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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
57/105

57☆番外編〈寄稿作品5〉月庭一花様より

 白樺を渡ってくる風が、夏服の袖を優しく撫でていく。見上げた八月の空はどこまでも高く、遠くの入道雲がまるで巨大な綿菓子のようで、少し手を伸ばしただけで触れられそうに思えた。

 最高のシチュエーション。ひと夏のバカンス。……それなのに。

 あたしはどうしてこんな場所で、初めて会う女の子と、ふたりきりなのだろう。

 ちらりと視線を戻すと、あたしをほっぽり出して、マリカはヤオとかいうちょっと引くくらい綺麗な女性と何やら話し込んでいる。時折ものすごく顔を近づけていて、ヤオさんも傍目にはまんざらでもない風で、見ているだけでやきもきする。

 ふん。……なんだっていうのよ、まったくもう。

 じっと彼女たちを見つめていたら、ふいにちょんちょん、と。指先で袖をひかれた。ヤオさんのお連れさん……確かイチカちゃんと言っただろうか。幼い顔つきだが、マリカに聞いたところによると、実はあたしたちと同学年であるらしい。

「あお」

「青?」

 そう訊ねると、イチカちゃんはあたしの唇を見ながら、小さく首を横に振った。

「しんぱい、してう、の?」

 彼女は、生まれつき耳が聞こえないそうで、喋り方も、どこかぎこちない。時々なんて喋ってくれているのか、わからないこともある。それでも一生懸命に話しかけてくれるのは、嬉しかった。

 心配……。マリカの女好きというか綺麗な女性を見かけると声をかけるという習性には慣れてきたはずなのだけれど……あれだけの美人と並んで立っている姿を見ると、思わず自分の容貌を振り返って、胸の奥がきゅうっと、痛くなるのだった。

「あいつ、綺麗なひとが好きだから。ヤオさんに手を出さないかってことなら、心配かな」

 本当の心配は別のことだったけれど。あたしは、ほんのちょっぴり、嘘をついた。イチカちゃんはあたしの言葉を見てくすくすと笑いながら。

「うちのおねえさまなら、だいおうぶ、だわ」

 と言った。ヤオさんを見つめる彼女の目は、あたしとは違って、とても穏やかだった。それは信頼しているから……というよりも、もっと深いところでつながっているみたいに思えて、少しだけ羨ましく思った。

 きっと、ヤオさんは、他の子に目移りなんてしないんだね。そう呟くと、あたしを見ていたイチカちゃんは、おねえさまはおねえさまえ、けっこう、はためいあくなしとなのよ、って。笑ってみせるのだった。

「ふたりでなにをしているんだい、子猫ちゃん? ボクもまぜてくれよ」

 話を終えたマリカが家の鍵らしきものをチャラチャラと鳴らしながら、そっとイチカちゃんの肩を抱いた。それを見てカチンときたあたしに小さく微笑んで、イチカちゃんはするりとその手から逃れ、本来あるべき場所に、ヤオさんの腕の中に、そっと収まってみせた。

「聖徒の、……ううん、わたしの妹にまで手を出すようなら、その鍵を返してもらおうかしらね」

 ヤオさんが笑顔のまま、めちゃくちゃ冷たい声でそう言った。

「ご、ごかいだよ? やだな、ヤオ様の妹に手を出すわけがないじゃん」

 けれどもそう答えたマリカの顔は引きつっていて、それを見たら少し溜飲を下げることができたのだった。っていうか、マリカのそういうとこ、ほんと情けないったらないんだから。

 森の手前の小川沿いに建つ豪奢な洋館の前には、まだ昼間なのに、松明に火が灯っている。あたしたちはその……なんだろう、何かのお店の駐車場で、この不思議なふたり連れと、落ち合ったのだ。

 マリカから友人の別荘を借りることができた、と聞いたときには飛び跳ねるくらい嬉しかったのに。まさかその友人が同伴するなんて、聞いてなかった。それとも聞かなかったあたしが悪いんだろうか。でも、旅費まで出してもらって文句を言うわけにもいかず、あたしは心の中では苦虫をかみつぶしたみたいな気分だったのだけれど、それは顔には出さないように、我慢していた。

 ところが。

「あとのことは佐々木にまかせてあるから。ゆっくり楽しんでちょうだい。では、ごきげんよう」

 ヤオ様はそう言って。くるりときびすを返したのだった。

「え? ご一緒じゃないんですか?」

 あたしが驚いて訊ねると、ヤオさんは不思議そうに首を傾げて、どうしてあなたたちのひと夜を、わたしたちが邪魔しなければならないの? 変なひとね。と手話を交えて話した。イチカちゃんもあたしとヤオさんを交互に見て、小さく笑みを浮かべている。

「佐々木があなたたちを送り届けて戻るまで、わたしたちはここでゆっくり、お茶を頂くんですもの。別荘は好きに使っていいわ。壁の絵とピアノにさえ触らなければ」

 するとイチカちゃんが手話で何かをヤオさんに伝え、ヤオさんも手話だけでイチカちゃんに語りかける。そのやりとりがとても自然で美しくて、つい、見惚れてしまう。ただ、

「……馬鹿ね。お食事は、今年はまた違う趣向を用意しているわ。それに、夜のことも。甘いものを食べたらオペラハウスへ行きましょうね」

 ヤオさんが手話混じりに囁いた言葉の意味は、よくわからなかったのだけれど。

 佐々木さんが運転する黒塗りのジャガーは静かに、森の中を走り抜けていく。あたしは生まれて初めて白手袋をしたお抱え運転手なんて存在を知ったわけで、お金持ちって世の中にはいっぱいいるんだなーって、改めて思った。

 別荘に着いたときには日が傾き始めていた。苔むした庭や蔦の絡まる煉瓦の壁面は、まるでおとぎ話に出てくる建物みたいで、小さいなんて言いながら、その重厚な存在感は、あたしを圧倒して有り余るものがあった。

 佐々木さんが、外出の際に必ず熊よけの鈴をお持ちください。何かありましたらすぐにご連絡いただければ、まいりますので。と言い残し、来た道へと車を走らせ始めたのを見送って、あたしたちは洋館の中に入っていった。

「実はボクもヤオ様の別荘に来るの初めてだったんだ。けっこうすごいね、ここ」

「というか、あの人一体何者なの?」

 あたしが訊ねると、マリカは聞かないほうがいいよ、と。なんとも言えない表情で、笑うのだった。


 そして、その日の夜。

 あたしたちが森の中で。青い花に囲まれて見たものは、


 ……二人だけの秘密。


月庭一花様より頂いた三作目の作品です。

こちらの登場人物は月庭様の小説『繭の中、花のクオリア』よりコラボレーションしてくださいました!

作中の別荘は本編で描かれているお屋敷になりますので、いくつかの謎が気になった方はぜひ『繭の中、花のクオリア』をご閲覧くださいませ♪



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