60☆(奈也×2)+1+2=5つの顔
汐音のように、強くてかっこいい女の子に憧れていた。
あの日から、アタシは汐音の姿を追うようになっていた。初めはこの気持ちには気付いていなかった。見かけるだけで嬉しくなってしまう自分に気が付いたのは一週間後くらいの事だっただろうか。
昇降口や廊下ですれ違う度に、アタシも汐音と話がしてみたいと思っていた。だけど勇気を出して振り向いた時にはもう後姿。アタシはいつもそのゆらゆらと揺れているポニーテールを眺めていただけだった。
『いないの? いないなら、アタシと付き合って』
あんな事を突然言われて驚いて当然だ。汐音はぽかんと口を開けたまま目を丸くしていた。無理もない、ろくに話した事もなかったアタシたちなのだから。
『分かった。土曜日ね』
笑顔でデートをオッケーしてくれて、本当に嬉しかった。汐音が去った後も嬉しくて嬉しくて土曜日が待ち遠しくて堪らなかった。何を着ていこうか、どんなコースにしようか、握りしめた汐音の手の柔らかさを思い出すと頬が熱くなった。
『お前は全寮制の高校にぶち込んでやるよ。せっかくアル中男と離婚出来たっていうのに、お前がいたんじゃあの人との時間もろくに作れやしない』
『ご、ごめんなさい……』
『またそうやってもじもじ髪いじりやがってっ。気持ち悪いんだよっ』
ママは、離婚したパパにいつも暴力を振るわれていた。お酒を飲んではケンカをし、最後にはママが黙って殴られていた。そうしないとパパは治まらなかったから。ママはずっと黙って耐えていた。目を瞑って、歯を食いしばって。
アタシは、そんなママの姿を小さい頃から見てきた。
六年生になった春、ママは『新しいお父さんだよ』と言って優しそうな男の人を連れてきた。その時のママはすごくキラキラした笑顔で、アタシはそんな幸せそうなママを初めて見れたのがとても嬉しかった。
『ななちゃん。今度パパとお洋服を買いに行こうか。ななちゃんが作ってるミカちゃん人形のお洋服みたいな、かわいいのを買ってあげるよ』
『本当? ありがとうっ』
パパは、アタシにとても優しかった。連れ子であるアタシにたくさん物を買い与えてくれた。そんな大好きなパパにお返しがしたくて、唯一の趣味だった手芸を生かしたプレゼントをたくさんたくさん作った。
『奈也っ、あんた血の繋がってない父親に色仕掛けしてんじゃないわよ!』
『違う、ママ、アタシはただパパにお礼がしたくて……』
『お前は昔からそうだ。一人でこそこそミカちゃん人形の洋服を作っては私に見せ付けてきやがって。私が不器用だからってバカにしてたんだろ? あのバカ亭主のおかげで私は裁縫なんかする暇なかっただけなんだよ! 何がお礼だ、何がミカちゃん人形だ! こんなもん……っ!』
アタシはただ、パパに喜んでもらいたかっただけだったのに。パパが喜んでくれたらママも笑顔のままでいてくれると思ってただけなのに。ハンカチもネクタイもクッションも枕カバーも、アタシが作ったプレゼントはビリビリに引き裂かれて無残に捨てられていった。
アタシにとって手芸は、ママとアタシを繋ぎ止める為のたった一本の糸だったのに、引き裂かれたのはパパへのプレゼントだけではなかった。
ネグレクト、と世間では呼ばれてるらしい。
だけど、アタシはそうは思っていない。ぶたれても、アタシが作った物を引きちぎられても、それはきっとアタシがママの機嫌を損なってしまったからいけなかったんだし、第一、大好きなママがアタシを虐待している訳なんてないと思いたい。
そうよ。愛されてるからぶたれるの。愛があるから虐待ではないの。ママの思う通りに出来なかったアタシに落ち度があったんだもの。愛がなければ手をあげる事なんて出来ないもの……。
愛されてるから、愛されてるから、愛されてるから……。
愛してるから暴力なんかじゃない……!
『どうしてアタシを受け入れないのっ? アタシを、アタシを……っ!』
だから、あの時アタシが汐音に乱暴した事だって、愛があるからだと分かって欲しかった。受け入れて欲しかった。離れて欲しくなかった。拒絶して欲しくなかった。分かって欲しかった。全部、全部、分かって欲しかった……。
アタシはただ、ママからも、汐音からも、求めて欲しかっただけなのに。必要とされたかっただけなのに……。
「へぇ、出掛ける程仲いいんだ?いいなぁ、今度ぼくも混ぜてよ」
「え、えっと、それは……」
「ダメ? じゃあさ、放課後、ぼくと二人っきりでデートしてよ」
マリッカがアタシの耳元で囁く。思いもよらない誘いに動揺してしまう。マリッカが色んな女の子を誘っているのはクラスメイトとして当たり前のように知っていたけど、二人っきりでデートしているという噂は一度も耳にした事がないから。
何で、何でアタシなんか……?
「汐音ちゃんはきっと来ないよ」
「……え?」
「さっき、昼休みに裏庭で、って約束してたよね? でも汐音ちゃんはきっと来ない。ぼくには分かるんだ」
「え……ど、どういう事? 汐音は分かったって言ってくれたもん……。約束破るような子じゃ……。汐音はそんな子じゃないもん……」
思わずごくりと唾を飲み込んだ。浅い瞬きを数回すると、マリッカはにっこり笑ってアタシの手に自分の手をそっと重ねた。
「教えてあげようか? 知りたいんでしょ、汐音ちゃんの事。なら昼休み、裏庭の見える三階に来て?」
「し、知りたいけど……。昼休みはアタシから誘ったんだもん。アタシが約束を破る訳には……」
「だからさ、彼女は来ない。あの子はそういう子だよ。ぼくは知ってる、あの子の素顔も、それと……秘密もね……」
ひ、秘密……?
返事は一つしかない。映画館で酷い事をしてしまった汐音の気持ちを繋ぎ止める為には、もっと汐音を知る必要がある。観察するだけじゃ得られない情報を。
もっともっと汐音の情報を手に入れて、彼女の喜びそうな物をたくさん作ってあげたい。プレゼントしたい。
マリッカは汐音と同じ合唱部でもあり、汐音と仲良しの千歳のルームメイトでもある。それとなく汐音の情報を手に入れる為には一番適した存在なのかもしれない……。
汐音の部屋の様子、枕カバー、ベッドシーツ、小物、パジャマ、タオル、下着……。全部知りたい。全部教えてもらいたい。全部アタシが作ってあげたい。
アタシの手作りに包まれた汐音はどんな顔するだろうか。想像しただけでも顔が火照ってしまう。パパのように、アタシを優しく愛してくれるだろうか。パパといる時のママみたいに、幸せそうな笑顔でいてくれるだろうか……。
「そ、それ本当? 本当に教えてくれるの? 汐音の事……」
「もちろん。だけど、タダって訳にはいかないよ? ぼくとデートしてくれるって約束が条件。……でもまぁ、汐音ちゃんともっと仲良くなりたいなら知っておくべきだと思うよ。だからさ、昼休み……待ってるからね」
毛先に触れようとするアタシの手を、マリッカがギュッと握りしめる。吸い込まれそうなマリッカの目には頬を赤らめたアタシが映っていた。その中のアタシの目に映っていたのは……。
「わ、分かった。三階の裏庭が見えるとこね。デートもする。だから、だから教えて? 汐音の事……」
アタシも握り返す。一瞬、眉を顰めたように見えたのは気のせいだっただろうか。マリッカは優しく微笑みながら頷いた。
「おーけー。契約成立、だね」




