6☆袖口に光る茜色?
忘れたくても忘れられる訳ないじゃない。そのふわふわしたボブヘアも、ハスキー掛かった声も、にっと笑ったその顔も……!
「何であんたがこんなとこに……」
握りしめた拳にギュッと力が入る。腕がわなわなする。肩が「殴っちゃえよぉ」と囁いてくる。分かってる、言われなくてもあたしだって殴ってやろうと思ってるとこなんだから。
……いやいや、ダメダメ! ここは昨晩と同じシチュエーションじゃないんだから。あたしの部屋じゃないんだから。先輩たちだって見てるんだから。
「こんなとことはご挨拶だな。ぼくは明日からここの部員になるんだ。先輩方もみーんないい人で、いわゆる一目惚れってやつかな? 即決しちゃってさ」
「ふ、ふーん……そう。よ、よかったわね」
どうでもいいっつーの。あんたが合唱部に入ろうが一目惚れしようがお好きにどうぞ? まぁ、しいて挙げるとすれば、宣言してくれたお蔭で同じ部活に入らなくて済んだ事には教えてくれてありがとうと感謝するわよ。
今あたしはきっと愛想笑いも出来ていないだろう。あたしとこいつの出来事を何も知らない先輩たちはきょとんとした顔でこちらを見ているし。仕方ない、言えないもの。あたしのふぁ、ふぁ、ファーストキ……。
「汐音ちゃんっていうの? 私は二年の栗橋莉亜だよー。 まいっかのお友達なら大歓迎だから入って入って?」
「……まいっか?」
天真爛漫な笑顔を見せながら、栗橋先輩は「この子、この子」と憎きあいつをつんつん差している。差された本人はというと、にっこりと「違うッスよ、莉亜せんぱーい」と言って栗橋先輩の頭をよしよししている。なるほど、誰それ構わずベタベタ触るのね、このスケコマシは……。
「『まいっか』じゃなくて、マリッカだってば。茉莉花だから『マリッカ』ね。何回教えたら覚えんッスか、莉亜せんぱーい」
どうでもいいから覚えられないんでしょうね。何がマリッカよ……男みたいに「ぼく」とか言うし口調だって声だって男の子みたいなくせに、茉莉花なんて名前だけは一著前に乙女なのね。あんたなんかマリオで充分よ。……いや、マリオに失礼か。マリオに謝れ、今すぐ謝れっつーの。
「と、友達なんかじゃありませんよ。クラスメイトでもないですし。名前だって知りませんし」
「あー、そうだった。ぼくは獅子倉茉莉花だよ。一年六組の服飾科。汐音は? 何て名字?」
「……」
「あれぇ? 教えてくんないの? 莉亜先輩も由佳里先輩も知りたいッスよねー?」
こ、こいつ……っ! 先輩を出汁にしやがって……!
「相葉……相葉汐音、一年四組……ですけど」
「へぇ、かわいい名前じゃん。シオンって髪の色通り外国人みたいな名前でぴったりだよね。ぼく汐音みたいなポニーテール似合う子、めちゃタイプなんだよなぁ。その赤毛も珍しくてかわ……」
「……っさい」
「え?」
「うっさいんだよ、バーカ!」
音楽室に響き渡ったあたしの罵声は、一瞬にして部屋中を凍りつかせただろう。でもあたしには関係ない。先輩たちも合唱部も、そしてこの変態チャラ娘も。どうなろうが知ったこっちゃない。どう思われようが知ったこっちゃない。
どいつもこいつも同じだ。どこへ行こうが同じだ。男だろうが女だろうが、口を開けば赤毛あかげアカゲ……。
だからなんだっつーんだよっ!
「何の騒ぎだ? またお前絡みか、栗橋ぃ」
「違うよぉ部長。えっとね、新入部員のまいっかがぁ……んーと、私も何で怒られてんのか分かんないや……」
「まいっか? あぁ、さっきのマリッカとか名乗ってるチャラい一年か。まったく、栗橋だけでも手が掛かるのに問題児が一人増えそうだな。こっちの口悪いのは?」
「んーと……汐音ちゃん、だって。口悪そうだけどいい子だよ?」
「お前が言うか、栗橋。お前はいつになったら敬語使えるようになるんだ? ……まぁいい。そこの騒いでる一年、ここは合唱部だ。そして今は部活動中だ。入部してようがしてなかろうがうるさい奴は部長であるうちが許さん。規律を乱す奴は準備室で反省してろ」
「げっ、ぼくもッスか? ぼくはなんも……」
「二人共だ。さっさと行け」
一見優しそうな部長さんだと思ったのに、やっぱり部を仕切る立場の顔になると引き締まるらしい。今まで散々お菓子食べたり寛いでた部員たちもそそくさと譜面を手にし出している。唯一、あまり状況を飲み込んでないのか図太いんだかの栗橋先輩を覗いて、だけど。
「あたし部員じゃないし入部希望でもないんで。でもお騒がせしたのはすいませんでした。……失礼します」
「おいこら、待て。部活動中の問題は部長であるうちが責任持ってるんだ。いくら部員じゃなかろうがこの音楽室で起こった問題はうちが裁かせてもらう。部長の、先輩の言う事が聞けんのか?」
「そんな理不尽な! だってあたしは……」
「早よう行け」
「……はい」
合唱部云々なら部長権限なんぞ知らんこっちゃないけど、先輩命令と言われると……ずるい。あたしは悪くないのに。ただバカにしてきた奴にバカと言っただけなのに……。
しぶしぶと音楽室の奥の準備室とやらへ入る。反省? 何をすれば? 部活が終わったら出してくれるんだよね? 不安とイラ立ちしか湧いてこない。
もやもやしながら準備室の電気を点ける。春の夕陽が傾いて綺麗な茜色だ。部屋の半分まで陽が差し込んでいる。だけど、こんなに明るいのにあたしの中は……。
なんであたしばっか……。悔しくて情けなくて、涙が出てくる……。
「ったく、怒ったり泣いたり忙しいな、汐音は」
後ろ手に扉を閉めながら奴が入ってきた。背後にそれを感じたけど振り向くつもりなんて更々なくて。むしろ顔も見たくない。
あたしは背を向けたまま、真新しいブレザーの袖でごしごしと涙を拭った。紺色の生地に水滴がてかてかと光っている。ほんのり茜色がそれを照らしている。
「ほっといて。近寄らないで。話しかけないで」
「ひ、酷くね? 巻き添え食らったぼくこそ泣きたいよ。そもそもなんでそんなに冷たい訳? ぼく何かした?」
「したじゃない! バッカじゃないの?」
「えー、そんな怒る事?」
振り返ったあたしが睨みつけると、奴はにっこりしながら「怖い怖い」と肩を竦めた。ほんとは怖がってなんかないくせに。ほんと腹が立つ。
「バカにするのもいい加減にしてよ。逆に聞きたいわ、あたしがあんたに何したっつーの? なんであたしに……」
「……あたしに? 何?」
「あたしに……あんな事しといてなんでへらへらしていられんの? バカなの?」
口が悪いのは認める。知ってる。だけど、だからあたしはいつも……。中三のあの夏だって……。
「んー、怒ってるのは部屋を間違えてベッドに入った事? それともキスした事?」
「ちょっ、それ言うなー! ボケナス!」
「ほんと口悪いな。だってそれくらいしか思いつかないじゃん。汐音と知り合ったのは昨日の夜だぞ? それ以外のエピソードがないじゃんか」
「昨日今日で呼び捨てにしないで。あたしはあんたの名前すら知らなかったのよ? 昨日も言ったけど馴れ馴れしく呼ばないで」
「堅っ! 汐音さ、みんなにそんなお堅いの? ぼくみたいにみーんなにフランクに行こうよ。そんなかわいい顔してんだしさ、笑ってれば自然と友達集まってくると思うよ?」
大きなお世話だっつーの。誰があんたみたいにチャラチャラするもんですか。
でも……ちょっとだけグサリと刺さる。内部生だからとか外部生だからとか、壁を感じるって思ってたのも事実だけど、硬い壁を作ってたのはあたしもかもしれないのだから。
堅い? いいじゃない、それでも。あたしは軽い女なんかじゃないんだから。チャラい女なんかじゃないんだから。
もう『尻軽女』なんて言わせないんだから!