68☆親睦会の獅子倉さん
七時のアラーム音が鳴り響いている。瞼越しに薄らと赤い光が映っている。眩しい。こじ開けようとする瞼が余計に重たい。
「汐音、七時だよ」
「んー……。分かってる……」
手を伸ばして目覚まし時計を探る。指先に触れておいでおいでするけどあと一歩届かず、相変わらず鬼畜な音が鳴り止まない。肩を少し上げて思い切り振りかぶると……。
「こらっ、また壊す気かよ。何度直してあげたと思ってるんだ? いい加減ご臨終になるぞ」
呆れ声の茉莉花が時計を取り上げる。茉莉花の手の中でアラームは静かになった。もぞもぞと掛け布団をずり上げると、珍しくパジャマを着たまま寝ていた事に気付いた。
そっか、昨夜はヘタレ茉莉花に腕枕してもらって寝たから着たままだったんだっけ。添い寝じゃない時はほとんどショーツ一枚で寝てるから、自分が前日どうやって寝たのか思い出しやすい。
「起きろっての。二度寝しようとすんなっ。早く起きないと千歳が戻ってくるぞっ」
「うー……分かってるってばぁ」
布団を剥ごうとする茉莉花の手はボディソープの香りがした。あたしを寝かし付けるから遅く寝るのに、朝シャンの為にあたしより早く起きる。それでもシャキッとしているお目々が羨ましい。
「ねぇ、汐音。今日の昼さ、昨日のとこでお昼一緒に食べない?」
「昨日の? 裏庭が見える校舎の? いいけど……何で?」
「仲直りだよ、仲直り。ぼくと汐音、それと奈也ちゃんと汐音のね。ぼくが呼び出したって事で親睦会しようよ」
「親睦会……」
寝癖のついた赤毛を手ぐしで梳きながらのろのろ起き上がる。ぺたんとベッドに座るあたしを見て、茉莉花はうんうんと笑顔で頷いた。たまにはいい事言うじゃない、と寝起きの頭の中で呟く。
「昼休みね。じゃあ今日はまともなお昼買っとかないと」
「そう言うと思って買っておいたよ。無性にヨーグルトが食べたくなっちゃって、さっきシャワー浴びてからコンビニ行ってきたんだ。はいこれ、好きなんでしょ? カッパ巻き」
「あ、ありがと……。だけどあたしの好きなのはカッパ巻きじゃなくてサラダ巻きね。カッパ巻きも好きだから有り難くいただくけど」
「へ? サラダ巻きってカッパ巻きと違うの? きゅうりは野菜だから、てっきりカッパ巻きの事だと思った」
キョトンとするお嬢様育ちの御令嬢。高級寿司しか食べた事ない茉莉花にはサラダ巻きなんて庶民的な食べ物、お目に掛かった事もないとみえる。おいしいのに、こちらから言わせれば知らなくてもったいない。
「それと納豆巻き。これは前に食べてたの見た事あるから好きでしょ? 緑茶も買っといたよ。それと、こっちは朝食用のヨーグルト。ぼくだけ食べる訳にいかないしね。はい、アーン」
「こんなに? 嬉しいけど……」
ちょっと惨め、とは口にしないでおこう。これも茉莉花の優しさであり、昨夜の罪滅ぼしのつもりでもあるのだろうから。
それに、受け取った時の茉莉花の嬉しそうな顔といったら……。
「おいしいっ。このヨーグルト初めて食べたぁ。モモとリンゴが入ってるのね。今度これ買ってみよーっと」
「喜んでくれて良かった。でも、汐音は何でもおいしいって食べてくれるから、実際どれが一番お気に入りなんだか分かんないや。まっ、おいしそうに食べてくれるかわいい顔が見れればどっちでもいいんだけどさ」
またそう言う……。まるであたしがデブみたいじゃない。とはいえ、最近ちょっぴり顔が丸くなった気が……。
むにむにと頬を軽く抓んでくる。あたしも反対側を抓んでみる。やっぱり、茉莉花と付き合い出してからちょっと太った気がする。餌付けされてるのもあるし、カロリーの高いおいしいものを与えられてるからというのもある。それに、昨夜みたいに太らない茉莉花の夜食を口に突っ込まれて、がっつり食べてる本人より太りやすい体質のあたしの方が身体に表れてるというのもある。
つまり、このままだとデブまっしぐら……?
「ごちそうさま。仔豚ちゃんは自室戻って学校行く支度してくるわ。じゃあね」
「へ? 仔豚ちゃん?」
「昼休み、頼むわよ。キューピット獅子倉さん」
「なんだよぉ。二人の時くらいその呼び方やめてくんない? 今日仲直りしたら、その獅子倉呼ばわりも直してもらうからな」
「はいはい。じゃあね、マリバッカさん」
にやりと笑って振り返ると、茉莉花はムッと口を尖らせてすねていた。からかい甲斐があってかわいい。
自室の扉を開けると、ちょうど千歳も自室に戻るところだったらしく鈴芽ちゃんに別れのハグをしていた。まったく、千歳ってばどこまで鈴芽ちゃん好きなんだか。確かにサイズも雰囲気もかわいいけど、れっきとしたヘテロだし彼氏までいるというのに。叶わぬ恋だと分かっていても、めげる事なく好き好きアピールをし続ける健気さには敬服する。
「おっはよー、しーちゃん。寝癖ひどいけど昨夜は激しかったのかなー? 愛されてて羨ましいねぇ、うりうりぃ」
「はぁ? 朝の挨拶ん時に笑えない冗談言うのやめてよね。ぶっ飛ばすわよ?」
「あれれ? 違った? それとも照れ隠しかなー?」
違うっつーの。むしろ直前でギブされたんだから。あいつの女体コンプレックスがオフレコでなければ起承転結全て暴露してやるのに……。
無言で睨むあたしを見ても「じゃーねー」といつものテンションで部屋をあとにする千歳。図太いというよりお気楽そのものって感じ。振り返って目が合った鈴芽ちゃんも相変わらず涼しい笑顔で、深々とお辞儀をしながら朝の挨拶をくれた。
「おはようございます、汐音さん。今週末のお話は獅子倉さんからもう聞いてますか?」
「おはよう。今週末? 何かあったっけ? あいつは別に何も言ってなかったと思うけど……。今週は竜一さんと会わないから実家帰らないとか?」
「いいえ。まだならいいんです。そのうち汐音さんのお耳にも入るでしょうから、ご本人から窺ってください。……では、私は今日お当番ですのでお先に行かせていただきますね」
そう言って、鈴芽ちゃんはもう一度仰々しいお辞儀をして出ていった。いつもにこにこの鈴芽ちゃんからはどんな話なのか察しがつかない。ハテナが飛び交う頭のまま、あたしもいそいそと支度を始めた。
通学用のバッグにお昼ご飯を詰めて学校へ向かう。湿気を帯びた生温い風があたしのポニーテールを揺らす。見上げれば薄い雲が少しだけ空を覆っていた。今日も降るのだろうか、昨日みたいに。
午前中、授業前に教科書を取り出す度にバッグから覗くカッパ巻きが目に入った。そんなにアピールしなくても、ちゃんとお昼には会いに行くから心配しないでよね、と少しにやけながらバッグを閉じた。
「汐音、一緒に食堂行こ?」
「ごめん、玲ちゃん。今日は先約があるの。せっかく誘ってくれたのにごめんね?」
「ふーん、そう……。分かった。じゃあまた今度ね」
午前の終業チャイムが鳴り響く中、玲ちゃんの誘いを断ってしまったもったいなさを引きずりながら教室をあとにした。いつもはあたしから声を掛けるのに、今日に限って玲ちゃんから誘ってくれて嬉しいやら歯痒いやら。
待ち合わせ場所へと続く階段を昇る途中、ふと視線を感じて見上げると、最上段に腰掛ける茉莉花と目が合った。「いらっしゃい、汐音ちゃん」とにっこり笑っている。人影もないのに『ちゃん』付けとは、すでにあたしには理解不能のチャラ娘モードなのだろうか。
「お招きありがとう。獅子倉茉莉花さん」
「冗談だろ? ツンツンオーラ丸出しにすんなよ。今日は親睦会をだな……」
「はいはい。で、奈也は? 一緒に来たんじゃないの?」
「奈也ちゃんなら購買寄ってから来るってさ。彼女が来る前に打ち合わせしときたい事ある?」
どうもしっくりこない。二人きりだというのに、やっぱりどこかチャラ娘モードな気がしてならない。無意識かもしれないけど声も低めに聴こえるし、口調もキザったらしく聴こえてならない。あたしのものじゃないような。距離があるような。それとも、隔ててしまっているのはあたしの方なのだろうか。
少し考えてから首を振る。あたしが発案した訳じゃないから、昨日みたいなトラップがない限り茉莉花の進行に任せる事にした。不安が全くない訳じゃないけど、昨夜とことん話したばかりなのだから信用してあげたい気持ちが大きい。
「隣、座れば?」
窓の外は曇り空だった。朝と同じ薄いねずみ色。昨日も同じ場所で同じ景色を見ていたはずなのに、心のざわつきがないだけで違った風景にさえ感じる。見下ろした裏庭には昨日の水溜まりはもうなかった。
「遠慮するわ。隣に座って獅子倉さんがライオンさんになっちゃったら困るもの」
「ほんとに失敬だな。それとも嫌味か? まっ、いいや。かわいい汐音ちゃんのかわいい捕食シーンが見られるんだからね。先に食べてる?」
そっちこそ、汐音ちゃん呼ばわりじゃない……。
あたしは窓に背を向け、そのまま壁にもたれて座った。距離を置かれておもしろくない、といった表情の茉莉花があぐらをかいてこちらに向き直る。その視線を感じていたものの、お互い上手く会話出来ずにご飯を食べ始めた。
「マリッカ……遅くなってごめんっ」
「いいや。急がなくてよかったのに。汐音ちゃんも来てるよ」
「ほ、本当っ?」
階段の下から聴こえる奈也の声。パタパタと急ぐ足音を聞きながら一つ咳払いをして笑顔を作ってみた。
「やっほ、奈也。お先に食べてるよ」
「し、汐音……。あ、あの、昨日は……」
少し息切れしている。真面目な奈也の事だから、きっと廊下は走らずに急ぎ足できたのだろう。ビニール袋を片手に髪を整え出した。あたしと目を合わせづらいのか、挙動不審に目を泳がせている。
「あたしの隣来れば? 獅子倉さんのお隣に行くと奈也がお昼ご飯にされちゃうわよ?」
「ひっでーな。ぼくはそんな野蛮な事しないぞ? ねーっ、奈也ちゃん」
はーん、どうだかね。昨日はお芝居といえどトイレで壁ドンした張本人がよくもまぁぬけぬけと。ほらほら、奈也だって疑いの眼差し送ってるじゃない。ざまーないわね。
茉莉花とあたしを見比べたあと、奈也は迷ったあげくあたしの隣にちょこんと正座した。きちんとプリーツを整える辺り、奈也の女の子らしさと几帳面な性格がにじみ出ている。少し恥ずかしくなったあたしもこっそりプリーツを整えた。
「じゃあメンツも揃ったところでさっそく本題に入るけど、奈也ちゃんもぼくも、汐音ちゃんと仲良くしたいと思ってるんだ。汐音ちゃんは? 気に入らないところがあったら言って欲しいな」
「は? ほんとに唐突ね。奈也はともかく、あたしは獅子倉さんのチャラい言動が好きじゃないの。奈也とは……もうちょっと話したいとは思ってる」
「やっぱつれないなぁ、汐音ちゃんは。ぼく、そんなにチャラくないと思うけど? ……まぁそれはいいや。汐音ちゃんがどう思ってようが、ぼくは汐音ちゃんの真面目で真っ直ぐなとこ好きなんだよね。恋人にしたいくらい」
こいつ……。奈也が知らないと思って、よく真顔でけろっと言えるわね……。あたしの方がひやっとしたじゃない。
「それはありがとう。でもおあいにくさま、あたしは浮気しない一途な人が好きなの。残念だったわね」
「えー? ぼくは浮気もしない一図な恋人になる自信あるんだけどなー」
にこにこと続ける茉莉花を横目で睨む。いいかげんにしないと怒るわよ、と心を込めて合図するとビクッと肩を震わせて引き攣り笑いをした。調子に乗るとすぐこれなんだから……。
マリバッカさんを放っておいてがさがさと納豆巻きの海苔を巻いていると、二人の視線が突き刺さった。ビニールから海苔を取り出す際にビリビリに破れてしまったのが気になったのだろうか。奈也が自分のサンドイッチを膝に置き、もじもじしながらあたしに問いかけてきた。
「あ、あの、汐音……。それ、巻き直してもいい?」
「え? あー、大丈夫。見た目悪くても食べちゃえば一緒だから。あははっ」
「い、いいから貸して」
返事も待たずに納豆巻きを奪い取られた。だけどてきぱきと巻き直すその手付きに圧倒される。不器用なあたしは何をやっても不器用だけど、器用な奈也は何をやっても器用なんだと関心する。何気に茉莉花も器用だし、服飾科はそういう人の集まりなのだろうか。
「は、はい。アーン……」
「えっ? い、いいよ、自分で食べるからぁ」
「だ、ダメ? 嫌だったらやめるっ。汐音の嫌がる事はしたくないから……」
「嫌がるっていうか……」
仕方なしにおずおずと口を開ける。納豆巻きを突っ込んでくる奈也の手は震えてて。だけど目を輝かせて嬉しそうにする表情がかわいくて、ついあたしも笑顔になる。
「おいしい……つってもコンビニのだけど。ありがと、奈也。あたしも食べさせてあげよっか」
「え、えっ? い、いいのっ? じゃ、じゃあ……」
サンドイッチを手渡してくる奈也が小鳥のように口を開ける。そういえば茉莉花に食べさせてもらう事はあっても、こうして食べさせる事はなかったかも。ちらりと茉莉花を見やるとおもしろくなさそうにむぅっと口を尖らせていた。
あんたが言ったんじゃない、奈也に愛情を教えてあげようって。
「お、おいしい……って言ってもアタシのも購買のだけど……」
「あはっ、なんかこれバカップルみたいで恥ずかしいね。サンドイッチは食べさせにくいし。こんなんで喜んでくれるならいくらでもするよ?」
「ほ、本当っ? じゃ、じゃあ、明日のお昼は食べやすい物にするね」
「あはは、好きなもん食べればいいじゃない」
キャッキャと盛り上がるあたしたちを見て相変わらずふくれっ面の茉莉花。あからさまに不機嫌を醸し出している。普段学校で見た事ない顔をするのでちょっと愉快。いつもそっちが色んな子とイチャイチャしてるんだし、言い出しっぺのあんたが文句言える立場じゃなくて残念だったわね。
たまには、もうちょっとヤキモチ妬いてもらおうかしら?




