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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
62/105

62☆戻るべきご主人様

 あの後、茉莉花をぶっ飛ばしたあたしを呼び止めたのは本人ではなく奈也だけだった。どんないいわけしてくれるのだろうと少しだけ期待したあたしがバカだった。なんのいいわけも弁解もなしに、茉莉花はフッと一つ鼻を鳴らしてあたしを見上げていただけだった。





 追いかけてきた奈也も、あたしの腕を掴んだまま俯くだけだった。ブラウスの袖は奈也の手汗でしっとりと濡れていた。あたしはそれを無言で振り解き、全速力で階段を駆け下りた。





 退屈な午後の授業は何一つ頭に入らなかった。窓に打ち付ける雨音だけがやたらと耳に入った。先生の声が、とても遠く感じた。





 置き傘があるから入りませんか、と声を掛けてくれた鈴芽ちゃんの言葉に首を振り、あたしはバカみたいにずぶ濡れになりながら学校を後にした。先を行く生徒たちはみんな、こんなうざったい雨の中をキャッキャと笑い合いながら足を進めている。前にもあった気がする、こんなくさくさした雨の帰路が……。





 あの時はいのりちゃんが貸してくれた傘に、今のあたしのようなバカみたいにずぶ濡れで帰ろうとした茉莉花を入れてあげたんだった。おいしいパン屋に寄り道して、砂塚先輩にアップルパイを譲ってもらって、そのあと、二人で……。





「……バッカみたい……」





 雨の滴と赤毛がおでこに貼り付く。拭おうとした手に触れたのは、あいつがくれた真新しいヘアパッチン……。





「なによ、こんなもん……」





 水溜まりがパシャンと音を立てた。あたしが投げ捨てたそれは水に溺れて輝きを失っていった。





 降り続く雨は、梅雨の空を見上げるあたしの涙を洗い流して励ましてくれている気がする。頬を伝う水滴は涙なんかじゃない、そう思わせてくれる。





 滲んだ視界の向こうに、同じ傘を差して並んで歩く二つの横顔が見えた。いつも一緒にいる隣のクラスの双子たちだった。あたしの視線に気付いた片方がちらりとこちらを向いた。それに気付いたもう片方もこちらを見る。同じ顔、同じしぐさ、あたしにはどちらが姉でどちらが妹なのか区別がつかない。





 あいつも、茉莉花もあの双子のように、見分けのつかないもう一人のあいつがいるんじゃないかと思ってしまう。ううん、そうであって欲しいと思ってしまっている。あたしの知ってる大好きな茉莉花と、学校に生息する理解不能な獅子倉茉莉花がいるのだと……。





「落としたよ」





 双子の片割れが水溜まりの中からパッチンを拾い上げた。落としただなんて、きっとあたしが投げ捨てたところを見ていたに違いないのに。





「……違う。あたしのじゃないから」





「違うの?」





 顔を見合わせて首を傾げるタイミングまで一緒。まるであたしに見えない鏡があるんじゃないかとさえ疑ってしまう程に。





「大切なものは、一時の感情で捨てたりしちゃダメよ。二度と戻ってこないかもしれないから。もっと大事にしなきゃ。……はい」





 あたしが黙っていると、片割れがあたしのベストのポケットにぱちんとそれを止めた。もう一人もにっこり笑って小さく頷いている。否定もお礼も言えずに立ち尽くしていると、「お先にね」と言って双子はまた雨の中を歩き出した。





 まるで見透かされていたみたい。心を覗かれてしまったようで気分が悪い。





 分かってるけど、じゃあどうしろっていうのよ……。





 寮に戻りそのままお風呂へ向かった。びしょびしょになったブラウスが貼り付いていてなかなか腕が抜けなかった。水分で重たくなったスカートのチャックを下ろすと、夏服だというのに重みでバサッと落ちていった。ブラジャーもショーツも、このままお風呂に入ったのかと思うくらいびしょびしょだった。





 あたしはそれらを棚へ雑に押し込み、まばらな人影が映る浴室の扉を開けた。あたしと同じように雨に濡れてしまった人たちなのだろうか、宿題の話や部活の話しがボワンと響いていた。





「あれれ? しーちゃん、もうお風呂行ってきたの? 今日は早いねぇ」





 お風呂を済ませて自室の扉に手を掛けたところで、隣の部屋から出てきた千歳が覗き込んできた。手には洗面用具を、頭にはバスタオルを乗っけている。何も知らないお目々をキラキラさせて「新しいボディーシャンプー買ったのー。いい匂いだよ、ほれほれっ」とポンプごとよこしてきた。





 違う。何も知らないんじゃない。知ろうとしてくれてないんだ。土曜の出来事、奈也と何があったのか、ブラウスがどうしてあんな事になってしまったのか、千歳は一切聞いてこない。あえて自分から聞き出そうとしてないだけなんだ。





 普段と何も変わらない笑顔とテンションで無邪気に接してくれている事に、胸がチクッと痛んだ。あたしは千歳の優しさに甘え過ぎていたに違いない。その優しさを無下にするような薄情な友達にはなりたくない……。





「千歳、お風呂から戻ったら少し話せる? その……ちゃんと謝ってなかったし……」





「謝る? いーのいーの、しーちゃんとちぃの仲でしょ? 皆まで言わずとも、気持ちは伝わってるからいいのだよ。そんな事よりね、しーちゃん……」





 千歳はちょいちょいと手招きをした。何だろうかとあたしが顔を近付けると、千歳はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、あたしの眼前にそれを突き出してきた。ディスプレイにはメール受信画面が開かれていた。





「……これ、あいつから……?」





「ケンカする程仲がいいって言うけど、しーちゃんたちが一緒に寝てくれないと鈴ちゃんとちぃも一緒に寝れなくなっちゃうんだかんね? 何があったかは聞かないけど、夜までにしなよ? なっかなーおりっ」





「……さぁ、どうだろうね。千歳にはいつも迷惑かけて申し訳ないと思ってるけど……出来ない時は出来ないよ」





「ふむふむ。いざとなったら力ずくでもしーちゃんをちぃの部屋に押し込むかんね? ……なんちって。茉莉花は何時に帰るか分かんないって言ってるし、まだまだ時間あるんだから落ち着いて考えといで?」





 苦笑が洩れる。天真爛漫でお気楽極楽に見える千歳には、ほんっとに頭が上がらないやと痛感させられる。心の狭いあたしなんかには絶対真似出来ない。遠回しな言い方も、全部あたしたちの事を考えて言ってくれてるのだと思うと友達の鏡と表しても過言ではない。





 メールの送り主には茉莉花の表示。本文には箇条書きでこう書いてあった。





 『汐音が怒ってたら話を聞いてやって欲しい。泣いてたらぼくの悪口を言い合って欲しい。今日遅く帰るかもしれないけど、出来れば汐音の側にいてあげて欲しい。もし汐音がぼくと寝るのを嫌がってたら、ぼくの代わりに寝てあげて欲しい。もちろん、全部汐音には内緒だぞ? 頼むね、千歳』





 まったくもう……。かっこつけちゃって……あのバカ娘。





「ありがとね、千歳。あたし、千歳があいつのルームメイトで、友達でいてくれてほんとによかったと思ってる」





「なんのなんの。改めて言わなくても、ちぃは友達として当たり前の事をしているまでですよん。……とゆー訳で、ちぃがこれを見せた事は茉莉花にバラしてもいいかんねー。さぁーて、お風呂お風呂っ」





 目元でピースを作りながら、千歳は足早に浴場へと急いで行った。見送る背中にもう一つありがとうと呟いて自室へ入った。





 茉莉花のやつ……ほんっとにバカなんだから……。あんなの見せられたら、影で千歳に手回ししてただなんて知ったら、どこまでが芝居なんだか分からないじゃない……。





「おかえりなさい、汐音さん。お風呂は混んでましたか?」





 扉を閉める音と同時に振り返った鈴芽ちゃんは、デスクに向かって本を読んでいた。難しそうな分厚い本。宿題をやる時くらいしかデスクに向かわないあたしとは人種が違うんだとしみじみ思いながらベッドへ腰掛けた。





「ううん。まだ空いてるよ。今、ちょうど千歳も行ったとこだから行ってくれば?」





「そうでしたか。ですが、私はもう少しキリのいいところまで読んでからにします」





「そお? 空いてるうちに行った方が……へ、へっくしょんっ!」





 ぶるっと一つ肩を震わせてタオルで髪をわしゃわしゃする。ボーッとしながら身体を洗っていたから湯船に浸かるのを忘れていた。あれだけずぶ濡れになって寒い思いをしたのに温まらないで出てくるとは、我ながら間抜けだと呆れる。





「大丈夫ですか? 早く乾かした方が……」





「うん、大丈夫。子供じゃないんだからちゃんと乾かすよ。あはは」





 ドライヤーのスイッチを入れると鈴芽ちゃんがデスクの灯りを消した。うるさかっただろうか、そう思ってちらりとそちらを見やる。だけど鈴芽ちゃんはいそいそとお風呂の支度をし始めただけだった。いってらっしゃいと口にする代わりに片手をひらひらさせると、鈴芽ちゃんはにっこり笑って「行ってきます」と口を動かした。





「へっくしょんっ!」





 あたしももう一度温まってこようか。鈴芽ちゃんが去った扉の方を見やる。どうせ今日は宿題ないし、このままぐーたらするだけならゆっくり浸かるのも悪くない。





 だけど……。





「へ……へっくしょんっ!」





 めんどくさい……。





 せっかく髪も乾かしたばかりだし、これから混むと分かっていながら行くのもバカバカしい。ちょっと布団に入って暖を取ろうと、あたしはごそごそ布団へ潜った。





 それにしても……あいつは、茉莉花はほんとに何を考えているのだろうか。枕に顔を預けると赤毛がオデコを滑っていった。あの時、双子に諭されずにパッチンを捨てたままだったら……あいつはどんな顔をしただろうか。どんな事を言っただろうか。どんな事を考えるのだろうか……。





 さっぱり分からない……。





「へ……くしょんっ」





 鼻までずり上げた布団に包まりながらあいつの顔を思い出す。最後に見た表情は……思い出したくないけど……。





「バーカ……」





 しゅんと鼻をすすって呟く。今日は朝からあの二人に振り回されて疲れた。怒るのもだけど、泣くのだって結構体力を消耗する。帰ってきて、もしあたしが話す気分でいられたら、まず最初に謝らせてやるんだからね、マリバッカ……。





 考え事をしているうちに身体も温まってきてうつらうつらと気持ちよくなってきた頃、がちゃりと扉の開く音がして我に返った。枕に半分埋めていた顔をもぞりと上げる。ひたひたと近付いてくる鈴芽ちゃんの足音に安堵した。





「おかえり。早かったね」





「……」





「混んでたでしょ。千歳も一緒に上がってきたの?」





 鈴芽ちゃんは無言だった。お風呂で何かあったのだろうか。それとも千歳と何かあったのだろうか。それともそれとも、あたしが布団を被ってるから聞こえないだけだろうか。





「鈴芽ちゃん?」





 少し布団をずり下ろした視界の中にいたのは……。





「ただいま」





 どアップのバカ娘の顔だった……。


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