49☆待ち合わせはよそいきで
「しーおーんーっ」
「……ん」
確かに言ったけど、九時に起こしてって言ったけど……。
「行かないの? デートぉ。もう九時半だぞ?」
隣でふてくされてる茉莉花の声と、遠くからはスズメたちの楽しそうな囀りが聴こえる。
「行くけどぉ……眠い……」
「おいこら、それ何回目だと思ってんだよ。行かないなら行かないでいいよ。ぼくだって好きにさせてもらうからな」
茉莉花が木なり色の遮光カーテンをシャッと開ける。次に窓もがらがらと開ける。その音に驚いたのであろうスズメたちの囀りは遠くなっていった。
お日さまがあたしの顔を照らして眩しい。もぞもぞと布団に潜ろうとすると、ずかずかと戻ってきた茉莉花がそれを奪った。重たい瞼を押し上げてじろりと睨むけど、茉莉花もまたこちらを恨めしそうに見下ろしていた。
「……何よ」
「何よ、じゃないだろ。約束破ったらぶっ飛ばすだのぶっ殺すだの言ってたのは汐音だぞ? だからぼくはいつも通り五時に起きてシャワーも済ませて支度万全で、汐音を起こすまで四時間一人で待ってたのにさぁ……。いいよ、そんなに寝てたいなら今日はぼくだって勝手にするよ」
「わ、分かったわよ……。起きるからそんなに怒らなくてもいいじゃない」
ぶつぶつ言いながら重い身体を起こすと、茉莉花は納得のいかない顔をしながら入れ違うようにごろんと転がってきた。そのまましばらく睨み合う事数十秒、急に茉莉花がにやりと笑ってあたしの手を取った。
「何よ、気持ち悪い。顔洗ってくるから放しなさいよ」
「分かってる。……だけどさ、今日は汐音の手をこうして握りながらデート出来るんだって思ったらニヤけてきちゃって……。ね、汐音も嬉しい? ぼくとのデート」
「……ま、まぁ、それなりに……」
「ふふっ、素直じゃないなぁ。正直に嬉しいって言えばいいのにさ。……まぁいいや、手ぇ繋いで歩けるのを嬉しいと思ってるのがぼくだけだとしても、ぼくはそれを汐音を喜ばせるデートにする原動力に出来るから」
嬉しくない訳がないじゃない。デート自体も、手を繋いで歩ける事も、そんな風に言ってくれる事も。だけど、キザったらしい言葉を平気で口に出来るあんたとは違って、『嬉しい』の一言さえも照れくさくて言えないんだもん。
あたしが無言で手を振り解いて立ち上がると、茉莉花は「行ってらっしゃい」と横になったまま手をひらひらさせた。昨夜は触れられるだけで発狂していたとは思えないいつものあたしたち。『昨日はごめん』、その一言さえもまだ口に出来ていない自分が歯がゆい。
それでも、何もなかったかのように振る舞ってくれる茉莉花には心から感謝している。きっとあの時荒療治をしてくれてなければ、今あたしはこんな風に憎まれ口を叩く事すら出来ていなかっただろうから。最悪立ち直れてなかったかもしれないのだから。
洗面所から戻ってくると茉莉花はご機嫌に鼻歌を交えながら鏡に向かっていた。ブラシを片手に前髪を整えている。扉を閉めた音であたしの気配を感じてるくせにこちらを向こうともせず、ただ髪いじりに没頭していた。
ふとベッドの上に見慣れない服が広がっている事に気付く。桜色のベッドシーツと同じような、薄い桜色のワンピース。丈はアシンメトリーになっており、短い方は明らかに膝上。裾に沿ったフリルにはレース部分に幾何学模様が浮かび上がっている。その隣にはあたしのオフホワイトのカーディガンが広げられていた。
もしかして、これって……。
「あんたこれ、まさかまた千歳に借りてきてくれたんじゃないでしょうね? あたし、まだ千歳に……」
「いいや、違うよ? それはぼくからのプレゼント。汐音とデートって思ったら嬉しくてつい、昨日みんなで買い物行った時に買っちゃったんだ。汐音の持ってるカーデと合わせやすいのを選んだから、コーディネートにも困らないでしょ?」
「こ、困るわよっ。カーデがコーデでどーでこーでとかじゃなくて、こんなの貰っても困るっ。それとも何? あたしの持ってる服じゃ、あんたとのデートに不釣り合いだって言うの? そうよ、そう言いたいんでしょ? その通りよね。ごめんなさいね、あんたと違ってろくなもん持ってなくてっ」
「ち、違うって。落ち着けよ、汐音。ぼくはただ、ぼくが選んだかわいい服を、ぼくのかわいい汐音に着て欲しかっただけなんだ。それだけだぞ? 他に深い意味なんてないんだからそんなに威嚇すんなって」
威嚇? 少し荒ぶってしまっただろうか、と一つ咳払いをした。
もう一度眺めるそのワンピースは、茉莉花の愛情が篭っていると捉えれば嬉しい気もするし、いつもお金で済まされてると思うと複雑な気分にもなる。
「ね、着てみてよ。絶対似合うとは思うけど。汐音も気に入ってくれるはずだよ」
「……分かったわよ。でも、あたし……」
言いかけたところで茉莉花はくるりと背を向けてカーテンを閉め始めた。出掛ける気満々なのは心苦しいくらい嬉しいんだけど、そう張り切られると逆にプレッシャーに押し潰されそうになる。
「き、着れた……。サイズはちょうどいいけど、やっぱり丈が……」
短い。
「かっわいー! やっぱぼくのセンスは間違いなかったな。カーデともバッチリ合うし、あとは……」
「ちょっと、聞いてるの? 短いってば、これ、やっぱり恥ずかしい」
聞いてない。わざとなのかたまたまなのか分からないけど、茉莉花はガチャガチャとデスクの上に置かれたジュエリーボックスをあさり、チョーカーやバングルなんかの音であたしの声をかき消していった。
真っ黒なジュエリーボックスにはたくさんのシルバーアクセサリーが並んでいる。いつも茉莉花がジャラジャラ身に付けている男物の装飾品。それらは確かにオシャレだとは思うものの、たまに覗くスカルのモチーフには眉を顰めてしまう。
「あった、これこれ。ぼくのと違って小さいから大事にしまい過ぎちゃった。ね、これも付けてみて?」
「……羽根?」
差し出してきたのはピンクゴールドをしたイヤリング。その先にはぷらりと天使の羽根がぶら下がっている。おずおずと片方受け取る。照明に反射してキラキラと輝いて綺麗。どこかのお嬢様大学生が好みそうなデザインに思わずうっとりした。
「かわいい……。でもこれ、あんたが付けるにはラブリー過ぎない? 誰かにあげようと思ったとかもらったとか?」
「あー……さすが汐音は抜け目ないなぁ……。でも安心していいよ。母さんがバリ旅行でお土産にくれた物だから、仔猫ちゃんにもらっただとかそんなエピソードじゃない。ちゃんと左右があるんだ、付けてあげるよ」
「い、いいわよ、自分で付けれるからぁ……」
耳たぶに暖かい指先が触れる。初めてのイヤリングにも緊張するし、真剣な眼差しで付けようとしてくれている茉莉花の顔が近い事にもドキドキしてしまっている。
ふ、不覚……。
「はい、出来たよ。留め具にシリコンカバーが付いてるから痛くないっしょ?」
「う、うん。ありがと」
「ほらほら、グズグズしてるとその分デート時間が短くなっちゃうぞ? ぼくは五十分発の電車の一番後ろの車両に乗るけど、汐音はどうする? 一緒に乗る?」
公に出来ないあたしたちのデート。別の電車に乗るか、同じ電車の別の車両に乗るかという事。そこまで徹底しなければ二人きりの外出が出来ないのは寂しいけど、逆にそこさえクリアすればあとは誰の目も気にせずデートを楽しめるのだから仕方ない。
「先に行ってて。あたしは一本後の電車で行く。で、どこの駅で降りればいいの?」
「ふふんっ、えっとね……」
なにやら得意げな顔でスマホの画面を差し出してくる。そこには終点より一つ手前の駅名と、改札を出てからの簡単な案内図が記されていた。茉莉花はその中の一つを指差し、「ここで待ってる」とにっこり微笑んだ。
「じゃあ、あとでね。仔猫ちゃん」
「誰が仔猫ちゃんよ。バーカっ」
「あはは、行ってきまーす」
変なの、そう苦笑いを浮かべるあたしを一人残し、小さく手を上げた茉莉花が扉を閉める。見送って振り返った先にはちょっぴり大人びて見える相葉汐音が頬を染めてこちらを見ていた。
日曜日に独りで電車に乗るのは鈴芽ちゃんの家に行った時以来。相変わらず車内は家族連れとお出掛けのカップルで埋め尽くされている。一本遅らせただけだというのに、終着駅までの時間がとてもまどろっこしかった。ダイヤは一分の狂いもないのに茉莉花をとても待たせているような錯覚に陥る。
あたしが一人座れる席はまばらにあったけど、あえて扉の前で外を眺めていた。車窓には今にも頬が緩んでしまいそうなあたしが映っている。二人で電車に乗れない事は寂しいけど、部屋で一緒に過ごしているよりは進展がありそうで心が弾んでしまう。
時々震えるスマホに目を落とせば茉莉花からの連絡。『汐音が隣にいない。つまんない』だの、『乗ってきた女子高生たちがかわいい服着てたけど、ぼくが選んだ服を着てくれてる汐音の方が何倍もかわいいや』だの、『着いたよ。汐音に早く会いたい』だの……。マメな奴だとは知っていたけど、こんなメッセージを他の仔猫ちゃんたちにも送っていたのかと思うと腹が立つ。
だけど、もしこれがあたしだけに向けられたメッセージなのだとしたら……そう思うと柄にもなくきゅんとしてしまう自分もいる。あたしはこんなにも乙女だっけか、と再び車窓を見つめる。恋すると女の子は綺麗になるというけど……あたしはどうなんだろう? 自分では分からない。
目的の駅に着いたのは正午を回る少し手前だった。車内はカーディガンだけでは冷えるくらいだったのに、扉をくぐると途端にもあんとした風があたしを撫でた。肌に貼り付く湿気を帯びた空気は少し雨の匂いがする。見上げれば梅雨の薄い雲が太陽を覆っていた。さっきまでは日が刺していたのに。
雨、降らないといいな……。
「お待たせ」
改札を出たところで見慣れたショートボブがすぐ目に入った。見間違える訳がない。どんなに男の子みたいな恰好をしていても、細いラインも首筋も誰が見たって女の子だもの。
「汐音」
振り返る茉莉花はどこかよそよそしい声だった。いつもとは何かが違う。その違和感がなんなのか分からなかったけど、「行こっか」とすぐに手を引かれて考えるのを止めた。
手を繋ぐのはおろか、並んで歩く事すら当たり前に出来なかった分、あたしは茉莉花にぴったりくっついて歩いた。
ほんとは少し人目が気になる。学校や寮から遠い場所とはいえ、どこの誰が見ても女の子同士のあたしたちがべたべたしていればすれ違いざまの視線を感じざるを得ない。誰に見られてもおかしくない。
だけど今日はせっかく来たのだから遠慮はしたくない。葛藤を繰り返すあたしは茉莉花の手を握りながら身体をすり寄せた。




