表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
48/105

 48☆落ちていく先には

 夢を見た。辺り一面深紅に染まった空間で、あたしはたった一人で歩いていた。誰もいない。どこまで歩いてもどこにも辿りつかない。ただただ鉛のように重い足を引きずって歩き続けていた。


 途中、何かに躓いて倒れ込む。足元には無数の人の腕が転がっていた。引きちぎられたような腕もあれば鋭利な刃物で切断されたような腕もあった。


 あたしは恐怖のあまり悲鳴も出なかった。気が付けば辺り一面、見渡す限り同じような腕が転がっていた。それらは完全に胴体から切り離されているというのに、ピクピクとうじゃうじゃと、微かに指先が動いていた。


 やがてそれらはゆっくりとこちらへにじり寄り、足先から順にあたしにしがみついてきた。払っても払っても数え切れない程の腕が、指が、次々にあたしの身体にまとわり付いてくる。


 そしてとうとうそれらがあたしの全身を覆った。もがいてももがいてもどんどん拘束されていき、もはや指先すらも動かせなくなっていった。


 背中からずぶずぶとどこかへ沈んでいく。引きずり込まれていく。燃えるような赤い空に真っ黒な三日月がたった一つ浮かんでいた。それが最後にあたしが見たものだった。


 目が覚めるとあたしは自室のベッドにいた。お気に入りの桜色の布団カバー。だけど本当にここはあたしの部屋なのだろうか。現実なのだろうか。ぼんやりとした思考回路では答えが見つけられない。


 突っ伏していた枕から顔を上げると、あたしのベッドに腰掛けている誰かの背中があった。少し頭を持ち上げる。顔は見えない。ただ見慣れたショートボブの首筋で茉莉花だと分かった。


 持ち上げた頭が痛い。


「汐音? 起きた?」


 優しく心地よいアルトボイスが耳をくすぐる。だけどどうしてだろう、胸がぎゅっとなる。あたしが黙っていると背を向けていた茉莉花がゆっくり振り返った。


「眠れたみたいでよかった。でも残念ながらまだ朝じゃなくて夜の十時なんだ。この調子じゃ夜中眠れなくて付き合うはめになりそうだな」


 茉莉花は笑っている。なぜ笑っているのか分からない。デスクの上の置き時計は確かに十時を指したところだった。


 枕元にはペットボトルのジンジャーエールが置いてあった。アイスノンも転がっている。そうだ、千歳が置いといてくれたんだった。という事は、やっぱりあれは、奈也との出来事は夢なんかじゃなかったんだ……。


「寝起きに聞くのもなんだけど、お腹減ってない? もうとっくに食堂は閉まっちゃったからさ、えっと……いびつだけど、これ一応おにぎり……だよ? 初めて作ったから丸にも三角にも出来なかったんだ。笑うなよ?」


「……」


「無理に食べなくてもいいから。机の上に置いとくよ。食べたくなったら食べればいいからさ」


「……」


「新しいアイスノンと氷持ってこようか? ジンジャーエールも相当温くなっちゃってるし、コップに氷入れてきてあげるよ」


 なんでずっと笑ってるのだろう。なんで優しくしてくれるのだろう。あたしが憐れだから? 救いようのないバカだから? それとも、まだ真実を知らないから? どれでもないとしても全部だとだとしても、あたしにはあなたに甘える権利なんてもうないのに……。


「まぁいいや。夜はまだまだ長いし、ゆっくり横になってな」


 そう言うと茉莉花は再び背を向けた。手元のスマートフォンで何かをしている。千歳への報告だろうか。それとも仔猫ちゃんたちへのデートの返事だろうか。


「まり……か……」


 カサカサに(かす)れた声しか出なかった。バカみたいに大泣きしたから喉も痛い。枕を抱きしめながらもぞもぞと横向きに寝返る。茉莉花はスマホの操作を止めてゆっくり振り返った。


「どした? 何か飲む?」


 あたしが小さく首を振ると茉莉花があたしの手を握ろうとした。


「や、ヤダっ!」


 思わずその手を跳ね除けてしまう。茉莉花は驚いた表情でしばらく固まっていたけど、ふぅっと一つ息を吐いて笑ってみせた。


「ごめん。触れられたくないんだったな。……じゃあ、これは?」


 茉莉花はあたしの手のすぐ横に自分の手を置いた。あたしから触れろって事? そう不思議に思って見上げると、茉莉花はうんうんと頷いてみせた。


 恐る恐る手を重ねる。触れた瞬間、一瞬だけビクッとしてしまったけど、そっと重ねると茉莉花の手を拒む事はなかった。


「熱いな、汐音の手。寝てたからかな。でも……」


 ギュッと握りしめられる。茉莉花の手は微かに震えていた。痛い、そんなに強く握らないで、思わず眉をしかめるあたしとは裏腹に、茉莉花は優しく目を細めていた。


「おかえり、汐音……」


「……ま、りかぁ……。ごめん、ごめんなさいっ。あたし、あたし……」


「何で謝るんだよ。ちゃんと帰ってきてくれたじゃん。千歳のブラウスはボロボロだし目ぇ腫れててぶっさいくだけど、うちのかわいい汐音がちゃんとぼくんとこに帰ってきてくれたんだ、何も謝る事ないだろ?」


「ぶさいく……。悪かったわね……」


「そうだよ、今すっごいぶっさいくなんだぞ? 鏡持ってこようか?」


 分かってる。わざと怒らせようとしてる事も、話を逸らそうとしている事も。


「……あたし、やっぱり茉莉花がいい……。茉莉花じゃなきゃヤダ……」


「あははっ。何だよ、急に改まって。じゃあ言ってくれてもいいんだぞ? 好き、って」


「……言わない」


「ちぇー、つれないのー。相変わらず汐音はツンデレなんだからなぁ。まっ、そこもかわいいんだけどさ」


 いつもの癖なのだろう、茉莉花があたしの髪を梳くおうとした。反射的に身体が拒んでしまう。強張ってしまう。重ねていた片手もとっさに引込めてしまった。


「ご、ごめん。だ、ダメなの……。今はダメみたいなの……。ごめん……」


「いいや、ぼくの方こそごめん。触るのはいいけど触られるのは嫌なんだね。分かった。うーん、ぼくとしては逆の方が有り難かったけどな。だって、汐音はぼくを殴りたい放題って事だろ?」


「……そうね」


「そ、それは冗談として、汐音に触れられないのは寂しいけど、触ろうとする度にビクビクする汐音もかわいくてそそられるよ。……なんつって」


「……何で聞いてこないの? あたしに、何があったか……」


 急に茉莉花から笑顔が消えた。無理もない。今までわざとはぐらかして話題を変えてきたつもりだったのだろうから。いつものあたしに戻そうと必死に繕ってたのだから。


 上体を起こそうとすると頭がずきんと痛んだ。あたしはたんこぶを押さえながらもう一度横になった。さらりと落ちてくる赤毛が唇をなぞっていく。茉莉花はそれをじっと見つめていた。


 しばらくの沈黙のあと、茉莉花は立ち上がってあたしのベッドの横にしゃがみ込んだ。頬杖をつきながらあたしを眺めている。一瞬触れようとしてあたしに手を伸ばしてきたけど、ビクッと反応したあたしを見て思い出したように手を引込めた。


「何か、何かあったんだろうけどさ、ぼくは言ったよね? 『デートの内容も全部話して欲しい』って。もし汐音が約束を守るつもりがあるなら話して欲しいし、そうじゃなかったとしてもぼくは汐音を責めたりしないよ」


「話す……。ちゃんと話すけど……」


「うん。だけどこんなに怯える程の事があったのは……あのブラウスを見たら分かったよ。ほんとは恋人なんだから何でも言ってよって思ってるけど、それはまぁ理想論であって、汐音とぼくらしくいられればいいや、とも思ってる」


 胸がギュッとなる。裏切りの輪があたしの心臓を締めつけているみたい。優しい言葉をかけられればかけられる程、悶えるような苦しみに襲われる。


 あたしは茉莉花の髪に手を伸ばした。ふわふわした猫っ毛がくすぐったい。そっと撫でると茉莉花はゆっくり瞼を閉じた。かわいい。触れたい。もっと茉莉花に触れたい。あたしにも触れて欲しい。だけど……。


「あたしね、奈也とキス……したの……」


「……うん」


「茉莉花には内緒でしちゃえって思って、一回だけ、したの。……そしたら、そしたら奈也に突き飛ばされて、トイレの個室に閉じ込められて……」


「……いいよ、もう言わなくて」


「怖かった。抵抗しようと思ってもトラウマが蘇ってきて、動けなくて、だけど奈也はやめてくれなくて……。あたしが、あたしが悪いの。全部悪いの。茉莉花を裏切ってキスしたのもあたし。好意を寄せてくれてた奈也の気持ちも考えてあげれずに傷付けたのもあたし。だから、だからこれは罰なの。罪を犯したあたしが受けるべき罰なの」


 茉莉花はずっと目を閉じたままだった。ただじっとあたしの懺悔を聞いていた。


「このたんこぶは奈也に乱暴された時に壁にぶつけたんだと思う。気付いたら奈也はいなくなってた。気絶してた訳じゃないと思うんだけど、何があったか覚えてないの。でも、ブラもショーツも脱がされてはなかったから、多分……されてはいない、と思う……」


「……そっか……」


 そう一言呟くと、茉莉花はギュッとあたしの手を握りしめた。触れないと言っていたのに、分かったと言っていたのに。


「やっ、ヤダ……」


「引込めんなって。触られたくないの分かってるから」


「分かってるならやめてっ。放してっ」


「分かったから暴れんなってっ」


 それでも茉莉花は放してくれるどころか、あたしの上に覆い被さって馬乗りになった。抵抗しようとするあたしがもがけばもがく程、腕も肩も強く押さえつけられていく。


 触れられた嫌悪感で胸がざわざわする。鳥肌が立つ。吐き気がする。害虫が身体中を這い回っているかのようで狂いそうになる。まるで何かにアレルギー反応を起こしているかのようだった。


「や、ヤダっ! ヤダヤダヤダヤダっ! やめてっ、触らないでっ! 降りてよっ、放してーっ!」


「分かったからっ。頼むから暴れんなよ。ぼくだって痛めつけたい訳じゃないんだ。お願いだから抵抗しないでくれよ、汐音」


「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダぁぁぁぁぁぁぁっ! 放してーぇっ!」


「汐音っ、落ち着けよっ!」


 涙が頬を伝っていく。どうして分かってくれないの? 悔しさと気持ち悪さで涙が止まらない。


 と、茉莉花の手があたしの涙を拭い、そのまま頭を押さえつけ唇を重ねてきた。不思議と唇が触れても嫌悪感を感じなかった。むしろ身体のむずむずが薄らいでいく気もする。


 変な気分……。あれだけ騒いでしまったのに……。


「汐音」


 唇が離れると茉莉花が優しくあたしの名を呼んでくれた。薄らと目を開けると照れ笑いする顔が見えた。強張りが解けていく感じがして身体の力を抜くと、拘束していた茉莉花の手も緩んだ。


「ごめん、荒療治みたいな事して」


「……うぅっ、うっ、バカぁ、茉莉花のバカぁ……」


「泣くなよぉ。泣きたいのはこっちだよ。ぼくが本気でこんな事したかったと思うか? いくら汐音の為だとはいえ、嫌がる事を無理矢理するってのは卑怯者のする事だ。良かれと思ってした事が裏目に出なくて幸いだったけど、それこそぶっ殺されるんじゃないかって覚悟してやったんだぞ?」


「バカぁ……うっ、うっく、今度やったらほんとにぶっ殺すからぁ……うぅー……」


「はいはい、ごめんごめん」


 いつものように髪を撫でてくれる。気持ちがいい。昨日もこうしてくれたのに、すごく久しぶりな気がする。今まで撫でてくれた中で一番嬉しい瞬間かもしれない。


 心が、解れていく気がした。


 そっと瞼を閉じようとしたあたしが最後に見たのは、満足気に微笑む愛しい恋人の目に光る涙。自分の事では決して泣かない強がりな茉莉花の涙は、あたしが瞼を閉じ切る寸前に拭い取られてしまった幻だったのかもしれない。


「今日はあたしのベッドで一緒に寝て?」


「いいよ。その代り、ちゃんとパジャマ着て寝ろよ? 裸禁止だからな?」


「えぇー、脱がないと眠れない」


「はいー? なんだよ、それー。じゃあ寝なくていいじゃん。腕枕してあげるから、汐音が眠くなるまで話でもしよっか」


「うん。いっぱい撫でさせてあげる。でもたんこぶ意外ね」


「……撫でてください、だろ? もう……」


 多分、今は普通を装っているだけの仮面を被ったあたしたち。内心はお互いにホッとしているし、ドキドキしていたと思う。この関係が終わりを告げてしまうんではないかという緊張で押し潰されそうだったに違いない。


 だけど……。


「寝る前に一緒にお風呂行こ? 今日くらいあたしのワガママきいてくれてもいいじゃない」


 もし、この恋に終わりがくる時があるとすれば……。


「やだよー。ぼくはいつも通り朝シャンするから、汐音一人で行ってこいっ」


 この関係に終わりがくる時があるとすれば……。


「ふんっ。けち、バカ、ヘタレっ」


 その時が来たら、あたしはあの夢の中のように、地獄に引きずり込まれても構わない。


「酷っ、それが恋人に言う言葉かー?」


 しょうがないじゃない。こんなにもあなたが好きなんだから。


 恋も地獄も、落ちた先の苦しみは覚悟出来ているもの。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ