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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
63/105

63☆「影」

 茉莉花はあたしと目が合うと、上半身だけあたしに預けた。そしてオデコに軽くキスを落として切なげに微笑んだ。


「ごめん。怒ってる? ……よね」


「……怒ってない訳ないでしょ? それよりまず先にどいてよ。これじゃあんたを殴れないんだけど」


 覆われた布団の中でじたばたとあがいてみる。口を尖らすあたしを見下ろして、茉莉花はため息をもらした。


「おいおい、帰ってきて早々それはないだろー。身動き取れないんなら、少しこのまま聞いてもらおうかな」


「話なら聞くけど一発殴らせてからにしなさいよね。それに、もうすぐ鈴芽ちゃんたちがお風呂から帰ってくるのよ? いくらあの二人には隠してないとはいえ、こんな体勢じゃ……」


「鈴芽ちゃんたちならまだ帰ってこないよ。さっきそこで会った。汐音なら一人で部屋にいるよ、ってね。千歳ってば相変わらず気が利くやつだからさ、『ちぃは鈴ちゃん連れ込んでよろしくやってるからー』って隣の部屋に消えてった。……それと、これも千歳から受け取ってきた」


「それ……」


 茉莉花の手の平にはキラキラ光るラインストーンのヘアパッチン。それは双子が拾って、あたしのポケットにくっつけてくれたはず……。


「せっかくぼくがプレゼントした思い出の品をほったらかしにするなんて酷いな。寂しいじゃんか。脱衣所に落ちてたってさ」


「……まるで呪いの指輪ね。昔そんな映画があったわ。捨てても捨てても持ち主のところへ戻ってきてしまう指輪の話……」


「……やっぱりか。汐音は感情的になるとすぐ物に当たるんだからなぁ。ぼくもこいつもかわいそうじゃんかよ」


 部屋の灯りに反射して輝いているそれを愛おしそうに見つめる茉莉花。その光景が美しくて、なんだか胸が締め付けられる思いだった。捨てられた気分だったのはこっちだっていうのに……。


「聞いてあげるから話しなさいよ。昼休み、なんで奈也を呼び出したのか、なんであたしの秘密をバラすなんて言ったのか、何をバラしたのか、デートってどういう事だったのか」


「分かってる、ちゃんと話すよ。……その前にさ、二つ答えてもらいたいんだ」


 茉莉花はゆっくりと上体を起こしてベッドの縁に座り直した。解放されたあたしもそちらに寝返りをうつと、茉莉花は真剣な眼差しでじっとあたしを見下ろした。


「汐音、ぼくの事、好きだよね?」


「……さぁ、どうかしらね。あんたの話しの内容によってはノーよ」


「ぼくは真剣に聞いてるんだ。ちゃんと答えて」


 誰がこんな時に言ってやるもんですか。だけど茉莉花もしぶとく粘り、しばらく睨めっこが続いた。


「……だったらなんなの?」


「……強情だなぁ。まぁ、否定されたらどうしようかと思ってたからちょっと安心したけど。……もう一つ。今から話す事は全部真実だって信じてくれる?」


「内容による。どうしても信じられなかったらツッコませてもらうけど」


「おーけー。じゃあ、ぼくも誓う。汐音が好きだから嘘は言わない。これから話す事は全部真実だって誓う」


 あたしが上体を起こすと、茉莉花はアルトボイスを更に低めて小指を差し出してきた。やけに物々しい言い回しに息を飲む。手の中に収められていたヘアパッチンを奪い取り、小指を絡ませた。


「分かった。信じてあげる。その代り、その話の中に一つでも嘘があったら……あんたはこれと一緒にバイバイよ。ごまかしたってダメなんだから。あんたが嘘ついたりはぐらかしても、あたしには通用しないんだからね」


「分かってる。それでもいいよ。ぼくは絶対に嘘はつかないから。絶対に。もう捨てられるのはごめんだし、汐音を……手放したりしないから……」


 力を込めた小指が物語っている、『裏切らないから、いなくなったりしないで』と。茉莉花にとってトラウマのような、『捨てる』という言葉。普段は呆れる程鈍いくせに、自分のブロックワードになると敏感に、そして今にも壊れてしまいそうな脆い一面を見せる。一瞬緊張感が走った。


 見つめあったままあたしが一つこくんと頷くと、茉莉花はフゥッと安堵のため息をもらして小指を解いた。「ありがとう」そう言って頭を撫でてくれた。


 バカなやつ、いなくなってしまうんじゃないかという不安を抱えてるのはあんただけじゃないっていうのに……。


 だけど、あたしにとって奈也も大切にしたい存在。あたしの事を好きだと言ってくれた二人目の大切な存在。かけがえのない友達……。あの豹変さえなければ、楽しかった思い出をくれた存在だもの……。


 だからこそ、茉莉花と奈也が何を話していたのか全てを知りたい。例えそれが残酷な事実だったとしても……。


「どこから話すべきかな……。うーんとねぇ……怒んないで聞いて欲しいんだけど……」


「なによ、さっきまでの勢いはどうしたの?」


「うーん……。まず、奈也ちゃんと二人でスターボックスカフェに行ったんだ。甘い物でも食べながら話をしようよ、ってね。ハラペチーノ飲んだりスコーン食べたりしたんだけど、奈也ちゃんがトイレに立った後、ぼくも気付かれないようについていってさ……」


「あんた、まさか……」


 茉莉花がジト目で見下ろしている。早速言いにくい内容なんだろうと察しがついた。だけど話しの腰を折るつもりはないあたしが口を噤むと、茉莉花もツッコんでこないあたしの様子を見てから少し視線を逸らして続けた。


「目には目を、だよ。個室から出てきたとこを押し戻して……キスした」


「……あんまり聞きたくないけど……奈也はどんな反応だったの? まさかノリノリだった訳じゃないでしょうね」


「まーさかっ。見た目通りウブな反応だったよ。壁ドンしたらぼくの肩をポカスカ叩いて抵抗してたし。ちなみに汐音が言ってるようなバカヂカラなんかじゃなかった。どちらかというと力は弱いし、ぼくだって強引とはいえ本気でやってる訳じゃないから、突き飛ばそうと思えば簡単に突き飛ばせた程度に手加減してたしね。かといって上辺で抵抗する素振りをしてた訳でもなさそうだったよ」


 嘘はつかないと約束した。ついているとも思っていない。だけど、茉莉花の言う事が信じられなかった。想像も出来ない。手を握るだけでも痛い程だというのに。茉莉花だって見た目こそ男の子みたいだけど、握力や腕力があるのかといえば並みだし、下手すればあたしの方が逞しいんじゃないかと思う時だってある。


 じゃあ、あの力が無意識なのだとしたら、無抵抗のあたしには発動しても手加減してる茉莉花には発動しない条件でもあるっていうの……?


「それで? 奈也がバカヂカラじゃないと知って何か分かった事でもあるの?」


「まぁ聞けって。ぼくは別にバカヂカラを確認したかった訳じゃない。むしろデートの約束こぎつける時にバカヂカラらしきものは味わったし。そうじゃなくてさ、抵抗すら出来なかった汐音がされた恐怖を味わわせてやろうと思ったんだ。単に仕返しがしたかったんじゃない、自分が好きな人に仕出かしてしまった過ちに気付いて欲しかったんだ。……でも、あの子が死に物狂いで抵抗してくんないから途中でやめる訳にもいかなくて……続けた……」


 そっぽを向いた茉莉花の横顔が赤い。女体コンプレックスで見るのも見られるのもダメなヘタレのくせに、あたしの為にそこまで頑張ったのかと思えば嬉しいけど……こんな真っ赤な顔して挑んでいたのかと想像すると笑いが込み上げてきてしまう。


 まぁ、あたしの前では本来の姿を見せているだけで、一歩外に出ればジゴロさんは赤面せずに演じていられたのかもしれないけど……。


 それにしたって……。


「あたしにもしてくれないのに……」


 あたしがボソッと呟くと、茉莉花は赤面している顔のまま振り返った。真剣な話をしてる最中だと分かっていても、口を尖らせているところを見るとついにやにやしてしまう。


「はいー? ツッコむとこ、そこ? ぼくだって好きでやった訳じゃない、汐音の為だろー? ……まぁ、それで奈也ちゃんが涙目になってきたとこで手を止めた。ブラウスのボタンに手を掛けたはいいけど、ぼくもその先は頑張れなかったしね」


「やる側としては平気だけど、やられる側だと丸っきり見た目通りのおとなしい仔羊ちゃんって事? あたしからしたら信じられないけど……」


「嘘は言ってない。……話を続けるよ? ぼくが手を止めた時は涙目でぷるぷる震えてたんだ。一応謝って、それから聞いてみた。『どんな気分だった』って」


「そしたらなんて?」


「『こういう事を強引にするのはよくないと思う。好きな人にしかしちゃダメだよ』……だってさ。じゃあ好きな人になら強引にしていいのかって言ったら間髪入れずに頷いててね……。正直それは嫌われると思うぞってツッコんでやりたかったよ」


 同時にため息が洩れた。あたしは肉食系の仔羊ちゃんに喰われそうになったっていうの? ナンチャッテ肉食系の恋人にでさえ喰われた事もないっていうのに。考え方の違いとは恐ろしい、と妙に冷静になってしまった。


 隣に座る茉莉花の肩はしっとりと濡れていた。髪が濡れていないところをみると傘は差していたのだろうけど、それもこいつの事だから奈也と相合傘で、しかもほぼ奈也側に傾けてあげていたのだろうと想像がつく。


 優しいだけならいいのに、そこにジゴロな面が見え隠れするから相合い傘一つにしてもヤキモキしてしまう。実は草食小動物もいいとこな仔猫ちゃんのくせに……。


「そのあと、奈也ちゃんが冷静になるまで待って真面目な話をした。餌にした『汐音の秘密』ってやつを切り出す前に、汐音について何を知りたいのか、どういう仲になりたいのか、相談にのるフリして聞き出したんだ。……ぶっちゃけ嘘の塊なデートだったから疲れたけど、これは汐音の為でもあり、ぼくの為でもあった。奈也ちゃんに嘘っこデートさせちゃったのはほんとに申し訳ないと思ってるよ。その代り汐音には嘘偽りなく話す」


「ずいぶんもったいぶるのね」


「……汐音、『愛着障害』って知ってる?」


 急に何を尋ねてきたのか分からなかった。あたしが首を振ると、茉莉花は立ち上がりあたしのデスクに置いてあった紙袋を手に取った。それは奈也が今朝くれたプレゼント。こいつとデートしてるのだと思うともやもやして、まだ中身が何なのかすら確認してなかった物。


 テープを見て未開封だと分かったらしく、茉莉花はそれをあたしの膝にぽんっと置き、「開けないの?」と尋ねてきた。あたしはただ黙っていた。


「ぼくの母さんは……今でこそ緩和しているけど、昔はその『愛着障害』ってやつだったらしいんだ。乳幼児の時に親から適度な愛情を受けずに育って、人との距離感が極度に掴めない学生時代を過ごしてきたって言ってた」


「茉莉花のお母さんが? 距離感? ……そうは見えなかったけど……。むしろ最初は社交的に思えたし」


「今はね。大学で父さんと付き合い出してから段々よくなってきたって言ってた。それでもやっぱり、一緒に暮らしてるとおかしいなって思う時がたまにあったよ。そんな時は父さんが優しく教えてた、『これは過剰だよ』とか『もっとこうしてあげて欲しいな』とかね」


 そう言われてみれば、茉莉花んちで会った時、過剰なまでの過保護かと思う発言をしていた。でもあれは引き籠ってしまったかわいい末娘の身を守る為に言ってたんだとばかり……。ううん、それももちろんあっただろう。それと同時に、茉莉花の言う距離感を掴むのが不得意というのもあったのかもしれない。


 でも、あの時お母さんに言われた事は茉莉花には言っていない。少なくともあたしからは言っていない。忠告された事も、約束した内容も。それを茉莉花に話したら、なんだかお母さんを否定してしまう気がして……。


「それで、お母さんの過去がどうしたの?」


「それが奈也ちゃんが汐音に執着するケースとよく似てたから思い出したんだよ。だからね、不躾な質問だったけど奈也ちゃんちの家庭状況を聞いたんだ。そしたら……まぁ、うん。やっぱうちの母さんと似たような生い立ちでさ……」


 それから茉莉花は、聞いてきたままの奈也の生い立ちを話し始めた。


 物ごころついた頃からずっと両親が毎晩のようにケンカしていた事。お父さんがお母さんに手をあげるところを見て育ってきた事。構って欲しい時に誰もいなかった事。『忙しいから』と言って話を聞いてくれなかった事。精神的にも身体的にも暴力を受けていた事。ミカちゃん人形と手芸だけが癒やしだった事。


 お母さんへの甘え方が分からない事。お母さんが愛してくれてるという実感がない事。お母さんを愛していいのか分からない事。


 『愛着』と、『執着』の違いが分からない事……。


「最初は口籠りながら話してた。だけどそのうち言葉も涙も溢れてきたみたいで……。色々話してくれた。多分、だけど、ぼくへのビンタシーンを目の当たりにしてお母さんの事を思い出したんじゃないかな。汐音と、愛されたかった対象が重なったのかもしれないって思ったんだ。だからさ……」


 茉莉花は大きく息を吸って、ゆっくりと、そして一語一語を噛みしめるように口を開いた。


「奈也ちゃんは汐音を好きになった訳じゃない。奈也ちゃんが追っていたのは、汐音じゃない。お母さんの『影』だよ」

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