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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
61/105

61☆道化

 雨。恵みの雨、なのだろうか。指定された裏庭には、水溜まりにぴしゃぴしゃと雨が吸い込まれている。


 あたしはそれを三階の廊下から見下ろしていた。裏庭の見える廊下から。この前は奈也がこうして二階の窓からあたしを見下ろしていた。


 卑怯者だ。あたしは裏庭に行くのが怖くてこんなところにいる。二階にも行けない。奈也がこの前みたいにあたしを見下ろしているかもしれないと思うと、怖くて行かれなかった。


 だけど、昼休みはもう三十分が経とうとしているのに奈也の姿はない。来ないのだろうか。もしかして雨だから別の場所にしよう、と四組に言いに来てるのかもしれない。探しているのかもしれない。誰かに言付けをして、新たに指定した場所で待っているのかもしれない。


 お弁当箱には塩結びが二つ入っている。こんなの気の知れた友達じゃないと恥ずかしくて見せられない。なのに、ちゃんと持ってきておきながら、あたしはここで、来ないで欲しいと願いながらただ水溜まりを眺めている。


 矛盾している。怖いけど話がしたい。聞きたい。奈也ともう一度話してみたい。なのに勇気が出ない。やっぱり怖い。あたしの中でどうしたいのかと自問自答を繰り返している。


「しーおんっ」


「わっ! び、びっくりしたぁ……。驚かさないで……って……」


 肩をすくませて振り返ると、そこにいたのは奈也ではなく……。


「奈也だと思ったっしょ? ふふん、汐音のびっくりした顔見たかったんだけど……何だその顔、ウケるっ」


「な、何であんたがここにいるのよ」


「何でって、多分汐音と同じだと思うけど?」


 茉莉花はかちゃりと鍵に手を掛け、少しだけ窓を開いた。雨音が強まる。そのまましばらく黙って外を見下ろしていた。


「二階だと覗き見してるのバレちゃうかなと思って三階に来てみたんだ。……汐音も、じゃないの?」


「……そうだけど……」


「浮かない顔だな」


 そう言うと茉莉花はあたしの足元に腰掛けた。壁に背を預けてパンの袋を開け始めている。別校舎だから人気(ひとけ)がないとはいえ、誰も来ないとは限らない。


 そんなところであたしは隣にいる訳にはいかない。どういうつもりで座っているんだか知らないけど、二人でいるところを見られたら、と思うとそわそわしてしまう。


「覗き見出来なくて残念だったわね。悪趣味が祟ったんじゃない?」


「ひっでぇな。自分こそこんなとこで、奈也ちゃんがほんとに来るのか高みの見物だったくせに」


「そんなんじゃないわよ。……来ないみたいだから、あたし戻る」


 そっと窓を閉める。雨音が薄らいだ廊下にはがさがさというパンの袋の音が響いている。引き止めないのね、そう思って見下ろしていると、茉莉花はパンを咥えながら不思議そうな顔であたしを見上げた。


「もろんないろ? をくはもおすこひここりいるけろ」


「もう少し見張ってるって訳? ……好きにしたらいいじゃない。あんたはどうせ同じ教室にいるんだし、そこまでするなら初めから尾行でもなんでもすりゃよかったのに」


「んー……」


 茉莉花はじっとあたしを見つめている。もぐもぐしながら何か考えているようだった。やがてそれらを飲み込むと、パックのカフェオレをこちらにほいっと差し出してきた。


「あげるよ」


「……いらない。あたしおにぎりだもん。それにカフェオレあんま好きじゃないし」


「汐音はお子ちゃまだなぁ。イチゴオレの方がお好みだった? それなら買ってきてあげるけど」


「いらないってば。あたし教室で食べるから、じゃあね」


「まったく……怒りんぼな上にせっかちなんだから……。よっ、と」


 茉莉花は掛け声と共にすくっと立ち上がり、物言いたげに覗き込んできた。


「怒りんぼのせっかちで悪かったわね。そのせっかちに言いたい事あるなら早くしてくれる?」


「……いいや。答えは出たからまた今度にするよ」


「何なの?」


 歯切れの悪い言い方に少し眉を顰める。気になったので問い詰めてやろうかとも思ったけど、お昼休みも残り二十分。吐き出してやりたい気持ちをぐっと飲み込んで背を向けると、階段を昇ってくる足音に気が付いた。


 見られたら気まずい。だけど慌てるのも怪しい。だけどこんなところで二人きりなんて怪しまれない訳がない。


 どうしよう、そう焦るあたしとは裏腹に、茉莉花は「あーぁ」とノンキに苦笑をもらしていた。


「しお……ん?」


 階段の方からあたしを呼ぶ人影。それは……。


「奈也……。なんでここに……」


「ぼくが呼び出したんだよ。『昼休み、裏庭の見える三階に来て』ってね」


 振り返った茉莉花が信じられない事を口にした。あたしと目が合うとにやりと笑ってみせる。何、何なの? 何が何だか分からず動揺していると、奈也はあたしたちを見比べながら申し訳なさそうにこちらへ歩いてきた。


「な、なんで? 奈也はあたしと裏庭で、シュシュをくれたとこでって……」


「ご、ごめん。その……ま、マリッカが、ここに来れば汐音の秘密を教えてくれるから、って……。だからアタシ……。ごめん、汐音との約束を破るつもりはなかったの。ごめんね。ごめんね」


「秘密……?」


 心臓がどくんと跳ねる。一瞬、雨音が止まった気がした。奈也はいつものように毛先をいじりながら俯いている。背筋に一つ、嫌な汗が落ちていった。


 秘密? あたしの秘密? 茉莉花が知ってるあたしの秘密? 奈也にバラしてもいいあたしの秘密?


 ごくんと唾を飲み込んだ。何を考えているのか分からない茉莉花が、何を考えているのか分からない奈也に何を吹き込もうとしているのか皆目見当もつかない。これも、今朝のようなカモフラージュなのだろうか。あたしたちの仲をごまかす作戦か何かなのだろうか。


「あーらら。ダメじゃんか、奈也ちゃん。本人の前で秘密をバラす訳にいかないだろ? それこそ秘密にしてくれなくちゃ」


「ど、どういう事? 何なのよ、あたしの秘密って」


「さてね。……ここじゃ何だから、別のとこ行こうか、奈也ちゃん」


 茉莉花はさっきとは別人の、いつものジゴロな笑みを浮かべて奈也の肩を抱いた。手に汗が滲んでくる。いくら校内での獅子倉茉莉花といえど、それがわざとであるとしてもあたしを好いてくれている奈也に気安く触れる事に胸がぎゅっとなる。


 でも顔には出せない。出さない。出してたまるもんですか。口や表情に出さまいと堪えて、ぐっと拳を握りしめた。


 茉莉花に抱かれて驚いた奈也が、慌てた様子であたしの手を握る。それは今までの中で一番強い力だった。


「痛いっ。痛いよ、奈也……。放してっ」


「汐音、ち、違うの……。アタシ、マリッカと交換条件で、それで……」


「……交換条件?」


 痛みに顔を歪めたあたしを見て奈也はハッとした表情で力を緩めた。眉を顰めたまま茉莉花を見上げる。目が合った茉莉花はへらへらと笑って奈也の肩をぽんっと叩いた。


「だからぁ、バラしちゃダメだってばぁ」


「言ったよね? 『汐音の秘密を教えてあげるからぼくとデートしてよ』って」


 ……え?


 デート? 交換条件? 秘密?


 どういう事……?


「あー、もう……。汐音ちゃんが困ってるじゃんか。ダメだよ、奈也ちゃん。お口にチャックしちゃうぞ?」


 やめてよ……。あたしだけ何も知らないって言うの? 蚊帳の外にしないでよ……。


 茉莉花はあたしの……。


「ご、ごめんなさいっ。アタシ、やっぱり汐音の事何でも知りたいの。だから、もう言わないから……」


 あたしの茉莉花なのに……。


「おーけー。じゃあぼくとデートしてくれるって事だよね?」


 やだ……。


「う、うん。そしたら……し、汐音の事、汐音の秘密も教えてくれるんでしょ……?」


「もちろん。その代わり、お口にチャック、してもらうよ?」


 二人の顔が近付いていく。少し仰け反る奈也の背に腕を回した茉莉花がぐっと手繰り寄せる。あたしが、あたしが目の前にいるっていうのに。あたしの事を好きだと言ってくれていた二人の唇が触れようとしている……。


 そんなのっ、許す訳ないでしょーっ!


「その手、放しなさいよっ!」


 繰り出した渾身の蹴りは茉莉花の腰骨辺りをクリティカルヒットし、勢いで見事なまでに吹っ飛んでいった。さっきのジゴロスマイルはどこへやらのヘタレた茉莉花の驚いた顔ときたら……。


「ざまぁないわねっ! このマリバッカっ!」


 言い放ったあたしをへたり込みながら見上げる茉莉花と、赤縁メガネの奥で目を真ん丸にさせている奈也。


 そうだ、奈也が言っていた。ビンタを食らわせたあたしがかっこよくて好きになった、と。こんなの、正義のヒーローを気取ってる訳でも何でもないのに。女の子を助けたヒーローでも何でもないのに。


 あたしは、あたしはかっこよくもヒーローでもない。だって……。


 こんなに溢れる涙を止められない、かっこ悪い道化だもの……。



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