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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
78/105

78☆裸の恋人

 プールはセレブと呼ばれる上流階級のマダムや家族連れでにぎわっていた。といってもプレオープン、いくつものアトラクションプールが並ぶ中、見る限りではもったいないくらいの人口密度の低さ。


 あたしはもちろん、茉莉花も初めて見る数々のさまざまなプールに目を輝かせていた。流れるプールにウォータースライダー、波のプールという定番に加え、ボートでのライン下りや熱帯魚と泳げる簡易シュノーケルまで、幅広い設備が整えられていた。


 ナイトプールといえど夜通し営業している訳ではないと知ったあたしたちは、二泊三日の初日だというのにくたくたになるまで遊びまくった。この先、こんな高級ホテルもアトラクションプールも一緒に行かれる事はないに等しいから。寂しいけど高校生のあたしたちには、今この瞬間が非日常なのだから。


「そろそろ上がる? 汐音は見かけによらず体力ないんだな」


「一言余計よ。茉莉花だってタイムだの休憩しようだのって休んでたくせに」


「四時間以上もぶっ続けで遊んでて疲れない方が化け物だろ」


 すっと差し出された手を握ってプールサイドへ上がる。更衣室が近付くにつれて、もう少し遊びたいという気持ちが湧いてきた。まだ初日、明日もこんな風に楽しい時間を一緒に過ごせるのだと言い聞かせて足を進めた。


 更衣室には誰もいなかった。ロッカールームの時計を見上げればすでに針は頂点で重なり合うところだった。そりゃそうか、と改めて疲労がのしかかってくる。ご機嫌に鼻歌を交えながらシャワーブースで着替える茉莉花。早く着替えて早く部屋に帰ろう、あたしも重い身体にぬるま湯を浴びせて水着を脱いだ。


 廊下はシンと静まり返っていた。雑にシャワーを浴びて更衣室を出たのが午前零時を回ったところなのだからそれもそうか、と納得。誰もいないのを確認して、あたしは茉莉花の小指に自分の小指を絡めて歩いた。


「涼しーいっ。エアコン消し忘れたっけ」


 鍵を開けると、部屋の中からひんやりとした冷気が足元をかすめていった。エアコンどころか照明も点けっぱなし。どんだけ慌てん坊なんだ、と茉莉花があたしを見る。同じ事を考えていたあたしと目が合うと、二人同時に吹き出した。


「おっちょこちょいだなぁ、汐音は」


「そっちが急いで出て行くから焦っただけだもん。貧乏育ちのあたしが寮の電気点けっぱなしで出掛けた事あった?」


「あったあった。覚えてるだけでも数回はあるよ」


「そ、そんなのたまーにじゃない」


 笑いながらお座敷へ昇る茉莉花の後ろ髪はしっとりと濡れていた。滴が垂れない程度にタオルドライしてきたあたしのピッグテールも。エアコンの効き過ぎた部屋では少し冷えてしまいそうだった。


「茉莉花ぁ、先にお風呂入っていいよ? あたし疲れたから少し横になってから入る」


「疲れた? 髪濡れたまま寝たら風邪ひくからちゃんと乾かしてから寝なよ」


「だってぇ、シャンプーしてないのにこのまま寝れないじゃなーい。どうせ茉莉花がいないと独りじゃ寝付けないんだから大丈夫ぅ。絶対寝ないからぁ」


 湿ったバスタオルを枕に敷いてお布団にごろりと転がる。うねうねと身をねじっていると、茉莉花はやれやれと新しいバスタオルをよこして「分かった分かった」と湿った方を取り上げていった。


「濡れた水着も干しておかないと明日着れなくなっちゃうぞ? だらしないなぁ、もう……」


「だーいじょぶっ。更衣室にあった脱水機で結構乾いたもーん」


「まったく……。これじゃあ寛ぎに来たどころか、汐音の世話やきに来たようなもんだな」


 ぶつぶつ言っている割りには、嬉しそうにいそいそと水着を干してくれている。甘えさせてあげて欲しいと詩織ちゃんに言われた事を思い出す。これじゃあ逆じゃない、そう思って起き上がろうとするけど、満更でもなさそうな茉莉花の横顔を見てその気は薄らいでいった。


「お湯溜めながら入るから長くなるけど……覗くなよ?」


「しつこいわね。覗かないっつーの」


「……」


「覗かないってば」


 茉莉花はまたも疑いの眼差しを残して浴室の扉を閉めた。まぁ、さっき覗き未遂してしまったから余計に疑心暗鬼になってしまうのは仕方のない事。寮とは違って扉一枚で隔たれているのだから危機感もそれなりなのだろう。


「はー……」


 仰向けになると、煌々と光る照明が眩しかった。目を閉じて今日一日を振り返る。


 いつものようにすねたり怒ったり笑ったりのあたしたち。違ったのは茉莉花のコロンの香りと上品に高級料理を食す獅子倉家の御令嬢の姿。気品溢れる姿に見惚れたなぁともう一度脳裏に浮かび上がらせる。


 それに比べてあたしはどうよ。借りたワイシャツが似合わないとごちゃごちゃ言って困らせ、ベッドでも布団でもごろごろして世話をやいてもらい、貧乏人丸出しで手を付けられない食事もまるで介護のように一から十まで……。


「……ダメじゃん、あたし」


 今日から変わるって決めたんだ。茉莉花を変えるって決めたんだ。今までのあたしたちじゃダメなんだってばっ!


「よっし!」


 飛び起きてバスルームの扉を見つめる。今のあたしに何が出来るかを考えた。やっぱり、茉莉花の女体コンプレックスを治すには強硬手段しかないのだろうか……。


 と、新しいバスタオルが視界に入った。枕に敷けとあたしに渡しておきながら自分の分は忘れたらしい。そういえば替えの下着は? 覚えている限り、持って入った気配はない。


「ふふっ……」


 思わず笑いが込み上げてしまう。今のあたしはお城に忍び込んだクノイチ。にやりと口角を上げながら、姫にお近付きになる口実をそそくさとかき集めた。


 バスタオルとバスローブを片手に扉の向こうに耳を傾ける。ザーザーとお湯を溜めているらしき音がする。さすがに人のバッグをあさって下着を持ってきてあげるわけにいかないので、最低限の口実を手にノックをした。


「茉莉花ぁ? バスタオル忘れてたから持ってきてあげたよー?」


 ……返事はない。無理もない、そこらのマンションやアパートのバスルームと違って扉も分厚ければ浴室内だって広いのだから。おまけにザーザーという水音にかき消されて、頑丈な扉のノック音なんて聞こえるはずがない。


 そんな事は百も承知。むしろそれを逆手に取っているのだから……。


「聴こえないのかなー? 開けちゃうよー?」


 音もなく開いた扉の向こうには、もう一枚のガラス扉があった。元々曇りガラスで造られているのでシルエットすら見えない。ただ、浴槽に注がれる水音ともう一つ、キュッというシャワーのコック音は彼女がそこにいるという証拠。


 見られるのに慣れるだけじゃなく、恋人の裸くらい抵抗なく見れるようになってもらわなくちゃ。いつも堂々と着脱するあたしだけど、さすがに今は胸がドキドキしている。脱ごうかどうしようか迷ったあげく、あたしはワイシャツと靴下を脱いで、キャミソールとスカートのままガラス扉をそっと開いた。


「まり……」


 湯煙の向こうに白い背中が見えた。頭からシャワーを被っているからかあたしの声が届いていないようだった。もう少し近付いてみる。クノイチのようにつま先歩きをしても、足元からはぴちゃぴちゃと音がしてしまう。距離が縮まるにつれて、茉莉花から跳ね返った水滴が容赦なくあたしの服を濡らしていった。


「ま……りか……」


 ごくりと唾を飲んでから呼び掛ける。湯気で覆われているとはいえ、今まで一度も拝めなかった恋人の裸体を目の前にして緊張しないわけがなかった。白い背中はあたしの声にぴくっと反応すると、恐る恐るといった様子でゆっくりと首だけ振り返った。


「し、しお……っ!」


「怒らないでっ? あたしはただ、茉莉花の……」


「う、うわぁっ! く、来るなっ、見るなーぁっ!」


 デジャブ。茉莉花の女体コンプレックスを知った時と同じ光景だった。あの時と違うのは、あちらが解きかけの(さらし)もラベンダーのふりふりパンティーも穿いていないという事。産まれたままだという事。


 怯えた表情でその場にしゃがみ込む茉莉花。両腕をクロスさせても、その豊満な膨らみは隠し切れていない。さっきまでのジゴロはどこへやらの上ずった声。斜めに閉じられた脚線美も前髪から滴り落ちる滴も、全てにそそられてしまうというのに……。


「ごめんね、茉莉花。あたし、どうしても我慢出来なくて……約束破ってごめん……」


「や、やだっ! 来るなっ。は、早く出てけよっ。い、いい加減にしないと……」


「ねぇ、茉莉花……?」


 前髪から落ちる水滴なのか涙か、茉莉花の目は潤んでいた。その悩ましげなポージングにも表情にもそそられてしまう。腰を抜かしたのかへたり込んだままぷるぷると小刻みに首を振る茉莉花の額に口付けた。


 このぞくぞく感も、あの時と同じ……。


「茉莉花?」


 茉莉花の髪からは、いつもと違う大人びたシャンプーの香りがした。備え付けのシャンプーなのだろう、明らかに高級そうな気品溢れる香り。


 いつもと違う香り、いつもと違う茉莉花、いつもと違うあたしは欲張りになってしまう……。


「茉莉花、こんな強引なまねしてごめんね……。だけど、あんたが……茉莉花がいけないのよ? 散々焦らされたんだもん。もう、我慢しなくていいでしょ……?」


「……」


「どうしたの? そんなに怖がらなくてもいいじゃない。ふふっ、かわいい茉莉花……」


 言葉を発せなくなってあたしを見上げるだけの茉莉花の唇はとても瑞々しかった。頬から流れ落ちる水滴が首筋を辿って鎖骨へと滑っていく。相変わらずザーザーと浴槽に溜まっていく音はバスルームを覆い尽くしているけれど、あたしたちの鼓動はお互い聴こえてしまっているに違いない。


「や、やめ……っ」


 茉莉花が小さく呟いたのは、あたしの舌が鎖骨に降りた時だった。ギュッと目を瞑ったまま肩を震わせている。ちょっとかわいそうだという思いが湧いてくる反面、そのしぐさにまた刺激されてしまう自分もいる。


「大丈夫。あたし、茉莉花の事が大好きだから……。茉莉花があたしの傷も愛してくれるって言ってくれたように、あたしも茉莉花の全てが好きだから。だから、もっとあなたの全てを見せて……?」


 頑なに閉ざしているクロスされた腕を掴む。茉莉花は小刻みに震えながらも必死に抵抗していた。もどかしくなったあたしが力ずくで両腕を剥がそうとすると、茉莉花は急に叫び出して、まるでダンゴ虫のように冷たい床に転がり丸まった。


「分かったからっ! 分かったから待ってよっ、汐音っ!」


「……茉莉花?」


「分かったから……」


 小さく丸まって床に転がる茉莉花の身体からゆっくり手を放す。肩と膝の間に顔を埋めてしまったので表情は分からない。しばらく見下ろしていたあたしは出しっ放しだったシャワーのコックを捻った。ずぶ濡れの服から生温い水滴がぽたぽたと滴っていく。


 少し理性を取り戻したと同時に罪悪感が湧いてきた。荒療治とはいえ、強引に愛でるだけじゃそれこそあたしの大嫌いな『無理矢理』だ。茉莉花も以前言っていた、『合意の上がいい』と。合意も許可もなければ、これはただの……。


 言葉が出てこないままそっと触れると、茉莉花は肩を震わせていた。まだ怯えているのだろうか、その疑問は微かに聴こえてきた嗚咽によってかき消されていった。


「まり……。ごめん、泣かないで?」


「……泣いてなんかない……。ぼくは、ぼくは所詮、汐音の事を何も分かってあげられてなかったんだ……」


「ううん。あたしこそ茉莉花がこんなに嫌がってるのに分かってあげられてなくてごめん……」


「どんなにかっこつけても、こんなダサいとこ見られちゃったら台無しだな……」


 茉莉花は頭を持ち上げると手首でぐいっと目元を擦った。そしてゆっくり起き上がって背を向けながらちらりと視線だけこちらへよこした。


「対等がいい」


「え?」


「汐音だけ着てるの、ずるい」


 言い捨ててぷいっとそっぽを向く。まだしゅんしゅん鼻をすすっているくせに、自己主張だけは一丁前。


 なんだ、そんな事? とご要望にお応えしてあたしも服を脱ぐ。それに気付いた茉莉花の背中はやけに華奢に見えた。


 すっかり濡れて肌に貼り付いていたキャミソールも重くなったスカートも、もはや何で濡れてしまっているのか分からないショーツも脱ぎ捨てる。全裸も半裸もあまり抵抗がなかったとはいえ、改めて恋人に向き合うとなると羞恥のあまり身をよじって片腕で胸を覆ってしまった。


「あ、あの、茉莉花……?」


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