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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編
45/105

 45☆汐音とシオンの危険な遊び

 約束の日の朝、奈也は十分前に着いたあたしよりも先に来ていた。聞けば三十分前には着いてしまっていたという。夏らしい薄水色のカットソーもだけど、早く会いたかったからという健気さも堪らなくかわいい。


「今日はコンタクトなんだ? メガネしてないとずいぶん雰囲気違うね。それに髪型も」


 奈也はいつもの赤縁メガネではなくコンタクトレンズをしていた。二つに束ねていた髪も今日はストレートに下ろしている。普段のおとなしい優等生っぽさとは全く違う、少し大人びた印象に見えた。


「そ、そう? ちょっと恥ずかしいな……」


 だけど、毛先をもじもじと遊ばせる癖はいつも通り。あたしはなんだかそれがホッとした。


「し、汐音ってずいぶんかわいい服着るんだね。その、あんまり私服って見る機会なかったから……」


「やだぁ、やっぱ柄じゃないよねっ。こ、これ千歳に借りたの。あたしおしゃれな服持ってないし、友達と出掛ける事なんてほぼなかったから……」


「洋服まで貸してくれるだなんて、汐音と瀬戸さんは本当に仲がいいんだね。う、羨ましいなぁ……。アタシも、アタシの服も汐音に着てもらいたい……なんて、気持ち悪いよね……?」


 上目使いでちらりと見られてきゅんとしてしまう。これだ、あたしに足りない乙女な仕草その一っ。こんな風におねだりされたら誰だって許しちゃうじゃないっ。


「あたしに? あんまぶりぶりな服は似合わないし好きじゃないけど……奈也が見立ててくれるものなら喜んで借りるよ」


「本当っ? あ、でもね、貸すんじゃなくてアタシが作ったやつなんだけど……いい?」


「えっ? 作ってくれるのっ? そりゃ有り難いけど申し訳ないよ。手間だって生地代だってバカにならないだろうし」


 奈也はあたしの手を取って覗き込んできた。お目々がきらきら輝いている。そういえば前にも言ってたっけ、作る口実が欲しい、と。


「わ、分かった。お言葉に甘えてお願いしようかな。奈也のセンスを信じて、デザインはお任せするよ」


「やったぁ! ありがとうっ、じゃあ後で採寸させてもらっていい?」


「あー……うん。もちろん。じゃ、行こっか」


 相変わらず態度と言葉がかけ離れている奈也は、あたしの手をぎゅっと握ったまま少しも緩めようとはしてくれない。口では謙虚謙遜そのものだというのに、これはどっちが本心なのだろうかと疑問に思ってしまう。


 それでも悪い気はしない。あいつと、茉莉花とこうして手を繋いで出歩く事なんて出来ないから、とても新鮮に感じる。


 どんな物を作った事があるだとか、コツだとか失敗談だとか、こんな物も作ってみたいだとか、世の器用な女の子たちはこんな話をして盛り上がれるのだと勉強になる。いわゆる『女子力』というやつだ。機械も裁縫もさっぱりなあたしにはただただ驚くリアクションしか出来なかった。


 そんな話をしながら、あたしたちは電車に乗って繁華街へと向かった。デートコースは任せるけどあまりお小遣いがないと言ったあたしに気を使ってくれたのか、金券ショップで格安の映画チケットを手に入れてくれたらしい。その経緯なんかもおもしろおかしく話してくれて、あたしたちは降車駅を通り過ぎてしまいそうになるくらい話に夢中になっていた。


「あははははっ、危なかったねー」


「もー、奈也が笑わすからでしょー? あー、お腹痛い……」


「しゃべり過ぎたし、笑ったらのど乾いちゃったね。汐音、コーヒーと紅茶、どっちが好き?」


「んー、いつも炭酸ばっか飲んでてどっちもあんま飲まないけど、コーヒーは苦手だから紅茶かなぁ。どこか入る?」


「オッケー、じゃあこっちっ」


 手を引かれるがまま入ったのは見た事のないファーストフード店。カウンターに列んでいる間にメニューを見上げてみると、ところどころ英語で書かれていた。少し高級感を覚えて脳内で財布の中身を計算してみる。うん、先月の残りを繰り越してるから飲み物くらいなら平気かな、と再びメニューを見上げた。


「アタシのパパが……あ、父がね、ここの株主優待券を持ってるからドリンクSならタダで飲めるの。二つまでタダだから、あとポテトでも買って分けて食べよ?」


「ほんとっ? わぁ、それは有り難いな。あたし、ほんと貧民だからさ。あははっ」


「いいっていいって。使えるものは何でも使わないとね。よかったら座ってて? アタシ買ってくるから」


「えー、でも……」


 奈也は申し訳ない気持ちでいっぱいのあたしを近くのテーブル席に座らせ、自分は再びそそくさと列に戻っていった。気を遣わせてしまっているのは申し訳ないけど、気配りの出来る奈也の行動は尊敬するし勉強にもなる。


 いつか、あいつとデートした時はあたしが気使ってやろう。キザったらしくエスコートされるより、よっぽどあたしらしいはず。


「おまたせー。コーラとジンジャーエール、どっちがいい?」


「ありがと。じゃあジンジャーエール貰おうかな。あたし好きなんだよね、ジンジャーエール」


「よかったぁ。また汐音の情報が一つ増えちゃった」


「情報……?」


 あたしが首を傾げると、奈也は慌てて両手をバタつかせた。


「違うのっ、何でもないのっ。さ、さ、飲も?」


「う、うん。いただきまーす」


 リッドにストローを刺して咥える。ただそれだけの手つきになぜか奈也の目が輝き出した。なんだろう、そう思ってあたしはまた首を傾げる。


「何? あたし、何かおかしかった、かな?」


「ううん、違うの。その……『アーン』、したいなぁ……って。だ、ダメだよね? 気持ち悪いよね、ごめんっ」


「えっ、『アーン』? い、いいけど……恥ずかしいよぉ……」


「いいのっ? じゃ、じゃあ、はい、アーンっ」


 ずずいっとポテトが一本近付いてくる。おずおずと口を開けてそれを咥える。あたしが口にした瞬間、奈也はパッと手を放してキャァキャァと悶え始めた。


 それを見て、なんだかなぁともぐもぐする冷めたあたしがいる。茉莉花にビーフシチューパイを食べさせてもらった時のあたしたちは、こんなにはしゃいでなかったからだ。好きな人に食べさせたり食べさせてもらったりするのって、普通の女の子ならこういうリアクションをするものなのだろうか……。


「い、嫌だった、よね? 騒いだりしてごめん……」


「謝んないで。嫌なんかじゃないよ? あたしこそごめん。こういうの初めてだからどういうリアクションしていいのか分かんなくてさ」


 嘘をついてしまった。つかなくてもいい嘘を。


 なんだろう、あたしは何か上書きしようとしている? こんな風に楽しく食事をしてみたかった。あいつとの『アーン』はトキメキもへったくれもなかったからって、初めてだなんて嘘をついて……。


 あたしも奈也みたいに、好きな人のしぐさ一つ一つに心を動かされただろうか。あいつの為に何かしたいと尽くした事があっただろうか。あいつの為に、自分の為に……。


「汐音?」


「あっ、あぁ、ごめん。照れくさくてボーッとしちゃった……。あははっ」


「そう? ならいいんだけど……」


 心配そうにこちらを見つめている。至れり尽くせり気使ってくれているというのに、あたしってばあいつの事ばっか考えてて奈也に失礼じゃない。


 ストローの先を犬歯でがじがじしながら、あたしはじぃっと奈也を見つめた。奈也は挙動不審に目を泳がせながら赤面している。そうよ、今日は奈也に誘われたデートなのだから、奈也が喜んでくれる事をしなくちゃ。


「あ、あのね、汐音……」


「うん、何?」


「さっき言いそびれちゃったんだけど……実は、試作品で作ってみたの……。これ、着てみてくれる?」


 奈也はバッグの中から透明なビニール袋に入ったそれを差し出してきた。着てみて? 服? あたしの視線が途惑いながら奈也と手元を行ったり来たりする。躊躇していると顔を伏せた奈也がもう一度ずいっとこちらへ押しやってきた。


「わ、悪いよ……。今日だってすでに色々してもらってるのに、こんなの貰ってもあたし何も返せないもん。気持ちは嬉しいけど……」


「い、いいのっ。何も見返りなんか求めてないのっ。ただ、汐音の為に作った物だから貰って欲しいのっ。サイズも大体ちょうどいいと思うし、似合わないはずがないからっ。……だ、ダメかな、こういうの、迷惑?」


 このやり取りも三度目。気が引けるのに変わりはないけど、断る方が失礼だし……そう思ってあたしは有り難くそれを受け取った。


 ビニール袋をそっと開けると、若草色のキャミソールが一枚入っていた。左胸にはワンポイントで青紫の刺繍が施されている。それはどこかで見た菊の花の刺繍だった。


「作ってみたら、キャミって案外簡単で……。夏はずっと着れるし、今の時期じゃまだ早いけどカーデでも羽織れば着れるかなって思って……。ど、どうかな……?」


「す、すごいねっ。簡単だなんてあっさり言うけど、これ売り物だったら数千円するよっ? 色も涼しげで素敵だし、この菊みたいな花の刺繍もすごくおしゃれ」


「あぁ、それね、菊じゃなくてシオンの花をモチーフにしてるの。単純で(ひね)りもないけど、汐音のイメージに合う花は何かなぁって検索してたらシオンって花があるのを知ってさ」


「そう、なんだ……」


 あたしはじんわりと込み上げてくる涙を(こら)えながら、何度も何度も御礼を言った。作ってくれるだけではなく、たくさん考えてくれた事にも感動が止まらなかった。なんて健気なのだろう。なんて純心なのだろう。


 あたしは幸せ者過ぎる……。


「今日はとことん遊ぼっ。あたし、今日は奈也の為に何でもするから何でも言って?」


「汐音の口からそんな事言ってくれるだなんて……アタシ幸せ過ぎて鼻血が出そう……」


「あはっ、レディに鼻血は似合わないですよ? お嬢さん」


 もしかしたら、あたしはこういう立場を求めていたのかもしれない。愛されて、尽くされて、見返りは笑顔を見せるだけで。あたしが喜ぶだけで奈也も喜んでくれる。だけどそれだけじゃなくて、奈也はあたしだけを見てくれている。あたしだけの事を考えて、金銭的な事も好みも尊重してくれている。


 それに比べてあいつはどうよ。お金がないからいらないと言えばおごってあげると言い、自分も炭酸好きだからジンジャーエールよこせと言い、ぶりぶりな服は嫌だと言えばもっと着ろと言い、あたしの事情なんてどれも尊重してくれなかった。


「喉も潤ったし腹ごなしもしたし、ぼちぼち映画館行こっか」


「うん。あたし片付けてくるね。奈也は座ってて?」


「えー、アタシやるよ?」


「いいのいいの。お嬢様は奈也だけで充分よ?」


 トレーを片手に奈也の頭をぽんぽんと叩く。小さく唸りながら照れまくるしぐさにきゅんきゅんする。そっか、ぽんぽんする側ってこんな気持ちだったんだ、と気付かされた。


 あたしはずっとされる側だったから不安だったのかもしれない。相手のリアクションで自分の事をどれだけ思ってくれてるのかが掴めるのは、『する側』なのだから。きっとあたしに受け身は似合わないんだ。すぐ不安になってしまうから。


 あたしがあいつに不釣り合いだとずっと感じてきたのは、受け身でいる違和感だったのかもしれない。


「うはぁ……空き空きだねぇ……。さすが金券ショップで安売りしてるだけあるわぁ……」


 映画館はがらんとしていて、若いカップルが二組と恋人繋ぎの女の子一組だけしかいなかった。こんなに空いてるなら急いで席取りしなくてもいっか、とあたしたちはひとまず化粧室へ向かった。


「あたし映画なんてほとんど観ないから寝ちゃったらごめんー」


「それはそれでいいよ。汐音がリラックスしてくれてるって事でしょ? アタシとしては本望だなぁ……な、なんて言ったら気持ち悪いよね……?」


 手を洗いながらあたしが振り返ると、奈也はこちらをちらちら覗き込みながら青いハンカチで手を拭いていた。よく見ればそれはあたしに作ってくれた物と全く同じデザインのハンカチ。もしかしてお揃いで持っていたかったのかな、とこれまたいじらしく思ってしまう。


「あははっ、それ口癖? 大丈夫、キモくなんかないよ。歯の浮くようなお世辞よかよっぽど本心だと思うし。……ありがとね、いつも思ってくれて。あたし、ほんとに何も出来ないけど奈也のお願いなら何でも聞いてあげるからね?」


「ほ、本当……? じゃ、じゃあ……」


 洗い立ての奈也の冷たい指先があたしの首元をかすめる。頬を両手で包まれ、それが何を求めているのか気付いてしまった。


「な、奈也……そ、それはちょっと……」


「い、一回だけだから、ね、ね、ダメ……じゃない、よね? 何でもしてくれるって言ったよね?」


「それは……」


 あいつの、すかしたあいつの横顔が頭を過ぎる。廊下で堂々と壁ドンごっこしたり誰それ構わずキスしてるんだ。そうよ、あたしだって、一回くらいなら……。


 あたしだってキスくらい……。


「分かった。目、瞑って……?」


 女の子の唇は柔らかい。茉莉花が教えてくれた。茉莉花の唇が教えてくれた。


『こんな事されたら怒るからな? もしされそうになったら、ぼくの時みたいに思いっ切りビンタして逃げといで。それと、デートの内容もちゃんと全部話して欲しい』


 知らない、そんな事……。


「し、汐音……す、好き……」


「あたしも……」


 奈也の唇は柔らかくて、瑞々しいグロスの甘くて危険な香りがした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 基本的に毎日裏切られるので彼女のやっていることが悪いとも思えない
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