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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
47/105

47☆接触アレルギー

 寮に戻るまでの道のりがとても長い気がした。行きは楽しくおしゃべりしていたからか、悪夢のような体験をした後だからなのか、どちらでもあったかもしれない。でも、あまり深く考えない事にした。考えられなかった。


 人目を気にしながらショルダーバッグを抱きかかえて歩いた。ブラウスのボタンが二つ取れてしまったし、襟元によく分からないシミが付いてしまっていたから。スカートも汚れてしまったけど、これはきっと洗濯すれば落ちる程度だと思う。


 ぐしゃぐしゃに乱れた髪を化粧室で整えようとした時、ぶつけたんであろう右の側頭部がたんこぶになっている事に気付いた。ズキズキする。だけど胸の内はもっと痛い。


 土曜日なので鈴芽ちゃんは寮にはいない。そう分かっていても、明らかに事件の匂いを放つ姿を見せられないので、そっと扉を開けて部屋を覗き込んだ。……誰もいない。分かり切っていてもホッとしてしまう。


 千歳も自室に戻っているようだった。茉莉花もあたしも出掛けているのを知って戻ったのだろう。いつも気を利かせてくれる事に感謝と申し訳なさしかない。なのに……。


「……ごめん、千歳……」


 クローゼットの鏡に映る、ボロボロのブラウスを着たあたし。何て言おう。何て謝ろう。何て嘘つこう……。


 あぁ、あたしはまた嘘を重ねようと、裏切ろうと……。


 バカだ、あたし。こんなに醜くて薄汚くて、何をやってもどうあがいても周りのみんなを傷付けてしまう。


 消えてしまいたい……。


コンコン。


 その時、扉をノックする音が聞こえた。あたしは脱ぎかけのブラウスを慌ててベッドの下へ放り投げ、「ちょっと待って」と下着姿のまま答えた。


「なんだ、やっぱ帰ってきてたんじゃん。寮の手前で汐音らしき後姿が見えたから……」


 ご機嫌な声で扉を開いた茉莉花が入ってくる。下着姿のあたしを見た茉莉花は慌てて目を逸らした。


「わわっ、き、着替えてるならそう言えよっ」


「……だから待ってって言ったのに……」


 あたしは背を向けながらクローゼットの中の部屋着を取り出した。なるべく平然を装っていないと、動揺している事に気付かれてしまう。そう焦れば焦る程、行動も口調もおかしくなりそうで緊張が止まらない。


「あの……あたし、すぐお風呂行ってくるから、あんたは部屋で待ってて」


「なんだ、そうなの? でもぼくの部屋には千歳がいるからこっちに来たんだけど……。まぁ、お風呂ならしょうがないや。ここで待ってるとするよ」


「そ、そう……。じゃあ行ってくるね」


 下着の上にそのままパーカーを羽織り、洗面用具と着替えを持っていそいそと扉の方へ向かう。大丈夫、何も怪しまれていない。張り裂けそうな心臓を抱えたまま扉に手を掛けた瞬間……。


「汐音」


「えっ、な、何?」


「これ。千歳に借りた物なのに、無造作にほっぽり投げてちゃダメだろ?」


「あっ、だ、ダメっ!」


 抓み上げるブラウスを勢いよく引ったくる。嫌な汗が滲んでくるのが分かった。不思議そうに見つめる茉莉花の視線に耐えきれなくなって、あたしはブラウスを握ったまま部屋を飛び出そうとした。


「待てってば、汐音っ」


 二の腕を捕まれる。振り解こうにも抱えた洗面用具と着替えで両手は塞がっていてどうにもならない。やむおえず両手のそれを放り投げ、ブラウスだけを握りしめて抵抗した。


「や、ヤダっ。放して!」


「汐音っ、落ち着けって! 暴れんなよ。何をそんなに興奮してんだよっ」


「やめてっ! 触らないでっ!」


「し、汐音っ?」


 ぽろぽろと涙が溢れてきた。肌を重ねたいとすら思った茉莉花にでさえ触れられたくないと拒否反応が起こるだなんて……。あたしが犯した罪は、自分からも茉莉花を拒絶するという呪いを掛けられてしまったらしい……。


 最悪だ。最低だ、あたしは……。


「汐音……?」


 茉莉花がゆっくり手を放した。もうどうにかなってしまいそうで、だけどどうにもならなくて、あたしはその場にずるずるとへたり込んだ。目を合わせられずに俯いていると、あたしが散らかした洗面用具やらを茉莉花が丁寧に一つ一つ拾ってくれている音が聞こえた。


 茉莉花は何も言わない。ただ黙々とそれらを拾って、ぺたりと座っているあたしの前に置いた。涙が止まらない。沈黙を守る部屋にあたしの嗚咽だけが響いている。


 握りしめていたブラウスをスッと茉莉花が取り上げた。でも、あたしには何も弁解の余地がないし、逃げる場所も隠れる場所もない。殴られるかもしれない、蹴られるかもしれない、それ以上の罪を犯してしまったのだから、もう何をされてもいいと身構えた。


「汐音……」


「……」


「グロス、だよね? これ……」


 襟元のシミは奈也のグロスだった。するすると布の擦れる音がする。不自然に取れてしまったボタンにもきっと気付いてしまっているはず。


「……どういう事?」


「……」


「答えなよ、汐音。ぼくが尋ねてる内にさ」


 答えたら呆れられる。ううん、口もきいてくれなくなる。ううん、そんなんじゃ済まない。嫌われる。捨てられる。


 だけど、だから、せめて……。


「……んな、い……」


「何? 聞こえないよ、汐音」


「ごめ……ごめんなさいっ。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさ……うっ、うわぁぁぁぁぁぁんっ」


 廊下中にも響いてしまっただろう。押さえ切れない茉莉花への罪悪感と自分への嫌悪感が一気に溢れ出してしまった。どんなに顔を覆ってもしゃくり上げる嗚咽を塞ぐ事は出来なかった。


「汐音……」


「やだぁ、ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダあっ! 触らないでっ、触らないでーっ!」


 おもちゃ屋さんの前でこんな光景を見た事がある。足をじたばたとバタつかせて、大声で泣きながらお母さんにねだる子供を。今のあたしと同じ言動をする子供を。……違う、あたしが子供と同じなんだ……。


 頭が痛い。泣き過ぎて痛い。たんこぶも痛い。心が痛い。胸が苦しい。


 もうやだ、こんなの、罰とやらがこんなに辛いものなら、いっそ茉莉花の手で殺されたい……っ!


「しーちゃん……? 茉莉花……?」


「千歳……今はちょっと……」


 あたしの泣き叫ぶ声が隣まで聞こえたのだろう。心配そうな千歳の声が聞こえる。言いにくそうな茉莉花の曇った声が聞こえる。


「茉莉花、ちょっと席外してもらってもいい? しーちゃんにはちぃが側にいるから。心配しないで、ね?」


「……分かった」


 二人の囁きの後、バタンと扉の閉まる音がした。茉莉花が出ていったに違いない。背後に気配がする。千歳だ。謝らなきゃ。ブラウスもスカートもごめんなさいって謝らなきゃ……。


「しーちゃん、ティッシュ置いとくね。お鼻かんだらスッキリするからチーンしな?」


「……うぅっ、うっぐ……。ちと、千歳……あたし……あたし……」


「うんうん、いーのいーの。無理に言わなくていーのだよ。何があったのか分かんないけど、きっと辛い事があったんだよね? 辛い事わざわざ言わなくていーよ。しーちゃんが話したくなった時に聞かせてくれればいーから」


 優しい言葉を投げかけてくれる千歳があたしの髪を撫でる。触れられたくないのとたんこぶの痛みで思わずパシンと払い除けてしまった。千歳はしばらく固まっていた。そしてすぐ部屋をあとにした。


「うぅ……うっ、うぅ……」


 とうとう頭がぼんやりしてきた。じんわり霞む視界も白く濁ってきているように感じる。誰もいなくなった部屋でただ一人、あたしはどこを見るでもなく涙を拭いもせずぼーっとしていた。


「しーちゃん、少し落ち着いた?」


 扉の方から声がする。そっと目を動かすと扉から千歳がひょっこり顔を出していたのが見えた。


「えへへっ、戻って来ないと思ったぁ?」


「……」


「お水持ってきたよ。いっぱい泣いたら喉乾いたでしょ? いっぱい泣いた後は一杯飲みましょう、なんてねっ。あ、そうそう、それと……」


 言いながら千歳はあたしの前にコップを置いた。それに視線を落とすと、今度は頭にひやっとする何かを当ててきた。


「冷……っ」


「あ、ごめんごめん。急に乗せたらびっくりしちゃうよね。なんか……痛そうなの出来てたから……。うん、でもこれ乗っけとけば早く治るからねっ。それとね、まだあるんだよぉ?」


 頭に乗っけてくれていたアイスノンをあたしに手渡すと、千歳はあたしの眼前で何かをふりふりとチラつかせた。


 それは、あたしの好きな……。


「これね、茉莉花が教えてくれたんだよぉ? しーちゃんはストレスが溜まった時にジンジャーエールを飲むんだよ、って。部屋で待ってなさいって言ったのに、ずっとドアの前にいたみたい」


「……」


「さぁさぁ、ジンジャーがエールを送ってくれてますぞぉ? うりうりぃ、飲まないとジンジャーをジャーしてきちゃうよ? それともふりふりして炭酸抜かしちゃおうかなぁ? 『炭酸なくなったジンジャーエールを見んじゃーねー』……なんちゃって。あははっ」


「……あり、がと……千歳……。ごめんね、あたし……」


「お礼もお詫びもいらないよっ。飲んだら少し横になる?」


 あたしは返事の代わりにこくんと頷いてコップを手に取った。震える手で一口だけ飲み喉を潤した。だけど、どうしても大好きなジンジャーエールには手を付けられなかった。奈也と飲んだそれを口にする事が出来なかった。


 肩を貸そうかと言ってくれた千歳の言葉に首を振り、這いつくばるようにしてのろのろとベッドにずり上がる。枕に顔を埋めたところで千歳の「少し休みなね」という声が聞こえた。反応をしなかったあたしを一人残し、バタンという音と共に千歳の気配はなくなった。


 静まり返った部屋の外からは、夕方だというのにスズメたちの鳴き声が聴こえた。遠くの方では女の子たちの笑い声も聴こえる。鈴芽ちゃんも今頃龍一さんと楽しく過ごしているのだろうか。今夜は誰もいなくていい。一人でいたい。このままベッドに溶けて消えていきたい。

 

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