53☆番外編〈寄稿作品1〉月庭一花様より
「冬物?」
ボクは振り返って、シオンを見つめた。彼女は自分の赤い髪をそっと撫でながら、小さく頷いた。
「うん。……そんな高いものが欲しいわけじゃないんだけど」
「じゃあ、小物系とかかい?」
街灯の光が、少し憂いを帯びたシオンの顔にやわらかな影を作っていた。ぱっちんで留めた前髪の隙間から、つるりとした綺麗なおでこが覗いていた。
「そうね。マフラーとか、手袋とか、かな。いいお店知ってる?」
上目遣いの彼女の顔が、たまらなく愛おしい。でも、ここは学校の敷地の中だから。誰が見ているかわからないから。ぎゅっと抱きしめたいのを我慢して、唇の端を、ちょっと持ち上げてみせるだけにした。
「実家の方まで来てくれるなら。案内できるよ」
「じゃあ、お願いしてもいい?」
やった。久しぶりのデートだ、と思った。いそいそとローファーに履き替え、昇降口を抜ける。
秋の日は釣瓶落とし、なんて言うけれど。部活が終わって校舎の外に出てみると、空には星が瞬いていた。吹き抜ける風は小さなナイフのようで、もう間も無くの冬の到来を、静かに予感させるものだった。シオンがのろのろと後に続く。その姿に、少し違和感を覚えて、
「なんだか随分しおらしいね。シオンらしくないじゃん」
と、訊ねてみた。
「別にそんなんじゃないけど」
「ふうん? ところで、さ」
「なに?」
「その買い物って、シオンが使うもの、ってことでいいのかな。それならボクがばっちりコーデしてあげる。どう?」
シオンは立ち止まって、少し考えるそぶりをした。
「参考意見くらいでいいかな。あたしのものじゃないから」
「じゃあ、ボクへのプレゼント?」
「違う」
ボクはその言葉を聞きながら、じゃあ、誰のものなんだよ、って。ちょっとだけ傷ついていた。
次の日曜日に、ボクたちは海谷市のターミナル駅で待ち合わせをした。
なぜ寮から一緒に出なかったのか。どうして二人ばらばらに出て、遠くで待ち合わせたのか。それはボクらの恋が、秘すべきものだからだ。誰にも知られてはいけないものだからだ。だから、滅多にデートもしない。ボクたちを引き裂こうとするすべてから自分自身を守るために、二人で決めたことだった。シオンがついた嘘を、つき通すために。ボク自身の嘘を、知られないように。
海谷市は高級住宅地のイメージが強いが、ターミナルの周辺はだいぶ栄えていて、お店も多い。裏通りには洒落たショップもいくつかあるから、シオンの気にいるものも、あるに違いない。
「ここまでくれば、いいよね」
そう言ってシオンは、ボクの手をそっと握った。
「今日は、他の女の子には目を向けないでね。あたしだけを見ていてくれる?」
「もちろんさ。何? いつボクがそんなことしたんだい?」
「……いつも無自覚にやっているんだったら、裸にひんむいて混んでるお風呂ん中に放り込んでやる」
ボクはぞっとして、慌てて首を横に振った。
と、その時だった。
「あー、シオンちゃんとマリッカちゃんだっ。どうしたの、こんなとこで?」
慌てて手を離して振り返ると、そこに立っていたのは、
「リアちゃん先輩? それに……ヒジリ先輩も?」
「奇遇だねぇ。わたしたちもデートに来たんだよ。ね?」
「で、デートとか言わないでちょうだい。それにそんな大声で、もうっ」
ヒジリ先輩が真っ赤な顔で、リアちゃん先輩に噛み付いている。
「ねえ、ねえ、知ってる? この先にとっても美味しいモンブランが食べられる喫茶店があるんだって。わたしたちそこに行く途中だったんだけど、一緒に行かない?」
「そんな、急に誘ったら悪いわよ」
「いや、ボクは大丈夫ですよ? ヒジリ先輩とも、色々と友好を深めたいって思っていたところだったし」
「あ」
シオンが、小さく声を漏らした。
「どうしたの? シオンもいくだろ?」
ボクは二人に悟られないように、振り返って、シオンの目を見た。変にデートしていたことを隠すよりも、ここは残念だけど一緒に行動した方が目立たないはず。だから、この選択で間違ってないはず。そう思いながら、ボクはシオンの目を見ていた。
シオンはでも、小さく、ボクから視線を逸らしただけだった。
路地裏にあるその喫茶店は、アンゼリカといった。ぱっと見は喫茶店に見えなくて、蔦の絡まる外壁は、まるでお伽話に出てくる秘密の洋館、そのものだった。
一歩店内に踏み入れると、コーヒーの、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。いい豆を使っているのが、それだけでわかった。女子高生が頻繁に出入りするには少し敷居の高い店だった。店内に客はまばらで、しっとりとしたバッハのフーガが、低い音量で流れていた。
「うわー、すごいお店だねぇ。椅子もふっかふか。モンブランケーキ、すごく楽しみだねっ」
「ちょっと、あんまり大きな声出さないでよ。こっちまで恥ずかしいじゃない」
「えー、そんなことないよー。ねえ、マリッカちゃん?」
「そうっすよ。リアちゃん先輩は元気だけが取り柄ですもんね」
「えへへ。そんなに褒められても」
「……褒められてないわよ」
そんなやり取りをきゃっきゃとしていたのだけれど、ふと気づくとシオンが押し黙っている。そういえばこの店に入ってから、シオンは一言も口を聞いていない。
店員が来て、ご注文は、と言った瞬間だった。シオンは立ち上がると、すいません、急用を思い出したので、失礼します、と小さな声で言って、そのまま店を出て行ってしまった。あっけにとられている二人に頭を下げ、ボクも店の外に飛び出した。左右を見回すと、すでに遠くに、シオンの背中が見えた。
「まっ、ちょっと。待てってばっ」
ボクが叫ぶと、シオンはようやく足を止めた。
「なんなんだよ、一体。あれじゃ感じ悪いだろ?」
「こんなこと、言いたくないんだけどさ」
「なんだよ」
「あたしの家ね、すごく貧乏なの」
「だから、なんだよ。そんなこと、気にしたってしょうがないだろ。別に、おごってあげたって」
「あげたって?」
キッと、シオンがボクを睨んだ。
「あんたにまで哀れに思われたら、あたし、どうしたらいいの? 今日はなけなしのおこずかいだけど、実家のお姉ちゃんと妹に、プレゼントを買おうと思ってたの。あのときから、あの事件の日から、ずっとあたしのことを気にかけてくれていて、今でも」
シオンの頬が、いつの間にか濡れていた。その瞳が、彼女の髪と同じように、赤く染まっていた。ボクは彼女が人目につかないように、壁と電信柱の陰に、シオンの体を潜ませた。
「あたしに余裕がないだけなのもわかってる。気持ちの面でも、それ以外の面でも」
「……どういうこと?」
「あたしがマリカに釣り合わないこともそう、あなたが他の女の子と仲良く喋っているのもそう、あたしたちの関係を秘密にしなきゃいけないのも……全部」
喉が、カラカラに乾いていくのがわかった。
「それって、もう、おしまいってこと?」
「違うっ、なんでわかんないのっ」
シオンがボクの服の胸元を、ぎゅっと握りしめた。ボクは彼女を抱きしめた。
「マリカが好き。好きだから、苦しいのっ」
そう言って、嗚咽を漏らすシオンを、ずっと、抱きしめていた。
空を見上げると、黒い鳥が一羽、ゆっくりと飛んでいくのが見えた。
「ねえ、シオン」
そっと、耳元に囁きかける。
「ボクらはきっと、言葉が足りないんだ。だからときに傷つけてしまうんだね。こんなに愛おしいと思っているのに、どこかでかけ違ってしまうんだね。これからも、たぶん、こういうことが何度も、何度もあると思う」
顔をあげて。と促すと、シオンが涙に濡れた顔を、ゆっくりとボクに向けた。
「だから。これだけを覚えていて」
ボクはそっと、シオンの唇に、自分の唇を重ねた。シオンは抵抗しなかった。そっと目を閉じたのがわかった。
キスの最後にシオンが、馬鹿、と呟いたのは、……聞かないことにした。
星花女子プロジェクトで一緒に活躍中の月庭一花様は、当方の前作「約束の空飛ぶイルカ」の登場人物である砂塚聖の提供者様でもあります。
というわけで主人公の莉亜と聖もかわいらしく友情出演で書いてくださいました。
芝井流歌では書けないクールな作風が特徴の月庭様ならではの一作です!
月庭一花様、本当にありがとうございました♪




