使っていくと、一気に脱力して「はー……」と声が洩れた。


「汐音、親父クサイ」


「なによ。あんただってさっきふーとか言ってたじゃない」


「ぼ、ぼくはいつもシャワーだけだから、お風呂に浸かるのは数か月ぶりなんだよ。それに……」


「それに?」


 黙り込むあたり、先程あたしが予想していたどれかに該当するのだろう。薄々予測出来ていたくせに聞き返すとは、我ながらちょっと意地悪だったかも……。


「なんかごめん……。強引に押しかけちゃって……」


「……汐音らしくないな。いきなりしおらしくなっちゃってさ。ぼくも勢いに任せたところあるけど、ちょっとでも進歩したんだから結果オーライっしょ」


「……実はこのお泊り提案された時から企んでたの、茉莉花のコンプレックスを少しでも改善させてやる、って。寮にいたら二人きりでお風呂入る機会なんて絶対ないし、ずっと進展しないままだしって思ってて……」


「分かってるよ。ぼくもずっとこんなの抱えてちゃダメだって思ってたから。でも、やっぱいっぺんにはちょっと……」


 ちゃぽんっと水音が響く。茉莉花は何をしているのだろう。灯りを消してから十数分は経っているだろうに、この暗闇ではさすがに目も慣れないまま。あちらからもきっとあたしの姿は見えていないはず。


「ちょっとずつでいいの。説得力ないかもしれないけど、あたしはせかしたりしない。せかして逆効果になってもいけないし。見えないから触れられるって言うんならそれでもいいの。あたしから見えなければこうして一緒にお風呂入れるっていうのも分かったし」


「……うん。でもそろそろのぼせそうだから上がるよ。汐音は?」


「もう少し温まってから出ようかな。こんな大きいお風呂、貧乏人のあたしは二度と味わえないかもしれないし。出たらすぐ左にスイッチあるから点けといて」


「おーけー」


 ざばっという音と共に茉莉花が横切る気配がした。こんなに近くにいるのに触れられない。だけどやっとの思いでここまでたどり着いたんだもん、贅沢は言わずに少しずつリハビリしていこう。


 それが、一番の近道だもの。


「汐音」


「何?」


「また、来ようね」


 そう言って茉莉花はバスルームの扉を閉めた。灯りが点くと、夢から覚めて現実に引き戻された気分だった。


 曇りガラス越しにぼんやり見えるすらっとしたシルエットを見つめる。あの茉莉花がほんとにここにいたのだろうか。あれは幻だったんじゃないだろうか……。


 なんだか、嬉しすぎて実感が湧かない。



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